5年の歳月が生んだ新しい課題【2】

永久寿夫(政策シンクタンクPHP総研代表)×熊谷哲(政策シンクタンクPHP総研主席研究員)

 東日本大震災から丸5年が経過した。今年は復興庁が平成23年度から27年度までを「集中復興期間」、28年度から32年度までを「復興・創成期間」と位置付けた計10年間の復興期間の折り返し地点にあたる。
 公共インフラはほぼ復旧し、住宅再建工事がピークを迎えている。発災当初47万人にのぼった避難者は17万人まで減少した。しかし、いまだに自宅に戻ることのできない人々は、仮設住宅や身を寄せた仮住まいでの避難生活を余儀なくされており、避難の長期化が心身の健康へ与える悪影響が懸念されている。産業の再生に目を向けると、設備の復旧はほぼ完了したものの、売上の回復は追いついていない。
 5年の間にさまざまに変化した状況を踏まえ、政策シンクタンクPHP総研代表の
永久寿夫と、被災地の出身者で震災当時内閣府の職員として現地対策本部で緊急支援にあたった主席研究員の熊谷哲が、これからの復興のあり方を問い直す対談を行った。

対談第1回はこちら:「5年の歳月が生んだ新しい課題①

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永久寿夫(政策シンクタンクPHP総研代表)

1.点を面にする難しさ
 
永久:点で展開しているものがそれぞれネットワーキングされていって、いま、それが発展しつつあると認識していくと、敢えて面にする必要があるのかなと思ってしまうんですよ。言い方は難しいですが、わざわざ面でカバーしなくても、コンパクトシティの発想で、長い時間をかけてセンターに人やものが集約してくるのを待つというやり方もあると思うんです。その間、点の外に住んでいらっしゃる方々の生活をどうするのかというところは、たしかに大事な論点だとは思うんですけど。

熊谷:そこが難しいところですよね。20~30戸しかないような小さな集落を維持するためにかけなくてはいけない資源のことを考えたら、集団でもう少し大きい集落に移って、そこで生活共同体のような新しい暮らしをつくった方が良いのではないかという話をしたことがあるんですけど、がんとして抵抗する集落もやはりあります。そういうところは、やる気のレベルが格段に違うんですよね。「自分たちの集落を守るためなら、ここまでやるんだ」という意欲が、ほかの地域のレベル感からすると、格段に高い。そのエネルギーというのは何物にも代えがたくて、いわゆるコンパクトシティのような合理的で社会システムとしてもうまく回る絵を描いてみても、彼らが元いた集落に対するのと同じように地域のことに取り組んでくれるかというと、たぶんそうはならない。
 集落の維持や地域づくりというのは、結局やる気とかける力の掛け算なんだと思うんですね。十分維持可能なビジネスモデルをその地域がつくるとか、それによって周辺に良い効果をもたらしてくれるとか、そういった付加価値が集落単位や地域単位で広がって行けば面として高まると思うんですけど、残念ながらそういう集落は一握りしかないですよね。

永久:そうだと思います。小さな集落のほうが一人ひとりががんばっているというのはその通りで、コミュニティの規模が大きくなるほど個人のやる気は下がっていくのはある意味自然の摂理だと思うんですが、小さいところがそれだけがんばっているというのは、そこがセンターになる可能性をもっているということだと思うんですよね。つまり、国からお金を持って来ることをがんばるんじゃなくて、自分たちで自立していけるような、新しい展開を目指していくことにそのがんばりが使われると、ものすごい発展のチャンスになるような気がします。その辺りの動機付けをどうもってくるかが重要ですよね。

