経済を考える力をいかに身に付けるか

川本明(慶應義塾大学特任教授)×矢尾板俊平(淑徳大学准教授)×永久寿夫(政策シンクタンクPHP総研代表)

 民主主義の世の中では、当然のことながら、国民の選択が国の方向性を左右する。だが、我われ国民は、その判断のためのツールを十分に使いこなしているだろうか。川本明氏(慶應義塾大学特任教授)と矢尾板俊平氏(淑徳大学准教授)はそうした問題意識をもち、ある日、政策シンクタンクPHP総研に訪ねてこられた。それによって立ち上げられたのが経済リテラシー研究会。ほぼ1年の活動の後、成果の一つとして、小林慶一郎氏(慶應義塾大学教授)、中里透氏(上智大学准教授)、野坂美穂氏(中央大学大学院助教)とともに発刊したのが『世の中の見え方がガラッと変わる経済学入門』(PHP研究所)である。今回は、主権者である国民が民主主義のためにどのような力を身に付けるべきか、川本、矢尾板、両氏と話し合った。

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川本明氏(慶應義塾大学特任教授)

1.経済政策は短期的・中長期的視点で評価する

永久 今年は参議院選挙があります。論点はたくさんあると思いますが、中心になるのは、やはり経済でしょう。端的に言えば、アベノミクスをどう評価するかということです。そのときに我われは、どのような視点から評価をすればよいのか。今日はそのあたりから話を進めていきたいと思います。

川本 どの世論調査においても、経済は現在の日本国民の最大関心事で、明るい将来をつくっていくには、経済の改善が欠かせないという点では異論は見られません。ですが、経済政策を評価するとなると、メディアから伝わる専門家の意見は賛否さまざまなので、戸惑ってしまうことが多いのではないでしょうか。

永久 実際、「アベノミクスは失敗だった」という人もいれば、「いやいや、成功しているじゃないか」という人もいる。一方を聞いたら、ああ、そのとおりだと思うし、もう一方の話を聞いたら、またそのとおりだと思ってしまう。

矢尾板 難しい問題ですが、短期的にとらえる一方で、中長期的な視点をもつことが重要です。我われは、この数カ月の生活感を基準にかなり短期的な評価をしがちですが、数年間たってようやく効果があらわれる政策もあります。その意味では、アベノミクスを評価するのはまだちょっと早いのかなという印象です。

永久 個人的には、経済学部の出身ではないこともあってか、何を短期的に見て、何を中長期的に見るべきか、ということすら心許ないのが正直なところです。

川本 大学で経済学を専門に学ぶ人は一握りです。高校時代に「政治経済」という科目でみな少し学ぶのですが、受験勉強の弊害があるようで、知識偏重というか、結局、経済を見る「眼」が養われないというのが実態ではないでしょうか。

矢尾板 高校までの教育では、一つの答えを出すことに力点を置いた勉強をしますね。しかし世の中に出ると、答えがいくつもあるなかで、よりよいものを選んでいくことが求められます。そのための訓練が、高校でも大学でもあまりなされていないのが、戦後教育の特徴かもしれません。

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2.経済を考える「ツール」を提供したい

永久 自分で課題を設定して、その解決にみずからチャレンジしていくことが、社会では求められますね。高校の話は出ましたが、大学ではそうした力が培われているのでしょうか。お二人とも大学の現場で教えられているわけですが、実態はどうですか。

川本 専門性を追求して立派な業績を上げている先生や、そうした方々の著作もたくさんありますが、社会に入ってから求められる「考える力」を育むといった観点は軽視されてきたかもしれません。たしかにその道を極めることは重要ですが、学生たちの「考える力」を育むことを軽視してはならないし、そのためには経済学を考えるための「ツール」として捉えなければならないと思っています。経済学は世界共通の知的なツールですから、それを使って学生が相互に自分の考え方を説明し、お互いの違いを認め合い、理解を深め合うことが重要です。

