“事業”が向き合う社会課題の現在と未来

伊藤達也(衆議院議員)×こうだけいこ(株式会社AsMama代表取締役)×加戸慎太郎(株式会社まちづくり松山代表取締役)×亀井善太郎(PHP総研主席研究員)

 社会をよりよいものにする力はどこにあるのか、それは誰が担うのか、PHP総研は、そのありかを明らかにし、さらにそうした力を大きくしていくため、「変える力」や「変える人」という形で世に問うてきた。
 社会課題の解決を事業の形で行うのは、企業の本来あるべき姿だが、まちづくり、高齢者生活支援、子育て支援、農業、観光、地域産業、復興支援、人づくりといった、一見、ビジネスとして成り立ちそうもないところに事業を立ち上げ、仕事を産み出してきた人たちがいる。
 「社会的事業」と呼ばれる、こうした活動に、自由民主党の政務調査会に設置された社会的事業に関する特命委員会が着目し、具体的な政策提言に至るという動きがあった。
 「変える力」特集No.42では、「社会的事業」に取り組む二人の若い起業家、株式会社AsMamaのこうだけいこ代表、株式会社まちづくり松山の加戸慎太郎社長、さらには、自民党社会的事業に関する特命委員長の伊藤達也衆議院議員、政策シンクタンクPHP総研の亀井善太郎主席研究員が、これからの社会のあり方、担い手像について、話し合った。

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1.「みんなで支え合い、地域が自立して、持続可能な社会をつくる」がスタート
 
亀井 先般、自由民主党の政務調査会において、「社会的事業に関する特命委員会」という、ちょっと耳慣れない委員会が設置されました。これまでの自民党からすると、あまり見たことのない、他党に先行されがちな分野です。これを伊藤さんが主導され、実際に具体的な成果物という形で提言も出されました。
 この動きについて、その意義、背景、プロセス、政治的なインパクト等について、伊藤さんに伺います。
 
伊藤 まず、社会的事業に関する特命委員会の提言に注目して頂いたことに感謝申し上げます。委員会を立ち上げたきっかけは「地方創生」にあります。「地方創生」とは、地域が自立し、みんなで支え合いながら、持続可能な地域社会をつくり上げていこうというもです。「地方創生」に対して、一部にバラマキとの批判がありますが、それは誤解です。国の補助金ありきで、それが切れると事業が続かない、自立性が確保されない、カンフル剤的な「地域活性化」とは、基本的な考え方が全く異なります。従来の発想の延長線上にあるものではないと理解いただく必要があります。
 地方創生では、地域の自立性を確立するため、それぞれの地域に必ずある価値を見出し、また、経営的な視点を持って、地域の中の好循環をつくり出す工夫や仕組みを作り上げられるよう、社会を変えていこうとする取り組みです。それぞれの地域で人々が守ってきた伝統、文化、暮らしに、新しい知恵や工夫を入れることであり、次世代につなぐべきものを守り、育てていこうという保守の理念もそこにあるのです。
 地方創生担当大臣の補佐官として、そうした現場を歩く中、今日のお二人のように、私より若い世代の方たちが、地域社会が抱える課題を見い出し、これを解決し、よりよい社会をつくろうと、情熱を持って取り組む姿に、大いに感銘を受けました。
 こうした取組みは「社会的事業」と呼ばれます。行政には手が届かない、解決できない等、非常に広い分野でのチャレンジがあります。まちづくり、高齢者の生活支援、子育て支援、農業、観光、地域産業、復興支援、人づくり、こうした多岐にわたる分野での取り組みがあります。
 こうした取り組みをもっと日本社会に普及させることができれば、地方創生を引っ張るエンジンにもなりますし、また、将来の新たな可能性を引き出すことにつながっていくのではないか。そんな思いを胸に、補佐官を卒業して党に戻り、党の中で本格的に「社会的事業」を普及していく取り組みをしたいということで、この委員会を立ち上げました。
 委員会では、今日ご一緒しているお二人をはじめ、ソーシャルベンチャーの24名のリーダーの方々にお出でいただき、お話をお伺いし、みんなで議論しました。
 その際、もっとも強く感じたのは「同志性」です。社会的事業家の方々も私ども政治家も、フィールドや立場は違えど、社会の役に立ちたいという同じ志を持っています。委員会に参加する自民党議員たちも、そうした自らの原点を大いに刺激されました。これまで、政治とは、国民の皆さんからの陳情を聞き、それを政策にして解決していくという、お願いする/されるといった関係でしたが、そうではなく、一緒に同じ作業をしていく、共に歩んでいくという思いを強くしています。
 委員会では、社会的事業の潜在的なニーズと社会的なインパクトの大きさ、若い担い手世代の意識などの変化といった追い風を認識する一方、社会一般における「社会的事業」に対する認知度の低さ、能力の高い人材や資金の必要性等の課題を明確にし、それを乗り越えていく方策を考え、現場で活躍する方々と一緒に、事業の拡大と、日本の新しい可能性、社会の変革というものを実現していきたいとの共通認識をベースに、以下の四つの視点からなる提言をまとめました。
 
