WHOは保健協力の世界政府ではない

詫摩 佳代(東京都立大学法学政治学研究科教授)

本稿は『Voice』2020年6月号に掲載されたものです。

世界保健機関への拠出金停止を発表するなど、自国の状況回復優先で指導力が低下する米国。新型コロナの終息には国際連携が不可欠だ

WHOへの拠出金を停止した米国

国境を越える感染症には、国境を越える対応が不可欠である。しかし新型コロナウイルスを巡っては、国家ごとの対応や国家間対立が目立ち、また世界保健機関(WHO)への批判が相次いでいる。従来、感染症への対応においてリーダーシップを発揮してきたアメリカは、中国との対立姿勢をむき出しにし、イランへの制裁を継続している。トランプ米大統領はWHOが「あまりにも政治的で、中国寄りである」と批判、当機関への拠出金を停止すると発表した。G7外相会合や国連安全保障理事会も、米中の対立を反映して、共同声明や決議を採択できない状況が続いている。

本稿では、感染症をめぐる保健協力の現状と展望について、過去の経験を踏まえつつ、また現状の国際政治を読み解きつつ考察していきたい。そもそも感染症をめぐる保健協力とはどのような仕組みなのか、国際政治はそこにどのように関わってきたのか、新型コロナウイルスをめぐっては何が問題なのか、今後、どのように終息に導いていけばよいのか、日本はどのように関わっていくべきなのか。このような問いを読み解いていきたい。

妥協の産物として生み出されたWHO

感染症をめぐる国際協力の始まりは19世紀に遡る。ヨーロッパ各都市でコレラが大流行するなか、各国内で感染者を隔離し、公衆衛生設備を整備したが、流行を食い止めるには不十分であった。越境する感染症に対して、近隣諸国がそれぞれの国内情報を共有し、入国する人や船に対して、共通の検疫制度を確立して初めて有効に対処できる。また、各国の情報を集約・分配する組織の必要性も認識された。こうして1851年以降、ヨーロッパ各国のあいだで国際衛生会議が開催され、1903年に成立した史上初の国際衛生協定では、特定の感染症(コレラとペスト、1912年に黄熱病が付け加わる)に関する通知義務や検疫法などが定められた。

その後、国際連盟のもとで感染症情報を集約・分配する組織も設立され、協力体制は発展した。第二次世界大戦中も感染症の抑制が戦略上重要であるとして、連合国を中心に国際衛生協定が運用された。1945年国連憲章起草のためのサンフランシスコ会議が開催されると、戦前ならびに戦時中の保健協力が評価され、国連憲章55条b項に、国連が促進すべき分野の一つとして「保健」が含まれた。こののち英米の主導のもと、国際保健協力の母体として設立されたのがWHOである。

ただしWHO設立に際しては、米ソを含む多くの国が、当機関が強い権限を有し、幅広い事業を手がけるという案に難色を示した。自国の裁量が制限されることを恐れたからだ。「保健協力を統括する国際組織は必要だが、主権国家としての裁量は狭められたくない」。このような思いの妥協の産物として生み出されたのがWHOである。

結局WHOとは、保健協力に関する世界政府なるものではない。保健協力の情報塔として機能しつつ、各国に必要な指針を与え、連携を促し、必要な支援を調整する組織である。いずれの機能も強制力をもつものではなく、加盟国の自発的な協力があって初めて円滑に機能しうる。このようなWHOの限界は国際政治の特質を反映したものであり、設立当初から埋め込まれたものなのである。

新型インフルエンザ時の国際連携

加盟国の協力があって初めて有効に機能するという特質は皮肉にも、米ソという二大覇権国が存在していた冷戦期に活かされることとなった。1950年代にマラリア根絶事業を主導していたアメリカに対抗して、ソ連が天然痘根絶事業を提案した。1960年代にはアメリカが、ベトナム戦争で失墜した国際的信頼を回復すべく、天然痘根絶事業に意欲を見せる。結果的に米ソを中心とする各国からワクチンと資金が提供され、WHOのもとで根絶キャンペーンが展開された。ポリオに関しても米ソの協力のもと、安価で手軽な経口生ポリオワクチンが開発され、その抑制に大きく貢献した。

