地政学的要衝研究会
超大国アメリカの動揺と覚悟
「地政学的要衝研究会」は、日本の対外政策や日本企業のグローバル戦略の前提となる情勢判断の質を向上し、平和と繁栄を考えるうえで不可欠の知的社会基盤を形成することをめざして、鹿島平和研究所と政策シンクタンクPHP総研が共同で組織した研究会です。第一級のゲスト報告者による発表をもとに、軍事や地理をはじめとする多角的な観点から主要な地政学的要衝に関する事例研究を行ない、その成果を広く社会に公表していきます。
2023年3月21日、モスクワで2日目の首脳会談を行なった中国の習近平国家主席とプーチン露大統領は声明を発表し、中露の連携強化をあらためて確認したうえで、欧米諸国に対して共同で対処していく方針を強調した。
米『ワシントン・ポスト』紙は、「米国への戦略的・軍事的に最も強大な2つの挑戦者の間で拡大するこの同盟関係は、半世紀前の米国のように世界の秩序を大きく変える可能性を秘めている。米国とその民主的同盟国は、対応する準備を整えておくべきである」と述べて、中露同盟、とりわけロシアを従えて台頭する中国の脅威に強い警戒感を示した。
昨年10月12日にバイデン政権が公表した『国家安全保障戦略』はこうした危機感を共有し、この脅威に対抗するための道を指し示していた。その序文でバイデン大統領は、「過去75年間にわたり多大な安定、繁栄、成長を可能にしてきた原則と制度」を中国が揺るがし、国際秩序を自らの利益に沿うように変えようとしていると指摘。
「私たちは現在、国際秩序の未来を形づくる戦略的競争の真っただ中にいる」と述べて、これからの「決定的な10年間」に米国がどう対応するかによって、「世界の方向性が決まり、世界の安全保障と繁栄に影響を与える」と断言。「米国は地政学的な競争相手を先んじ、共通の課題に取り組み、世界をより明るく希望に満ちた明日へと導いていく」と力強く宣言した。
米国が中国に対してこのような確固たる脅威認識をもち、明確な戦略を打ち出すまでには、紆余曲折があった。本連載最後の今回は、 戦後70年以上にわたる米国の安全保障戦略を振り返り、「米国にとって最も重大な地政学的課題」と位置づけられるようになった中国の脅威に対し、バイデン政権がどのような戦略的アプローチをとろうとしているのか、米国がこれからの「決定的な10年間」をどう戦おうとしているのか、日米同盟の変遷と併せてその現状と課題を整理していく。
「決定的な10年」=「デンジャー・ゾーン」
『国家安全保障戦略』の発表に先立ち、ジェイク・サリバン米国家安全保障問題担当大統領補佐官は記者会見を行ない、「今日、私たちの世界は再び変曲点を迎えている。私たちは、決定的な10年の始まりの時期にいる」と述べた。そして、この間に中国との競争の条件が設定される、との認識を示した。バイデン政権の高官たちが繰り返し指摘する「決定的な10年」とは何を意味しているのか。
1つのヒントは『デンジャー・ゾーン』という昨年米国で出版された本にあると考えられる(邦訳は『デンジャー・ゾーン 迫る中国との衝突』飛鳥新社)。同書はハル・ブランズとマイケル・ベックリーという新進気鋭の2人の学者が書いた本だ。
本書は、中国が台頭するのではなく、すでにピークに達して衰退が始まっているとの前提を提示。そのうえでかつての帝国、たとえば1930年代の大日本帝国や第一次世界大戦までのドイツ帝国、そして現在のロシアの事例を研究した結果、ピークを迎えた大国の「落ち始めの焦った期間」が危険になると指摘している。
ピークを超えた大国に共通の経済停滞や、中国が主張する”封じ込め”、すなわち米国を中心とする戦略的包囲網によって習近平氏を中心とする指導層が「焦る」。これにより対外行動が過激になることが予想され、この「焦った危険な期間」が2030年代のはじめまで続くことから、この期間を「デンジャー・ゾーン」と呼んだのである。
