コロナ危機は政治参加をどう変えるか

坂本 治也(関西大学法学部教授)

本稿は『Voice』2020年10月号に掲載されたものです。

政治過程論の専門家が、日本で政治参加が進まない真の要因を探る

政治関心と政治参加の意外な関係

新型コロナウイルスの感染拡大は、私たちの日常生活に大きな変化をもたらした。外出時のマスク着用、入室時の手指の消毒、オンライン上での会議や飲み会。これらは新たな社会常識となりつつある。新聞やテレビをみれば、「ポストコロナ」「ウィズコロナ」の言葉が飛び交う。最悪の場合、死に至ってしまう感染症への恐怖を誰もが感じている。経済・社会活動の停滞により、生活困窮や社会的孤立に苦しむ人びとも続出している。もはや2019年以前の平穏な日々には二度と戻ることはないのではないか、とすら思わされる。

コロナ禍は今後の日本政治にどのような影響を与えるのであろうか。おそらく多方面にわたってさまざまな形の影響が表れてくるに違いない。本稿では一つの切り口として、人びとの政治参加の水準に与える影響に焦点を絞り、筆者なりの分析を行なってみたい。

新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、政治の動きに対して、普段以上に人びとの強い関心が向けられている。連日のように、国や自治体の感染防止対策や経済支援策に関する報道が集中的になされている。それを受けてSNS上では政治に対する毀誉褒貶の言葉があふれかえっている。各種世論調査によると、安倍内閣の支持率も2020年4月の緊急事態宣言発令後に下落しており、7月の時点では不支持率が支持率を上回るようになった。また、大阪では維新の吉村洋文知事のリーダーシップに注目が集まっており、「吉村グッズ」が売り出されるほどの人気を博している。

こうした動きを踏まえると、「コロナ禍を奇貨として、人びとの政治に対する関心が今後高まっていくのではないか」「政治に対する関心が高まっていくことにより、普段投票に行かない人びとが投票所に足を運んだり、政権批判のためのデモが活発になったりするのではないか」「コロナ禍以前には政治に関心をもたなかった層が、積極的に政治参加するようになることで、自民一強の構図が変化していくのではないか」といった見立てが出てきても不思議ではない。

では、そのような事態は本当に今後起こりえるのだろうか。筆者の答えはNOである。たしかに、コロナ禍を契機として、人びとの政治に対する関心は多少なりとも上向く可能性はあるかもしれない。しかしながら、仮に政治関心が向上したところで、人びとの政治参加がただちに活発になるとは思えない。なぜなら、政治関心は、政治参加の水準を規定する唯一の要因でもないし、最重要の要因でもないからである。「政治関心向上→活発な政治参加→政治の変化」という単純な図式は、世間一般では広く受容されているように思われる。しかし、政治学における政治参加研究の知見を踏まえれば、事はそう単純ではないことがわかる。以下、順を追って説明していこう。

日・米・スウェーデンの比較が示す事実

周知のように、日本人の投票率は1990年代以降、とくに若年層を中心に低下傾向にある。また、政治家の選挙活動の手伝い、個人後援会や集会への参加、署名活動、政治家や行政職員に対する陳情、デモやストライキなどの抗議活動への参加といった、投票以外の形態の政治参加についても、参加水準は概して低く、さらに年々低下する傾向にある(NHK放送文化研究所編、2020年)。

大学の授業で学生たちに「政治参加の水準が低いのはなぜだと思う?」と問いかけてみると、必ず返ってくるのが「政治に対する関心がないから」という答えである。「どうすれば政治参加の水準を向上させられると思う?」と尋ねてみても、「正しい政治の知識を身につけさせるなどして、政治に対する関心を高めることが重要」と返ってくる。こうした反応にみられるように、世間一般では「政治参加=政治関心」といってもよいほど、政治関心が政治参加の水準に与える影響をかなり重くみている。しかし、そうした単純な見方は、じつは政治参加の現実をうまく説明しえない。

表1 政治に対する関心がある者の割合の推移と投票率の3か国比較

一つのわかりやすい証拠を提示してみよう。表1は、世界価値観調査という世界各国を対象に継続的に行なわれてきた学術的世論調査の集計結果から抜粋して、「政治に対する関心がある」と回答した者の割合の推移を日本、アメリカ、スウェーデンの3か国について示したものである。

この表からわかるように、日本において、投票率が低下し始めた1990年代以降に、政治関心がとくに低下しているという傾向はみられない。横ばい、ないし増加傾向にあるとすらいえる。ここから政治関心の低下は投票率低下の主要因ではないことがわかる。もし政治関心が投票率を強く規定するのであれば、投票率の低下と共に、政治関心の低下も観察されるはずであるが、現実にはそうはなっていないからである。