米ソは政治的に対立しつつも、各陣営内で感染症を抑制し、影響力を拡大するという、いわば共通の目的を有していたために、結果的に感染症を巡って協力することとなったのだ。天然痘根絶とポリオの抑制は幸運にも、米ソのリーダーシップに支えられて成し遂げられたものであった。

その後も現在に至るまで、たびたび感染症の流行は見られてきたが、対処の様相には個々のウイルスの特性に加え、その時々の国際政治状況が大きく反映される。そのため、単純に過去の事例を頼れるわけではないが、それでも、ある一つの教訓が導き出せる。感染症の流行を終息させるには、前述の天然痘根絶のように、国際社会の連携が必要だということだ。

最近、感染抑制に比較的成功した事例は、2009年の新型(H1N1)インフルエンザであろう。アメリカで人から人への感染が確認されたのが2009年4月15日、アメリカは状況を即座にWHOに報告し、その10日後の4月25日にWHOは「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言した。前日の4月24日には、アメリカはウイルスの遺伝子配列を国際的なインフルエンザ・データベースに公開、それに基づきワクチンの研究開発が進められた。6月11日、WHOはパンデミック(世界的大流行)を宣言、9月15日には米国内でワクチンが承認、同年秋以降ワクチンの接種が行なわれた。

結果的に2009年春からの1年間、アメリカでは約6000万人が感染、約1万2000人の死者を出したが、これは季節性インフルエンザとあまり変わらないとしてWHOの「過剰反応」が批判される一幕もあった。しかし保健協力の目的が感染の広がりを抑え、治療やワクチンの開発を進めて死者を最小限に抑えることだとすれば、WHOとアメリカの緊密な連携のもと、うまく対処された事例であったといえる。

2014年、西アフリカでのエボラ出血熱の大流行は、WHOのキャパシティを超える様相を呈した。そのような状況下で、アメリカのリーダーシップに刺激された各国の連携が際立った。2014年9月、当時のオバマ米大統領は「エボラ出血熱の流行は、世界の安全保障上の脅威」をもたらしうるとして、3000人の軍展開を含む支援拡大を表明、派遣された人員は現地で治療施設の整備や患者の対応に当たった。フランス、中国、イギリスなどもアメリカに続き、財政支援や人員派遣を行なった。9月25日には各国の首脳らが集い、国連でハイレベル会合が開催、エボラ出血熱はアフリカだけにとどまらない国際社会の平和と安全に関する問題だとして、国連エボラ緊急対応ミッションが設立された。当ミッションは当時リベリアで展開されていたPKO(国連平和維持活動)とも連携、感染症対応における連携の重要性を印象付けた。

問題はWHOではなく、国際社会の機能不全

以上のようなケースとは対照的に、国際社会の連携並びに大国のリーダーシップが欠如しているのが今回の新型コロナウイルスである。国内で人から人への感染が確認されると速やかにWHOに報告した2009年のアメリカとは対照的に、10年後の中国は2019年11月ごろから感染を把握していたにもかかわらず、同年末にようやくWHOに報告した。問題の武漢の海鮮市場は中国当局によって封鎖され、感染源や感染経路もまだ不明な部分が多い。

また、公衆衛生上の緊急事態の宣言がなされたあとでも、WHOが勧告するサーベイランス(調査監視)等の基本的な対策を実施していない国もあった。世界規模の公衆衛生上・安全保障上・経済上の危機であるにもかかわらず、首脳会合はなかなか開催されず、G7外相会合が開催されたのは3月末であった。EU(欧州連合)も加盟国の難局に対して有効な対応ができず、中国とロシアはその隙をつくかのように欧州各国に支援を展開している。

