重なり合い、ひとつになる思い

NGOテラ・ルネッサンス 鬼丸昌也

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NGOテラ・ルネッサンス創設者 鬼丸昌也

 「変える人」No.2の舞台は、前回に引き続き岩手県大槌町。国際NGOテラ・ルネッサンスの鬼丸昌也さんをご紹介します。
 
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 まだまだ町の再建がはじまったばかりの大槌。震災で家や仕事を失った女性が、手内職によって元気と収入を取り戻すと同時に、復興の糧となるであろう新たな産業の芽を育てている。それが「大槌復興刺し子プロジェクト」だ。
 
 
 この運営にあたっているのは、地雷除去や元子ども兵の社会復帰支援の活動をしている国際NGO「テラ・ルネッサンス」。地雷除去と刺し子というまったく異質の組み合わせが、いったいどこで結びついたのか、その軌跡を追った。
 
被災地支援に乗り出すべきなのか
 
 
 震災が起きた当初、テラ・ルネッサンス創設者である鬼丸さんの頭の中は、何を為すべきなのかで一杯だったという。
 
「私たちは国内で日本人相手の支援も、被災地の支援も、経験したことがありません。私はそれぞれに『プロ』がいていいと思っています。ひとつの団体でものごとが解決するほど、この世界は単純じゃないと思っていますから。災害支援は災害支援のプロにやっていただくのがいちばんいい。でも、既存の団体に任せて解決できる規模を超えていると直感して、どうすべきか悩みました」
 
 1997年の阪神・淡路大震災、2004年の中越地震を契機に、国内には災害支援に取り組むNPOが数多く生まれた。海外支援が中心のNGOでも、災害支援活動にあたる団体はたくさんある。災害が起きたとき、支援者からなにかしたいという申し出があれば、テラ・ルネッサンスは他のそうした団体を紹介することで対応してきた。
 
「もうひとつは資金の問題です。災害支援には莫大なお金がかかります。初動の段階では、資金以上に人手もかかります。一方で、2、3年経つと資金も人手も波のように引いていくんです、民間も行政も。それは大学生の時、阪神・淡路大震災のボランティア団体にかかわる中で、私は現場で身をもって経験しました。そうした現実があっても、テラ・ルネッサンスが被災地支援をやるべきなのか、と」
 
 テラ・ルネッサンスは支援者からの寄付や会費で支えられ、限りある資金に決して余裕があるとは言えない。資金繰りに苦労して、職員の給与を払うために個人で借金をしたこともある。
 
「でも、被災地支援をするために海外支援を縮小する、という選択肢は私にはないんです。同じ命ですから」
 
 被災地支援を考える鬼丸さんの前に立ちはだかる、経験と資金という難問。背中を押したのは、ひとりの女性からの電話だった。

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トシャ・マギーさん(写真右)【写真提供:テラ・ルネッサンス】

「それで、あなたたちはなにをするの?」

 
 ブルンジ出身のトシャ・マギーさんは、国内紛争によって家族を全員殺された。ひとり難民キャンプに逃げ出し、大変な苦労をしながら英語を習得し仕事を得て、いまはウガンダでテラ・ルネッサンスの職員として働いている。壮絶な体験をしてきた彼女が、日本時間で3月12日になった頃、鬼丸さんに電話をしてきた。
 
「ウガンダでも津波の映像がBBCやCNNで流された。テラ・ルネッサンスの活動を支えてくれている優しい日本の人たちが、あんな目に遭っていることが信じられない」
 
 テラ・ルネッサンスの活動資金のうち7割は寄付や会費によるもの。それだけ、テラ・ルネッサンスの活動に思いを寄せ、活動を支えてくれている日本人がいることを、現地の職員はよく知っている。
 
「ウガンダ人の職員と、テラ・ルネッサンスのプログラムを卒業してビジネスをしている元子ども兵士の何名かで、日本の人たちのためになにができるか話し合った。募金をしようということになってお金を出し合ったら、半日で5万円集めることができた。このお金で毛布を買って被災地に送ってあげてほしい。きっと寒いと思うから」
 