米中関係についてトランプ政権のときは、マイケル・ピルズベリーが2015年に発表した『China2049』(原題はThe Hundred-Year Marathon)のなかで主張した「100年マラソン」 という考え方が有力だった。ひたひたと米国に追いつこうとする中国が脅威であり、この戦いはマラソンのような息の長いものになるとされた。
しかし、ブランズとベックリーは『デンジャー・ゾーン』のなかで、中国との戦いを「10年間の猛烈な短距離走」と捉えるべきと主張する。なぜなら中国は「多くの人が考えるよりはるかに早く衰退する」と考えられ、中国が既存の秩序を積極的に破壊できるほどの力をもちながら、「時間は自分たちに味方してくれている」という確信を失う段階に入るため、2020年代に米中間の競争が最大の危機を迎えるとした。
『デンジャー・ゾーン』は、この危機に際して米国がとるべき処方箋も提示している。過去の「頂上決戦」、すなわちソ連との冷戦の前例を参考にできると言うのだ。第二次世界大戦が終わった1945年から最初の数年間は、「冷戦」が米国に有利な状態にあるとは思われておらず、ソ連が世界の微妙なバランスを覆すことのできる”チャンスの窓”が開いていた、とブランズとベックリーは分析する。
1つは経済的、政治的なチャンスであり、大戦後の疲弊し荒廃した欧州は、飢餓、混乱、革命が発生する目前の状態で、共産主義が入り込む可能性が十分あった。また戦後、米軍が兵力1200万人態勢から200万人態勢へと大幅にダウンサイジングしたことから、軍事的にもソ連に”チャンスの窓”が開いていた。
冷戦に勝利するために米国は、この「デンジャー・ゾーン」を通過する必要があったが、当時の米国の戦略思想家たちは、時間が自由世界に味方していることに気づいていたという。とりわけ冷戦を勝利に導いた理論的バックボーンを支えたジョージ・F・ケナンは、1947年に「ソ連の衰退は避けられない」と主張。ソ連の権力には「自らの崩壊の種が内包されその種の発芽が進んでいる」と述べたうえで、活力のある民主国家である米国は「合理的な確信をもって」「確固たる封じ込め政策」をとることで、腐敗がシステムを内部から破壊させるまでソ連の前進を阻止できると考えた。
こうして米国の対ソ政策の基本は、「長期的に辛抱強く確固とした注意深い封じ込め」だとされ、これが冷戦期の米国の戦略となり、「デンジャー・ゾーン」を見事に乗り切ったとブランズとベックリーは主張している。
冷戦期の米国の安全保障戦略:ソ連封じ込め
以上の見取り図を踏まえて、冷戦期から今日までの米国の安全保障戦略と日米同盟を簡単に振り返ってみたい。ケナンが「封じ込め戦略」を打ち出したあと、1950年代初頭にアイゼンハワー政権は、圧倒的な核の優勢を背景に、米国が重要と見なす地域におけるソ連の挑発に対して、ソ連本土に対する大規模な核攻撃で対応することをあらかじめ示しておくことでソ連の挑発を抑止しようとする戦略、いわゆる「大量報復戦略」を打ち出した。
しかしソ連の核戦力及び運搬手段の増強によって「大量報復戦略」の信憑性が低下すると、次のケネディ政権は、いかなる挑発に対しても、脅威のレベルに応じた軍事力を機動的に発動できる態勢を整備する「柔軟反応戦略」を採用した。
60年代は米ソいずれも相手から先制核攻撃を受けた場合、相手国を確実に破壊できる報復用の「第2撃」核戦力を、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の形で保有したことから、互いに報復を恐れ、いわゆる「恐怖の均衡」状態が生まれた。65年に当時のロバート・マクナマラ国防長官がこの状態を「相互確証破壊(MAD)」と呼び、冷戦期の安定をつくり上げた。