熊谷:被災地について言えば、地域のGDPの大半を建設関連産業が占めているという現実があります。復興で公共事業を請け負っているから現在は成り立っているという部分があって、20年、30年が経ったときに、それらの仕事はなにに置き換わっているのか。担い手は誰で、支え手になってくれる人はいったいどのくらいいるのか。そうしたことを考えると、果たして持続可能なんだろうか、という疑問はずっとついて回ってくるんですよね。
 その意味で、被災地といっても福島は岩手や宮城とは全然状況が違うので、いまだに厳しいところがたくさんあるし、岩手と宮城、三陸沿岸ではそれぞれの地域、集落によって様相がまったく違うので、うまく進めていくことは、なかなか難しいと思います。
 とは言え、がんばっていることは間違いないんです。なんとかここでやっていくしかないと腹をくくった人たちは、地に足をつけた取り組みで、新しい花を咲かせています。気仙沼ニッティングなんかはその成功例だと思うんですけど、同じようなモデルで成功していると言えるところは、いまのところほかにはない。そういう成功例のオリジナルが出てきた場合に、どれだけ特徴を出せるか、強みを生かせるか、経営力を発揮して動かせる人がどれくらい確保できるか。そこがいちばん難しいところだと思います。

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熊谷哲(政策シンクタンクPHP総研主席研究員)

2.外国人受け入れによる労働力とマーケットの確保を
 
永久:日本国中同じような課題だらけですよね。地域を経営できる人がどれだけ多くいるか。それが日本全国の地域の課題でもあります。
 
熊谷:その意味で、被災地の課題が日本社会の課題の縮図と言われるのは正しいんですよね。
 
永久:正しいんですけど、被災地の場合はまったく新しいことをやれるチャンスでもあると思っているので、自然発生的に待っているのではなくて、どんどん積極的に仕掛けていくべきだと考えています。
 たとえば、すごく突飛な話かもしれませんが、東北地域に住むという条件で、外国からの移民を受け入れるとか。そうすると、マーケットのボリュームは一気に拡大しますよね。もちろん国内で移動してしまうこともあるでしょうが、たとえば東北の地域に5年、10年住むのであれば、補助金とかなにかしらの生活サポートを提供するとか、そうした手を打つことで、一気に環境が変わるんじゃないかなと思います。文化的に摩擦は生じるでしょうか。
 
熊谷:実は、震災前の東北沿岸部の水産加工業の担い手は、中国からの研修生によるところが大きかったんですね。震災で彼らが帰国してしまって、労働力の確保に困っているところが少なくありません。そういう、これまでの生活の実態を考えれば、地域の中で外国人の受け入れに抵抗があるかと言えば、必ずしもそうではないと思うんですね。
 私も震災後に改めて驚かされたんですけど、避難所に行くと海外出身のお嫁さんが非常に多いんです。彼女たちは独自の横のネットワークをつくっていて、丁寧に説明して理解してもらえたら、情報の共有に比較的容易でした。
 東北の沿岸部では、彼らがいないとそもそも産業が成り立っていなかったというところがある。そこから今のような話にうまくつなげられるといいんですけどね。外国人の移住によって労働力を確保できれば、ある程度また産業が戻ってくることが見込めるのかとか、その辺りが復興のひとつの鍵のような気がします。
 
永久:日本に住む外国人が労働力の供給源やマーケットになっているということは、私たちが数字で見るよりもっと大きな規模で実態が進んでいるような気がします。だけど、それがどんどん大きくなっていくと、それまでになかった軋轢が生じてくる可能性もあって、人数が少ないときには仲良くできたのに、多くなってくると衝突が生まれたりもする。
 そういう事態に私たち日本人はあまり慣れていないので恐れるんですけど、一定レベルの経済的繁栄や社会保障を維持していくためには、そうしたことも受け入れる覚悟が求められていると、私は感じています。東北の人々にその先陣を切れというのはいささか筋違いなのかもしれないけれど、日本全体として、そういう選択を迫られる場面に直面しているのではないでしょうか。
 
熊谷:津波が頻繁に来るようなところに住んでいるので、基本的には人の力に頼るよりも、自分たちでなんとかできる幅で生きるしかないという考え方をする人たちが多い地域です。これまで通り自分たちの手の届く範囲内の仕事に閉じこもってしまうのか、この震災を契機に地域の外とつながって、さまざまな交流の中で新しい価値をつくっていくのか、うまくバランスを取りながらやっていけるといいなと。ここから2~3年が、大きな分岐点になると思います。

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3.ビジョンをつくれる人材の育成が復興の鍵

永久:東北はインバウンドツーリズムは盛んなんですか?

