カンボジアの支援終了とコミュニティファクトリーの独立

かものはしプロジェクト 共同代表 青木健太 (聞き手:PHP総研 山田花菜)

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青木さんのインタビュー第1回はこちら:「『子どもが売られない世界をつくる』―かものはしプロジェクトの挑戦
 
――かものはしプロジェクトは現地の団体さんとパートナーを組んで活動されていると思うんですが、いくつかある団体からパートナーシップを組む相手を選ぶ決め手、評価ポイントのようなものはありますか?
 
青木:カンボジアとインドでは大分考え方や活動も違うのですが、共通していることとしては、第一にミッションが一致しているかどうかですね。本当にいろんな団体がいるので。地域開発をミッションとして、活動の一環として児童買春の課題にも取り組んでいるという団体もあるし、人身売買がターゲットではあるけど、労働力としての人身売買も範囲内だし、未成年にも限らないといった団体もあります。なので一見同じように見えても、児童買春にどういうスタンスで取り組んでいるかに限って見てみると、いろいろと違いがあるんですよね。
 だから、ある程度女性や子どもの人身売買、性的搾取といった課題をミッションの真ん中に近いところに置いて活動している団体とパートナーになりたいということはありました。また、広い意味で人材育成的な取り組みや価値観、ソーシャルビジネス、イノベーションといったことに、ある程度共感をしてくれるかどうかということも。
 いま改めて振り返ると、インドの事業は完全にパートナーベースでやっているんですね。パートナーの方々が主体となって事業をやっていて、僕たちは後方支援とか、コーディネートみたいな感じで、いまは現地にかものはしの駐在員を置いていないくらいですから。でも、カンボジアの事業は最初から駐在員もいたし、事務所もあったし、なにか事業のメインの活動、たとえばトレーニングをするとか、いまだったら製品をつくって管理するとか、そういうメインの活動の大半を自分たちでずっとやってきているんです。だからカンボジアとインドでは、パートナーに求めるものが全然違っていて、カンボジアでは、孤児院からターゲットとなる子どもを紹介してほしいとか、一部の機能をお願いしている。改めてインドと比較して考えると、現地の団体とパートナーシップを組みつつも、僕たちが主体として活動するというのが、カンボジア事業の大きな特徴だったかもしれません。
 
――なるほど。カンボジアとインドの事業はだいぶ違うんですね。最初に取り組みの場所としてカンボジアを選ばれたのはなぜですか? 村田さんが最初に児童買春の課題を知ったのは、タイということでしたが。
 
青木:それも調査の結果です。2002年活動開始当初はタイかなと思っていたんです。村田が出会ったので。本にもタイの売春問題について書いてあったりしましたし。
 だけど、この問題がどこで起きていて、なぜ起きてしまっていて、ということを調査していく中で、実はタイでは状況が変わってきていて、カラオケとか性産業で働かれている方の強制度は必ずしも高くないという状況にであることも見えてきた。逆にカンボジアでは、だんだん経済が発展する一方で観光客も増えて、売春宿で強制的に働かされている被害者が増えて来ている、ということが、現地のNGOへのヒアリングや論文の発掘を重ねるうちに分かってきたので、タイじゃないね、カンボジアだね、と。
 さすがに世界中をしっかり調査するような調査能力もお金もなかったので、全部を調査できたわけではまったくないですが、この辺の近隣諸国で言えば、ここからカンボジアが危ないね、ということで、カンボジアにしました。

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――現地のパートナー団体や警察と協力し合って、売買春の摘発などにも取り組まれてきたそうですが、不思議に思ったことがあります。たとえば、現地のホテルから通報する仕組みをつくられたそうですが、そうした子どもを買って連れてくる人というのは、ホテルからするとお金を落としてくれるお客さんになるわけですよね。そう考えると、ホテル側というのは、どういうモチベーションで協力をしてくれるのでしょうか。やはり影では心を痛めていたということですか?
 
