祭りで被災地に元気を取り戻したい

大船渡復興・東北三大祭り 実行委員長 甘竹勝郎

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津波で甚大な被害を受けた大船渡の港。(2013.10.22撮影)

 「変える人」No.5は、東日本大震災の直後から「東北三大祭り」の開催に取り組んでいる、岩手県大船渡市の甘竹勝郎さん(前市長)をご紹介します。
 
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 震災で傷ついた町に、威勢のいい掛け声が響きわたる。色とりどりの踊り子さんや山車が通ると、通りを埋め尽くす観衆から大きな歓声があがった。昨年で3回目を迎えた「大船渡復興・東北三大祭り」。東北地方の伝統の祭りが、県庁所在地から遠く離れた三陸沿岸部に集う。この祭りの仕掛け人が、大船渡市の前市長でもある甘竹勝郎さんだ。
 
悲しみから自ら立ち上がる元気を
 
 つい4か月前まで市長を務めていたわが町が、津波に襲われた。かさ上げしていた自宅は無事だったが、ご近所は床上浸水。いてもたってもいられず、翌日から被災の状況を確認して回った。
 
「みんな被災して、元気がないどころじゃないんですよ。子どもを亡くした、お母さんの行方がわからない、家も流されてしまった。今どうしたらいいのか、これからどうやって生きていくのか、まったく見いだせずにいました。悲しみに沈んだ方々があまりにも多くて、胸が締めつけられる思いでした」
 
 大船渡市では、家屋の流出・倒壊した世帯が全世帯の2割を超えていた。ただ、犠牲者の比率は全人口の約1%と、大きく下回っている。
 
「これまでの津波の歴史があるし、毎年みんな総出で避難訓練をやってきているしね。そうはいっても、悲しい気持ちは、数じゃ測れないからね」
 
 時間が経つにつれて被災者を支援する環境は整っていくものの、それだけではぬぐい去れない重い雰囲気が立ちこめていた。
 
「いつまでたっても、悲惨な状況は変わらないんですよ。すぐにどうにかなるような問題ではないし、服や資金とか物質的な支援だけでは復興できないな、と。自分自身に元気を取り戻してもらわないといけない、と思いました」
 
 すでに公職を退いた身。でも、わが町を思う気持ちが霞むことはなかった。
 
「被災して、いろんな方々から応援してもらって大変ありがたいけれど、応援に頼ってばかりいないで、自ら立ち上がらなきゃいけないということを、みなさんに訴えたかったんです。だから、まずは立ち上がる元気を取り戻してほしくて、元気になるにはやっぱり祭りだと」
 
 どうせやるなら、と思いは広がる。
 
「同じやるんなら、小さくまとまるんじゃなくてパァーッと盛り上がるものにしたいし、そうでなくては元気も出てこないしね。それで、東北のお祭りに集まってもらおうと思って、そこから東北三大まつりに進んでいったんです」
 
 市長を4期務めた甘竹さんの基本方針は「活力倍増」。地域の活力を上げるため、地元の祭りから盛り上げてきた経験が、再び生かされる契機でもあった。

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大船渡復興・東北三大祭り 実行委員長 甘竹勝郎氏

大船渡の人たちの心をひとつに
 
 祭りは人々を元気づけるとともに、市全域に一体感を生み出すことをめざした取り組みでもあった。
 
「みんな大変だって思っているけれど、ひとつになろうという雰囲気がなかなかできなかったんですよ。たとえば、いろんな方が避難所に励ましに来てくださるけれど、『中心部にばかり行って、端のほうには全然来ない』という声もあったりして。誰が悪いわけではないんだけど、不満がくすぶっていましたね」
 
「なんで町ばっかり」。石巻で子どもたちの支援に取り組もうとしていたNPOカタリバの今村さんもぶつかった課題だ。
 
「来てもらったら来てもらったで、受け入れる人たちも疲れが見えてたんですよ。避難所や仮設にいる人たちは、支援を選ぶことはできない。せっかく来てくれたんだからと、言いたいことがあっても胸にしまって我慢してしまう」
 
