「切り下げの帝国」が世界を劣化させる

遠藤 乾(北海道大学大学院法学研究科教授・同大学公共政策大学院院長)

本稿は『Voice』2020年10月号に掲載されたものです。

中国の図体が大きくなればなるほど、彼らの内の問題が、外に投射される。世界はそんな時代に突入している。デカップリングが限界のいま、権威主義の浸透にいかに対抗すべきか

8月10日、香港で、中国に批判的な「蘋果日報」の黎智英社長とその親族、経営するメディアグループ幹部、そして学生民主化運動「デモシスト」の元メンバーで日本でも著名な周庭氏など、10人が逮捕された。その後、保釈されたものの、国家安全維持法(国安法)違反の容疑とされ、いまも起訴に向けた動きはつづいている。

彼らの言動は、決して犯罪と呼べるものではない。してもいないことを含め、犯罪とされる罪状が今後当局からリークされるかもしれないが、彼らがしていたのは、基本的に自らの意見を表明し、内外の人びとに民主化への連帯を訴えるといった、ごく普通のことであった。それは、外国勢力と結託して中国に不利益をあたえ、やがては国家の安全を脅かすという、おどろおどろしい罪状へと転化された。

中国権威主義の深まり

中国当局は、本件が内政問題であり、主権に介入するなというが、それは欺瞞にほかならない。香港返還に先立つ1984年の中英共同声明をつうじて、一国二制度のもと、返還後の50年間は香港の自治や人権を守ると対外的に約束してきたからである。実際、香港では、言論の自由、集会の自由、司法の独立が守られてきており、それが香港を香港たらしめてきた。しかし、いまやそれは風前の灯火だ。

そもそも、香港基本法第23条は、国家安全にかかわる法律は香港政府がみずから定めると明記している。それを蔑ろにし、北京が一方的に決めた国安法でごく普通の行為をもとに逮捕するのは、法治の概念を幾重にも踏みにじる。その国安法ですら、第4条で香港において人権の尊重を図るとしているのだから、みずから積み重ねた言説に徹底的に背いている。

今回の出来事が、孤立事例でないことは明らかである。2015年から中国指導者に批判的な銅鑼湾書店の店主らが次々と香港から大陸に拉致されるにいたった。2019年には、中国当局は香港政府とともに逃亡犯条例の改正を企図し、大規模な抗議運動の末、いったん断念していた。

中国大陸では、すでに著しい人権抑圧が日常茶飯事となって久しい。学者、弁護士、ジャーナリスト、民族指導者などが次々と拘束されている。そうされないまでも、社会的・職業的に抹殺される例があとをたたない。新彊ウイグルについては、もはやジェノサイドの色すら帯びはじめているが、ここではいうまい。

弁護士や学者などに絞っても、2014年5月、著名な人権弁護士の浦志強氏ら、天安門事件25周年の私的集会に出席した多くが拘束された。2015年夏には709事件が起き、何百人もの弁護士や活動家が一斉拘束された。最近もまた、新公民運動を提唱したかどで逮捕されて4年の服役を済ませた許志永氏が、あらたに新型コロナウイルスへの対応を批判して、習近平国家主席に引退を促した途端、当局にふたたび拘束されている。

事情は大学でも同じだ。清華大学の法学者である許章潤氏もまた、ネット上に公開した論文で、習指導部が憲法改正で国家主席の任期制限を撤廃したことを批判。習氏崇拝をやめるよう求め、1989年の天安門事件の再評価を促した末、2019年に大学から停職処分を受け、今般の香港民主化運動の弾圧を批判したことで、今度は逮捕された。

香港でも忖度が広がる。長らく自治が認められた大学のようなところで自由の空間が狭められている。

つい最近では、香港大学法学部副教授の戴耀廷氏が解雇された。彼は2019年4月、オキュパイ・セントラル運動で参加者を扇動した罪などで懲役1年4カ月の実刑判決を受け、同年8月に仮釈放され、上訴中だったという。