冷戦期を1946年から1989年頃までとすると、この時代は「社会主義」対「民主主義+自由経済」の体制競争が40年以上続いた期間であり、当時の国際関係の基調は安全保障が経済よりも優先されていた。体制競争の認識は、ウィンストン・チャーチルの「鉄のカーテン演説」やケナンの『X論文』に代表され、この時代の安全保障の主正面は欧州だった。ソ連との熱戦を起こさせないための戦略抑止(抑止理論や核抑止)が重要視され、抑止の最終担保はSLBMを搭載した戦略ミサイル原子力潜水艦(SSBN)であり、制海権、具体的にはオホーツク海などが重要だと考えられた。
当時の状況を日本の視点で見ると、我が国は米ソを中心とする二極構造において、強大な核戦力を背景とする恐怖の均衡のなかで、西側陣営の極東における「封じ込め」の最前線に置かれていた(図1)。
日本の安全保障戦略は、米国との同盟による抑止戦略であり、その要は米海軍第7艦隊の前方展開による通常戦力抑止だった。米国が「懲罰的抑止」、すなわち相手国の重要な価値の破壊を担当し、日本は「拒否的抑止」の能力をつけるため、侵略軍の攻撃への阻止・排除に焦点を絞った防衛力を整備した。
ソ連封じ込めの第1正面は欧州であり、ここでは欧州軍とNATO(北大西洋条約機構)が共産圏の拡大を防いだ。極東正面では、日本、韓国とフィリピンがハブ・アンド・スポークスの同盟関係を米国と結び、それぞれの国のもつ地政学的な優位性を活かしながらソ連と対峙。なかでも日本は、極東ソ連軍の太平洋に対するアクセスを制する要衝、とりわけ相互抑止戦略のなかで非常に重要だったオホーツク海の防衛を担当することで西側戦略へ寄与したというのが、地政学的な意義だった。
冷戦末期になると、米海軍との共同作戦能力を身につけた自衛隊、とりわけ海上自衛隊の役割は、宗谷海峡、津軽海峡、対馬海峡の3海峡のコントロールに加え、米空母機動部隊の進出時・展開時の行動の自由を確保することになった(図2)。当然、米海軍の機動部隊を標的にする敵の攻撃型原子力潜水艦(SSN)や爆撃機を排除できる能力が海上自衛隊に必要とされた。
また、最終的には千島列島線を越えてオホーツク海へ進出し、ソ連軍の第2撃兵力を叩けるような能力を備えることを意味した。さらには、ソ連軍が上陸阻止のために敷設する機雷を除去するための掃海能力も要求されたのである。
冷戦後の米国の安全保障戦略:「テロとの戦い」
ソ連という強大な敵が崩壊して冷戦が終結すると、次に来るかもしれない戦争との間の「戦間期」とも言えるポスト冷戦期に突入した。1989年から2021年頃までのポスト冷戦期は、基本的に米国の力の優位が明らかな時代であったが、2008年のリーマンショックによってその優位が揺らいでいると広く認識され、多極化に移行しつつある時期でもあった。
冷戦後のジョージ・ブッシュ(シニア)政権時、全世界規模の戦争の可能性は低下したが、旧ソ連圏や共産圏の不確実性が増し、大量破壊兵器やミサイル技術の拡散が問題視され、第3世界における大量破壊兵器の存在や高性能な通常戦力の拡散による地域紛争の複雑化が新たな脅威として認識された。こうした戦略環境の変化を受けて、米国の国防政策はソ連の脅威ではなく、世界各地における地域的脅威への対処に重点が置かれるようになった。
そんな矢先、90年にイラクがクウェートに侵攻。翌年米国は多国籍軍を組織して「砂漠の嵐作戦」を開始、イラクをクウェートから追い出した。しかし当時の日本政府の対応は、イラク軍の侵攻4週間後に至り多国籍軍に対し10億ドルの財政支援を行なうというもの。この後外圧に押されて30億、90億と拠出して総額130億ドルを財政支援したが、国際社会の反応は「小切手外交」「血と汗のない貢献」と冷ややかだった。こうした評価に苦悩した日本は、湾岸戦争後の91年4月から10月までペルシャ湾に海上自衛隊の掃海艇を派遣した。
