「強い官邸」が賢い選択をするには

待鳥 聡史(京都大学大学院法学研究科教授)

本稿は『Voice』2020年7月号に掲載されたものです。

政権が安定するにつれて失われた「多元性」という強み。コロナ対策では、経済重視と医療重視のあいだでの綱引きの最中で、社会生活に過剰な負荷がかかった。回復期に「同じ轍」を踏まないために――

回復期の入口という局面

新型コロナウイルス感染症の流行が、日本の政治行政と経済社会を大きく揺るがせている。ただ幸いにも、4月には感染拡大のピークは過ぎ、死亡率も国際比較でみれば低水準に抑えられ、一時期強く懸念された医療崩壊もおおむね回避された。現時点ではなお特効薬やワクチンが存在せず、人びとの社会的活動を抑止することで激しい流行を防がねばならないが、ゆるやかに最悪の局面からは離れつつあるといえよう。

しかし、昨年末や今年初めの光景を思い返せば、この半年に生じた変化には、やはり衝撃を受けざるを得ない。東京オリンピック・パラリンピックは延期となり、多くの企業が在宅勤務を大規模に導入し、大学はほぼすべてオンライン授業になった。変化のなかには、不可逆的なものも多いに違いない。さらに、今後確実に顕在化するのは経済への打撃である。すでに4月から6月までの今年第2四半期のGDP(国内総生産)について、アメリカでは年率換算で30%のマイナス成長という試算も存在する。日本だけが異なった動きをする理由はない。

日本が現在置かれているのは、新型コロナウイルス感染症への対処について、日々急激に悪化する事態に対応すること(危機対応)が重要な時期と、それが過ぎたあとに深刻なダメージから回復することをめざす時期への境目にあたる場面である。そこで本稿では、危機対応期における政策決定のあり方を振り返って検討し、今後の回復期における長期的な対応に必要なことを考えよう。

30年にわたり進められた官邸主導

近年の日本の政策決定が官邸主導であることは、すでに多くの論者やメディアが認めるところである。ここで官邸主導とは、首相とその周辺にいる少数の有力政治家(官房長官など)やスタッフ(首相補佐官など)が中心になって進められる政策決定、としておこう。

官邸主導は、過去30年にわたって進められてきた政治改革、とりわけ選挙制度改革と内閣機能強化の産物である。選挙制度改革によって衆議院に小選挙区比例代表並立制が導入されたことは、大政党以外の生き残りを難しくするとともに、与党内部での権力集中を生み出し、党首である首相の影響力は著しく強まった。

内閣機能強化は、内閣府の創設や内閣官房の拡充などを通じて、首相の意向を反映した政策を立案することを従来よりも容易にした。最近の内閣人事局の設置なども、その系譜の上にある。これら二つの改革が重なり合うことで、首相は自らの示した方針に基づいた政策を積極的に展開できるようになった。官邸主導が首相一強あるいは首相支配とも呼ばれる所以である。

政策決定のあり方に、顕著な変化がみられるようになったのは、2001年に発足した小泉政権以降のことである。当初、郵政民営化など限られた場面で、かつ小泉(純一郎)首相の強い個性があって出現したとみられた官邸主導は、その後定着していった。もちろん、すべての政策決定に首相の意向のみが影響を及ぼしているわけではないが、重要な政策課題への取り組みに官邸が積極的に関与しないことは稀であり、官房長官や内閣府官僚の激務はそれ自体が別の課題になるほどである。

多元性を失っていった第二次安倍政権

このように「強い官邸」が日本政治の常態になったことは疑いないが、その具体的な内実には、意外なほどの多様性がある。たとえば、小泉政権は主として経済政策に関心を振り向け、首相を議長として内閣府に設置した経済財政諮問会議が、官邸主導の原動力となった。民主党は政権を獲得した際には経済財政諮問会議を休眠状態に置き、代わって国家戦略局を内閣官房に設置して、より総合的な官邸主導を志向した。しかしそれは頓挫し、実質的な司令塔が不明確な官邸主導に陥ったことは、よく知られている。

第二次安倍政権の場合には、内閣官房の存在感が強まり、かつインフォーマルな会合の役割が大きくなっているようだ。これは、内閣府よりも内閣官房を重視するという点では民主党政権と共通するが、官邸内部の決定メカニズムを制度化(フォーマル化)しようとしてきた政治改革以来の傾向とは明らかに異なる。

内閣官房は、内閣危機管理監や内閣情報官、内閣広報官などが所属することからもわかるように、具体的な政策課題への取り組み以外の総合的な政治判断も扱う組織である。第二次安倍政権は、政権維持への関心と政策展開が過去の政権よりも一体化する傾向が強いが、その一因はここにあるのだろう。