永久 今回、お二人の企画で『世の中の見え方がガラッと変わる経済学入門』という本を出版されました。その狙いは、そのツールをより使いやすいものにしたいというところにありましたね。

矢尾板 そうですね、やはり現実社会を見る上で、しっかりとした思考方法を身に付けることが重要です。それには分かりやすい経済「学」の「教科書」が必要だと思ったんです。

川本 これまでの経済学の教科書は概して専門性が強過ぎてハードルが高い。万人向きではない。一方、世の中にたくさん出ている経済に関する書物は、わかりやすく書いてはあるけれども、一貫した理論にのっとって書かれているかというと、そうでもない。そのギャップを埋めたいというのが動機ですね。

永久 たしかにこの本は大学で使われている教科書に比べたら、とてもとっつきやすいですね。大学に入ったらまずはこれを読んで、そのあとにいささか難しい式も書いてあるような本に取り組むのがいいのではないかと思いました。とはいえ、これでもまだ難しいと思うんですね。もう少し若いというか、子供のときから自然と経済を見る眼を養っていけるようなものも必要だと思いました。

矢尾板 そう思います。例えば、子供のころから買い物はしているし、「ごっこ」遊びで売り手を体験することもあります。そうした体験と経済の動きを結びつけるような本もあってもいいと思います。やはり自分自身体験に基づきながら当事者にならないと経済を実感するのは難しいですから。

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矢尾板俊平氏(淑徳大学准教授)

3.大学は変革を迫られている

永久 我われは経験からくる直感みたいなもので経済現象を理解している部分が大きいような気がします。ですが、それでは視野が狭くなる。経験から学んだものを普遍化する訓練がなされず、理論はまた別のところにある、そういう印象です。そのギャップを埋めていくことが大事なのではないかと思います。それには本だけではなく、教育のあり方全般を考えなければいけませんね。

川本 本当にそのとおりです。投資教育家の岡本和久さんがブタの貯金箱を使って子供たちにお金に関する教育をされていますね。お金を使ったり貯えたりする意義が子供のころから分かるようになる内容です。

矢尾板 教育再生実行会議や文科省では高校を対象にアクティブラーニング(ディスカッションなどを通じた能動的な学習)を進めていこうという話が出ていますが、高校側としては「でも、大学受験が変わらない限りは無理だよね」という感覚があると思います。ですから、大学の入試改革の議論も進んできています。日本の大学は入学は難しいのですが、卒業はそれほどでもない。アメリカなんかでは逆です。高校と大学の接続を工夫していく必要があるように思います。

永久 それはけっこう昔からある議論ですね。ヨーロッパの国々の多くではそもそも日本のような受験という仕組みがないとか。アメリカでも、学部に入る時にはSAT(大学能力評価試験)でしたか、それと高校時代の成績と自分をアピールするエッセイの提出で入学が決まりますね。日本の仕組みもそれに倣ってきたような感じがしますが、どうも受験勉強の厳しさは変わらない。

川本 産業として教育をとらえ、「サービスプロバイダー」としての学校がそういう体制をつくっていかないと難しいですね。

矢尾板 これからは18歳人口が減少してきます。そうなると大学としても、学生の取り合いになるわけで、教育改革を迫られています。4年間の中で、進路である産業界や社会から正当に評価される学生をつくっていかなければならない。日本の大学は、本気で変わらざるを得ない状況にあります。

永久 その時に、偏差値を高めようといった競争ではなくて、世の中に出る時にすぐに役立つような教育、問題を見極めそれを解決する力が身につくような教育に努めるべきではないかと思いますが、どうでしょうか。

川本 文部科学省も多分そう考えていると思います。経済学の基礎を学ぶということは、まさに経済を見るツールを身に付けることであり、社会に入ったら大いに役立つと思うんです。経済学部にかぎらず、別の学部の学生にもきっちりとそのあたりを学んでほしいですね。

