緊急提言 包括的金融再興構想【1】
― 90年代金融行政の総括 ―

(1)失敗からの教訓
1991年春から日本経済は景気後退局面に突入したが、それ以降、基調として長期的低迷状態にある。この間、財政・金融政策は極限といえるまでに全開を続けている。追加財政措置で累計82兆円強(事業費ベース)を出動し、金融緩和政策で公定歩合は6%(91年7月)から0.5%にまで低下している。
しかし、90年代日本経済は、なかなか自律的回復力を取り戻せぬまま、停滞状況に陥っている。その根因の一つは、「資産デフレ」がなお居座っていることである。より具体的には膨大な不良債権が日本の金融システムを蝕み、経済全体に下方圧力を及ぼしているのである。
したがって、21世紀に向けて日本経済の天窓を切り拓く「1丁目1番地」は、居座る不良債権を短期間に透明な形で一括処理することに他ならない。
ここに緊急提言「包括的金融再興構想」を取りまとめることにしたが、その大前提すなわち出発点は、現在まで不良債権問題の根本解決を遅らせてきた「90年代金融行政」の失敗について改めて総括し、その失敗の轍を踏まぬように、問題の根本に立ち戻って、金融再興計画を構想することにある。

(2)5つの基本的失敗
「90年代金融行政」の失態は、次の5項に集約される。

情報の「隠蔽」
日本の金融システムに対する海外や市場の「不信感」の根源ならびに金融正常化・安定化の「桎梏」の根因となってきたのは、日本の金融機関の公表財務諸表(決算数字)が正しくないということである。
まず、日本全体の不良債権総額自体については、今なお信頼に足る統計がなく、個別金融機関についても自己査定額すらほとんど公表されていない。(注1)
(注1)1990~96年に日本全体の土地資産総額は累積で約600兆円強も減価している(国民経済計算)。むろん、このすべてが不良債権化しているわけではないが、全国銀行ベースの公表計数で不良債権総額76.7兆円(97年9月末)となっているのは明らかに過少評価である。

速水日銀総裁は、先般、個別銀行の自己査定額の公表を要請したが、金融界などはこれに猛反発している。この「反発」自体が、市場に対して、日本の金融システムが抱える病根の根深さを告知する結果となっている。

また、現下の景気停滞化のもとで、一部金融機関や企業などの財務正常化行動は、過去の不良債権処理に伴う土地売却(損切り)に向かっている。この土地売却に伴って、地価はいま一段と下落傾向を強めつつある。この結果、金融機関の不良債権額はさらに増加傾向にあるとみられる。したがって、不良債権問題に本格的に対処するにあたっては、まずもって、金融システムが抱える不良債権の実態について、できるだけ客観的な精査を行う体制を整えなければならない。

不良債権の客観的な精査ならびに開示がない限り、不良債権処理への「公的資金投入」は、国民や市場の不信感を強めるばかりである。

「先送り」あるいは激変緩和措置
1994年12月の東京二信組破綻以来、市場には金融システム不安の激震が度々襲ってきたが、その都度「金融安定化策」がとられ、市場は平穏を取り戻してきた。だが、それは一時しのぎの「彌縫策」でしかなかった。(注2)
(注2)95年の兵庫銀行破綻とその後の「みどり銀行」の失敗、96年6月の「住専関連法」の成立とその後の金融動乱、97年春の北海道拓殖銀行と北海道銀行の合併計画、その後の合併取り止め、そして拓銀の崩壊。

97年11月の拓銀・山一の金融破綻事件を契機に、98年2月には30兆円の公的資金枠による「金融安定化措置」が出来上がっているが、金融システムは安定化するどころか、日本長期信用銀行の経営危機説によって、またまた不安定化をみせた。

問題の本質は、「金融システムの病根」についての認識の甘さ、根本的解決への決断力や自信の欠如からくる「先送り的行政」体質によって、小出しの彌縫策が繰り返されてきていることにある。

今般の「ブリッジバンク方式による受け皿銀行案」についても、取り扱いや処理が難しい「第Ⅱ分類(要注意扱いでほとんどは償却引当がなされていない)」の「先送り的処理」に陥りかねない危険性が強い。「善意で健全な取り引き先企業」への「貸し渋り対策」との大義名分によって、金融システムが大量に抱え込む「第Ⅱ分類」債権の償却、処分を2~5年間も「公的資金によって肩代わり」することになりかねないためである。

いま真に求められている解決とは、「第Ⅱ分類」を精査し、健全取引は公的に支援するが、そうでない取引については整理することではないのか。この限りにおいて、当該金融機関については閉鎖か非閉鎖(再生可能性が高いもの)の断が下されるべきであり、1~2年間で金融システムに居座る不良債権は処理されなければならない。その点、政府は金融システムが不安定化の「火種」を2002年頃まで抱え込むということを公言しているようなものである。

以上の意味で、今般の「ブリッジバンク案」には、「短期一括処理」の「激変」を回避すべく、不良銀行も不良企業も「延命・援助」するとの90年代の金融失政、すなわち「先送り行政」の臭いがまといつく。

激変緩和や先送り的な手法こそ、90年代日本経済に「資産デフレ」を長きにわたって居座らせてきている元凶なのである。

「場当たり」
政府・当局は、市場からの衝撃がなく、市場が平穏である限りなかなか動こうとはしないが、ひとたび市場に激震が走ると大慌てで対応策をまとめる。だがそれらは、90年代の経緯を見れば判然とするように、「場当たり」の対策でしかなく、効力も一時的にすぎない。その事例を「拓銀、北海道銀行の合併等」や「みどり銀行創設」、「東京共同銀行創設」、「特定合併」などにみることができる。

包括的でない部分的な「場当たり策」は、効果が一時的、限定的であるばかりか、市場に「不信感」を累積させることで大問題となる。それが根強い円安化圧力やジャパン・プレミアムの上昇化圧力を通じて、日本の金融力全体の減退化をもたらし、結局のところ日本経済に中・長期的なネガティブ作用を与えることになる。

「責任原則の曖昧性」
金融システムの正常化・安定化のために、「公的資金」の投入は当然ではあるが、同時に、税金投入の対価として、個々の金融機関(ならびに金融行政当局)には2つの責任の明確化が求められる。第1は公的資金投入に至った経営責任(経営者のみならず株主、出資者も含む)の明確化と必罰である。これには経営内容、財務内容の全面開示が不可欠となる。第2は公的資金の導入にあたって、経営刷新(リストラなど)についての計画を策定し、国民ならびに市場に説明することである。

以上のような「責任原則の明確化」が欠如すれば、モラルハザードが広がり、日本の金融システムが一段と脆弱化するだけでなく、国民の反発や不公平感が累積し、経済活力の減退化を引き起こす。

「信認の欠如」
金融における信用の基礎は、国民そして市場が政府ならびに当局に対して、「信認」、「信頼」を持つことに他ならない。90年代初めに発生した「資産デフレ」(バブル崩壊)を98年夏の現在まで、「何とかなる」との希望的観測と「隠蔽、先送り、場当たり」で根絶せずに放置し、事態をここまで悪化させてきた「事実」が金融不安の根底にある。つまり、金融行政当局の失政は明らかだ。その責任の所在は明確に問われなければならない。そうでない限り、「失政を続けてきた金融行政の当事者、ならびに金融行政の仕組み」に対して、国民や市場がどうして「信認」を持ち得るだろうか。

信認の回復には、「過去の失政」と切り離された、緊急の金融司令塔の創設が不可欠である。むろん、この金融司令塔は緊急事態に限っての「時限的な機関」とされよう。

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