・社会的事業の認知の推進
・社会的事業に対する投資の拡大
・社会的事業を担う人材の確保と育成
・社会的事業の推進を損なう規制に対する柔軟性の確保
 
提言の詳細はこちら:https://www.jimin.jp/news/policy/135019.html
 

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2.人と人、人と企業が頼り合う、二つの共助できる社会が作りたい
 
亀井 社会的事業に関する政治の動きについて、よくわかりました。次に、社会的事業に実際に取り組むお二人に具体的なお話を伺います。まず、こうださんはAsMamaという事業を進めていますが、その内容について教えてください。
 
こうだ 私たちは、誰もが、育児も、仕事も、やりたいことを思いどおりに叶えられる社会をつくろうという理念を持ち、人と企業、人と人が頼り合う、二つの共助ができる環境づくりに取り組んでいます。
 まず、頼り合うためには出会う場が必要です。一般の市民が、知恵・知識を持った企業と会う機会はありません。全国で85%、都会では90%が核家族の現状では、隣近所と会える機会もほとんどありません。このため、「会う」機会を全国で1,500回以上、開催しています。
 ただ会うというだけでは、瞬間で終わってしまうので、会った人たちがインターネットの仕組みを使って繋がり続けることで、子供の送迎や託児を頼り合う仕組み「子育てシェア」を無償で全国にインフラとして広がるように普及活動を行っています。子育てシェアを幅広く伝える交流イベントでは、このような頼り合いに理解が深く、サポートできる企業を積極的に紹介し、企業との接点も増やしています。
 国内外のシェアリング産業では初めて、私たちは、頼る側、頼られる側の個人からは一切お金を取っていません。生活スタイルの多様化が進む中で、どちらかが気兼ねすることがないよう、お礼は1時間500円というルールにしましょうというルールだけ設定し、加えて、万が一の事故の時のための保険にも入って、皆さんに無償で使って頂いています。これは、グーグルがメールや地図サービスを無償で世界中に広げているのと同じで、個人が頼り合うことで豊かになるのが私たちのポリシーですので、そこからお金を取りません。
 それでは、事業として存続できませんが、私たちは、この頼り合いのネットワークへのアクセスに対して、お金を取っています。全国の活動家600人が日々子育てシェアや企業のことを伝える対象者数は、延べで年間500万世帯を超えてきています。顔が見えていて、きちんとそうした情報遡及活動を全国でやっている団体は他にはおそらくありません。
 例えば、企業からすれば、マス・マーケティングでテレビCMや新聞・雑誌広告で消費者に情報を伝えていましたが、それでは、伝えたい人に本当に伝わっているか、定かではありません。全体でなく、特定のニーズがある層に伝えたい情報があるといったニーズは大きいのです。そうした企業のPR、マーケティング、集客等をお手伝いするのは、私たちの事業の一つです。
 また、子育てシェアを集合住宅の中で使ってもらうことで、そこに住む方々が当たり前に育児も仕事もやりたいことも叶えられる環境をつくることもできます。企業の福利厚生として、ご近所での頼り合いを気兼ねなくできるようにすることで、社員が時短ではなくて、フルタイムで働けるようになる、ちょっとした残業や歓送迎会ぐらいは行けるようになる、そうした思いを叶えたいと思う企業の代表の方と一緒に具体策を提供するのも一つのやり方です。そうした具体的な価値を企業に提供することで、企業からお金を頂いて、事業運営を継続させているのです。
 