国安法とともに、いま香港は中国になろうとしている。

「切り下げの帝国」としての中国

これらは世界史的な意味をもつといっても過言ではない。中国が、経済的・政治的に世界で存在感を高めるに従い、人権抑圧と権威主義に傾く中国内の問題が世界に投射されていく。それが真っ先に表れるのがゲートウェイたる香港なのである。そこでは資本、情報、才能が比較的自由に行き交ってきた。

そのゲートウェイで起きることは、今後の世界がどうなりうるのかを占うシグナルでもある。今回の国安法は香港のなかで終始するものではない。その訴追対象には外国籍の者が含まれ、香港生まれの米国人に逮捕状が出ている。自由の劣化の芽は、越境し世界に撒かれているのだ。

中国はロシア同様、自国の生きる環境を好ましいものとするため民主国に働きかけているが、その結果、自由のスタンダードがゆがめられる事態が相次いでいる。ロシアと異なるのは、中国が、膨れ上がった経済力、資本の力をテコにしているところである。それはロシアの人口の約10倍、経済規模は米国の3分の2で、韓国程度のロシアとは異なり日々増大している。

中国との経済取引が拡大するのは地球上のどの国にとってもほぼ同様で、その相互依存を通じて、世界が中国の影響からますます逃れられなくなる。コロナ危機で世界経済が収縮するなか、相対的に無傷だった中国市場の重みが増しているともいえよう。問題は、その相互依存の関係が中国政府のいうようにウィンウィンであるのならよいのだが、中国的な権威主義のスタンダードがその関係を通じて浸透してくることだ。

香港の次は台湾だろう。実態としての台湾は、なかに深い亀裂は抱えつつ、国民国家の体裁をもちはじめている一方、北京からみれば未完の統一工作の対象であり、自国の範疇に入る特殊な存在である。独立した民主国である韓国や日本は、そこからするとはるかに立場が強いが、東南アジア諸国とともに、香港・台湾の次に中国の圧力にさらされるだろう。

さらに距離的に遠いオーストラリアではあるが、近年、大学で自由のスタンダードが疑義にさらされている。コロナ危機以前の数字だが、同国には、30以上の大学に10万人以上の中国人留学生が学んでいた。そうしたなか、2017年、豪ニューキャッスル大学の授業で「台湾は独立した国」という見解を示した教授に対し、中国人留学生たちがそうした発言を「一つの中国」に反するものとして不快感を示し、教授は中国人留学生に敬意を示すべきと抗議するという事件が起きた。

今回のコロナ危機では、オーストラリア政府が、中国湖北省を起点とする感染症拡大の発端・経緯をきちんと検証すべきとしたところ、中国政府はコロナ検証問題とは無関係としつつ、事実上の経済制裁をオーストラリアに加えている。

オーストラリアにとってはかねてから、中国とは全体の4分の1ほどを占める最大の貿易相手国だが、2017年、中国寄りの労働党上院議員が中国共産党と関係がある不動産会社幹部から政治献金を受け取っていたことが判明し、オーストラリア世論では批判が高まった。2018年8月にはオーストラリア政府が自国の次世代高速通信「5G」のインフラ整備に華為技術(ファーウェイ)と中興通訊(ZTE)が参加することを禁じた。

さらに今回のコロナ危機である。そうした経緯を経て、中国外務省は今年5月、検査・検疫の要件に違反したとして、オーストラリアの食肉大手4社から牛肉輸入を停止した。これは、オーストラリアからの全食肉輸入の4割近くを占める。さらに同月、今度は中国商務省がオーストラリア産大麦に対して、補助金とダンピングが中国国内産業の利益を損ねているという理由で8割強という高い追加関税を適用すると発表した。

より遠いヨーロッパでも、ハンガリーやポルトガルなど小国が狙われやすい。2009年に始まるユーロ危機のさなか、中国から港湾インフラに巨額の融資を得たギリシャは、2017年6月の欧州首脳理事会で、中国の人権状況を批判するEU決議に拒否権を行使した。ただし近年は、小国の話に限定しえなくなっている。

イタリアはすでに中国が主導する一帯一路のコンソーシアムに加わっていたところだが、今回のコロナ危機に際し、中国はEU内でルサンチマンを深めるイタリアに対して、いわゆるマスク外交を展開した。結果、危機真っただ中の3月末から4月初頭のある世論調査によると、52%のイタリア人が中国を「親友」とみるにいたったという。ヨーロッパがなかなか対中スタンスを一枚岩にしきれない背景をなしている。