永久 別の言い方をすると、現在の大学ではそういう教育があまり熱心になされていないということですよね。

川本 大学で社会的な価値をきちんとつくっていかないと、ある年代の人が、ある一定の期間を通過するだけの場所になってしまう。教室があって、先生だっているわけですから、ちょっと教え方を変えればいいんです。若者の人口は減っていきますが、お年寄りだって学びたいという人は少なくない。そう考えると、大学のような知的なインフラはむしろ成長産業だと思いますね。

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永久寿夫(政策シンクタンクPHP総研代表)

4.18歳選挙権で何が変わるのか

永久 ところで、選挙権年齢が18歳以上になりました。社会保障でいうと高齢者の人口比が大きいので彼らの利益が過大に守られている、18歳から選挙に行けるとなるとこのバランスも変わるのではないか、と言われています。ですが、新しく参政権を得た若者は有権者全体の2%でしかなくて、影響はあまりないような気もします。
 それよりむしろ、経済学というきちんとしたツールを使って状況を分析すると、年配の人たちにこそ、自分たちの利益を守っていくだけでは世の中が回らなくなることが分かるようになる。そして、回らせるにはどうしたらよいか、これからの自分の将来設計や社会のあり方も考えられるようになる。そういった意味で、ツールを身に付けることの意義は非常に大きいと思います。

矢尾板 私のゼミの学生が去年の秋に16歳から29歳の約1000人を対象にアンケート調査を行いました。すると大体70%の人から、社会に対する疑問や理不尽さを感じているという答えが出てきました。ですが、それを訴える手段をもっていないんですね。投票にも行かない。何で投票へ行かないのかというと、一番多いのは「自分が一票入れてもしようがない」という回答です。ですから、18歳選挙権といっても、実際の投票行動にはなかなか結びつかないだろうと思います。
 では、どうするか。教育を通じて「未来を主体的に選択する力を身につける」ようにすることが大事なのではないでしょうか。たとえ彼らの投票が過半数に届かなくても、投票率が高くなれば、やはり無視はできないと思うんですね。

永久 それはおっしゃるとおりですが、ものが冷静に見えるようになったら余計に動かないかもしれない。選挙に行くことは、自分の持つ一票の影響力を考えたら、数学的に「非合理」なわけです。むしろ、なにかに対する情熱や強い危機感が人を政治的に動かすほうが多い。それが結果的に思わぬことにつながることもある。考えるツールを獲得し、それをもって自分の利益も踏まえながら全体最適も考えるといった良識的な判断をし、政治的なアクションにまでつなげていくのは大仕事ですね。

川本 確かに政治にはそういう側面がありますね。とりわけ、現在のアメリカの大統領予備選挙を見ているとそう思います。最終的には良識に基づく結果に至ることを期待するわけですが、その前段階で極端に走るといった、予期せぬことが起きるかもしれない。我われの願いは、そういう良識的な中間層が政治参加する場合に、良識的な判断をするための共通のツールを提供できたらというところにあります。

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5.「熱い情熱」と「冷静な判断力」をもつ

矢尾板 「熱い情熱」と「冷静な判断力」をもつことが大事ですね。いま学生たちと、政府の出しているデータについて議論をする教材を作っています。こうした教材を使って学ぶことで、「もっと深く知りたいな」とか、「自分たちの議論をもっと客観的にとらえ直してみたい」という欲求が出てくると思いますね。その時に重要になるのが、この本が提供しようとしている、状況を冷静に判断するツールですね。こうしたツールを身に付けると、「熱い情熱」と「冷静な判断力」をもった成熟した有権者になっていけるのではないかと思います。

永久 それは少し理想論かもしれませんね。こうした本を手に取る人は最初から冷静な判断をしたいという意識をもっているのだと思います。逆に言うと、政治的な情熱をもっている人たちは、ツールを用いた分析結果よりも、自分の主義信条に基づいて投票行動をする傾向があるのではないでしょうか。