亀井 なるほど。こうださんの目指しているところとビジネスモデルがよくわかりました。保険まで導入されているのは手厚くて、それで使い勝手が高まったのだと思いますが、ここまでの道のりはたいへんなものだったと思います。それだけのご苦労をしてきた、頑張ってきたこうださんの思いの源泉は何だったのでしょうか。
 
こうだ 実は、私自身が子育てに困ったからではないのです。子供がいて、育休復帰の経験もありますが、それよりも、ある日突然、自分が勤めていた会社から、自分を含む9割の従業員が解雇される事態に遭遇したのが一つのきっかけでした。その後、職業訓練校に行き、少しでもスキルアップして次のキャリアへと思っていましたが、そこで見たのが、育児や介護という自分のライフステージで助けてくれる人がいないばかりに、これまで積み上げてきた学歴や職歴を捨てて新たなキャリアを築かなければいけない人たちがたくさんいるのを目の当たりにしたことなのです。テレビや新聞では、人口減少で労働力をどう確保するかが話されているのに、ここには、それができない人がたくさんいました。
 何かおかしい、身近に助けてくれる人さえいればどうにかなるのにと考え、調べてみると「世の中の役に立ちたい、誰かの役に立ちたい」という人たちはたくさんいます。国民生活白書では90%の人たちが社会貢献したいと答えています。
 誰かの役に立ちたいと考えている人、支援してほしいという人、その間に何か、ブラックボックスがあるのではないかと考えるようになりました。
 これを解決できれば、世の中の課題解決につながるし、そういったソリューションを提供できれば、これはビジネスとしても必ず大きなチャンスだというふうに考えました。
 最初は、行政の窓口に行き、行政がやるべきだと提案してみましたが、担当課をたらいまわしにされるばかりで、相手にされません。友人のビジネスマンに話せば、「これっていつにお金になるの」とか、「バス、電車に乗るような低賃金で頼り合える、そういうインフラをつくりたい」と言えば、「マネタイズしない」と返され、興味を持たれませんでした。
 誰かにお願いしよう、誰かがやってくれるのを待つよりも、同じ思いを持つ人たちを日本中から集めて、自分たちでやったほうが早いと思うに至ったのです。ただ、それだけでは、実際の事業には辿り着きません。自分が考えることと現実のギャップに悩む日々が続きました。そんな時、NPO法人ETIC.の社会起業塾に参加し、そこで「1000人アンケート」に取り組むことになりました。何百人と声を聞いているうちに、自分が考えてきたのと同じことを感じている人、悩んでいる人が確かにいると実感できるようになってきたのです。
 保育園が閉まるギリギリの時間に滑り込んでくるお母さんがいました。最初は相手にもされませんでしたが、「私も同じような状況で、保育園のお迎えが最後の1人で残している子供に早く帰らせてあげなければいけない、ご飯食べさせてあげなければいけないと思いながらも気ばかり焦り、家に帰ってから先生に一言『ありがとうございました』と言えばよかったなと後悔したことがありました」という自分の経験を話すと、急にぽろぽろ泣き出して・・・。
 その一方、保育園や幼稚園の先生経験者が、近所の子供たちの面倒を見ている場面に出会いました。「大好きな子どもとかかわっているだけで、お母さんたちに『ありがとうございます』と言われると、癒されるんですよ」と言われるんです。
たくさんの声を聞くうちに、世間には、助けてあげたいと思う人と、助けてほしいと思う人たちは、こんなにいるのだと実感できるようになりました。そこまで見えてくると、たしかに難しいマッチングかもしれないけれども、絶対にニーズはあると確信に変わり、使命感となり、今日に至る、みたいな感じでしょうか。
 