また、日本の政治関心は、アメリカやスウェーデンと比べて、とりたてて高くもなく低くもない。しかし、日本の投票率はアメリカよりはやや高く、スウェーデンよりは明確に低い。スウェーデンは毎回の国政選挙において投票率が80%を超えるような高投票率で知られる国である。そんな国においても、政治に対する関心がある者は、実際はそれほど多くはない。ここから高投票率を実現するうえで、必ずしも政治関心を高めることが重要ではないこともわかる。

当たり前の話であるが、政治関心と政治参加は同一の概念ではない。重なり合う要素はあれど、それぞれ固有の要素をもっている。このことを図1の概念図で説明しよう。

図1 政治関心と政治参加の異同

「政治参加を高めるには、政治関心を高めることが重要」と考える人は、両概念が重なっているAの「関心があり、参加する層」に属する人びとがかなり多いはずだと思い込んでいる。しかし、実際には両概念が重ならない部分である、Bの「関心はあるが、参加しない層」やCの「関心はないが、参加する層」に属する人びともかなりの割合で存在しているのである。したがって、仮にコロナ禍を契機として政治関心が高まったとしても、政治参加の水準が高まらない可能性は十分にある。関心はあっても参加しないことが多いからである。また、政治関心をとくに高めなくても、別の要因を変化させることで政治参加の水準を高めることは十分可能である。関心がなくても参加することが多いからである。

政治関心と政治参加は相異なる別々の変数であり、それぞれ異なる変動をもつ。このことは政治学では常識の範疇であるが、世間一般では必ずしも正確に理解されていないように思われる。ゆえに、まずこの点を強調しておきたい。

日本人の政治参加の水準が低下した理由

では、政治関心以外で、政治参加を規定する要因にはどういったものが存在するのであろうか。政治参加研究では、政治参加の規定要因としてさまざまな変数の存在が指摘されている。そのすべてを説明することは叶わないが、本稿では、政治参加の基礎的な理論モデルとして有名な「市民の自発的参加モデル(civic voluntarism model)」(Verba et al. 1995)に沿って政治参加の規定要因を説明してみたい。

市民の自発的参加モデルでは、政治参加を規定する要因として、資源、指向性(engagement)、リクルートメントの3つが強調される。

資源とは、具体的には金銭、時間、知識、市民的スキル(参加に際して求められるコミュニケーション力、協調性、組織運営術などのスキル)などを指す。つまり、参加する際に必要となる手段や能力のことである。政治参加をする際には、一定の金銭的・時間的コストを負担する必要がある。ゆえに、金銭や時間を豊かに保有する者ほど自然と参加しやすくなる。また、豊かな知識や市民的スキルを有すれば、政治現象を理解する際の認知コストや他者と相互作用する際の取引コストを下げることができる。それゆえ、知識や市民的スキルを豊かに保有する者ほど、より参加しやすくなる。このように、諸資源を豊富に有すれば有するほど、政治参加は活発に行なわれるのである。仮に政治関心があったとしても、資源が欠如していれば、政治参加は行なわれにくい。だからこそ、「関心はあるが、参加しない層」というのが発生するのである。

指向性とは、具体的には政治関心、参加規範、政治的有効性感覚などの参加につながる心理的傾向のことである。政治関心は指向性の一要素であり、政治参加を規定する要因の一つに挙げられるものの、あくまで一要素にすぎない。参加規範は、「有権者であれば選挙には必ず行くべきだ」といった投票義務感などに代表される規範意識のことである。政治的有効性感覚は、自分が参加することによって政治に影響を与えることができる感覚であり、それが欠如していると「参加してもどうせ変わらない」という諦めにつながって参加しにくくなる。参加規範や政治的有効性感覚が欠如していれば、たとえ政治関心があったとしても、やはり政治参加は行なわれにくい。「関心はあるが、参加しない層」の発生はこの面からも説明される。

リクルートメントとは、さまざまな社会的ネットワークを通じてなされる勧誘や動員のことである。家族や友人・知人、あるいは地縁や職場での関係者から誘われる機会が多くあるほど、人はより政治参加するようになる。リクルートメントの機会があれば、仮に政治関心はなかったとしても、政治参加することがありうる。「関心はないが、参加する層」が発生するのは、このためである。

市民の自発的参加モデルの3つの要因は、それぞれ独立して政治参加に影響を及ぼす。しかし、そのなかでもとくに重要とされるのが資源である。さらに、資源のなかでもとりわけ重要なのが金銭である。金銭的に豊かな高階層の人びとは、低階層の人びとに比べて、時間的余裕もあり、学歴も高くなりやすいため知識がつきやすく、社交も積極的に行ないやすいために市民的スキルも身につきやすい。そして、高階層の人びとほど、諸資源を豊かに保有するがゆえに、指向性も高まりやすく、リクルートメントを受ける機会も多くなりやすい。したがって経済的に恵まれた人びとほど、資源、指向性、リクルートメントのどの点においても有利となり、より活発に政治参加をすることになる。

