自治体の首長に教育行政の責任と権限を集約すべき

政策シンクタンクPHP総研 主席研究員 亀田徹

 安倍政権が設置した「教育再生実行会議」は教育委員会制度の見直しを本年4月に提言した。これを受けて審議を続けてきた中央教育審議会は、今月13日に、責任の所在が不明確であった教育行政の仕組みを変えるべきとの答申をまとめた。
 
 教育委員会制度を定める「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」は来年の通常国会で改正される見込みであり、実現すれば約60年ぶりの教育行政体制の転換となる。
 
 子どもたちにとってよりよい教育を展開するために、教育行政体制はどうあらねばならないか。
 
 
▼ここが論点▼
1.教育委員会制度の問題点は
2.民主党政権が見直しの実現可能性を高めた
3.教委と首長で見解は分かれる
4.論点は政治的中立性だ
5.中立性を確保する方策を考える
6.首長に制約を課すべきではない

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1.教育委員会制度の問題点は
 
 教育委員会制度のもっとも大きな問題は、責任の所在が不明確であることだ。
 
 現行制度では、教育に関する事務は教育委員会に、教育予算については自治体の首長に、と教育に関する権限と責任が分散しており、自治体としての最終責任の所在が不明確になっている。
 
 昨年大きな社会問題となった大津市のいじめ事件に際しても、教育長と市長とがそれぞれ会見する様子に制度のあいまいさがあらわれていた。この事件をきっかけに制度の欠点が広く認識されるようになったといえる。
 
 責任の所在を集約することは、判断権者をはっきりさせて決断できる体制をつくることでもある。これまでのように権限と責任を分散させて行政施策の「安定」に重きをおくのか、権限と責任を集約して「変化への対応」を重視する制度にするのか。教育委員会制度を考えることは、「安定」か「変化への対応」かのどちらを優先するかを考えることにほかならない。それは、どちらを住民がより望んでいるかとも言い換えられよう。
 
 現行の教育委員会は、首長が議会の同意を得て任命する教育委員から構成される。教育委員は原則として5人とされ、そのなかから選ばれる委員長が委員会を代表するとともに委員会の会議を主宰する。教育委員会は月に1~2回程度開催されるケースが多い。教育委員のうちひとりは教育長を兼ね、教育長は教育委員会事務局の事務を統括する。実質的に教育行政を担っているのは教育長だ。
 
 こうした現行制度に関し、中央教育審議会(以下「中教審」)は、(1)教育委員会、教育委員長、教育長の間でも責任体制があいまいになっている、(2)合議体の委員会では当事者としての立場で迅速な対応をとることができない、といった問題点も指摘する。
 
 そのほか、教育委員は住民から直接選ばれていないためにみずからの判断の根拠を住民意思に求めることが難しく、いきおい判断の根拠を国による指導や前例に求めがちになり、それが教育委員会の「上意下達」や「前例踏襲」という傾向につながっているとも考えられる。

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2.民主党政権が見直しの実現可能性を高めた
 
 教育委員会制度についてはかねてから形骸化などが問題視されていた。ここに来て制度改正が実現する運びとなった要因のひとつに、制度の見直しを訴えていた民主党が政権の座についたことがあげられる。民主党は、政権交代を果たした衆院選の際に「現行の教育委員会制度は抜本的に見直し、自治体の長が責任をもって教育行政を行います」との政策を公表していた(民主党政策集INDEX2009)。民主党政権は、教育改革を3つのフェーズに区切ったその第3フェーズにおいて、教育委員会制度を定める「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(以下「地教行法」)の見直しを行うことを示唆していた。
 
 だが、民主党政権の推進力が弱まっていくなかで教育委員会制度の見直しの動きも後退していく。当時の文科省は、省内にタスクフォースを設置して制度見直しの検討を進めていたが、政権末期において簡単な選択肢を示したのみであった。
 
 民主党政権の動きがトーンダウンするのに対し、今度は自民党が教育委員会制度の見直しに前向きな姿勢を示しはじめる。同党は昨年の衆院選前から政権交代を見据えて安倍総裁のもとに教育再生実行本部をたちあげ、教育委員会制度の検討に着手している。
 
 昨年の衆院選において自民党は、「いじめ問題でも明らかになった、現行の無責任な教育行政システムを是正するため、首長が議会の同意を得て任命する『常勤』の『教育長』を教育委員会の責任者とするなど、教育委員会制度を抜本的に改革します」との政策を掲げた。一方の民主党は「地方教育行政法を見直し、現在の教育委員会制度を見直す」としたものの、具体的な方向性は示すことはなかった。
 