人権や自由が劣化する話は民間でも起きている。2017年のことだが、名門のケンブリッジ大学出版会の学術雑誌『チャイナ・クォータリー』が、中国当局の要請を受け、文化大革命や天安門事件などに関わる300ほどの論文を中国内で閲覧不能にする決定をし、後に撤回した事案が明るみに出た。同出版会は中国内に大規模な言語教育のビジネスを展開していた。

これに引きつづき、ドイツの大手出版社シュプリンガーが同様に1000ほどの学術論文を検索すらできないようにした。同社によれば、「そうしない場合には、全てのコンテンツが遮断されるという本当の危機があった。影響を受けている学術関連のコンテンツは約1%だ」(CNNウェブサイト、2017年11月3日)。

現状の中国は、国境を越えて存在感が深まるにしたがい、世界中で既存のスタンダードを劣化させてゆく、いわば「切り下げの帝国(depreciative empire)」の様相を呈しているといえよう。

しかもそれは、人権の分野にとどまらない。古くは越前クラゲから現在も続くPM2.5にいたるまでの環境問題は越境してくる。あるいは、持続可能性を無視した開発や融資も然り。はたまた東シナ海の日本領海への公船の侵入から南シナ海の係争地における軍用基地建設にいたるまでの無法な海洋進出も同様である。

環境基準であれ、持続可能性であれ、さらには法の支配であれ、「切り下げ(depreciation)」の圧は世界中でかかる。今回のコロナ危機もまた、中国内部の隠蔽体質や忖度の構造が起点となり、グローバル化とも相まって世界中に問題が撒かれたかたちとなった。

デカップリングの限界

こうして「問題の束」としての中国は、その図体が大きくなるにしたがい、その内の問題が外に投射される時代に突入している。しかし、そうであるがゆえに、相互依存のなかにあるいまの中国を冷戦時のソ連と同じように封じ込めるのは、はなはだ困難である。

まずグローバル化は、コロナ危機による深刻な落ち込みにもかかわらず、そう簡単には終わらない。経済の安全保障化が進展し、中国のデカップリングが一定程度進行しても、それらを貫徹するのは難しい。供給網(サプライチェーン)は世界中に張り巡らされており、関連雇用は全雇用の5分の1に上っている。仮に5Gなどの特定セクターで特定企業の供給網を寸断できたとしても、(米)国債売買から銀行口座取引を経てすべての通信授受にいたるまで、他のセクターにまたがる全活動を包括的・実効的に規制するのは不可能である。

かつては石油や食料、少し前にはレアメタル、いまや技術そのものが戦略的な位置づけのもとで、取り合いや囲い込みの対象となってきた。しかし米中(陣営間)対立がどれだけ体系的に進行しても、次にどのセクターや物資・情報・技術が戦略的ターゲットになるのか不明である。対立が全面化すれば、仮説的にはすべての流れを遮断しなければならなくなるが、人びとはより安く早く簡便に付加価値をもつ商品を得たいという衝動からそうたやすくは逃れられないのであり、結果としてすべてのグローバルな経済活動を遮断することはできない。

日本自身、全輸出入の5分の1ほどを中国関連が占める以上は、米国にそう命じられたからといって、「はい、そうですか」とその経済的利益を捨て去るわけにもいかない。ここは米中どちらにも付け込まれないよう細心の注意を払いながら、中国との商取引を保全する方向に日本は動かねばならない。それは、製造業の中国依存を深めてきたドイツをはじめ、ヨーロッパ諸国でも多かれ少なかれ同じである。世界は決して米中いずれかの陣営と綺麗に二分されるわけではない。

これは、コロナ危機で一時的に頓挫している人びとの移動などにもいえることである。かつてのように、というわけにはいかないが、留学生もビジネスパーソンも一定程度行き来する時代がまた来よう。そうしたなかで各方面の「切り下げ」圧力をうけながら、凛として日本が生きていけるのか。それが問われるべきである。

