「出口」をいかに判断するか
―統治機構から見た課題―

亀井 善太郎 (政策シンクタンクPHP総研主席研究員、立教大学大学院特任教授)

新型コロナウイルスの感染拡大はパンデミックに至った。このウイルスが恐ろしいのは、一人ひとりの命を奪うだけではない。社会そのものを攻撃することだ。

現在においては、社会的隔離を推進し、感染拡大を抑制、収束させること、そして、併せて、最前線の現場において医療崩壊が起きないようにしていくことがなにより重要だ。

私自身、一人の国民として、社会的隔離に積極的に協力し、現場の最前線で奮闘される医療関係者、そして、社会を支える一人ひとりの方々に心から感謝し、そして、あとは祈ることしかできない。いまは、云わば、トンネルの中にいて真っ暗闇のようなものだが、必ず訪れるであろうトンネルの出口の状況を考えておくこと、そして、そこに現状のまま進む場合の懸念を指摘することは公共政策の専門家の一人としての社会的な責任だと考えている。

出口はきわめて難しい。「安全」と「経済」の相克を踏まえた政治の決断がしっかりとできるか、それとも、うまくいかず分断を招くか、私たちはまさに岐路に立たされる。このために統治機構として、すでに見えている課題は何か、いかに改めるべきか、これを明らかにするのが本稿の目的である。

新型コロナウイルスの厄介さ

致死率から見れば、SARS(重症急性呼吸器症候群)やエヴォラ出血熱といったウイルスは脅威だが、感染すれば、重篤な症状が顕れるので、感染ルートを把握しやすく、これまで、専門家たちは、その拡大の抑制に成功してきた。これに対し、新型コロナウイルスの場合は、基礎疾患の有無ばかりではなく、人それぞれに疾患の顕れ方が異なるようだ。無症状の人もいれば、数日で死に至る人もいる。その違いがまだ正確には解明されていない。無症状であっても、他人に感染させてしまうことがあり、また、そうした人が多数いることもあって、感染ルートの把握も難しい。

結果として、多くの人がそうであるように、自分自身が感染しているのかどうかわからないまま、社会的隔離の要請に応え、一人ひとりが、社会活動や経済活動をきわめて抑制した状態にあるのが現在であろう。

特別措置法に基づく政府の対応

現在の緊急事態宣言の根拠となる新型インフルエンザ等対策特別措置法は、3月6日に閣議決定され、3月13日に改正されたものである。

法改正以前の1月30日から、内閣の決定として「新型コロナウイルス感染症対策本部(以下、政府対策本部)」が設置されていたが、同法改正に伴い、3月26日、改正後の同法に基づく政府対策本部として改組された。政府対策本部の構成員はすべて閣僚であり、本部長:内閣総理大臣、副本部長:内閣官房長官、厚生労働大臣、新型インフルエンザ等対策特別措置法に関する事務を担当する国務大臣、本部員:本部長及び副本部長以外の全ての国務大臣である。

しばしば、TVやインターネットの記者会見で注目される「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議(以下、専門家会議)」は、脇田隆字国立感染症研究所所長を座長、尾身茂独立行政法人地域医療機能推進機構理事長を副座長とする、公衆衛生や感染症対策等の専門家のみによって構成されている会議で、専門家としての独立した見地からの助言によって、政治の判断を担う政府対策本部に対する情報提供を目的とした組織である。

わかりにくい政治の責任、専門家の責任

つまり、社会的隔離といった国民の社会活動・経済活動に関する方針、また、10万円の一律給付を含む各種の経済対策、これに伴う補正予算対応といったものについては、専門家会議を含めた(例えば、経済対策については、専門家会議とは異なる経済の)専門家からの様々な助言を踏まえ、政府対策本部を中心とした、政治家たちが判断する仕組みになっている(加えて書けば、その政治家を決めたのは、私たち国民であることも忘れてはならない)。また、都道府県や市町村独自の休業補償については、それぞれの首長の判断によって行われているが、これも政治の判断である。

すでに、多くの有識者が指摘しているところだが、専門家会議の独立性をいかに確保するかは、きわめて重要だ。

専門家にとっての責任、そして、政治がとるべき責任、その責任と表裏一体のそれぞれの原則といったものが曖昧になっているのが現在の姿ではないだろうか。前者は、内閣や政府対策本部が行うような政治が担う数々の判断に対して、サイエンスの立場から適切な情報提供を行うものであり、後者は、それぞれの方針や施策を決め、適切に国民にコミュニケーションを行い、とくに、現下の社会的隔離については、国民の理解を得て、積極的な協力を得ることにある。