熊谷:まだまだですね。被災地の復興ツーリズムでインバウンド誘致を実現しようという声もあるんですが、震災遺構を残すことに抵抗のある人もいて、ほとんどが撤去されました。津波被害から回復しつつある姿を見ることはできても、当時の被災地で実際になにが起きて、どんな状態になったのかということを視覚的に体感できるものは、もうほとんど残されていないんです。なので、復興ツーリズムを唱える人たちは、一体なにを見せてなにを感じてもらおうとしているのか、そこがいちばん気に掛かるところです。

永久:震災博物館のようなものをつくる予定はないんですか?

熊谷:復興ミュージアムの構想はありますが、まだ形になってはいないと思います。

永久:ヨーロッパへ行くと、どこへ行っても博物館があって、アウシュビッツをはじめ、それが悲惨なものであったとしても、当時に近いかたちで残されていますよね。ベルリンも壁の一部が残してあって、そのすぐ傍に博物館がある。
 そうしたものの存在は、悲惨な経験をした人々にとっては辛い記憶を思い出させるきっかけとなることも事実ですが、教訓を得るという意味で、歴史的には非常に重要なものですよね。経験した痛みを忘れず、それを教訓にするということをしないと次の発展にはつながらなくて、また同じ過ちを繰り返すことになる。被災地に防潮堤や高台をつくって、津波被害にあった地帯にまた住宅を建てるということにもつながる話だと思いますけど。

熊谷:大槌町では、津波で壊された役場を残すかどうかで、いまだに論争が続いています。新しい町長が一旦は取り壊すと言ったんですが、反対運動が起きて、結局まだ結論が出ていない。陸前高田をはじめ多くがかさ上げ工事のために役場を取り壊してしまいましたから、シンボリックな存在を残すという意味で、大槌町役場にしかない価値があります。
 いまの流れでは残す方向にはならないと思うんですが、原爆ドームのように残して、見てもらうということも大事だと思います。やっぱり実物を目にしたからこそ感じることもあると思うので。だから、私個人としては、役場を残して、国内外の方にツアーなどで見てもらって、そんな状況からここまで立ち上がってきたんですよという姿を見てもらうことが大事だと思っています。

永久:こうした災害がいつまた起きるかわからないから、我々としても常に心掛けておかなければならないというシンボルにもなりますしね。
 そういう状況ひとつとっても、ビジョンをつくるのが苦手なんだなと感じます。いろんな意見や現実を積み上げた結果としてビジョンのようなものをつくるけれど、それはビジョンではなくて集約でしかない。「できることからやっていく」というのは、とても大事なことである一方で、その結果ビジョンなき町の再建になってしまうというリスクもあるんですよね。できることをやりながら、トータルのビジョンというものを見つけていかないといけないんだろうと思います。

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4.既存モデルを打ち壊す爆発的な成功を
 
永久:東北に限ったことではないのですが、農業や漁業をはじめ、目の前の仕事をコツコツやっていれば、何とかやっていける。厳しいときには国から補助金などが出て、一定レベルの生活は保障される、という仕組みの中で我われ日本人の多くは生まれ育ってきているので、そのマインドセットを変えなければうまくいかないのかもしれない。だからこそ、外国から人を呼びこんではどうかというのが、ひとつの提案なんです。彼らのハングリー精神はすごいですから。

熊谷:同感です。新しい産業をつくるには、従来の漁協や農協を打ち負かすくらいのものができてはじめて、成功モデルとして全体の底上げができると思っています。もっと言えば、農協や漁協が自ら生まれ変わって、日本で最先端の経営モデルをつくってほしい。
 「葉っぱビジネス」で一躍有名になった徳島県上勝町だって、元をたどれば農協の職員が先頭に立って奮闘したのがスタートなんです。そして農協自身が、ベースモデルを作り変えてしまった。同じようなレベルの変革が三陸の漁協でも起きなければ、復興は難しいと思います。復興というと、元に戻す話になりがちなんですが、そうではなくて、まったく違う業態に変化して、いままでとはまったく違う発想でお金を稼げる仕組みをつくり出さないことには、人も売上も戻らないと思います。
 その意味では、桃浦には期待していたんですが、なかなか他地域を刺激するところまでは至っていない。ちょっとした成功モデルではなくて、上勝町のような爆発的な成功がどこかに生まれて既存のモデルを打ち壊さない限りは、農協や漁協に守られる範囲内でやっていればどうにかなるという意識から抜け出すことはできないと思います。