ブッシュ政権のあとを継いだクリントン政権下でも世界規模の戦争の可能性はほぼ消滅したため、軍事力をさらに削減。ほぼ同時に発生する2つの大規模地域紛争、湾岸地域と朝鮮半島に対処するための戦力を保持する2正面アプローチが基本とされた。クリントン政権後期になると、今度は”ならず者国家”による侵略、民族上の対立に基づく紛争、大量破壊兵器の拡散など、多岐にわたる安全保障上の脅威が認識されるようになったが、同政権後期でも軍事力の削減が進められた。
そして2001年9月11日、米同時多発テロが起きた。10数人のテロリストにより、わずか1時間でベトナム戦争1カ月分の戦死者3000名を上回る犠牲者が出た。これは強大な軍事力によってのみ米国と米国民の安全を確保できるという「国家安全保障神話」の崩壊でもあった。
この攻撃を受けてジョージ・W・ブッシュ(ジュニア)大統領は、「新たな戦争(New War)」と命名して「テロとの戦い」に突入していった。米国は当時、自国の価値観と国家利益を反映した〝米国流国際主義〟を広めていけば、より安全かつ良い世界が実現できるという、幻想に近い考え方に囚われていたように思える。国家安全保障戦略の目標に、「人間の尊厳」「政治体制及び経済活動の自由」と「諸外国との平和的関係」が掲げられた。主たる脅威は、国際テロリズムと地域紛争と大量破壊兵器が結びつくことだとされ、経済成長、開発援助や軍のトランスフォーメーションを進め、精緻に国際環境を構築することで目標を達成するとされた。
米国は国防上の必要からテロの未然防止と対処に戦争の概念を適用し、国際社会の安定のための「予防」としてイラクのサダム・フセイン政権を崩壊させた。しかし米国の単独行動主義に対する批判に加え、イラクが長期に及ぶ内戦に陥り、テロの温床となって地域の不安定化を引き起こしたことから、米国の指導力に各国から懸念が提起された。
米国の大戦略と「統合抑止」
ポスト冷戦期には、ソ連というユーラシアの「ハートランド」に向けられていた矢印が、90度方向を変えていわゆる「不安定の弧」に向けられることになり、米軍の存在も「テロとの戦争」のための前方拠点という位置づけに変わった(図3)。
オバマ政権が誕生する頃(2009年)には、イラク戦争も一定の落ち着きを見せ、中東では2012年には「テロは多くの脅威の1つにすぎない」ところまで脅威が低下したと見られていた。ところが2014年にイスラム国(IS)が台頭したことから、米国は「同盟国と共にISの弱体化と最終的な壊滅をめざす包括的な対テロ戦略を主導」することになった。
第2期オバマ政権になると、ロシアに対する認識に変化が生じた。2010年の段階では「安定的かつ実質的で多次元の関係を構築する」相手とされていたのが、2014年のクリミア併合を受けて15年には「侵略を阻止して代償を科すため厳しい制裁を実施する」対象に変わった。
中国に対する脅威認識もオバマ政権第1期と第2期では大きく変化した。2010年時には「米国と共に責任ある指導的役割を果たすことを歓迎する」とされていたのが、2015年には「軍備の近代化には警戒を続け東・南シナ海での領有権争いの脅しによる解決は認めない」とされる相手になった。
2016年に米国防総省が出した『米国の直面する安全保障上の課題』では、ロシアは「再台頭するパワー」として欧州正面における脅威と位置づけられ、中国は「台頭するパワー」としてアジア・太平洋正面における主たる脅威とされ、「大国間競争の再来」という言葉が使われるようになった。