 政権交代後、安倍総理は教育再生実行会議を設置する。同会議は、いじめ問題に続いて教育委員会制度の見直しの検討を開始し、4回の議論を経て本年4月に提言をまとめた。教育長を責任者に位置づけるという教育再生実行会議の結論は、自民党内での議論の方向性に沿ったものであった。
 
 教育再生実行会議の提言を受け、制度設計の具体的な検討が中教審で進められてきた。

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3.教委と首長で見解は分かれる
 
 教育委員会制度の見直しに対する見解は、教育委員会団体と首長団体とでは大きく異なるものであった。
 
 中教審は審議経過報告を10月に公表し、おおむねつぎのような2案を提示した。
 
 「A案」首長を教育行政の執行機関とし、首長の補助機関として教育長を置く(教育委員会は首長の附属機関として設置する)
 「B案」教育委員会を教育行政の執行機関とし、教育委員会の補助機関として教育長を置く(ただし、教育委員会の権限を限定し教育長を責任者とする)
 
 この2つの案に対し、全国都道府県教育委員会連合会は、都道府県教育委員会のうちB案を支持する教育委員会が約6割であり、現行制度を維持すべきなどの意見も含めれば、教育委員会を執行機関として残すべきとの意見が約7割に達したとの意見書を中教審に提出した。
 
 ただし、同連合会の意見書は肝心の結論部分がはっきりしておらず、具体的にどういった制度にすべきかについての見解が意見書ではまとめられていない。地方教育行政制度が大きく転換されようとしている状況で、しかもその教育行政を担う教育委員会みずからが明確な見解をまとめられないという点に、教育委員会の受身の姿勢が垣間見えるのではないだろうか。
 
 また、全国市町村教育委員会連合会は、「現行維持の方向性での意見が9割を越えた」「B案を基調として欲しいという意見が大半を占める」との意見書を中教審に提出している。
 
 他方、全国知事会、全国市長会および全国町村会は、従来から、教育委員会の設置を自治体の判断に委ねる選択制とすべきとの意見書を国に提出していた。知事会は、「地方教育行政の最終的な責任者は、選挙で選ばれた、住民の意向を反映できる首長とすること」との意見書を本年7月にも文科大臣に提出している。
 
 さらに中教審のヒアリングにおいて、大津市長は「現行制度は責任と権限の所在が不明確であるという制度上の問題が大きい」と指摘し、「選挙で選ばれた首長が住民の意見を教育現場に反映させることが重要」と語った(全国市長会HP)。
 
 総じていえば、教育委員会側は現行制度に近い案を支持し、首長側は選択制も含め首長が教育行政を担うことができる制度改正を主張しているといえる。

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4.論点は政治的中立性だ
 
 つぎに、見直しにあたっての論点を考えてみよう。
 現行の教育委員会制度は、昭和31年の制度発足以来、その枠組みを大きく変更することなく現在まで維持されてきている。制度の趣旨は、つぎのように説明される(中教審資料)。
 
A政治的中立性の確保
  教育は、その内容が中立公正であることが極めて重要。個人的な価値判断や特定の党派的影響力から中立性を確保することが必要。
 B継続性・安定性の確保
  特に義務教育について、学習期間を通じて一貫した方針の下、安定的に行われることが必要。
 C地域住民の意向の反映
  教育は、地域住民にとって関心の高い行政分野であり、専門家のみが担うのではなく、広く地域住民の参加を踏まえて行われることが必要。」
 
 3つの趣旨のうち、「B継続性・安定性の確保」と「C地域住民の意向の反映」については、必ずしも教育委員会を設置しなくても趣旨を実現できることは比較的明らかだ。
 
 すなわち、教育という面から考えれば、子どもにとって重要なのは学校における学習内容であり、指導内容の大綱を定める学習指導要領は、ほぼ10年おきに改訂されている。言い換えれば、10年間は学習内容の継続性が確保されている。学習指導要領によって指導内容の継続性が確保されていれば、行政主体の継続性を特別に重視する必要はないだろう。
 
 また、住民の意向の反映に関しては、住民意思によって直接選ばれる首長が教育行政を担う仕組みのほうが住民意思をより反映することになるのは明白だ。さらにいえば、教育委員会を設けなくても、学校運営や学校評価への住民参加を促すことで、直接的に住民の意向を学校運営に反映させることができる。
 
