秋田県・能代「天空の不夜城」

伊藤 竜佑(一般社団法人能代青年会議所第70代理事長)

本稿は『Voice』2021年5月号に掲載されたものです。
能代市内を練り歩く城郭灯籠の「愛季」(左)と「嘉六」(右)(写真提供:JCI能代)
能代市内を練り歩く城郭灯籠の「愛季」(左)と「嘉六」(右)(写真提供:JCI能代)

選ばれた乙女が棚機という織り木で着物を織り、棚に供えることで神様を迎え、秋の豊作を祈ったり人びとの穢れを祓ったりする――。日本では古来、津々浦々の農村で、そんな習わしが連綿と行なわれてきた。これに中国から伝わった織姫と彦星の伝説などが融合し、各地固有の文化として根付いたのが、七夕祭りである。

秋田・能代の地でも「役七夕」と呼ばれる伝統行事が行なわれてきた。旧暦の七夕である8月6日・7日の2日間、夏の眠気を覚まし、秋の豊作を祈念して行なわれるこの祭りは、「能代のシャチ流し」とも呼ばれる。寛保年間(1741~44年)には始まっていたとされ、以降は東北を代表する祭りとして親しまれてきた。

それにしても、なぜ「シャチ流し」なのか。遡ること千年以上、坂上田村麻呂が蝦夷と戦う際、灯籠を威嚇に用いたことに由来し、役七夕ではさまざまな灯籠が夜空を煌々と照らす。人気を博したのが名古屋城のかたちを模る「城郭灯籠」。その上に載せたシャチを米代川に焼き流すのが、この勇壮な祭りのフィナーレである。

能代には明治に撮影された1枚の銅板写真が伝わっている。そこには巨大な城郭灯籠が写り、時を超えて当時の威容を伝える。史料によれば五丈八尺(約17.6m)の灯籠が夜明けまで引き廻されたというから驚かされるが、やがて電気が普及して電線が張り巡らされると、灯籠の高さは7~8mまで制限された。

「たんなる祭り」で終わらせたくない

明治時代に撮影された銅板写真。勇壮な城郭灯籠が写っている。(写真提供:JCI能代)
明治時代に撮影された銅板写真。勇壮な城郭灯籠が写っている。
(写真提供:JCI能代)

――能代を元気にするために、地域の賑わいをつくるために、あの大型灯籠を復活させたい。

そんな強い想いを胸に関係各所に働きかけ、2013年にはついに1世紀ぶりに大型灯籠を復活させたのが能代青年会議所(JCI能代)である。今年度のJCI能代理事長を務める伊藤竜佑氏は次のように話す。

「今年度のJCI日本は『質的価値』という全国各地の青年会議所共通のテーマを掲げています。振り返ればJCI能代は当時より『質的価値』を自分たちなりに追求してきました。2011年には創立60周年を迎えましたが、すでに大型灯籠を復活させることで、能代をどう網羅的に盛り上げるかを具体的に話し合っていました。僕もすでにJCI能代に加入していましたが、大型灯籠を復活させても、それが『たんなる祭り』で終わっては意味がないと議論されていたことを覚えています。たとえば、大型灯籠の復活で観光客を増やすことだけを目的とすれば、能代を『量のモノサシ』で測ることになる。それで本当にまちが元気になるとは思えません。

大事にしていたのは、1つの事業でどれだけの人の共感を得て、巻き込めるかということです。大型灯籠の復活が、経済や少子化といった課題解決の特効薬になるかといえば、そんなはずがない。でも、皆の想いが集まり活力が生まれれば、何かが生まれるかもしれません」

JCI能代は2011年の段階で、具体的に「伝統文化の継承」「通年を通じたイベント事業」「地域住民との連帯感創出」「観光資源活性化」「地域の象徴・地域ブランド」「誇りに満ちた愛郷心」などのテーマから、大型灯籠復活をメルクマールに能代を盛り上げる未来をイメージしていた。

そんなJCI能代の構想に早くから共鳴したのが、能代商工会議所である。観光の目玉をつくるのはいいとしても、交流人口を増やすだけではなく「その先」に繋げたい。2つの組織はその共通の考えで繋がった。とくに継続的なイベントは、1つの組織が起ち上げると次第に風通しが悪くなり、頓挫するケースも多い。

「商工会議所だけでなく、能代市役所も理解を示してくれました。われわれから何か特別な働きかけをしたというよりは、純粋に『自分たちのまちをどうしていくか』という点でビジョンを共有できたのでしょう。とはいえ、互いに想いを伝えるばかりではなく、しっかりと行動を起こすことが大切です。

もちろん、いまだって意見を交わすなかで議論が過熱するときもあります。しかし、多くの組織と連携すればその分、『できないこと』が『できる』ようになる。これだけ変化が早くて激しいと、1つの組織だけで何かを完結させるのは難しいように感じます」(伊藤氏)

