企業が良心を持って行動すれば、社会はきっとよくなる

NPO法人 ブリッジフォースマイル 代表理事 林恵子

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林さんのインタビュー第1回、第2回はこちら:「児童養護施設の子どもたちのスムーズな門出を応援したい」「子どもたちの意欲を育む大人の関わり方

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――林さんご自身がこの問題に関心を持たれたきっかけは、どのようなものだったんですか?

:私はもともとパソナに勤めていたんですが、在職中にある研修に参加したんです。

 企業が抱えている課題について、改善案や解決策をビジネスプランとしてまとめ、提案するというものだったんですが、私たちのチームが与えられたお題は、「ある外資系企業が、児童養護施設に対し、なにかサポートをしたいと考えています。どんなサポートがいいか、プランをつくって提案してください」というものでした。外資系企業だったので、英語で「orphanage」というのを聞いて、調べて「孤児院」のことだとわかって、孤児院についてネットで検索してもあんまり情報は出て来ないんだけど、「いまは児童養護施設って言うんだ」と知って……というくらい、全然縁のないところから、偶然のスタートだったんです。

――児童養護施設以外でのボランティアや社会活動に関心が高かったということもなく?

:これがはじめてのボランティア活動です(笑)。

 でも、大学では国際関係で開発と援助について学んだりしていて、「なにか社会の役に立ちたい」という思いはありました。大学の卒論は「東南アジアにおける日本企業の社会的役割」というテーマで書いたんですが、民間のもつ開発エネルギーというか、可能性みたいなものを感じていて、たとえば企業が海外に工場をひとつつくるだけで、現地に雇用を生み、環境をぐいぐい変えていくことになりますよね。ちょうどそのころ、「企業市民」だとか「CSR」といった言葉が走り出していて、そんな考え方を、利益を追求する企業が持つことができれば、きっと世界はもっとよくなると思ったんです。お金にシビアな企業が良心を持って行動すれば、社会はきっとすごくよくなる。それが、卒論の中心に据えたかったテーマなんです。

 私が児童養護施設の問題に関心を持つようになったきっかけとなった研修のお題も、つまりは企業のCSR活動だったんですよね。そこで、私がこれまで考えてきたことが、ピピピピっとつながった気がしました。

 また、ちょうどその頃、私は二人目を出産したばかりで、子育てとキャリアについてすごく悩んでいたこともあり、とにかく自分もなにかしなくちゃ、社会の中で自分の存在意義を見つけなきゃ、という焦りのようなものもありました。まさに先ほどお話したような、自分の存在意義に悩んでいる人は、ボランティアをすると共依存になりやすいという心理の、ど真ん中に私自身もいたんです。

 だから最初の頃は、成果を出すことにすごくむきになっていました。「もっとこうしたらいいのに」という思いが先に立って、バーッと思っていることを言ってしまって、施設職員の方々からはすごく嫌われていたんですよ(笑)。中には、「そういう考え方って大事だよね」と言ってくれる方もいらっしゃったので、いまもやっていけているんですが、多くの職員の方からは、「林さんってなにやりたいんだろうね。名前を売って政治家にでもなりたいのかな」というような目で見られていた部分がありました。

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――順調なスタートとはいかなかったんですね。

:本当にガツガツしていたので。なんというか、「会社で認めてもらえない」「子育てだけで終わっていいんだろうか」みたいな焦りがあって。私は26歳と28歳で子どもを産んだので、まだ大したキャリアもつくっていなくて、自分自身にまだあまり自信が持てなかったんですよね。産休分遅れているので、同期がどんどんキャリアアップしていく中で、置いて行かれているという感覚もあったし。

 ……というのが私自身の活動開始のきっかけなので、私はボランティアさんが活動に参加する動機って、なんでもいいと思っているんです。私の場合、「子どものために」がいちばんの動機ではないということを自覚していたので、最初は後ろめたさがあったんです。

 だけど、施設職員の方から「動機はなんであれ、なにをするかが大事ですよ。ただし、『なにをするか』の中に、その動機がどういうかたちで影響するのかは気になるところです」というふうに言っていただいて、励まされました。

 私の活動スタートはそんな感じで、すごく失敗もしたんですが、なんとかやっているうちに、だんだん子どもたちの実態が見えてきたり、子どもたちの感情に寄り添ったりすることができるようになってきました。本当に、すごく時間がかかりましたけど。

 職員の方に「子どもたちは、こういう気持ちなんだよ」と教えていただくこともありました。やっぱり、自分の想像力だけではわからないんですよね。経験したことのない人間が、想像力だけで的確な判断をするということは難しくて、それはやっぱり自ら体験することで腑に落ちるということも必要だし、わかりやすい言葉で説明してもらうということも大事。それがないと、正しい理解というのはなかなかできないんですよね。

――児童養護施設の問題を知るきっかけとなった研修でつくったプランはどうなったんですか?