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3.一人ひとりが持つ思い出のある場所:まちを一人ひとりがつくる、そのための仕組み
 
加戸 私は「まちづくり」をやっています。各地でまちづくりは行われていますが、多くの場合、先ほど言われた「活性化」に終始するように感じます。そうした活性化は、何のため、誰のためのことなのでしょうか。多くの場合、うさんくさいものになりがちなのは、肝心の「まち」とは何か、という部分が曖昧なまま、「まちづくり」が進んでいるからではないかと思うのです。
 「まち」とは、思い出のある場所です。みんなが「あそこでね」と言い合う、「あそこに集まろうよ」、「まちで集まろう」、「じゃあ、あそこね」と、複数の人たちに共通してぱっと思い浮かぶ場所。どの地域でも、地方であれば、大体決まるものです。
 それはショッピングセンターでもニュータウンでもありません。多くの場合、昔の記憶とつながっています。友達と遊んだ、多世代の交わりがあった、一人ひとりにとって、大切な、かけがえのない人との思い出がある場所、それが「まち」であり、それをつくるのが「まちづくり」なのだという定義をしています。
 思い出の作られ方からも「まちづくり」は見えてきます。思い出は、人と人が重なり、距離が近づいたり離れたりする時にうまれます。みんなが集まり、やがて、一人ひとりになっていく。距離の変化が深く印象に残り、思い出になります。みんなといた場所、そう自分の中で思うところが「まち」になっていくのです。人口減少があっても、みんながそう認識できれば、思い出のまちは無くなりません、残せるのです。思い出から出発するまちづくりとはそれを意図しています。
 だから、私たちの会社、まちづくり松山のロゴも人と人がつながり、支え合っている姿を表現しています。こうださんの思いと共通する部分ですね。
 最初にやったのは、これもこうださんと同じかもしれませんが、自分の思いがずれていないのか、あらゆる世代の多くの人の考えや思いに耳を傾けることでした。最初はバラバラなことを言っているように聞こえても、丁寧に聞いていくことで、コアにあるものは一緒なんだと気付くことができました。
 松山の歴史も紐解きました。このまちはどう作られてきたのか。100年前に先人が築いたものは今もたしかに生きて私たちの思い出と共にあります。一方、大きな流れ、例えば、戦後復興からの経緯を見た時、それは、国主導、行政主導のまちづくりでした。焼け野原からの復興は加速しましたが、公共事業、補助金、規制の強化と緩和、それらによる誘導。そうした政策は切れ切れで、継続しているものはほとんどありません。例えば、商店街を見ても、塗り替えばかりで継続している政策がありません。
 比喩として挙げれば、ガラケーのようなものでしょう。付け替えばかりで、一貫して継続できる仕組みになっていません。地域の基盤になるインフラがあって、時代の変化に応じて、アップデートできる、また、課題に応じてアプリを使い分ける、スマートフォンのようになっていません。日本全体が近代化の流れにあったためでしょうが、アメリカに追いつけ追い越せとやってきましたが、立ち止まって考えてみれば、これでよいのかと思うんです。
 先ほど「まちは誰のためにあるのか」と申しましたが、やはり、まちに思い出を持つ一人ひとりのためにあるんです。だとすれば、一人ひとり=民が主導するまちづくりでなければならず、これを誰かが進めていかなければなりません。では、どうやって進めるのか、実現していくのか、そこがポイントです。
 重要なのは、「信念を曲げずに、経営として貫く」ということです。ガラケーのように、事業の更新ごとに切れていくまちづくりではなく、思い出と共に生きることができ、折々の課題に柔軟に対応できる、そして経済が回る、スマホのようなまちづくりが必要です。私が担うのは、スマホの基本ソフトなんです。社会課題解決やニーズに対して、それぞれの人が必要なアプリにぱっとアクセスでき、さらに経済が回っていくような、そういったフレームワークをつくることに私は力を注ぎたいと考えています。