川本 政治的な情熱をもつ人は人口全体からするとそんなに多くはないと思います。常識的に判断したいという人たちが大多数なんだけれども、その人たちの政治参画がまさに阻害される状況があって、そういう人たちにとってはやはり知的な武器というか、ツールが必要なのだと思います。また、政治のほうも、議論を極端化するのではなく、相互の立場を認め合うことが重要ですよね。つまり、議論のための共通言語が欲しいということですね。

永久 おっしゃるとおりです。その意味からしたら、経済学にかぎらず、安全保障や社会保障など、さまざまな分野で同様のツールを提供する必要がありますね。まぁ、いろいろ教科書があるわけですが、それを教育機関で分かりやすくきっちりと教えていただきたい。

矢尾板 「合理的無知」という問題もあると思います。知るためには時間や労力が必要だから、まあいいやとなるわけです。最初に誰が言ったか分からないですが、「経済学学」という言葉があって、経済の現実を語るより、どうしてもモデルの世界の中だけで語ることを重視してしまう傾向があります。そうなると、少し関心があって、ちょっと勉強してみようかなという人がいても、本を手に取った瞬間に読むのが嫌になる。値段も高いし。だから、学ぶことを合理的な判断でやめる。

川本 だから、ハードルを下げなければいけない。

矢尾板 そうです。世にある多くの『経済学入門』という本の中身は『経済学学入門』になっている。だから、現状を自分の頭で理解するためのツールを提供する、本来の『経済学入門』の本が必要になるということです。

永久 ツールを提供する対象は何も大学生にかぎる必要はありませんし、媒体は本である必要もないですね。弊社の近くに「キッザニア東京」という「楽しみながら社会のしくみを学ぶことができる」という子供向けの施設があります。開業して10年になるようですが、子供のころから、さまざまな職業の疑似体験を通じて社会のあり方を学ぶということが重要ですね。こうした体験を重ねていくと、自ら判断するためのツールを身に付けることの重要性を肌で感じられるようになるのではないかと思いますね。

6.デモクラシー教育と地方分権への期待

川本 さきほどもお話がありましたが、選挙に行かないほうが経済的には合理的なんですね。ではなぜ人は選挙に行くかというと、市民としての義務であるという認識があるからです。こういう人たちを大切にしないといけませんね。

永久 経済的な合理性、つまり選挙に行くことで直接的な利益を得られると信じて投票する人たちもいるわけですが、義務感をもって選挙に行く人たちは多いですね。

矢尾板 アンケート調査でも圧倒的に「行く理由」として多かった回答は義務感でした。選挙に行くことは市民としての権利、もしくは義務だからというのが多くて、応援している候補がいるからと答える人は全くいなかったですね。

永久 ただ、義務として、冷静な判断で投票をしても、その結果は国民全体の意思の反映とは言えますが、政策を実行する段階で、社会全体として合理的な結果をもたらすという保証があるわけではない。

川本 おそらく政治のあり方についても判断のツールが必要ということでもありますね。

永久 そうですね。経済を見る力と同時に政治を見る力も必要かと思います。それには、本を一冊二冊書くだけではまったく不十分で、子供のころから民主主義に対する理解を深める努力が必要なのだろうと思います。

矢尾板 スウェーデンの若者の投票率は80%を超えていますね。それは子供のころから、学校教育の場も含めて、社会参画を通じて常にフィードバックを受けるという「民主主義」を経験しながら成長しているからなんでしょうね。

永久 それには、人口が少ないうえに地方分権も進んでいて、政治参加の結果が見えやすいということの影響もあるでしょうね。

川本 政治参加を高めるには、地方分権はやはり重要ですね。日本の地方の財政は経済学でいう「ソフトバジェット」なんです。地方が困ったら必ず国が助けてくれるので、普段はいい加減になってしまう仕組みがある。だから、いつまでたってもみんな真剣になれない。

永久 たしかに、PHPの創設者・松下幸之助も同じことを1960年代からうったえていました。一時はとても盛んになった地方分権や「地域主権」の議論がいまはなぜか下火になりました。政治参加という文脈からも、また改めて議論を盛り上げていかなければなりませんね。今日は、ありがとうございました。

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