 受け身に回ってしまうのではなく、自ら楽しみに行こうとする場が、気持ちを発散させる場が必要だった。
 
「だから、私は市内全体を包括するように、みんなで盛り上がれるように、なるべく大きくにぎやかにやろうと思ったんです。いろんな人の力で、おかげさまで何とかかたちになりました」
 
 甘竹さんは市長となる以前、船上で24時間討論会を開いたことがある。
 
「地域興しを寝ずに議論しよう、大船渡と言ったら海だから船の上でやろう、とね。根っからの祭り男だから。今回もね、みんなやるぞー!ってね」
 
 まったくの手弁当の実行委員が集まり、力を貸してくれる地元の社会福祉法人や団体・企業も現れた。甘竹さんの思いは、一気に実現へと走り始めていた。

グラフ5・盛岡さんさ3d
盛岡のさんさ踊り(写真提供:東海新報社)

培ってきたご縁とご厚意
 
 震災から半年後の2011年9月。初めての大船渡復興・東北三大祭りにやってきてくれたのは、盛岡のさんさ踊り、秋田の竿燈まつり、青森のねぶたまつり。文字通り、東北の三大祭りの集結だった。
 
「市長を務めていたときのご縁をたどってね。ほんとうなら直接出向いて頭を下げなくてはいけないんだけど、失礼を承知で電話でお願いしました。それで来ていただけたんだから、ほんとうにありがたい限りです」
 
 本格的な準備が始まったのは7月のこと。開催を急いだのは、一日でも早く元気を取り戻してもらいたいという思いのほかに、差し迫った理由があった。
 
「ホテルも流されてしまって、大人数で泊まれるところは公民館くらいしかありませんでした。冬だと寒くてとても無理だけど、9月ならなんとか大丈夫かな、と。それでも『いいよ』と言ってくださる方々でね。失礼ばかりで申し訳ないけれど、ご厚意に甘えさせていただきました」
 
 費用はすべて先方の持ち出し。宿泊も公民館で雑魚寝。そんな状態で、快く引き受けてくれた方々には、感謝してもしきれないと甘竹さんは言う。
 
「もちろん、2年目、3年目は違って、時間をかけて準備していますよ。いつまでも甘えてばかりはいられないですから。それも1年目のことがあるから。あのときの感謝の気持ちは、絶対に忘れません」
 
 そうした思いが通じたのだろう。一年目は、大船渡市の人口とほぼ同じ4万人のお客さんが集まった。
 
「秋田の竿燈は、翌日には大船渡の東の端にある崎浜っていう港町まで行ってくれたんですよ。これだけの規模の立派なお祭りが普段行くことはないから、地域のみなさんがほんとうに喜んで」
 
 甘竹さんの思いから始まった三大祭りは、地元の人々の心をひとつにし、復興に向かってみんなの背中を力強く押している。

グラフ9・歩道に接近2d
歩道に接近するねぶた祭り(写真提供:東海新報社)

復興への願いを広げる盛り上がり
 
 復興を冠にするイベントは、ともすれば一過性のものとなりがちだが、この「大船渡復興・東北三大まつり」は、年を追うごとに盛り上がりを見せている。2年目には、さんさ踊りと竿燈まつりに加え、山形から花笠まつりが参加。石川県の輪島からは、切子灯籠もやって来た。
 
「切子灯籠って、私もはじめて見たんですよ。すごくきれいで立派で驚きました。地元のみなさんも見たことのない人が多かったんじゃないかな」
 
 切子灯籠に限らず、ねぶたも竿燈も花笠も、すべて見たことのある人は少ないだろうと思われた。
 
「東北の夏祭りって、大きいのも小さいのも、どこも時期が重なりますからね。自分たちの準備があって、ほかを見て歩く暇なんてないから、実物を見たことがある人って少ないんですよ。だから、いっぺんに見られる三大祭りが楽しいんじゃないかな」
 