永久:その爆発的な成功をどうやったら誘発できるのかというのが、悩ましいところですよね。国から出ているさまざまな補助を急に止めてしまうと立ち行かなくなるところが多いでしょうから、期限を決めて徐々に減らしていく。減っていく部分に関しては、自分たちで工夫してがんばってくださいねというやり方はすぐに思いつくんですけど、それで本当にがんばれる企業がどのくらいあるのか。産業や企業がただ死んでいくだけにもなりそうで、難しいところですよね。

熊谷:行政の側として復興にあたった身からすると、これは痛切な反省なんですが、復興予算を他の復興まがいの事業に使われないようにと、いろんな縛りをかけすぎてしまった。「この目的でこの内容なら使えるけど、他には使っちゃだめ」という境目にこだわりすぎて、結果として地域の中で生きた使い方のできるお金にならなかった。
 復興交付金に関しても、一定のボリュームの予算を渡すから地域の裁量で好きに使ってくださいというのが本来の発想だったはずなのに、「復興に直接貢献すること」「その定義はこれ」とたがをガチガチにはめてしまった。そのために自由な身動きがとれなくなってしまって、何に使うかではなく、間違いない使い方から相手や目的を考えるような本末転倒なところがあちこちに見られます。このままでは、新しい発想や爆発的な成功を生み出す原資には、到底なれないと思います。

永久:補助金などの交付にあたって、細かく口を出し過ぎたのが大間違いだったということですね。以前一括交付金というものがありましたが、あの発想を応用して、なにに使ってもいいけれど、一定の成果は追及するというか、結果に対する責任は問うというような仕組みも必要なんだろうと思います。
 その場合も、結局は人なんですよね。そういう取り組みに対する気持ちやパワーを維持できる人。被災地について言えば、生産の三要素のうち、土地はある。資本と労働は微妙ですよね。だから、お金と人を世界中から集めたらどうか、それが打開策の根本になるんじゃないか、と私は思います。

熊谷:そういうところに踏み出す地域がどこか出てきたら、また変わってくるかもしれないですね。

永久:そうした人口や資金の流動性を高めるような環境設定を、国はやるべきではないでしょうか。

熊谷:これも被災地に限った話ではないんですけど、日本はストックベースで評価する傾向がありますよね。ストックではあまり価値を生んでいないとしても、フローの部分でいろんなものが動くことで必要なお金が生み出されるような社会の仕組み、地域経済の仕組みを考えなければならないと思います。人口がこれだけ細ってきた中で考えられる対策は、どれだけ流動性を高めて、その中からどれだけの価値を拾うかだと思うんです。
 岩手はもともと過疎化が進んでいたので、震災前と比べても人口は2割程度しか減っていないんですが、女川は4割くらい減っているんですよ。一方で仙台は増えている。

永久:震災によって人口集約が進んだということですよね。

熊谷:そうです。そう考えると、沿岸部の過疎化の進行度合いというのは、宮城がもっとも深刻なんですね。ただ、女川は原発があるのでお金は潤沢なんです。そして人口が減った分、一人あたりに使えるお金は増えている。だから、人口減少への危惧はもちろんある一方で、やれることはなんでもやろうという前向きな空気を感じます。ああいうところから新しい取り組みがたくさん出てくるのかなという期待を、女川には持っています。

永久:5年も経つといろんなものができあがってきた分、また新しくビジョンをつくるということも難しいとは思いますが、そのためには有能な経営者や政治的リーダーといった存在が必要ですね。それをなかなか見いだせないのが最大の課題ですが、それは自然に出てくるものではないので、そうした人材を育てていかなければならないと思います。むしろ、復興の希望はそうしたところにあると言えるのかもしれません。本日はありがとうございました。

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