地政学的要衝研究会
軍事だけではないNATOの価値

ゲスト報告者:吉崎知典(東京外国語大学大学院総合国際学研究院特任教授)

本稿は『Voice』2023年5月号に掲載されたものです。

地政学的要衝研究会」は、日本の対外政策や日本企業のグローバル戦略の前提となる情勢判断の質を向上し、平和と繁栄を考えるうえで不可欠の知的社会基盤を形成することをめざして、鹿島平和研究所と政策シンクタンクPHP総研が共同で組織した研究会です。第一級のゲスト報告者による発表をもとに、軍事や地理をはじめとする多角的な観点から主要な地政学的要衝に関する事例研究を行ない、その成果を広く社会に公表していきます。

ロシアによるウクライナ侵攻から1週間あまりが経った2022年3月4日。北大西洋条約機構(NATO)外相会議で演説したイェンス・ストルテンベルグNATO事務総長は、「文民への攻撃を非難する」「原子力発電所への攻撃についてもこれを許せない」「ウクライナを支援する」と発言。

同時に「NATOは紛争の当事国ではない」「NATOは防衛的な同盟である」と明言し、その後も戦争への直接的な介入を避け、とりわけロシアとの直接的な軍事衝突のリスクを抑えることに腐心した。

NATOは、「北大西洋条約第5条への関与は堅固だ」として、加盟国の防衛のための態勢強化に尽力。「第5条」とは欧州と北米における加盟国への攻撃を全加盟国への攻撃とみなす「共同防衛」について規定したもので、集団的な防衛義務を果たすという意味である。

同事務総長は、「NATOは加盟国領土のすべてのインチを保護し防衛する」と宣言し、NATO即応部隊をNATOの東翼などに初めて本格展開させた。

現状ロシアもNATOとの直接的な衝突を回避しようとする姿勢を示しており、NATO陣営の「結束」がロシアのさらなる挑発行動を抑止しているように見える。

長期化するロシア・ウクライナ戦争への対処に加え、グローバルな舞台で影響力を増す中国への脅威認識を強めるNATOは、中露との体制競争のなかでどのような取り組みを進めているのか。連載第14回は、抑止のための「戦略的コミュニケーション」にフォーカスを当てて、NATOの戦略や行動の意味を分析していきたい。

冷戦後のNATO任務の変遷

現在のNATOの取り組みを検討するにあたり、まずはロシアによるウクライナ侵攻までのNATO拡大の流れを確認してみたい。冷戦後のNATOの活動を振り返ってみると、任務の内容という点からもまた地理的に見ても、この同盟が「拡大」してきたことは一目瞭然である。

冷戦が終わった1990年代、NATOは主に「武力行使の容認決議」、つまり国連安全保障理事会の決議を経て、特定の任務のために介入する形が主流だった(表1)。ユーゴスラビア紛争への対処が主な活動だったが、5万~6万人規模の「平和執行部隊」や「平和安定化部隊」を派遣するような活動を、NATOは冷戦後の約10年間継続的に実施していた。

5万人規模の部隊を長期間維持するのは容易ではなく、結果としてNATOはより多くのパートナー国の助けや物資が必要になり、この軍事同盟は、ユーゴスラビア紛争への介入を通じて自然に拡大していった。

2001年に始まったアフガニスタンでの任務は欧州外での初の活動となり、地理的にもNATOの活動が欧州から中央アジアまで拡大した。ここでは国際治安支援部隊(ISAF)として安定化のための軍事ミッションに従事したが、最大で13万5000人、40カ国以上が参加する部隊を展開することになった。

NATOは、13万5000人の部隊を内陸のアフガニスタンで活動させるために、主にパキスタン経由で支援。そのため、同国カラチ港までの海上輸送能力やそこからアフガニスタンまでの長く危険な陸上輸送能力が必要になり、多くの国々との連携が不可欠となった。日本も海上での給油任務でISAFを支援したように、アフガニスタンで40カ国が関わる大規模な任務に関与したことは、NATOの任務や活動範囲だけでなくネットワークの拡大にも大きく寄与したと言える。