 ウガンダは国家公務員の平均月給が8,000円の国。そのウガンダで、たった半日で5万円というから驚きだ。彼女は、さらにひと言つけ加えた。
 
「それで、あなたたちは何をするの?」

 
 この瞬間、「被災地支援をやるか、やらないか」という悩みは、鬼丸さんの心からすっと消えたという。
 
「支援というのは、豊かな人や権力がある人、時間が余っている人が、貧しかったり災害で大変な目に遭っている人に一方的に施すことではありません。支援する側もされる側も、その行為を通じて問題の原因を知るとともに、取り除くために共に立ち向かっていく。その学習のプロセスこそが、本当の支援だと思っています。そのことを、彼女たちにあらためて教えられました」
 
 ウガンダでのトシャ・マギーさんたちの行動と、その言葉が、鬼丸さんを支援の原点に立ち返らせた。

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復興工事の続く陸前高田(2013.10.22撮影)

ご縁は必要なところにできる
 
 次なる課題は、どのようにやるか。ここから、つてをたどり、縁を広げ、絆へと紡いでいく鬼丸さんの本領が発揮される。
 
「現地の信頼を得ながらご縁をつくっていくというのはほんとうに大変だと、国際協力や海外支援の現場に立って痛感してきました。なので、できるところから始めようと思いました。ご縁というのは必要なところにできると信じていますので」
 
 まずは、テラ・ルネッサンスの支援者が北茨城市や高萩市に物資輸送を始めたと聞き、そのサポートを行った。そのうちに、岩手県出身の友人が任意団体「みんつな」を立ち上げ、現地で支援活動を始めたという情報を得る。
 
「被災地支援を始めるにあたって、やはり交通の便のいいところに支援やボランティアが集中するだろうと考えていました。新幹線や高速道路が通っているのは、仙台から北はずっと内陸部。沿岸部に出るには、そこからさらに2時間以上かかる。そうなると、人手や資金の集まり具合もずいぶん違うだろうなあ、と。そこで岩手の沿岸部の支援に舵をきりました」
 
「みんつな」経由の支援活動は、現地からのリクエストに応え、必要なものを調達して送るかたちをとった。だが、情報がなかなか届いてこない。そこで4月半ば、鬼丸さん自身が現地に向かった。
 
「陸前高田はとりわけ被災面積が大きくて、行政もほとんど機能していなくて。とても連絡調整機能が整えられるような状態ではありませんでした。情報が滞るのも無理はないな、と。これは現地に腰をすえて支援活動に取り組むしかないと思って、『みんつな』のメンバーが寝泊りしている陸前高田ドライビングスクールにお世話になることになりました」
 
 その陸前高田ドライビングスクールの田村社長、さらに被災地NGO協働センターから派遣されていた大槌町の末村参与の紹介で、「遠野まごころネット」の多田一彦さんを紹介される。
 
「まごころネットさんは、岩手県の内陸部と被害の甚大だった沿岸部のちょうど中間に位置する遠野の地の利を生かして、ボランティアや物資を受け入れて現地へと送り込む、支援のハブの役割を担っていました。その配送担当として、テラ・ルネッサンスの職員を1か月間派遣することになったんです」
 
 5月の連休明けに派遣されたテラ・ルネッサンスのスタッフ。そのひとりが、「刺し子プロジェクト」立ち上げのキーマンとなる、吉野さんだった。

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刺し子プロジェクト 吉野和也

ただ、傍にいたい
 
 吉野さんは、震災が起きるまでは東京のWEB制作会社で働いていた。ボランティアに興味を持ったこともなく、鬼丸さんとは友人だったもののテラ・ルネッサンスの活動に関わることもなかった。そんな彼の心を動かしたのは、被災地の様子を伝えるあるブログだった。
 
「ある避難所に、避難してからずっと同じニット帽をかぶっているおばあちゃんがいたそうなんです。そこに支援物資としてニット帽が届けられた。おばあちゃんは取り替えたいから自分も欲しいと言ったが、全員分ないから持っている人にはあげられないと断られて泣いている、と。その記事を見て、あげたらいいじゃないか、おばあちゃんを泣かすなって思ったんです」
 