中国の初動の遅れが世界的な感染拡大を招いたことは誰の目にも明らかであった。このような中国に対して、WHOは協力の姿勢を貫いた。感染症の抑制には発生国との緊密な連携が必要である。2003年SARSの際、対応の遅れと情報隠蔽という問題を露呈した中国に対して、WHOは二の舞とならないよう、友好的な姿勢でもってコミュニケーションを図ろうとした。そのようなWHOの姿勢は、高まる中国批判や米中対立と絡まり合い、熾烈な批判を浴びることとなった。

WHOと加盟国の関係はいってみれば、車とガソリンの関係に似ている。WHOという車が存在しても、加盟国の協力というガソリンが注入されなければ走ることはできない。2003年SARSのときも、2009年新型インフルエンザのときも、そして今回の新型コロナも、WHOは発生国から報告された情報に基づき、状況を判断し、然るべき勧告を出すというまったく同じ仕事をしているにすぎない。

ただし今回は、そのようなきわめて粛々とした働きが、中国の動きと一括りにされ、WHOを感染の抑制に活用しようという加盟国の政治的意図が欠如していた。その結果、当該組織は「無能な組織」に成り下がるしかなかったのである。WHOに代わる新しい組織をつくろうとか、組織の改革を推す声があるが、いずれの提案も「感染抑制のために組織をうまく活用しよう」「活用できるように能力を高めよう」という加盟国の政治的意図が伴わなければ、うまくいくはずがない。現在われわれが直面するのは、WHOという組織の問題ではなく、それを動かすはずの国際社会の機能不全ともいえる状況なのである。

中国への敵対心と絡み合うWHO批判

WHOへの批判が高まるなかで、最も懸念されるべきはアメリカの態度であろう。トランプ大統領がWHOへの拠出金の停止を発表した背景には、政治的に対立する中国への批判の意図と、世論による政権批判をかわす二つの狙いが、WHO批判と結び付いているという事情がある。過去にもアメリカはパレスチナのWHO参加やWHOが発表した医薬品リスト等に抗議する目的で、拠出金の支払い停止をちらつかせては当機関に圧力をかけてきた。アメリカの常套手段とはいえ、WHOは過去にそうであったように、最大の拠出金負担国アメリカに対して何らかの譲歩を余儀なくされるだろう。その譲歩がどのようなものになるかは注視が必要だが、仮に感染症協力の情報塔であり、多国間フォーラムである組織の息の根を止めることになれば、必ずやアメリカそして世界の困難・苦悩として身に降りかかってくる。

先述のとおり、アメリカのWHO批判は、当機関と良好な関係にある中国への敵対心と深く絡み合っている。2003年に流行したSARSは今回と同じく中国発の新興ウイルス感染症であったが、アメリカは中国に専門家を派遣するなど、米中の緊密な連携が見られた。他方、今回は冷え込む米中関係を反映して、アメリカの専門家派遣の申し出が、中国に受け入れられることはなかった。3月末に開催されたG7外相会合でも、4月初旬に開催された国連安保理の会合でも、アメリカが「武漢ウイルス」という呼称にこだわった結果、いずれも共同声明並びに決議を採択するに至らなかった。ギクシャクする米中関係とは対照的に、アメリカと台湾は医療支援や外交支援等をめぐり接近するなど、米中対立は二国間関係に止まらず、米台、中台関係を含む幅広い国際関係に影響を及ぼしつつある。

国際連携よりほかに道はない

アメリカがリーダーシップを発揮できないなか、主導力を発揮しようと意欲を見せるのが中国である。中国はヨーロッパや中東の国々に対していわゆる「マスク外交」を展開しているが、アメリカに代わりうるような主導力を発揮できるかは未知数である。実際、「マスク外交」に隠された政治的野心を警戒する声も根強く、また提供物資の品質に問題があることもたびたび指摘されている。保健協力において主導力を発揮するには、当該国に対する他国の信頼が不可欠であり、「マスク外交」が中国の主導力に結び付くか否かは予断を許さない。