日本の生き方――高いスタンダードの逆浸透を図れ

日本は香港のことを、他人ごととして扱ってはならない。これらは中国の図体が大きくなるにしたがって、自国にも浸透しうる現象だ。

もちろん香港人の皆が天使なわけではない。現地の経済界は株価の安定に安堵しており、民主化への関心はそう高くはない。市井の人たちはときに大陸系の中国人への蔑視を隠さない。減ったとはいえ中国人の流入が続いており、いずれ多数になる日が来るかもしれない。問題は多く、楽観は至難だ。外部からの介入も限界があり、反作用もある。周庭氏をアイドル扱いするなとか、香港以外にもっと人権抑圧が激しい国もあるのに不公平だ、といった批判もある。それぞれもっともである。

しかし、香港はいま動いている現場だ。そこでの動向はまるで楽観しえないが、いまだ国際社会の関与によっては動かしうるものである。支援の一つひとつを、やれることからやっていかなければならない。たとえば、いまや簡単にネットで署名活動に参加できる。そこで、民主化運動への支援を自主的に明らかにしよう。香港での弾圧に耐えられず、そこから逃れてきた人たちには、居場所をみつける努力をするのも大事である。たとえ、あまり大きなことはできなくても、やれることはある。

なによりも、日本が中国化しないように内省の目を緩めてはならない。自由と民主は、拠ってたつ基盤なのだ。民主社会は、外からの浸透だけでは倒れない。権威主義は、「内なる敵」(トドロフ)をつねに探しており、排外的ポピュリズム、人種主義、歴史修正主義への傾きをもつ協力者を得てはじめて、当該社会で力をもつ。とりわけ、中国の人権侵害に目を奪われるあまり、日本にいる中国人への過剰な反感を煽ったりすれば、それは自らの基盤を掘り崩し、外から付け入るスキを与えることになる。そうした自傷行為に手を染めてはならない。

そのうえで人権、法の支配、民主主義といった面での高いスタンダードを保ち、それをアメリカの良心的な勢力や、ヨーロッパやオーストラリアなどの諸国と連携して守っていくことは、「切り下げ」の圧に対抗するだけでなく、中国のなかに弱体だが確実に存在する自由・民主の勢力と結ぶ可能性を残すことになる。この視座をもつことは、事態を必要以上に「中国vs日本」という構図にしないという意味でも大事なことである。

さらにいえば、この視座は人権だけでなく、環境、労働、健康など、他の分野における質的水準を日本が何とか高く保ち、それによって同様の志向をもつ中国内の勢力にアウトリーチする余地を残すことにつながる。

「切り下げの帝国」の台頭に対しては、もちろん軍事的な対応、政治外交的な連携が欠かせないが、それだけでなく、自らの社会を高い水準に保ち、それによって中国などの権威主義国に対して逆浸透を図るよう、中長期的な戦略を練っていかねばならない。そのためにも、みずからの社会への手入れを怠るべきではない。

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遠藤 乾(北海道大学大学院法学研究科教授・同大学公共政策大学院院長)
遠藤 乾(北海道大学大学院法学研究科教授・同大学公共政策大学院院長)
1966年、東京生まれ。専門は国際政治、EU論。オックスフォード大学政治学博士。J・ドロール欧州委員長が作った欧州委員会内諮問機関「未来工房」で専門調査員として勤務したほか、欧州大学院大学でブローデル上級研究員、パリ政治学院・国立政治大学にて客員教授、東京大学・京都大学などで非常勤講師を務め、教鞭をとった。主著に『統合の終焉―EUの実像と論理』(岩波書店)、『欧州複合危機』(中公新書)がある。主要編著に『ヨーロッパ統合史』『原典ヨーロッパ統合史――史料と解説』(以上、名古屋大学出版会)、『非対称化する世界―『〈帝国〉』の射程―』(トニ・ネグリ氏らとの共編著、以文社)、『EUの規制力』(鈴木一人氏との共編著、日本経済評論社)など。

掲載号Voiceのご紹介

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  • 津上 俊哉/「チャイノベーション」を侮るなかれ
  • 遠藤 乾 /「切り下げの帝国」が世界を劣化させる
  • 阿南 友亮/香港の陥落と日本の安全保障
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