以上の市民の自発的参加モデルを踏まえると、日本の低調な政治参加の現実は、政治関心以外の観点からよりよく理解できることがわかる。かつて投票率が高かった時代は、一億総中流といわれたように資源の面で余裕がある人びとが現在よりは多く、参加規範も現在よりは強く存在し、勧誘や動員の経路となる社会的ネットワークがより豊富に存在していた。しかし、時代が進むにつれて、政治関心はそれほど失われなかったにせよ、人びとのあいだで経済格差は広がり、価値観変容により参加規範は失われていき、血縁・地縁・社縁のネットワークは弱体化の一途をたどった。

つまり、政治関心が失われたためではなく、資源の減少、参加規範の弱化、リクルートメント機会の消失などの要因により、日本人の政治参加の水準は低下していったのである。

弱者の声ほど政治に届きにくい事態も

市民の自発的参加モデルを踏まえれば、ポストコロナ時代の政治参加についても、色々と予測を立てることができる。コロナ禍が引き起こした経済活動の縮小によって、これまで以上に日本社会に経済的な余裕が失われていくことが予想される。経済的に困窮する者は日々の生活で手一杯となる。ゆえに、政治参加に必要な資源が得られない人びとが増加していくであろう。また、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、さまざまな社交の場はこれまで以上に失われていくことになり、社会的ネットワークの弱体化がさらに進展していくことが予想される。ゆえに、政治参加のためのリクルートメントの機会も大きく減少していくであろう。

それらを踏まえれば、コロナ禍を契機として「政治関心向上→活発な政治参加」が起こる、という楽観的な予想が当たるとは考えにくい。むしろ、今後の日本政治に起こるのは、政治参加の水準のさらなる低下のほうではないだろうか。また、政治参加の水準の低下は、とくにコロナ禍のなかで経済的に困窮しやすい低階層の人びとのあいだでより深刻化することが予想される。ゆえに、弱者の声ほど政治の世界に届きにくくなる、という事態の展開も想定される。

民主政治は本来、弱者の声を積極的に拾い上げて、それを政策に反映させ、経済社会で起こる不平等や不公正を是正する機能を有する。しかし、政治参加水準の階層間格差の拡大が今後生じていけば、そうした民主政治の重要な機能が失われてしまう危険がある。

義務投票制の試験的導入という選択肢

本稿の結論は、コロナ禍の影響によって人びとの政治参加が低下する可能性がある、さらに政治参加水準の階層間格差がより拡大する恐れがある、というものである。では、そうした将来予測を前提として、私たちはいまどう対応するべきなのだろうか。

紙幅も尽きたので、安易な処方箋を提示して強調することは本稿では慎みたい。しかし、政治学のさまざまな知見をうまく政策立案に活用しながら、予測される政治参加の低下に歯止めをかけることは十分可能だと筆者は考えている。たとえば、義務投票制の導入や廃止がどういった変化をもたらすのかについての研究が政治学では進められている(Fowler 2013, Carey and Horiuchi 2017)。メリット、デメリットを慎重に検討したうえで、日本でもどこかの地域限定で義務投票制を試験的に導入して効果を測定してみるのも一案かもしれない。

政治をより良い方向に変えていく際に最も重要なのは、ある政治現象が起こる原因は何か、どういった要因が結果に強い影響を与えているのか、を正しく理解することである。その作業は、現実改良の重要な第一歩でありながらも、現状ではわりといい加減に行なわれている印象がある。いい加減な現状認識に基づく改善策が失敗に終わるのは当然のことである。それゆえ、性急に改善策を要求するのではなく、まず現象が起こるメカニズムをしっかりと冷静に見定めていく。次代の政治を構想していくうえでは、そうした心構えこそが最も求められるのではないだろうか。一政治学者として、筆者はそう考えている。

【参考文献】

NHK放送文化研究所編、2020年、『現代日本人の意識構造<第九版>』NHK出版
Carey, John M. and Yusaku Horiuchi. 2017. Compulsory Voting and Income Inequality:
Evidence for Lijphart’s Proposition from Venezuela.
Latin American Politics and Society 59(2): 122-144.
Fowler, Anthony. 2013. Electoral and Policy
Consequences of Voter Turnout: Evidence from Compulsory Voting in Australia.
Quarterly Journal of Political Science 8: 159-182.
Verba, Sidney, Kay Lehman Schlozman, and Henry E. Brady. 1995. Voice and Equality:
Civic Voluntarism in American Politics. Harvard University Press.

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坂本 治也(関西大学法学部教授)
坂本 治也(関西大学法学部教授)
1977年、兵庫県生まれ。2005年、大阪大学大学院法学研究科博士後期課程単位修得退学。博士(法学)。関西大学法学部准教授等を経て、現職。専攻は政治過程論、市民社会論。著書に『ソーシャル・キャピタルと活動する市民』(有斐閣、日本NPO学会林雄二郎賞、日本公共政策学会奨励賞)、『市民社会論』(編著、日本NPO学会林雄二郎賞)、『現代日本の市民社会』(共編著、いずれも法律文化社)など。『ポリティカル・サイエンス入門』(共編著、法律文化社)が9月中旬に発売予定。

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