 だが、現地には現場の事情があるはずで、それは行ってみないとわからない。4月中旬、休暇を取って被災地に行き、大切な人をいきなり亡くしてしまった人たちを目の当たりにする。
 
「愛する家族を亡くした経験が僕にはないから、その気持ちはまったくわかりませんでした。でもあの時、そうした人たちが家族みたいに大切に思えて、傍にいたいと思ったんです。傍にいれば、一緒になって笑ったり泣いたり喜んだりできるんじゃないか、少しは心が安らぐんじゃないか。そう思って、会社を辞めて大槌町に来ました」
 
 吉野さんの支援活動のパートナーは、震災後にインターネットを通じて知り合った4人の仲間だった。吉野さんから伝えられる現地の情報をもとに、東京で仕事をする仲間とスカイプで話し合う。自分たちに何ができるか、知恵を出し合うことから活動がスタートした。

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糸をより分ける刺し子さん

避難所の人たちに仕事を
 
 差し当たって避難所でなにができるのか、なにをすることが被災者の方たちのためになるのか、吉野さんは手当たり次第に聞いて回った。
 
「高齢者や女性の方たちから『仕事がない』『やることがない』という声が出てきました。男性は片付けとか、なにかしら仕事があるけれど、女性にはやることがない。やることがないと、あの日のことを思い出してしまう人もいる。そういう声がたくさんありました。なので、仲間たちと、その問題を解決するためになにかしようと、アイデアを出し合ったんです」
 
 自分たちにはお金がない。避難所にはスペースもない。そんな中でやれることはないか、5人でアイデアを出し合った。
 
「刺し子ならできるんじゃない、って手芸好きの女性メンバーから提案があったんです。そこで、賛同してくれたデザイナーにデザインを依頼して、自分たちでサンプルをつくってみたら、すぐに売れたんですね。それで、どんどんやろうと」
 
 一針一針布地に糸を刺して模様を描く「刺し子」。針と糸と布があればできる手仕事は、願ったり叶ったりの発案だった。目の前の作業に集中できる環境も、心の安らぎに繋がることが期待された。
 
「最初はひとり2万円ずつお金を出し合って材料を買いました。でも、10万円分の材料なんてすぐになくなってしまって」
 
 ちょうどこの頃、大槌で活動している吉野さんのことが、旧知の鬼丸さんの耳に入る。現地で動ける人を探していたテラ・ルネッサンスと、アイデアから事業への展開を模索し始めていたボランティアチーム。ふたりの縁が、被災地支援というかたちで結ばれることになった。
 
「テラ・ルネッサンスに集まっていた震災支援の募金を刺し子の運営資金に、使わせていただきました。運営母体もテラ・ルネッサンスに移管し、刺し子プロジェクトは、いろいろな課題を抱えながらも、一気に加速していきました」
 
 避難所で、おばあちゃんたちを中心に呼びかける。集まってくれた女性たちに、刺し子の技術を伝える。彼女たちが縫い上げた商品を、テラ・ルネッサンスが検品して買い取り、東京のボランティアたちが通販やイベントで販売する。たくさんの人の支援の思いが重なり合い、「大槌復興刺し子プロジェクト」がスタートした。
 
第二回「被災地の方々に守られ支えられる支援」に続く)
 
【鬼丸 昌也】*1979年、福岡県生まれ。立命館大学法学部卒。高校在学中にアリヤラトネ博士(スリランカの農村開発指導者)と出逢い、「すべての人に未来をつくりだす能力(ちから)がある」と教えられる。様々なNGOの活動に参加する中で、異なる文化、価値観の対話こそが平和をつくりだす鍵だと気づく。2001年、初めてカンボジアを訪れ、地雷被害の現状を知り、講演活動を始める。同年10月、大学在学中にNGO「テラ・ルネッサンス」設立。カンボジアでの地雷除去支援・義肢装具士の育成、日本国内での平和理解教育、小型武器の不法取引規制に関するキャンペーン、ウガンダやコンゴでの元・子ども兵の社会復帰支援事業を実施している。
 
【取材・構成:熊谷 哲(PHP総研)】
【写真:shu tokonami】

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