金融システム再生に向けての提言【1】
― 現在の金融危機をどうみるか―

 1990年代初めの、いわゆるバブル崩壊によって日本の金融システムは膨大な不良債権を抱え込むに至り、長い期間にわたって不安定化を続けている。

 われわれ「民間金融財政臨調」グループは97年2月3日に「金融危機についての緊急提言」をまとめ、金融システム安定化のために、情報の早期完全開示を前提として公的資金の導入を行うべしとの「8つの提言」を発表した。

 しかし、金融当局は事態はさほど悪化していないと考えたのか、いつものような小出しの措置で十分に対処できるとして、97年3月末と4月初めに日本債券信用銀行ならびに北海道拓殖銀行の経営危機に対して資本充当や合併などで対応、事態の収拾を図った。これらの措置で金融危機は遠のいたかにみえたが、われわれが強く指摘してきたように日本の金融システムは基本的に「詰んでしまった」状態にあるため、これら施策は彌縫策であり先送りでしかなかった。それは97年11月の一連の金融破綻事件が明確に証明するところとなっている。

 考えてみれば、94年12月の東京協和・安全の2信用組合の経営破綻を皮切りに、コスモ、木津信組の崩壊、兵庫銀行の破綻、そして住宅金融専門会社の処理、阪和銀行の業務停止命令、日産生命の倒産など金融破綻が相次いでいる。巨大な不良債権が金融システムの内部で燻り続けているのだ。しかし、政府および金融当局は不良債権に関わる情報開示についても確固たる姿勢を示さないばかりか、監督・監視も十全に行わず、そして「そのうちに何とかなる」と問題の先送りを続けている。つまり、政府ならびに金融当局はここまで事態の悪化を放置してきているのだ。
 その「咎め」の1つが97年11月の北海道拓殖銀行ならびに山一証券という大手金融機関の崩壊だった。いま市場や国民は政府に対して明らかに「信認(コンフィデンス)」を問うている。信用がいまほど深刻に動揺し、低下していることはない。先般、大蔵大臣と日銀総裁は揃って国民に向かって「風評に踊らされないように」と冷静な対応を求めたが、「風評」の根底には政府ならびに日銀に対して国民が「安心感」を持てないとの不安があることを忘れてもらっては困る。

 いうまでもなく、信用とは金融機関さらにその背後に控える政府ならびに日銀への信頼によって形づくられているものである。だが、90年代に入ってからのバブルの清算に際して、「隠蔽・先送り・場当たり」の金融行政を目の当りにした国民は、いま政府・日銀に「信認」の問題を突き付けるに至っている。まさに、戦後初めて信用崩壊という危機に日本社会は直面しているのだ。

 80年代後半に積み上げてしまった巨大なバブルは、なお不動産・建設などを中心に深い爪痕を残し、これらに金融機関が絡み、巨大なしこりを形成している。われわれグループは前回の「金融危機に関する緊急提言」(97年2月3日発表)において、日本の金融システムが抱える不良債権総額を約60兆円と推計した。おそらく、その後の地価の下落や査定の厳格化(実質的な経営支援先債権等の分類化)などを勘案すれば、80~100兆円規模の不良債権が金融システムに居座っているとみてよい。まして、株価の下落を考えれば、金融機関の不良債権処理は一般に想定されている以上に厳しいものがある。

 したがって、われわれグループは97年11月の一連の金融破綻事件は巨大な不良債権の「最後の膿」の表出とはとらえていない。そうではなく、金融システムに溜まっていた「巨大な膿」が遂に噴出してきた「始まり」とみる。

 とすれば、90年代の金融システムが抱える「本質的問題」をここでいま一度明確に認識し、金融正常化・安定化に向けてなすべき抜本策は何かについて真剣に検討し実施しないかぎり、市場や国民の不信感は決して消えず、信用の回復は到底おぼつかない。その結果は金融パニックによる「市場の制裁」しか残されないことになる。

 だから、いま、金融危機の実相を真っ正面から把握し、根本的な解決策をとることが重要である。特に、わが国の金融危機は、財政も赤字、貿易収支も赤字という韓国や東南アジアの国々と異なり、財政のみが赤字という、いわば国内問題なのだ。また、国民の資産も4000兆円近くあり、体力の面でも十分に回復可能なのである。

 したがって、問題をただただ「先送り」し、一時的に表面を糊塗する彌縫策に走るのではなく、「本質的問題」に照準を合わせ、根本的な解決を図らねばならない。そうでなければ、結局は市場や国民から「信認欠如」を突き付けられることになる。このことは90年代における政府の一連の金融処理行政が失政に終わっているのをみれば明白である。

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