トランプ政権の基本的な脅威認識はオバマ政権第2期と変わらなかったが、優先順位がより明確にされた。優先順位の1番目は、台頭する脅威である西太平洋地域の中国になり、ロシアはすでにピークを過ぎた脅威なので2番目。3番目が地域的な脅威としてのイランと北朝鮮になり、継続的な脅威としての国際テロ組織にも対処するとされた。
地政学的なアプローチとしてトランプ政権は、「ユーラシア大陸に覇権国を生じさせないこと」が米国にとっての長期的な国益だとし、最重要地域は西太平洋、最大脅威は中国と位置づけた。このアプローチはバイデン政権下の現在も続いている。
抑止論的なアプローチとしては、敵となる可能性のある国の軍事能力に着目して「拒否的抑止」によって大国間の衝突回避をめざしている。具体的には技術における優越を確保したうえでそれを作戦に組み込み、技術的な優位で抑止を図ろうと考えた。
このためトランプ政権時の『国家安全保障戦略』では、「米国の繁栄促進」が柱の1つとされ、慢性的な不公正貿易を容認せず、自由で公正、互恵的な経済関係を追求し、米国の知的財産を盗む競合勢力から基盤技術を守るとともに、研究、技術、革新分野で先頭に立つことが目標とされた。
またもう1つの柱としてトランプ政権は、「力による平和」を掲げ、宇宙やサイバーを含めて軍事力を再建し「最強の軍隊を維持する」として大軍拡に乗り出し、外交、情報、軍事、経済等あらゆる手段を駆使して国益を守る姿勢を打ち出した。
これらのコンセプトがバイデン政権ではさらに洗練され「統合抑止」と呼ばれるようになった。同政権のロイド・オースティン国防長官は、「私たちの同盟国やパートナーと足並みを揃えて、私たちの道具箱にあるすべての軍事的、非軍事的な道具を使う。統合抑止とは、既存の能力を活用し、新たな能力を構築し、それらのすべてネットワーク化された新たな方法で展開すること」と定義している。
米国は、外交、経済、金融、開発手段のアメとムチを使い、情報、諜報、法律のすべての力を行使して戦略的競争者や地域的侵略者にコストをかける戦略、政府全体としての抑止戦略をとっている。加えて同盟国とパートナー国の能力も総動員することで潜在的な敵対国のコストを法外なものにさせようと、同盟全体の「統合抑止」力を高めることで、中国やロシア、その他の悪意ある主体を抑止する戦略を進めているのである。
バイデン政権初の日米首脳会談、当時の菅義偉首相によるホワイトハウス訪問により、日本は現政権の統合抑止戦略においてアジアの最前線に立つことになった。振り返ってみれば、冷戦初期に日本に課された役割が再び形を変えて戻ってきたと言える。
超大国としての4つのアプローチ
最後に米国の大戦略についてまとめておきたい。共和党、民主党問わず米国は、唯一の超大国という立場を維持し、法支配の秩序を創出し、国際制度機関や規範をつくって自国に有利な環境をつくり、軍の優越を維持して世界への戦力投射を可能にし、経済力、とりわけドル基軸体制の維持に努め、英語やエンターテインメントなど文化面での優越を維持し、民主制度と自由貿易体制の拡大に努めてきた。
こうした目標を達成するために、どのような大戦略を採用するのか、米国内で議論があり、以下の4つのアプローチがせめぎ合っている。
1つ目は「優越」というアプローチである。これは冷戦を終結させたときに米国が得たポジションとしての優越性のことであり、最大のライバルがいない状態で、理論上は世界のあらゆる紛争に介入して解決できるような圧倒的な状態を指す。この場合米国は、地政学的な3大戦略地域である西欧、中東、東アジアの全地域に全面的に関与する。
2つ目は「選択的関与」であり、3大戦略地域でバランスよく適度に関与して紛争を抑えようとする立場である。ブッシュ・シニア政権やクリントン政権の前半はこれをめざしていた。現在のバイデン政権もこの「選択的関与」のアプローチと言えるだろう。