2011年のリビアでの任務は初のアフリカでの活動だった。国連安保理の武力行使容認決議に基づく空爆作戦だったが、地上部隊の派遣は含まれなかった。

こうした冷戦後のNATOの活動と比較すると、ウクライナに関しては武力行使を容認する国連安保理の決議もなく、平和維持部隊(PKO)のような任務も、空爆もなく、紛争後の関与も現時点では想定されていない。つまり、冷戦後のNATOは中国やロシアといった敵国や競争相手との本格的衝突を想定しておらず、むしろ小規模で限定的な介入が任務の中核だったが、今回は過去20数年間やってきた経験とはまったく違う形での対応を余儀なくされている。

2014年2月、ソチオリンピックが閉幕した直後に、ロシアがいわゆる「ハイブリッド戦争」でクリミア半島を併合した。ロシア西部軍管区と中央軍管区で省庁間連携と軍相互の連携強化のための「抜き打ち査察」と称して、腕章を付けずに覆面をしたいわゆる「リトル・グリーンメン」が住民保護のためクリミアの空港やテレビ局を占拠。その後、住民投票を実施してロシアへのクリミア編入を決定した。

この事態を受けてNATOは、ハイブリッド戦争をどのように抑止するのかを研究し、当時ロシアによる軍事介入に脆弱だと考えられていたラトビアやエストニア等、バルト3国の防衛態勢の強化に取り組んだ。具体的にはこれらの国々にアメリカ、イギリス、カナダやドイツの軍部隊が「トリップワイヤー」として前方展開する形をとり、これらの国々を守るシグナリング(意思表示)をしたのである。この枠組みを使ってドイツ軍は、リトアニアに戦車レオパルドⅡを前方展開させている。

こうしてNATOは2014年以降、戦略的コミュニケーションを意識しながらロシアに対する抑止の再構築を試みていたのだが、ウクライナ侵攻を抑止することはできなかった。これにはロシア側の決意や態勢、誤算もあったと思われる。

西側と同じロジックを使うロシア

次に、ロシア側の視点も確認しておきたい。これまで見てきたNATOの活動をロシア側から見ると、主に3つの論点が考えられる。1つはロシア側の「決意」の強さである。それからロシアは彼らなりの普遍主義的な論理に基づいて行動していた点も見逃せない。さらにアフガニスタンでのNATOの失敗を踏まえて、ウクライナの体制転換が容易にできるだろうと考えて決意した可能性が考えられる。

プーチン大統領の軍事介入に対する決意やウクライナに対する思い入れについては、あらためて詳細を説明する必要はないであろう。ロシアは、ベラルーシ国境地域から首都キーウに攻勢することのインパクトを考え、実際の軍事的な展開でも地理的な範囲はウクライナ全土に及んだ。航空攻撃や長射程ミサイルの使用と並行して、キーウを攻撃した背景には、アフガニスタンの首都カブールが瞬く間に陥落したことが影響していたのではないかと推察される。

2つ目にロシア流の人道的介入の論理も、今回の攻撃を正当化するロジックとして強調されていた。この背景には、冷戦後のNATOの拡大によってロシアの利益が蔑ろにされてきた歴史や、NATOが実際にユーゴスラビアやリビアで人道的介入を理由に戦争を行なってきたことが挙げられる。

プーチン大統領は、これまでNATOが軍事介入を正当化させてきたのと同じロジックを用い、ウクライナ東部ドンバス地域のロシア系住民に対する虐殺(ジェノサイド)の存在をアピール。そして、「ウクライナの非武装・中立化と非ナチ化」という言葉を使い、ソ連時代にドイツのヒトラーのナチズムに勝利して非ナチ化やドイツの武装解除を実施したときと同じ正義の戦いだ、という論理を展開した。

ロシアは実際、「文民保護(Protection of Civilian)」という言葉を使ったが、これは国連の用語でありNATOもたびたび用いてきた。その同じ言葉とロジックを利用することで、ロシアは自分たちの軍事介入を正当化できる、少なくともNATOがやったことと同じである、と主張したのである。

3つ目に「体制転換(Regime change)」も、まさに東欧の民主化やNATOの東方拡大のなかで西側が進めてきたことであり、リビアでもNATOによる軍事介入の結果、体制転換を実行した。自由主義、民主主義、人権、市場経済、法の支配といった論理を使い、NATOやEU(欧州連合)はロシアの権利を犠牲にして拡大を続けてきた。彼らに許されたことをロシアがやって何が悪いと、プーチン大統領は同じロジックの下でウクライナの体制転換を進めようとしたものと思われる。