能代青年会議所第70代理事長の伊藤竜佑氏
能代青年会議所第70代理事長の伊藤竜佑氏

そして――。2013年夏、ついに悲願である大型城郭灯籠が制作・運行された。高さ五丈八尺(約17.6m)、あの明治時代の銅板写真をもとに復元された「嘉六」である。1世紀の時を超えて、能代に絢爛かつ圧巻の大型城郭灯籠が復活した。銅板写真はモノクロであるから色彩の再現までは叶わなかったが、雅な色合いが能代の夏夜を彩る。続いて翌年には2基目の大型城郭灯籠「愛季」が制作・運行され、いまでは毎年8月3・4日、能代のまちを練り歩く。

「この2日間に設定したのは、8月3日から6日の秋田竿燈まつりと、8月2日から7日の青森ねぶた祭と一緒に観光していただきたいから。秋田市から能代、青森までは鉄道で移動できますし、東能代駅と青森県川部駅を繋ぐ五能線は、その絶景から『乗ってみたいローカル線』として有名です。能代単体ではなく、他県も含めた『地域全体』という意識で活動しています」(伊藤氏)

田楽、笛、太鼓を先頭に、2基の大型城郭灯籠が大勢の若者たちの手で能代のまちを練り歩く。そのイベントは「能代七夕 天空の不夜城」と呼ばれている。

「日本一」をつくった能代っ子の粋

2基目として制作された「愛季」は、24.1mもの高さを誇る。ビルであれば8階建てに相当し、城郭灯籠としては日本一。真下からは全容を目視できず、身震いするほどの迫力だ。重さは台車だけで20トン、さらに灯籠で8トンというから想像を絶する。「せっかくならば日本一高い城郭型灯籠をつくろう」という想いが、JCI能代の人びとを突き動かしたという。

「能代っ子の『粋』な部分ですね(笑)。東北人については『我慢強い』と表現されることが多いですが、それが悪い方向に向かって『俺もやんねえから、お前もやるな』というネガティブな気質になってはいけません。幸い能代は港町ということもあってか、新しいことへのチャレンジは好きなほうだと思います。

城郭灯籠にしても、なぜ最初に縁もゆかりもない名古屋城を真似たかといえば、名古屋城のシャチがカッコいいから職人が真似たという説さえある(笑)。でも、大胆にやるべきときは、思い切って挑戦する。商売下手な部分もありますが、目先の利益だけを追求しても能代のまちが活性化されるかはわかりませんから」(伊藤氏)

城郭灯籠は、もともと青森県五所川原市の「五所川原立佞武多」が有名で、高さは23mを上回る。JCI能代は早くから勉強会として五所川原を訪ねていたが、ある日、「立佞武多を超える日本一の城郭灯籠つくりたい」と明かしたところ、嫌な顔をされるどころか「いいことだと思う」と背中を押されたという。能代だけではなく地域全体を盛り上げたいというJCI能代の想いが、彼らにも通じたのだろう。

若い世代にいかに継承していくか

灯籠は市内の使われなくなった体育館などで制作・保管されている。かつては木や竹で組まれていたが、現在は骨組みに針金も用いて、中身が空洞化されて光が鮮やかに紙を照らすよう工夫されている。灯籠にはさまざまな絵が描かれ、虎や鳥、犬などの動物もみられるが、専属の職人である小嶋将氏によれば、地元の学校の学生やボランティアも制作を手伝っているのだという。

「生徒さんは、ワイワイと楽しそうにやってくれていますよ。紙を貼ったり、針金を糸で結んだりとさまざまな作業があるのですが、『手伝いたい』と体育館を訪ねてくれる人もいたり。その意味では、地元が一体となって祭り当日までを迎えています」

JCI能代も「天空の不夜城」を地元と一体となってつくりあげるよう働きかけている。練り歩きの際には田楽、笛、太鼓が演奏されるが、近年では笛を吹ける子どもが少ない。そこで、要らなくなった笛を集めては地元の学校に届けて吹き方を教えているという。JCI能代に所属し、今年度の東北地区秋田ブロック協議会副会長を務める山田雄太氏は次のように語る。

「太鼓はともかく、笛は練習しないと音色がでませんからね。少なくとも僕たちが小学生のときには、いろいろな体験をつうじて『伝統文化って面白いな』と感じていました。いまの子どもにもその感覚を伝え、伝統文化を途絶えさせないのは大人の責任だと思うんです」

能代市内の旧体育館で保管・制作されている灯籠
能代市内の旧体育館で保管・制作されている灯籠

能代にはさまざまな魅力がある。JR能代駅に降りれば構内のバスケットボールのゴールが目につく。「バスケのまち」として有名で、58回の全国優勝を誇る能代工業高校(能代西高校と統合・校名変更)はその名を全国に轟かす。天然秋田杉の産地で「東洋一の木都」とも呼ばれていたし、旧料亭「金勇」では囲碁の七大タイトル戦の1つである本因坊戦が行なわれる。白神山地が聳えるなど自然も豊かで、一方で北国のわりには雪が積もりにくい。JAXAもロケット実験場を構えている――。能代にはじつに多様な「根っこ」があり、「天空の不夜城」以外で質的価値を追求するうえでも多くの可能性があると感じるが、しかし伊藤氏も山田氏も、伝統や文化を継承することに対して異口同音に課題を指摘する。