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4.新しい地方のカタチをつくる人材の登用と育成が不可欠
 
亀井 社会的事業の場合、経済性が重要になってきますが、そこはどうされていますか。
 
加戸 私の場合は、元々あった組織も含めて、すべて整理していきました。古くからある組織は、いつの間にか、収入に見合わない支出が増えがちです。時代に合わなくなっても残っていたものを見直し、効率化を徹底し、組織を筋肉質にしていきました。
 例えば、私たちの商店街では、それぞれの店から賦課金を集めていて、アーケードや構造物、電気代や補修代等を負担しています。補助金のような行政からのランニングのお金は入っていません。ただ、自立している一方、よく見てみると、時代の変化に応じて、いらなくなっている経費も多いんです。
 無駄な経費を切るといえば簡単ですが、当初はそれなりの目的もあったわけで、整理にはそれなりの覚悟とプロセスが必要です。「これ何でやってるんだっけ?」、「今も必要なんだっけ?」と、一つ一つ、全員に聞いて回り、合意形成を図っていきました。
 下がったコストは利益になりますが、私は、その利益で新しい人を雇うことにしました。そうすれば、既存の事業を広げることも、新しいサービスを始めることもできます。
 これからの地方がやらなければならないことには、大きく分けて三つのテーマがあります。①外貨の獲得、②地域内資金循環の促進、③省エネ都市構造の確立です。
 それぞれに様々なアプローチがありますが、もっとも大切なのは担い手人材です。人材を登用し、育成しなければ、どれもできません。地方の人材不足はきわめて深刻です。既存のガラケー社会に適応した人は残っていますが、新しい、やらねばならないことにチャレンジする人は地方から出て行ってしまっているのが現状です。
 これを変えるには、まず、人とお金の流れを変えなければなりません。いまの三つの課題を踏まえ、チャンレンジのおもしろさ、やりがい、考えられる方法論、そして、報酬まで具体的に示したうえで、地域にいるみんなが、新しい人材を心から歓迎する、そうした人材が集まってくる流れを作っていかねばなりません。
 だから、私たちの会社の理念は、様々な深い意図を込めて「みんなでつくろう松山のまち」なんです。全員がプレーヤーです。それは若い世代だけでなく、おじいちゃんやおばあちゃんも同じです。50歳の離れた人と一緒にやれるから、いろんなことができるし、おもしろいんです。
 「みんなでつくろう」には「自分事化」という意味も込めています。組織が成長していく上で最も大切なことは、目の前に起こっていることに自分の手をぱっと貸せるかどうかです。こういったことが有機的に行われて、自然に行われている社会というのは非常にエコなんです。
 シェアリングエコノミーとか言いますが、その前提なんです。余っているからみんなで使おうというレベルではありません。自分事化できれば、支え合う力も強くなるし、視野は広がり、新しいアイデアも出て来て、互いにそれを磨き合うこともできます。「まち」は「思い出づくりの場」です。思い出をつくる、思い出があるから動ける、というように向かわせる流れをつくらないといけません。だから、きっかけが必要なんです。誰もがそういう思いは持てるわけですからね。
 例えば、ゴミ拾いがひとつのきっかけです。あのとき、誰かと一緒にキレイにしたまちはどうなっただろうと思い出が一つできます。自分事化されると、また来たくなりますよね。そこに経済が絡めば、外貨も獲得できるし、全てがつながっていきます。
 一つのきっかけで目覚める人は結構多いのです。これが人材になっていきます。ところが、日本の社会は、こうした人材をつぶしてしまうことが多いように感じています。最初はちやほやして持ち上げますが、どこかで落とすんです。地域にとって大切な人材が孤立化し、追い詰められてしまいます。
 それをなくすために、私たちは円卓でやります。フラットな関係性を強く意識して進めています。地域にありがちなタテの関係ではなく、フラットなヨコの関係性を構築していかねばなりません。大切なことは、円卓に座るテーマというか、求心力のようなものを意識し続けることです。黒子の仕事ですが、それも自分の役割だと思っています。
 

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5.社会を担う「会社」に対するステレオタイプ的誤解
 
亀井 社会的事業に取り組むお二人に伺いたいのですが、事業に取り組んでいて感じる壁やハードルのようなものにはどんなものがありますか?
 