2021年8月にアフガニスタンで、NATOの安定化作戦、平和構築の試みが悲惨な形で失敗したことで、ロシアは自分たちの立場が強くなったと考えた可能性もある。この延長線上でNATOは早々にウクライナへの不介入の姿勢を示し、とりわけ同年12月にバイデン大統領が米軍をウクライナに派遣することはないとプーチン大統領に伝えたことが、ロシアに対する「ゴーサイン」として受け止められた可能性は否定できない。

NATOやアメリカが相手方に対して誤ったメッセージを送ってしまう、戦略的コミュニケーションの失敗例であったと考えられる。

いずれにしてもロシアは、これまで欧米諸国やNATOが軍事介入を正当化する際に使ってきたロジックや用語を使うことで、彼らなりに自分たちの行動を国際的に正当化しようと努めてきた。欧米や日本のような民主主義諸国ではほとんど受け入れられないようなロジックであっても、後述するように、いわゆる「グローバルサウス」と呼ばれる途上国や新興国においては一定の効果を上げている。

これに対してNATO側はウクライナ危機後、結束して抑止の立て直しに取りかかったのだった。

戦略的コミュニケーションの立て直し

次に、ロシアによるウクライナ侵攻後のNATOの動きを見ていきたい。冒頭で述べたとおり、NATOはウクライナ危機後すぐに「加盟国の防衛」を宣言して、NATO即応部隊を初めて本格的に展開させた。

具体的にはNATOの「東翼」と呼ばれるポーランド、ルーマニアやブルガリアなどに加え、ハンガリーやスロバキアにも多国籍の戦闘部隊を展開した。ロシアと国境を接するエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国に加えて、NATOの東端の防衛態勢を強化。NATOのHPでは「NATO東翼の態勢強化:抑止と防衛」と題した地図を公表して、この取り組みをアピールした(図1)。

ロシアとウクライナの危機が最初に勃発した2014年時、NATOが最も重視していたのは北方、すなわちバルト三国とポーランドだった。今回は当初ロシアによるウクライナへの大規模侵攻作戦が行なわれたことから、ウクライナと国境を接している、もしくは近隣のスロバキア、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニアに対して部隊を常駐させることになった。

NATOはその後、この東翼の国々の上空で航空警戒作戦を実施し、脅威に直面しているNATOの東欧の同盟国の最前線を、米、英、仏、伊、デンマークなどの部隊が守っている(図2)。NATO加盟国ではないウクライナへのロシアによる侵略は抑止できなかったものの、即応部隊を迅速に展開させ、航空警戒活動を実施することで同盟国を守る姿勢を鮮明にしたのである。

またNATOは2022年10月に、「ステッドファスト・ヌーン」と名づけられた核兵器の使用を想定した定期演習を予定どおり実施した。ストルテンベルグ事務総長は「ロシアのウクライナ侵攻を理由に定期演習を中止すれば間違ったシグナルを送ることになる」と述べ、「NATOの確固たる強力な軍事力を示すことでエスカレーションを防ぐことができる」と明確に述べた。

この演習には14カ国60機が参加。NATOのHPでは、アメリカ・ルイジアナ州のバークスデール空軍基地から参加する戦略爆撃機B-52Hの写真が掲載され、そのほかにもオランダのF-35A、アメリカのF-22、F-15、F-16などが参加したことが明記されていた。

また同年6月にスペインのマドリードで開催されたNATO首脳会議では、今後10年の活動指針などをまとめた「戦略概念」が採択され、ロシアがNATOにとっての脅威だと明確に位置づけられた。さらに核戦力についても、「NATOの核戦力の基本的な目的は平和を維持し相手による強要を防止し侵略を抑止すること」と記された。

ストルテンベルグ事務総長はまた、プーチン大統領の暴走を危険で無謀と非難し、「NATOはロシアに対し、核兵器を何らかの形で使用すれば厳しい結果が伴うことも明確に伝えている」と強調した。戦略的コミュニケーションの立て直しを図り、強力なシグナリングを行なっていることがうかがわれた。

「レジリエンス支援」でウクライナをサポート

また、NATOはウクライナに対しては、自由・民主主義の価値を共有する国のパートナー支援の枠組みとして、「レジリエンス支援」という言葉を使ってサポートを続けている。

「レジリエンス支援」とは、北大西洋条約機構の規定では第3条に該当する活動で、加盟国のガバナンスを支援することで状況悪化を防ぐという考え方が根底にある。たとえば新型コロナウイルスによるパンデミックの際、加盟国であるイタリアやスペインでワクチンが不足し、加盟国間でワクチンを融通し合うという文脈のなかで、「条約第3条に基づく措置」とされた。