 とくに大きな論点となるのは「A政治的中立性の確保」だ。教育基本法で党派的政治教育が禁止されているように(第14条第2項)、教育の中立性は「現代公教育の中核をなす原理」とされているからである(市川昭午『教育行政の理論と構造』教育開発研究所、1975年)。
 この「政治的中立性」とは具体的になにを指すものなのだろうか。

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5.中立性を確保する方策を考える
 
 一般に政治的中立性の解釈はさまざまなされているが、「教育活動の中立性」を政治的中立性の中心におく考えがもっとも妥当だ。教育行政は「教育の機会均等、教育水準の維持向上及び地域の実情に応じた教育の振興」(地教行法第1条の2)をはかるために行われるものであり、教育現場におけるよりよい教育活動の推進が教育行政の目的だからである。
 
 「教育活動の中立性」の概念に関し、中立性が侵害されたケースとして、かつて、山口県宇部市立中学校で授業時間中に毛沢東思想を解説し、その立場から時事問題を解説批判したとして教育基本法違反とした裁判例がある。こうした社会通念の範囲を逸脱した政治教育が中立性を侵害するものととらえるべきである。政治的中立性とは「教育活動の中立性」がその中心であり、社会通念の範囲を逸脱した政治教育の禁止を指すというわけだ。
 
 では、逸脱を防止するにはどうすればよいか。
 学校における教育内容の逸脱を防止するには、学校現場での授業内容を直接チェックすればよい。現行では授業内容や教材をチェックする仕組みは設けられておらず、チェックシステムを導入することで、これまで以上に実態にそくした中立性の確保が可能になるに違いない。
 
 チェックを行う主体は、日常的に学校の状況を把握できる保護者がふさわしい。保護者は、子どもを通じて日常の授業の様子を把握するとともに教材を確認し、可能な範囲で定期的に授業を観察する。学校は、社会科や道徳を中心に教育内容に問題がないかどうか、あるとすればどういった問題があるかを保護者にたずねるアンケートを実施し、結果を公表する。
 
 いまは多くの学校で学校評価が導入されており、保護者も参加する学校関係者評価を実施する学校も増えている。学校関係者評価の一環として保護者によるチェックを実施することとすれば、無理なく実施できるはずだ。

 
6.首長に制約を課すべきではない
 
 以上のことから、「政治的中立性の確保」「継続性・安定性の確保」「地域住民の意向の反映」の趣旨は首長が教育行政を担うこととしても実現できることがわかる。
 
 責任体制を明確にするという制度改正の目的から考えれば、首長に責任と権限を集約することが妥当であり、首長を教育行政の執行機関とし教育長を補助機関と位置づけるという中教審の答申は評価できる。
 
 だが、答申は、首長の権限に対して制約を設けており、内容がわかりにくい。答申は、「首長は、その附属機関として設置する教育委員会の議を経て、教育に関する大綱的な方針を定める」としたうえで「教育長の権限に属する事務の執行について、首長の関与は、原則として、大綱的な方針を示すことにとどめ、日常的に指示は行わない」と提言する。
 
 しかし、答申のように首長に制約を課すことには以下の問題がある。
 第一に、首長が定める大綱的な方針が中立的なものであれば、その大綱的な方針にそって首長が事務を遂行すれば中立性は確保されるはずであり、首長の日常的な指示を禁止する必要はない。
 
 第二に、教育長は首長が任免するのであるから、首長とは別に教育長が事務を担うとしても実質的には首長と教育長の方針は重なるはずであり、あえて首長に制約を課す意義に乏しい。
 
 第三に、答申では「首長の交代とともに教育方針が急激に変わることのないようにする」ことが強調されているが、前述のように学習指導要領によって指導内容の継続性が担保されていれば問題はない。しかも、首長が変われば大綱的な方針も変わるはずであり、首長による日常的な指示の禁止は教育方針の変更を防止する手段とならない。
 
 第四に、首長が教育長に指示を行うのは「児童、生徒等の生命及び身体を保護するため緊急の必要がある場合など」の特別な場合に限るとするが、子どもの生命身体を保護するためには日常的な情報把握と対応が欠かせない。日常的な指示と特別な場合の指示との区別は困難である。子どもの保護のために首長が日常的な指示をしたら法律違反を問うことになるのだろうか。
 
 以上のような問題があることからすれば、首長の権限に制約を設けることは避けるべきだ。
 今後、政府と与党との協議を経て法案が作成され、来年の通常国会に地教行法の改正案が提出される見込みだが、責任と権限を集約して教育行政の機能を向上させるため、制約なく首長が教育行政を担えるような制度の設計を望みたい。

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