もちろん、政治の責任とは、国民から負託されたものである。すでに内閣では、現下の新型コロナウイルスの感染拡大に伴う事態については、「行政文書の管理に関するガイドライン(平成23年4月1日内閣総理大臣決定)」に規定する「歴史的緊急事態」に該当するものとした(3月10日閣議了解)。これは、後年、私たちが、ここで下された政治による判断が正しかったのか、誤っていたのか、誤ったとすれば、なぜそうなったのか、これらを検証するために記録するものである。新型コロナウイルスの実態解明が進まない現状において、限られた知見から判断することは難しい、しかし、そうした記録を前提として、どのようなファクツや知見に基づいて判断するのか、その吟味が丁寧に行われ、一つひとつの判断が適切にされることを期待するための措置であり、きわめて重要なことだ。

専門家の責任という観点から見れば、専門家が、国民とのコミュニケーションを担う場面が多々見られている。もちろん、政治家を専門家が横でサポートすることはあって当然だが、あくまでも主体は選挙によって選ばれた、国民が責任を負託した政治家が担うものでなくてはならない。政治家によるコミュニケーションが充分でないと考えたからか、あるいは、専門家が政治家に対して遠慮しているためか、それとも混乱しているのか、実際のところは定かではないが、専門家会議のメンバーの個々の立場によるSNS等での発信は、そうした原則を曖昧なものにさせている。結果として、それぞれがそれぞれの信頼を失うことにもつながりかねない。世界の国々の多くが、こうした危機にあって、政治が求心力を高めているのに対し、残念ながら、日本がそうした状況になっていない原因の一つとも考えられよう。

出口で直面する「安全」と「経済」の対立

感染拡大が収束し、社会的隔離を緩めていくのがトンネルの出口だ。現時点では、緊急事態宣言の期間が5月6日までなので、それ以降のことになろう。どういう過程をたどるかについては確言できないが、一人ひとりの社会活動や経済活動の抑制を段階的に緩めていくことになるのであろう。

そうした判断は、これまでと同様、政治によって行われるわけだが、ここで対立するのが、「安全」を重んじる考え方と「経済」を重んじる考え方である。

すでに、小黒一正法政大学教授が、米国の連邦準備制度理事会(FRB)のエコノミストであるセルジオ・コレイアの論考を引いて説いているが(週刊ダイヤモンド4月25日号)、百年前のスペイン風邪のパンデミックの経験を踏まえれば、早期かつより長期の厳しい社会的隔離をした都市ほど、その後の経済の復興も大きく、現在のような感染拡大の局面においては、そうした対立は不要で、とにかく安全を優先することがその後の経済にもつながるというものだ。

ここで問題になるのは、現時点は「安全」を重んじることが「経済」につながる局面であることはわかるが、その局面がどこで変わったと判断できるのか、そこがたいへん難しい。具体的なファクツによって、政治的な決定はされなければならず、そのためにも、検査のさらなる(圧倒的な)拡大、そして、普及は当然必要となってこよう。

その上で、政治決断がされるわけだが、それこそ、すでに多くの国が直面しているように、安全と経済の対立はますます深刻となるはずだ。

命はかけがえのないもので、あらゆる人に深刻なリスクを及ぼす可能性がある新型コロナウイルスの脅威の全貌が見えない以上、社会的隔離はけっして緩めるべきではないというのが「安全」の主張であろう。

これに対し、「経済」の主張は、経済活動がいまのままで停滞していれば、ウイルスではなく、経済的な事情によって、仕事を失ったり、ひいては、命を失う人も出かねない。感染のリスクもあろうが、経済を元に戻していくことが必要で、そのためには、社会的隔離を早く緩めるべきだというものだろう。

いずれも、それぞれの主張は正しい。それぞれを聞いて、それぞれに納得する面がある。おそらく、それぞれの主張が完全に満たされるには、新型コロナウイルスの抗体を人が持つことができ(現時点では抗体を持てないとの指摘もある)、ワクチンが開発・普及するまで待たなければならないが、これには時間がかかってしまう。