ウクライナでは2016年頃にすでに「レジリエンス支援」という言葉が使われていた。共同防衛ではなくパートナー支援の枠組みでの活動であり、パートナー国の能力構築とガバナンス支援、つまり、パートナー国を見捨てないというメッセージであり、そのための活動だと言える。

レジリエンス支援の項目のトップに据えられているのが「リーダーシップ」、つまりリーダーが国を守る気概をもっており、それを支えるという点にある。ウクライナではまさにゼレンスキー大統領がリーダーシップを発揮しているが、同大統領を支えることこそ、レジリエンス支援の筆頭の活動だと位置づけられている。

ほかにもエネルギーや物資の供給、さらに死者が発生した際に埋葬や葬儀を支援し、死傷者の管理を的確にできるような能力を支援することもガバナンス維持のために必要だとされている。また、補給、ロジスティックス支援、とくに通信網と輸送網をどんな状況であっても保持するための支援が含まれるが、これらも実際にNATOがウクライナに対して行なっている支援である。

ただ、NATOはウクライナに戦車を供与する決定を下すまでに10カ月あまりの時間を要しており、その決定の遅さに対する批判もメディアで多く見受けられる。政治的アジェンダとして攻撃的兵器の供与は極めてセンシティブな問題であり、決定にはどうしても時間がかかってしまう。

戦略的コミュニケーションは、抑止効果を高めるためのシグナリングだが、それが扇動・挑発になるリスクはつねにある。戦略的コミュニケーションとは、受け手がどのように捉えるかによって、抑止ではなく過剰な反応を引き起こす可能性もあるからだ。

第二次世界大戦前に欧米列強は、日本に対する抑止のために同国に経済制裁を科し、その資産を凍結して満洲から撤退するように圧力をかけた。こうした戦略的コミュニケーションは、日本側からは挑発行動と受け止められ、「これ以上状況が悪化する前に軍事的に行動したほうが得策」という考えに追い込み、真珠湾攻撃につながったとされる。

危機に際して、こちら側の意図は必ずしもそのとおりに相手側に伝わるとは限らない。こうした戦略的コミュニケーション上の失敗を懸念して、NATOはウクライナに対する攻撃的兵器の供与については、極度に慎重に進めざるをえないのだと思われる。

インド太平洋安保、中露への警戒感

ここで、NATOの戦略的方向性がインド太平洋の安全保障にもたらすインプリケーション(含意)について考えてみたい。NATOは2019年頃から中露との「体制競争(systemic competition)」という言葉を用いて、ロシアだけでなく中国に対する脅威認識を強めている。20年11月に発表された報告書『NATO 2030』では、中国がNATOに対して「強制力(coercion)を行使することのないように備える」と書かれている。

「集団防衛・軍事的即応性・強靭性に影響を及ぼす中国の活動を監視する防衛的な措置」の必要性や、「同盟の中核部分や供給網での脆弱性の把握」といった言葉が並び、そのためにNATOとして「中国関連の情報を共有する必要がある」と記されている。

防御的な内容や守りの姿勢が目立っているが、これは中国によるサイバー攻撃や情報操作といった脅威を念頭に置いており、そうした攻撃に対する強靭性、すなわちレジリエンスを向上させることが必要だと認識されているからであろう。

NATOは長らく、ソ連やロシアの脅威を念頭に置いており、中国についての脅威認識をもち始めたのは2016年頃からである。アメリカはもっと以前から中国に対する警戒感をもっていたが、欧州諸国の間で中国の「債務の罠」のような具体的な脅威に対する認識が強まったのは、中国の経済的な影響力がスペインやギリシャで顕著になり始めた2016~17年以降のことだ。戦略文書などで中国に対する脅威認識が表面化したのは2019年になってからのことである。

欧州諸国の間では現在、中国が人工知能(AI)などの次世代技術や5G(第5世代移動通信システム)などデジタル・インフラなどの分野で世界をリードし、IT技術など情報通信を通じて浸透してくることへの警戒感、”見えざる脅威”に対する恐怖心が強くなっている。そこで情報通信技術(ICT)分野における規制強化への関心はますます高まっている。

NATO諸国は、中国の「軍民融合」という考え方にも警戒心を強めており、中国を「体制上の挑戦(Systemic challenge)」と呼び、深刻なチャレンジだと位置づけている。