官邸主導において内閣官房が中心的役割を果たしており、決定メカニズムが制度化されていないことは、実質的な政策決定が首相に近い少人数でなされることを意味する。そこでは人間関係のもつ影響が大きくなり、しかも首相との距離が遠のくことは政策決定からの排除に直結する。ただしそのことは、首相への集権化と矛盾するわけではないし、また政策についての判断が偏ることと同じでもない。首相にもっとも近いところに複数の人物がおり、官邸内部に多元性が確保されて、それぞれがルートとして機能していれば、政策決定に至る過程ではさまざまな考え方や方針が入力されることになる。

安倍首相が近しい少人数での決定に頼る傾向は第一次政権(2006~07年)と同じだとしても、恐らくはそのときの経験から、官邸内部の多元性確保には意を用いたのであろう。首相が必ずしも得意としない経済政策を政権の看板に掲げたことも、多様な意見を取り入れながら、それなりにバランスのとれた政策決定を行なうことに繋がっていた可能性がある。菅義偉官房長官の貢献も大きかったのかもしれない。いずれにせよ、多元性ある官邸主導こそが、第二次安倍政権の最大の強みであった。

しかし、政権が長期化し安定するにつれて、このような強みは失われていったように思われる。以下での議論は、報道などからの推測にすぎず、理由が十分にわからないことはお断りせねばならない。だが、16年末の日ロ首脳会談に際して北方領土問題が動くと報じられ、注目を集めたのは、最初の大きな例であったように思われる。その後も17年の森友・加計問題への対応などにおいて、官邸内部での調整が十分に終わらないまま、報道機関へのリークや首相発言が不用意に表に出るようになったのである。

いったん失われた多元性は、17年総選挙での勝利で回復されたようにみえた。だが恐らくは、昨年9月の内閣改造後に菅官房長官に近いとされる初入閣議員が立て続けに不祥事に見舞われたこと、さらに和泉(洋人)首相補佐官の個人的スキャンダルが明るみに出たことなどで、再び崩れた状態に陥った。結果として、第一次政権からの腹心である今井(尚哉)首相補佐官が、官邸における首相への唯一のルートになりつつある。これに伴って、彼や長谷川(榮一)内閣広報官の出身母体であり、佐伯(耕三)首相秘書官も送り出す経済産業省の影響力が強まった。

新型コロナ禍の対応の特徴

官邸内部の多元性が失われ、決定メカニズムにおける経産省系ルートの影響力が突出しつつあったところで、新型コロナウイルス感染症の流行が始まった。

当初目立ったのは、最近のほかの政策課題の場合と同様に、経産省系ルートによる官邸主導であった。その特徴としては、一つは民間の経済活動への制約を極力避けようとすること、もう一つは政権維持への関心に起因する支持動向への敏感な反応である。ここに、現代日本政治ではほぼ異論のない争点(合意争点)としての財政への強い懸念が加わる。三つを総称して、経済重視と呼んでおこう。

経済重視のスタンスが端的に表れたのが、2月中旬から3月初旬にかけての動きであった。具体的には、マスク転売問題や通勤ラッシュ緩和などへの鈍い反応と、全国一律休校のように唐突で効果についての裏付けのない対策であった。

このような動きにリンクしていたのは、2月上旬から下旬にかけてのクルーズ船対応の混乱である。クルーズ船を横浜港に受け入れること自体はやむを得なかったが、新型コロナウイルス感染症への認識や対応態勢が整っていない段階で難問を突きつけられた面はあった。結果的に安倍政権へのマイナス評価につながり、支持率は低下した。このことが「政治判断」としての休校要請につながったのだと考えられる。

しかし、3月に入ると欧米由来の流行第二波が起こって事態は悪化し、休校がもたらした混乱は中旬の「自粛疲れ」も招いた。デマによる生活必需品の不足も起こり、経済重視がかえって政権の評価を下げた。ここで官邸は、ようやく感染症専門家たちの見解を重視するようになった。厚労省内に設置されていた専門家会議とクラスター対策班の現状分析が、広く影響力をもちはじめた。これらに代表される立場を医療重視としておこう。

3月中旬段階ではなお経済重視と医療重視の綱引きは続いていたのであろう。自粛要請を強めつつ、企業活動への制約は小さくしたいという姿勢は残っていた。新型インフルエンザ等対策特別措置法は改正されたが、それを用いた対策には慎重であった。

決着をつけたのは、地方自治体の動きであった。首長たちは自らへの評価に直結しにくいマクロ経済動向よりも、有権者である住民の安心感を重視する傾向を帯びる。北海道がクラスター対策と社会経済活動への強い制限によっていったんは成功を収めたこと、東京都が五輪延期で安心したのか、大阪府など大都市を抱える府県とともに独自の自粛要請を行なったことは、医療重視の専門家の影響力を高める方向に作用した。4月初旬の緊急事態宣言発令後にも、地方自治体からの突き上げを受けて、対象道府県の拡大や「接触8割削減」といった国民への強い要請がなされるようになった。5月の宣言延長もその流れの上にあった。

つまり、新型コロナウイルス感染症をめぐる安倍政権の対応は、3月初旬ごろまでの経済重視の官邸主導から、地方自治体を含めた多くのアクターが関係する時期を経て、4月に入って専門家中心の官邸主導に移行したのである。