統治機構から見た課題①:コア・エグゼクティブがチームで動いているように見えない

さて、本論となる統治機構上の課題である。まず、指摘すべきは、PHP総研で昨年公表した提言報告書『統治機構改革1.5&2.0』でも重要視した、統治機構の中核を担うべき「コア・エグゼクティブ(中核的執政)のチーム化」が、今回のパンデミック対応についてはうまくいっているように見えないことだ。パンデミックのような危機においては、解決すべき問題が同時多発し、また、政府全体、各府省が密に連携してはじめて、その対応が可能となる。そのためにも、TPP交渉をはじめとする外交・安全保障や自然災害の対応においてうまくやってきたように、チームでの対応が不可欠だが、今回の局面では、チームとして動いているようには見えてこない。

また、今回のような国家の命運を左右するパンデミック対応こそ、特命相・担当相を副総理(格)に位置付け、総理の「発議」の補佐、本来の意味での「総合調整」の権能が果たせるようにならなければならない。4月7日に東京都、神奈川県、大阪府などの7都府県を対象に緊急事態宣言を発した後、休業要請の範囲を巡って、東京都と調整が進まなかったことは、コア・エグゼクティブの機能がしっかりと発揮されなかったことも背景にあるのかもしれない。

統治機構から見た課題②:特別措置対策法の担当相と経済再生の担当相の重任

担当相をめぐる問題は、トンネルの出口でさらに厳しいものとなることが想定される。

つまり、「安全」と「経済」の二つの命題をいかに内閣として受けとめ、それぞれ、どのようなファクツを元に判断したのか、そのプロセスそのものが、国民にとっての信頼につながり、ひいては、その後の社会活動や経済活動にも大きく影響してくるだろう。

「安全」を担うのは特別措置対策法の担当相、「経済」を担うのは経済再生の担当相だが、現時点においては、いずれも、西村康稔氏が担っている。

こうした重任状態は、出口の局面において、必ずや問題となるだろう。

あるべき姿は、それぞれ、別の人物が担当するものだ。安全を担う閣僚は、独立した専門家会議の意見を踏まえながら「安全」の観点から、社会的隔離を解くべきかどうか、慎重な立場を崩してはいけない。一方、経済を担う閣僚は、同じく別の分野の専門家の意見を踏まえながら「経済」の観点から、社会的隔離をいかに解き、自由な社会活動・経済活動の重要性を追求していかねばならない。そうしたそれぞれの観点の相克によって、内閣のトップたる総理が、そのプロセスを見せた上で、いかなる時期に、いかなる方法で社会的隔離を緩和するのか、決断しなければならない。

現状のままでは、それぞれを重任している人の頭や心の中を私たち国民は決して見ることはできない。そうしたまま、何を見て、重要視し、出口の判断に至ったのか、わからないまま、政治決断が行われることになりかねない。なによりもっとも懸念すべきは、「安全」「経済」どちらの検討も中途半端なまま、決断に至ってしまうことだ。

出口が社会の分断の危機とならないために

現在見えている問題の多くは、平時から積み重ねられてきた問題だ。昨年の提言報告書で課題として指摘した、特命相・担当相のシニア大臣化やコア・エグゼクティブ・チームの方法論の確立、さらには専門家の独立性の担保等が十分ではなく、こうした統治機構の課題が、現在のような緊急時において問題の本質として噴出してきている。これは、政治の求心力、実行力はもとより、社会や経済にも甚大な影響を与えかねない、まさに危機に至る状況にある。

このままでは、出口に至るプロセスが、社会を二分する深刻な分断の引き金になってしまうかもしれない。これはなんとしても避けなければならないが、これができるのは、政治だけだ。

政治、ひいては、社会や経済がここで持ち堪えることができるかどうか、きわめて重要な局面だ。新型コロナウイルスは社会を襲う強敵だ。朝令暮改でも構わない。危機に陥る前に、統治機構の反省と経験を踏まえた、しかるべき対応が求められる。

亀井 善太郎 (PHP総研主席研究員)
亀井 善太郎 (政策シンクタンクPHP総研主席研究員、立教大学大学院特任教授)
1971年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。日本興業銀行、ボストン・コンサルティング・グループ、衆議院議員等を経て現職。立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科特任教授も務める。著書に『CSR白書 2014~2016』(東京財団、共編著)等。政策提言および研究報告に「企業は社会の公器」(PHP総研)、「独立推計機関を国会に」(東京財団)等。内閣官房行政改革推進本部事務局参考人(EBPM 推進)等。