加戸 「会社」に対するステレオタイプ的誤解です。世代によって、社会のあり方に対する認識ギャップがあるのも事実ですが、この勘違いは深刻です。私は、かつて投資銀行にいましたので、会社とはどういうものか、よく理解しているつもりですが、世間は会社について、大きく誤解しています。
 会社といえば、利潤を追求するもの、株主のためだけあるものと勘違いしている人が多いのです。
 立ち止まって、よく考えてみれば、当然のことですが、いまや、会社は株主だけのものではありません。従業員にとっては働く場、日々の糧を得る場、生きがいを産む場です。技術力を有し、組織力を持ち、様々な他者が協働して、社会課題の解決にあたるのが会社の本分です。
 加えて残念なのは、大企業の経営者たちが、その本分を忘れてしまっているのではないかと感じることが多いことです。投資家に利益のことばかり聞かれるからかもしれませんが、彼らが、もっと社会に向き合うことができれば、そのインパクトはきわめて大きいものになるはずなんです。本当にもったいない。
 
こうだ 世代間の意識ギャップについては、子育てのあり方を巡って、たいへん深刻なものを感じています。子どもを誰かに預けることに対して、厳しい認識を持つ人たちが今もたくさんいます。家計の状況を見れば、共働きが当たり前の時代になりました。それでも、「子どもを犠牲にして」みたいなことを言われてしまいます。
 「会社」に対する誤解は、私たちにとっても深刻です。そもそも、NPO法人は、定款に基づいて社会課題に向き合うため、自由度が低く、スピード感がありません。さらには、補助金や助成金を頼り切って活動するのではなく、自立して活動し続けるため、世の中に価値を提供したら、当たり前に対価を得ることで事業規模を拡大したい、そして、サービスを提供する人たちも経済的に潤うことで、また次なる投資ができるという、当たり前の経済循環を持たなければ、本当の意味で社会課題を解決し、サステナブルであり続けることはできないという思いがあって、株式会社を選択しました。
 しかし、社会課題解決に携わるということは、当然、非営利活動でも地元に根差して課題に向き合っていらっしゃる団体とうまくやっていかなければなりません。やはり、そこで、加戸さんおっしゃるとおり、「会社」をめぐる誤解とぶつかりました。
 株式会社は悪いものだと思っているのです。「あなたは利益追求型でしょ。ここは聖域です。あなたがやっていることのいい/悪いはどうでもいいけれども、私たちには一切関わらないでほしい」、最初はそう言われました。行政でも、公共施設を使う際、NPOであれば無料ですが、株式会社は所定の費用の3倍がかかるところもあります。
 社会のためになる何かをするのが会社であって、NPO、社団法人、株式会社といった形態によって、相手の理念や活動を決め付けるのは本当にどうかと思いますが、私は、それも含めて変えていくぐらいの信念を持たねばならないと思っています。
 
亀井 PHP研究所の創設者である松下幸之助が「会社は社会の公器」であると言ったのは、まさにそういう意味でしょう。社会の課題を解決するための存在としての会社、そして、社会のリソースである人やモノを社会から借りて事業を行っている以上、事業の結果として社会のためになることは当然であり、あらゆる事業プロセスにおいても、社会と共にあることは当然のことです。利益というのは、あくまでも、事業の一つの結果であって、社会の課題を解決し、そのニーズに応えたからこその帰結にすぎません。社会にいろいろな組織がありますが、会社というのは、統治も含めた様々な観点からも、もっとも優れた組織形態の一つです。加えて、最近では、投資家も変わってきています、ESG投資はこれからますます大きな流れとなるでしょう。持続可能な社会に向けて、市場も、会社も変わっていかねばなりません。
 