:ちょっとずつ形を変えながら、いまも生かされています。たとえば、『巣立ちハンドブック』という本があるんですが、この原型は研修のときに考えられたものです。

 「不動産契約をするためには」とか「ひとり暮らしの必需品」とか、ひとり暮らしのヒントが60個紹介されているんですが、最初につくったものは、足りないものを補いたい一心でとにかく情報を詰め込んだもので、漢字もいっぱい入っていて、「いやいや、こんなに読めません」と言われたりもしましたね(笑)。

 現在の『巣立ちハンドブック』は、イラストもたくさん入っていて、絶対に伝えたいことだけ、要点を絞ってメッセージにしています。「ここだけ押さえておいてくれれば、あとは困ったことが出てきたときに相談してね」というかたちで、「こんなポイントがある」ということだけわかってくれたらいいかな、と。

 たくさんの情報をいっぺんに詰め込んで結局全部忘れてしまうよりは、本当に大事なメッセージがひとつ残るほうがいいし、子どもたちの実情をふまえると、自立というのは知識を持てば完璧になるというものではなくて、体験して、失敗して、悩んでというプロセス自体が大事だと思ったので、「最初に伝えるべきことは、これでいいね」ということになりました。

――情報をかなり絞り込んで伝えるようにされたんですね。

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――研修をきっかけにブリッジフォースマイルの活動を始められたときは、まだ林さんはパソナにお勤めだったんですよね。

:団体を立ち上げた2004年の時点ではまだ勤めていたんですが、2005年の6月に法人を設立して、その月末に辞めました。

――退職はすぐ決断されたんですか?

:そうですね。私はすぐにでもNPO活動に一本化したくて、夫からは「もうちょっと冷静になれ」と止められていたんですが、最終的に、「私財は持ち出さない」という約束で、NPO活動をやってもいいよと言ってくれたんです。「私財を活動につぎ込むようなことになると家族が困るから、そこだけ守ってくれれば」って。仕事を辞めて完全に無償ボランティアでやるということは、収入を削って支出を増やすことになるので、本当はだめだったんですけど、実は会社を辞めたのはちょっとフライングしています(笑)。ある施設からマニュアルづくりを受託できそうだということになって、収入の目処が立ったと思った段階で会社は退職したんですが、実際はその受託が難航して思った通りにはいかなくて、最初は無給状態が続いていたんです。夫には内緒にしていましたけど(笑)。

 夫は、私がバーッと突っ走りそうになると、「ちょっと待て」と言うタイプ。週末も活動で出かけていることが多いので、そういうときに笑顔で「がんばっておいで」と送り出してくれるというわけにはいかないのですが、家族のことも大切にできるようにバランスよくやっていかなきゃいけないな、と軌道修正するようになりました。

――すごくバランスのとれたご夫婦なんですね。ブリッジフォースマイルのオフィスは大手町のパソナ本社の中に置かれているということですが、退職された会社の中に、そのままオフィススペースを間借りしているというのも、すごいところですよね。

:それはもう、ひとえに社長の懐の深さのおかげです。社風としても、チャレンジを応援してくれる空気があって。

 最初、本当は社内でやりたいと思っていたんです。そうしたらお給料をもらいながら活動できますし(笑)、パソナのCSR活動として提案してみたんですが、「パソナのCSRには、方向性としてそぐわない」ということで認められなくて。だったら会社を辞めて自分でやろうと決めて、社長のところにご挨拶に行って「こういうことをやろうと思っているんです」ということをお話したら、「それ、おもしろいからうちでやったらいいじゃないか」と言っていただいたんです。

 それでそのままちょっと席だけ移動して、以来ずっと、オフィスはそこに。コピー機や文具類、会議室なんかも使わせていただいて、そういったものの調達にはなにひとつ困らなかったので、本当にありがたいと思っています。社内にある大きなホールでは、イベントやセミナーもやらせていただいています。

――大手町という都内のビジネスの中心地というロケーションですし、パソナのような大きな企業のバックアップがあるとなれば、安心感や信頼感が高まりそうですね。

:そうなんです。いまもそうですが、とくに活動の最初の頃は本当に、すごく頼りになりましたし、パソナの同僚だった仲間たちが、「こんな会社があるよ」と協賛してくださる企業を紹介してくれたり。いまでも協賛してくださっている味の素さんやAOKIさんは、パソナのつながりでご紹介いただいた企業なんです。

――前職で培ったものがしっかり生かされていて、素晴らしいですね。ボランティアさんにも、パソナの社員の方が多いんですか?

:最初はすごく多かったですね。ボランティアのうち半分くらいがパソナの社員だったと思います。その後は、NTTデータの方が一気に増えた時期もあって。最初は口コミで広がっていくので、同じコミュニティの方が増えていくんですよね。でも、ホームページで募集を始めた3年目くらいからは、そういった偏りはなくなりました。

 いまは、いくつかの企業さんに伺って、社内ボランティア説明会をさせていただいているんです。ランチタイムに、ご飯を食べながら活動の説明を聞いていただいたりして、ボランティアを募っています。

――目の前でこうした活動をしている人がいればやっぱり関心をもつだろうし、しかも楽しそうにやっているのを見たら、いいな、自分もやってみようかな、と思う人が増えそうですね。

(第4回「子どもたちのために大人が力を合わせられる社会を」へ続く)


林 恵子(はやし けいこ)*1973年、千葉県生まれ。大学卒業後、大手人材派遣会社パソナに入社。 子育てとキャリアの両立に悩む中参加 した研修をきっかけに児童養護施設の課題に気づき、2004年12月、「ブリッジフォースマイル」を設立。2005年6月にNPO法人化し、パソナを退職。 養護施設退所者の自立支援、社会への啓発活動、人材育成を活動の3つの柱とし、さまざまなプログラムを提供している。
 
【写真:遠藤 宏】

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