3つ目は「オフショア・バランシング」と呼ばれるもので、3大戦略地域から軍事力を撤退させバランスが崩れたときだけ介入するというコンセプトだ。いわゆるリアリストが好む戦略である。
最後4つ目が伝統的な「孤立主義」である。米国は世界から軍事力を完全撤退して海の守りだけ固めればよいという戦略で、この方針の信奉者は徹底して軍事費削減を求める。
さらに政策的アプローチとしては、図4にあるように「宥和」「集団的対抗」「包括的圧力」「体制変更」の4つに分類が可能だ。現時点では「中国は現状変更指向でリスク回避的、しかも地域の国家が中国に対抗する用意があり、対中連合を形成して中国を抑止可能」という前提で、対中連合を強化させ中国を穏健化させるため「集団的対抗」を進めているものと思われる。
ただ、今後中国が現状変更的でリスク許容度を高め冒険主義的な傾向を強めてきた場合、地域の国は中国になびいてしまう可能性も出てくる。とりわけ中国の成長が減速しなければその可能性は高まるため、その場合は「包括的圧力」に移行して、中国の秩序変更前に中国を弱体化させることをめざすだろう。
米国は今後、「集団的対抗」と「包括的圧力」を組み合わせた形で、中国の出方に応じてその都度使い分けていくと予想される。
日米のインテリジェンスの統合をどう進めるか
世界は再び「社会主義デジタル権威主義」対「民主主義自由経済」という形を変えた体制競争、「新冷戦」の時代に突入している。しかも、今後の「決定的な10年」は中国が冒険主義的な行動をとる可能性の高まる「デンジャー・ゾーン」になる。
この「新冷戦」は、体制競争生存を懸けて「D=外交、I=インテリジェンス、M=ミリタリー、E=経済(DIME)」をすべて動員する熾烈な勝負の時代になる。しかも冷戦期と異なり、米国は1国では体制競争を戦う余力がないため、同盟国・パートナー国に分担を求めてくるだろう。
日本は、バイデン政権の掲げる「統合抑止」戦略とシンクロナイズしたような『国家安全保障戦略』や『国家防衛戦略』をいち早く発表したが、プーチンや習近平のような独裁的な指導者への抑止は効き難いため、彼らに抵抗するためには強靭で一体的な〝拒否能力〟が必要になる。とりわけ、日米「統合抑止」の観点から遅れているのは「I=インテリジェンス」の分野である。政府内だけでなく日米のインテリジェンスの統合をどのように進めていくかが急務であろう。
また、中国になびく国々を減らすためには、いわゆる「グローバルサウス」の国々をどう民主主義陣営に取り込むかも極めて重要な課題となる。岸田政権はアフリカ外交を活発化させるなど、この点を意識した外交を進めているが、政府が一体となり官民協力を進め、またバイの場でもマルチの場でも、同盟国と歩調を合わせた息の長い取り組みが必要になる。
国際関係の基調は再び経済よりも安全保障になり、安全保障の正面はアジアになる。今後40年近くこの体制競争が続くとすれば、10年の「デンジャー・ゾーン」を超えて2060年頃までこのフェーズが続くことも想定しなくてはならない。
私たちはいままさに「国際秩序の未来を形づくる戦略的競争の真っただ中にいる」という認識をもち、目前の課題に1つひとつ取り組み、今後長期にわたる体制競争を勝ち抜く覚悟をもたなければならない。『国家安全保障戦略』にあるとおり、「我々は今、希望の世界か、困難と不信の世界のいずれかに進む分岐点にあり、そのどちらを選び取るかは、今後の我が国を含む国際社会の行動にかかっている」のである。
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掲載号Voiceのご紹介
2023年7月号 特集1:半導体戦争の最前線
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