 3年目には、さんさ踊り、竿燈、花笠に加え、ディズニーパレードまでやってきた。
 
「地元の新聞に『華麗なる演技。5万人魅了』って出たんですよ。びっくりでしたよ、人口4万人の町で5万人のお客さんですから、すごい盛り上がりでした。ディズニーがほんとうに来た、っていうのが大きかったと思いますけど、多くの人が元気づけられたんじゃないかと思います」
 
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 1年目、2年目には600mだったのルートも、3年目には830mまで伸びた。お祭りには欠かせない露店も、警察の指導でひとつ裏手の道沿いに出していたという。
 
「それで両サイドの沿道に観客がびっしりだったって言うんだからね。立錐の余地がないとは、ああいうのを言うんだって思いました。露店の方々の中には、盛岡のさんさ祭りのときより売れ行きがよかったという人もいました。ほんとうに、ほんとうにみんなが喜ぶお祭りでしたね」
 
 20人ほどだという実行委員会のメンバーはもとより、さまざまな団体や地元の方々、多くの人々の復興にかける思いがうねりとなって、三大祭りはどんどん大きなイベントに育っている。

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大船渡復興・東北三大祭り実行委員長 甘竹勝郎氏

大船渡から復興を盛り上げたい
 
 ただ盛り上がるだけではなく、お祭りは思わぬ副産物をもたらしていた。
 
「あれだけの人出だったのに、事故やトラブルもなかったし、翌朝ゴミがほとんど落ちていなかったことにはびっくりしました。『こんなに気持ちのいいお祭りはない』って、わざわざ電話もいただきましたよ」
 
 陰で支えてくれたのは、ボランティアの方々だった。震災直後から支援活動にあたっているNPO愛知ネット、後援を引き受けてくれたトヨタ自動車とパナソニックのボランティアチーム、それに大学生や地元の商店街の方々。みな誘導や警備、駐車場係など、なにかと力を尽くしてくれたという。
 
「沿道の草取りまでしてくれましてね。そんなところまでしてくれなくてもいいですよ、って言ったんだけど、『きれいなところでお客様をお迎えしたいじゃないですか』って。すごく手本になったし、なかなかできないことですよね」
 
 元気を取り戻すだけではなく、ボランティアで訪れてくれる人たちからも気づきを得る。願っているのは、復興に勢いをつけ、新しいまちづくりのかたちを見せ、ほかの被災地にも復興の波が広がっていくことだ。
 
「同じ気仙地域のなかで陸前高田があれだけ厳しい状況だから、大船渡が頑張らなくちゃいけない。歴史を振り返ってみても、大船渡市がこのあたりの兄貴分でした。新しい知恵を入れて、力をつけて、復興を引っ張っていくんだと、やっぱり兄貴はそういう気持ちでないとね」
 
 被災した人々を元気づけようとはじめられた「大船渡復興・東北三大祭り」。今年もまた準備がはじまっている。
 
「最初は、1,2回でやめようかとも思っていたんですよ。経費もかかるし、準備もいろいろ大変だし。だけど、『来年も楽しみにしてるよ』と言われると、その方々に元気をいただいて3回目まできて、規模も一番大きくなった。ここまで来たら、4回、5回で終わろうだなんて、もう思っていません。できる限り、これからもずっと続けていきたいと思います」
 
 次はいったいどんなお祭りがやってくるのか。誰もが秋を楽しみにしている。
 
 
 
甘竹勝郎*1943年、盛町生まれ。1996年から2012年まで4期16年にわたって大船渡市長を務める。2011年より「大船渡復興・東北三大祭り」実行委員長。
 
【取材・構成】熊谷 哲(PHP総研)
【写真】shu tokonami

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