「能代にはたしかに、多くの『資源』がある。ただ、それを自覚している人は少ないように思う。JCI能代としても現状を打開していきたいのですが、とくに僕らよりも若い世代は能代に対して『後ろ向き』にもならないほど地元のことを知らない。地域に対して後ろ向きの人は愛着をもっている裏返しだと思うんです」(伊藤氏)

「『若い世代は芯がない』というと自分が年寄りになったようで嫌ですが(笑)、情報量が多すぎて、他の地域と比較することでしか自分のまちを評価できていないように映ります。でも、よそと比較する時点で『量的価値』の考え方です。これは能代にかぎらず、他の地域でも同じ現象が起きているはず。今年のJCI日本が『質的価値』を掲げているのは、そうした現状を見つめ直す意味では、必然だったのかもしれませんね」(山田氏)

「不夜城」はもっと成長できる

継承と変革――。今年、70周年を迎えるJCI能代が掲げているスローガンだ。継承についてはここまで触れてきたが、「変革」についてはどう取り組むつもりなのか。伊藤理事長は「天空の不夜城」にしても「まだいくらでもやれることがある」と繰り返す。

「もっと能代の人全員と『不夜城』を共有したい。一人ひとりが主人公として参加しているかといえば、まだ足りません。能代に住む子どもから大人まで『不夜城、観に来てよ!』と自信をもてるところまで発展させられれば、必然的に外の方々も足を運ぶような立派なものになるはず。いまは、その目的地までの坂を上っている最中です。さらにいえば、『不夜城』を能代というまちに閉じこもらせず、『地域の祭り』として、より広域の人びとを巻き込んでいきたいですね」(伊藤氏)

「たとえば運行ルートの改善はつねに話し合っていますし、『真っ白な灯籠に4方向からプロジェクションマッピングで映したらどうだろう?』など、闊達に意見交換しています。肝心の自分たちが、『不夜城』をたんなる観光七夕と認識してしまっていないだろうか。そんな自問自答を繰り返しているのです。僕はJCIに入り、地元のことを考えれば考えるほど『やるしかないな』という気持ちを抱くようになりました。変革を重ねることで地域に何かを還元し、能代の魅力を継承していくことが、僕たちの役割だと思うのです」(山田氏)

最後に、JCI能代を引っ張る2人に、JCI日本が掲げる「質的価値」をどう捉えているかを尋ねてみた。

「自分はまずは『続けること』だと考えています。たとえば『不夜城』を能代として続けていくことで、それがきっかけで足を運んでくれた人に『きりたんぽ鍋、旨いじゃん』『いぶりがっこもあるんだ』と気付いてもらえるかもしれない。相手に共感を求めるには、視たり嗅いだり食べたりと、五感で受け止めてもらうしかありません。そこで初めて『あ、能代っていいね』と思ってもらえるのです。その様子を地元の子どもたちがみれば、『僕たちの能代はこういうところが素晴らしいまちなんだ』と愛郷心をもつはず。

『質的価値』という言葉は非常に難しく、いまもまだ考え続けているのですが、もしかしたらこうして試行錯誤することが、その時点ですでに『質的価値』に結びついているのかもしれない」(山田氏)

「僕は能代を、老若男女問わず誰もがここに住んでいることに誇りをもてるまちにしたい。たとえば、人口が減ることは簡単に止められない。そのとき、『不夜城』をきっかけに、一人でも多くの人を巻き込むことが『質的価値』に繋がるんじゃないでしょうか。繰り返すようですが、『不夜城』はたんなる祭りではなく、まちがよい方向に向かうための象徴にしたい。皆が関わることで、能代の未来にそれぞれが責任感をもち、前向きなサイクルが生まれることが理想です。その先に、もしかしたら企業が能代に拠点を置くようになるなど、何かのアクションが生まれるかもしれないでしょう」(伊藤氏)

*     *     *

「『不夜城』、とくに夜は本当に綺麗なんです。あと、怖いくらい大きい(笑)。ぜひ観てほしい」(山田氏)

「約18mある『嘉六』が『愛季』の前だと小さくみえちゃうもんな(笑)。面白いものですよ。僕も最初にみたときのインパクトは忘れられない。もっと『不夜城』を成長させていきたいですね」(伊藤氏)

時おり冗談を交えつつ、しかし真剣に白熱の議論を交わしながら「天空の不夜城」と能代のこれからを考える二人の会話は、一向に尽きる気配がなかった。

伊藤理事長(右)と東北地区秋田ブロック協議会副会長も務める山田雄太氏
伊藤理事長(右)と東北地区秋田ブロック協議会副会長も務める山田雄太氏

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