こうしたなかでも2023年1月末にストルテンベルグ事務総長が訪日し、ロシアによるウクライナ侵攻をめぐる対応や「自由で開かれたインド太平洋」の実現をはじめとする、法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序の維持・強化に向けた連携等について、日本政府と意見交換を行なったのは重要であろう。同事務総長が積極的にアジアに足を運んでいる事実が、中国に対する戦略的メッセージになりうるからである。

欧米諸国とは異なる日本独自の貢献

最後に、日本がNATOとの関わりにおいてどのような役割を果たすことができるのかについて考えてみたい。前述したNATOの報告書『NATO 2030』では、重要なキーワードとして、「Adaptation」、つまり「戦略環境の変化に対する適合」という概念が打ち出され、戦略環境の変化に適合できる同盟こそ成功する同盟であると謳われている。

現在アメリカは、欧州正面でのロシアの脅威とインド太平洋正面の中国の脅威という2つの正面での対応を余儀なくされているが、NATOの圧倒的多数の欧州諸国は、基本的に欧州のことだけで手一杯の状態である。

一方の正面における「抑止の信頼性の低下」が別の正面における「信頼性の動揺」を招き、結果として「域外問題」が拡大抑止の信頼性を左右することにつながる。この観点から、台湾有事などアジアでの安全保障問題にアメリカが適切に対応できなければ、欧州正面での抑止の信頼性も揺らぐことに対するNATO加盟国の認識を高める必要がある。

この点で日本は、インド太平洋における「レジリエンス支援」というキーワードを使い、NATOへの戦略的コミュニケーションを活発化させることが効果的である。日本人はもともと相手にどのように思われるかを過剰なほど意識する国民性をもっていると言われ、相手の認知を考慮したシグナリングにおいては他国より抜きん出ていると考えられる。

すでに日本政府が考案した「インド太平洋」という概念が欧州でも当たり前のように使われており、これは日本のアジェンダ設定能力の高さを示している。「レジリエンス支援」という概念はNATOがウクライナに対して使っていることもあり、台湾有事においても軍事的、攻撃的なトーンを抑えながら、国際的な正統性をもって関与し、「ウクライナも台湾も同列だ」という認知を広めて欧州諸国を巻き込むキーワードになりうる。

また、国内的にも「力による現状変更に反対する」と言うよりもむしろ、「レジリエンス支援」といったキーワードを巧みに使うことで、台湾支援に対する支持・賛同が得やすくなると考えられる。

さらにロシア・ウクライナ戦争以降、欧州の人道支援やNGO(非政府組織)の活動がアフリカなどの支援から撤退し、ウクライナ支援にシフトした結果、アフリカやいわゆる「グローバルサウス」における中国やロシアの存在感が高まっている現状にも目を向ける必要があるだろう。

欧米のNGOは、「ウクライナ支援」に対してであれば寄付金を集めやすく活動がしやすいため、そうした市場原理も働いてアフリカやグローバルサウスにおける欧米諸国の官民のプレゼンスが低下した。その空白を中国やロシアが埋めていることから、ますますグローバルサウスの国々が中露に親近感をもつ悪循環が起きている。

ロシアは欧米と同じロジックを狡猾に使って自国の行動を正当化しているが、こうした戦略的コミュニケーションに対しても、欧米諸国とは異なる形で地道な支援の取り組みを続けてきた日本だからこそ対抗できる余地がある。

インド太平洋におけるアメリカの抑止の信頼性を担保するために、アフリカで戦略的コミュニケーションを展開する、こうした複眼的な発想がいま日本に求められている。

※無断転載禁止

吉崎知典(東京外国語大学大学院総合国際学研究院特任教授)
ゲスト報告者
吉崎知典(東京外国語大学大学院総合国際学研究院特任教授)

地政学的要衝研究会メンバー

大澤 淳
(中曽根康弘世界平和研究所主任研究員、鹿島平和研究所理事)

折木 良一
(第3代統合幕僚長)

金子 将史
(PHP総研代表・研究主幹)

菅原 出
(グローバルリスク・アドバイザリー代表、PHP総研特任フェロー)

髙見澤 將林
(東京大学公共政策大学院客員教授、元国家安全保障局次長)

平泉 信之
(鹿島平和研究所会長)

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2023年5月号 特集1:逆襲の日本経済

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