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6.社会的事業は、政治も、社会も、一人ひとりの生き方も変えていく
 
伊藤 いま、お二人の話を聞いただけで、いろんな感動が湧き上がってきます。これだけ高い志と情熱を持って、そして、それぞれの社会的な課題の本質を捕まえて、それを解決するソリューションの方向性を打ち出して、なおかつ、自立的なビジネスモデルを確立しているわけです。その中に新しい価値観があって、さらには社会を変えようという、そういうアイデアも込められています。それを現場で、政府からの補助金に依存せず、全くゼロからスタートしてやっている人がこんなにいるんだということに、議員たちは感動しました。そうした深い感動が提言につながっています。
 ですから、この提言は、いま、自民党の中ですごい化学反応を起こしています。先輩議員たちにも強く響いているんです。私自身、提言を出した当初は、党内で強い抵抗が出てくると心配していたのですが、「もっと取り上げよう」とか「もっと具体的な政策の提言をつくり上げてくれ」と、積極的な反応ばかりでした。また、こういう化学反応に応えていかなければいけないと思っています。
 私自身の思いとして申し上げれば、先ほど、松下幸之助さんのお話が出ましたが、私は、かつて、松下政経塾において、幸之助さんに89歳から亡くなる94歳まで直接ご指導を受けるという非常に恵まれた経験をしているだけに、彼はこういう人材を育てたかったんだなという思いもするんです。そして、また、彼が言った、来るべき社会とは、こういう方たちが縦横無尽に活躍する社会だと思うのです。現代は閉塞感に満ちていると言われますが、それを打ち破ることができる若い人材を育てていきたいと思います。
 大きな社会というと、英国のキャメロン政権の焼き直しのように見えますが、私はそこに多くの意味を込めたいと思っています。一人ひとりのつながり、支え合い、頼り合いでできた偉大な社会、お互いに信頼に満ちた持続可能な社会、課題解決に誰もが当事者として向き合い、誰かの役に立っていることを実感できる社会、そうした「大きな社会」を、こうださん、加戸さんのような方々と一緒に作っていきたいと考えています。
 
加戸 やはり、自分の足で立つ、自立できる地域社会をまず作っていきたいと思っています。それができれば、税は本当に必要な人に集中して分配することができますからね。 加えて、将来のことを申し上げれば、私たちがやっているこのモデル、地域商社のモデルには、世界に売ることができる価値があると思っています。社会課題先進国の日本の地方で得たノウハウは世界が求めているはずなんです。そこに至るには、自分でなければできないという属人性も外していかねばなりません。そこまで展望しながら、これからも頑張っていきたいと思います。
 
こうだ これから目指したいのは、社会的事業における資金調達の多様化です。私たちの創業からの資金は、自己資金100%でした。それは、ミッションを見失いたくなかったからです。借りたお金を返すために事業を進めるのが私たちの仕事ではないですからね。
 ただ、私たちはそれでここまで来られましたが、社会課題や事業によっては、それではできないこともあると思うのです。やはり、社会的事業でも、資金調達ができる環境を整えていかねばなりません。例えば、ヨーロッパやアメリカには、社会性と事業性を両立させた企業に対する日本とは比較にならない規模の資金提供の実績が多くあるのです。
 最近、日本ベンチャーフィランソロピー基金から、私たちも資金を受けながら、経営的支援も受けていますが、それは単なるお金だけの関係ではなく、経営にとっても、経営者である自分自身にとっても、メンターとなるような人たちから厳しく、建設的なご意見をいただきながら、経営をすすめるようになりました。
フラッグシップとして見ていただき、いろいろな支えがあります。だからこそ、そうした期待に応える仕事をしていきたい、次に続く人たちに道が遺せる仕事をしたいと考えています。
 
亀井 今日は、未来の希望につながるお話でした。伊藤さん、こうださん、加戸さん、ありがとうございました。

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