リーダーシップや連携が欠如するなかで、われわれはどのようにして新型コロナウイルスを終息へと導けばよいのだろうか。国家ごとに分断された対応を続ければ、たとえ自国内で感染を抑えられたとしても、他地域での感染が再び自国に第二、第三の波をもたらす可能性は高い。WHOを機能させようという政治的意図が欠如したままであれば、当組織の下で展開されてきた国際的なワクチン等医薬品の共同開発や供給の調整等にも支障が出るだろう。流行の終息には長い時間がかかり、その間に世界経済は疲弊してしまう。世界大恐慌が世界大戦を招いたように、国際社会が最悪のシナリオに向かう可能性も否定できない。

これを避けるためには、国家間連携よりほかに道はない。戦後、長い時間をかけて、国際社会では国家間の経済的・社会的相互依存を深めてきたが、その過程で築かれた枠組みが、危機への対処にあたって機能することを願うばかりである。対立が深まる米中関係についても、相互依存関係はすでに両国の経済・社会基盤に埋め込まれており、相手への敵対心と、感染症の終息と経済の回復において相手国と協力せねばならない必要性に、どこかで折り合いをつけねばならないだろう。結局、歴史が証明するように、国境を越える感染症を終息させ、世界経済を回復するには互いに情報や経験を共有し合い、ワクチン等医薬品の開発に力を合わせ、自国のみならず世界の感染を終息させるよう連携するしかないのだ。

リベラルな国際秩序の担い手たる日本

いまや世界一の新型コロナ感染者数を抱えるアメリカは当面のあいだ、自国の状況回復に精一杯で、そのリーダーシップを期待することはできない。しかしそれを以て悲観するのは早い。世界には200近くの国が存在する。アジアには比較的状況が芳しい国も存在する。それらの国が連携して、世界的な流行の終息においても、また世界経済の回復においても尽力することができるなら、大国のリーダーシップに勝るとも劣らない力になりうる。

その際、日本は大きな潜在力を秘めている。戦前、国際協調から外れることを選び、辛酸を嘗めた日本は、戦後のリベラルな国際秩序の担い手として重要な役割を果たしてきた。国際協調の趨勢が遠のきつつある現在においても、感染の抑制や医薬品の開発等において、国際機関や他国との連携姿勢を維持している。3月下旬以降、日中韓外相会合や日中韓ASEAN首脳会合に参加し、各国と共に事態の収束に向けて、また治療薬の早期開発等に関しても緊密に連携していくことを確認した。4月16日に開催されたG7首脳会合でも独仏らの首脳と共に、新型コロナウイルスへの対応には国際連携が欠かせないこと、WHOを全面的に支持する方向性を確認した。

これらの国々が中心となって、コロナの終息や治療法・ワクチンの開発、途上国への支援を継続・強化するならば、アメリカ不在の埋め合わせをすることは十分可能であろう。その連携はコロナ終息という短期的な目標に対してのみならず、WHOの機能を改善し、各国の感染症対応能力を向上させ、アメリカを国際協調に復帰させ、次なるパンデミックに備えるという中・長期的な目標においても不可欠なものとなろう。日本にはその資金力と高い技術力、国民皆保険を成し遂げた経験を活かして、コロナの終息のみならず、その後に控える中・長期的な目標に対しても、各国との連携を保ちつつ役割を果たしていくことが求められる。国際社会の責任ある一員としての手腕がいま、問われている。

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詫摩 佳代(東京都立大学法学政治学研究科教授)
詫摩 佳代(東京都立大学法学政治学研究科教授)
1981年生まれ。2005年、東京大学法学部卒業。10年、同大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。同大学東洋文化研究所助教、関西外国語大学外国語学部専任講師などを経て、15年より首都大学東京法学部政治学研究科准教授、20年より現職。著書に『人類と病』(中公新書)、『国際政治のなかの国際保健事業』(ミネルヴァ書房)、『新しい地政学』(共著、東洋経済新報社)など。

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