回復期に同じ轍を踏まないために

医療重視の専門家の助言に基づき、緊急事態宣言に基づく休業要請などの積極的活用と自粛ベースの社会経済活動の強い抑止、そしてクラスター対策を柱とした感染拡大防止が採用された。医療現場での超人的な努力に負うところが大きかったとはいえ、次第に状況は改善し、社会生活は一応の落ち着きを取り戻した。官邸主導は成功したようにみえる。

しかし、そこには中長期的な影響として回復期の制約となりうる、大きな問題が潜んでいる。それは、的確な対策に絞り込む作業を欠いたために、社会生活が過剰に消耗したことである。ここでいう生活には経済活動が含まれるが、より広く、個々人が日常生活を送るうえでの諸活動全般を指している。

長期で広範囲の自粛や休校は、リスクが少しでもあればという理由で正当化されたが、科学的根拠に乏しいものも多かった。一部の地方自治体は首長が狼狽している様子も窺われ、その言い分は慎重に扱われるべきであった。あくまで自粛要請だとしながら、公園に行くことすら非難する風潮を抑えようとしなかったことは、長期の休校とあわせ、現在の日本の政治や行政が子供や親たち、すなわち将来世代や現役世代にいかに冷淡かを白日の下に晒した。このような心理的圧迫は、法的根拠のある都市封鎖以上の禍根ともなりうる。

過剰な消耗を社会に強いた理由は、危機対応の過程での意思決定の不適切さに求められる。自粛や休校が誰の何を奪うことになり、それをどう補うのかについての検討が曖昧なまま危機を進行させ、緊急事態なのでやむを得ないという論理で一転して専門家の見解をほぼ丸呑みした。そのために、危機を乗り越えるために短期間は有効だが、個々人の生活への負荷や社会の基本的価値との抵触への意識が弱く、広範で同調圧力頼みの対策になり、しかもそれが長引いてしまったのである。

必要だったのは、途中から専門家重視に移行するのではなく、最初に専門家中心で対応し、その後により多くの観点に基づいて行なう政策判断であった。この順序の逆転は、休業補償の問題がすでに焦点となっているように、今後大きな負の影響を残す恐れがある。

感染症などの専門家は、当然ながら医学的に最善の、しかし社会経済的には受容や実施が困難な提言を行なう場合がある。私たちの誰もが日常的に、医師からみて最善の食生活や習慣を実践しているわけではないことを考えれば、このことは容易に想起できよう。だからこそ、まず専門家に最善策を提案させて、その後に医療以外の価値や選択肢とのバランスをとり、回復期をも見据えた対応を進める必要があった。内閣官房のような総合調整をめざす組織を基盤とした官邸主導がもっとも意味をもつのは、このような作業においてであったはずだ。

また、専門家の提案が吟味不十分なまま直接国民に向けられたことは、コミュニケーション上も問題であった。接触8割削減などが典型的だが、危機対応の過程では、国民はつねに我慢や努力が足りないと叱られているに近いメッセージを送られた。だが実際には、初期の経済重視のために、時差通勤やリモートワークの要請などが弱く、かつ休業補償を躊躇したことが、感染拡大の主因ではなかったのだろうか。このような不誠実なコミュニケーションによっては、今後の困難を国民に受け入れさせることはできない。ここにも順序逆転のマイナスの影響が表れている。

これからの回復期には、同じ轍を踏んではならない。深刻な不況になることが不可避であるだけに、時間的猶予はあまりない。バブル崩壊後の就職氷河期のように、近視眼的な対応によって将来世代にさらなる皺寄せが起きることは、絶対に避けなければならない。

官邸内部に多元性を回復したうえで、経済や社会の専門家を集め、医師や政治家の関与抜きに、まず雇用や所得の維持と社会の安定という観点からの最善策を一切の遠慮なく提言させ、その後に医療や財政の観点も交えて総合調整を行なうことが必要だ。国民は叱咤の対象ではなく、回復の重要な協力相手であることを踏まえたコミュニケーションを続けるのは当然である。

このような官邸主導が実現したとき、はじめて日本は新型コロナウイルス感染症の流行を「賢く」乗り切ったと評価されるだろう。

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待鳥 聡史(京都大学大学院法学研究科教授)
待鳥 聡史(京都大学大学院法学研究科教授)
1971年生まれ。京都大学大学院法学研究科博士後期課程退学。大阪大学法学部助手、大阪大学法学部助教授、京都大学大学院法学研究科助教授を経て、2007年より現職。博士(法学)。『財政再建と民主主義』(有斐閣)でアメリカ学会清水博賞、『首相政治の制度分析』(千倉書房)でサントリー学芸賞。『政党システムと政党組織』(東京大学出版会)、『代議制民主主義』(中公新書)、『アメリカ大統領制の現在』(NHKブックス)、『民主主義にとって政党とは何か』(ミネルヴァ書房)など著書多数。最新著に『政治改革再考―変貌を遂げた国家の軌跡―』(新潮選書)。

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