青木:当時の活動のひとつにホットライン事業というものがありました。人身売買の被害をみたら通報できるように電話番号を様々な場所、特にホテルなどに掲示していこうという事業です。その中で、私たちが直接ホテルと交渉したのではなく、警察への支援を通じて、その部分が強化されていきました。
 たしかにホテルも対応が分かれて、そういうことをまったく気にしないどころか、むしろホテルの従業員が斡旋しているようなケースもあったと聞いています。とはいえ法律や世の中の流れというものがやっぱりあって、たとえば「それは法律的に許されないので発覚すれば営業に問題が出ます」とか、「そのホテルの人たちが捕まります」というような話になってくると、ホテル側もこれはまずいということで協力してくれるようになってくるわけです。
 やはり法律が浸透してきたり、それに伴って取り締まりが強化されていけば、ホテル側の意識も変わる。そういうインセンティブですね。
 
――どちらかというと、ホテルの人々の良心に訴えてというよりは、制度側から縛りをかけていって、という感じだったんですね。
 
青木:そうですね。私たちのカウンターパートである内務省とか、警察の方々がかなりがんばってくれて。それに加えて現地NGOの啓発活動もあって、結果としてそうなっていったと。
 
――警察に対する支援というものは、かものはしプロジェクトが始めるまで、ほかの方々はあまりやっていなかったんですか?
 
青木:そんなことはないですよ。むしろユニセフさんとかワールドビジョンさんといった大きな団体が連携してつくった枠組みに、僕たちが途中から入って行ったような感じです。予算額とかも全然違うんですが、その一連の取り組みの中で、僕たちは内務省を支援して、警察のトレーニングをするという部分に参加したと。やっているうちに、気づくと最後は僕たちしか残っていなかったんですけど。
 
――最後にはかものはしプロジェクトしか残っていなかったというのは?
 
青木:僕たちも完全には理解していないんですけど、ひとつは、国際NGOの活動にもトレンドのようなものがあって、担当者が代わったら重点施策が変わるとか、イシューやお金の出し方が、そのときどきで大きく変化するんです。私たちが参加していたのはもう10年くらいやっているプロジェクトで、かものはしが参加していたのは後半の5~6年くらいでした。その活動自体が長かったということもあって、最初は華々しく成果が出て来たけれども、だんだんと収束点が見えてくる。違う分野にもお金や力を割いている方々なので、そういう状況を踏まえてのやりとりや駆け引きがあったんだと思います。子どもが売られるという問題は、2011~12年頃をピークにどんどん改善がみられて、カンボジアから撤退する団体も出てきていましたから。
 
――もう大丈夫だろうと思って、支援のリソースをほかの地域や分野に回すために引いていく。
 
青木:そうですね。「カンボジアも発展してきているから、あとは自分でやれるよね?」というようなスタンスの国際機関もあったし、NGO側からしても助成金を受け取るにも、アフリカとか違う地域のほうが予算を獲得しやすくなっていたりといった変化があったのが、2013~2014年頃ですね。また一方で注目すべき事としては2011年くらいから、企業のカンボジア投資が劇的に増えたんです。カンボジアの民間の経済発展は、その辺りからより顕著になっています。
 
――それは、何があったんでしょうか。
 
青木:日系企業の間でもカンボジア投資元年とか言われていたんですけど、理由はいくつかあったように思います。ひとつはカンボジアの経済が安定してきて、インフラ的にも法律的にも、いろんな意味で徐々に準備が整いつつあったこと。そうした現地の発展を受けてだんだんと企業がカンボジアに来るようになってきました。
 ふたつめには、たしか2008年から2011年くらいだったと思うんですけど、中国とかタイとか、どちらも人件費が高くなりすぎてきていた。コストが合わなくなる中で、チャイナプラスワンとか、タイプラスワンということで、次の展開国を探す企業が増えてきた。東南アジアでいうと、候補地としてはカンボジアとミャンマーの二択みたいな状況で、ミャンマーがまだそこまで発展していなかったこともあり、カンボジアに進出する企業が一気に増えたんです。

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――かものはしプロジェクトが目指すのは、「子どもが売られない世界」ということですが、その前提として、「こういう社会になっていたら、子どもが売られなくなっている」という社会の状態としては、どんなものをイメージされていますか?
 
青木:それは地域別にありますね。「インドではこうなれば子どもが売られなくてすむんじゃないか」「カンボジアではこうなれば子どもが売られなくてすむんじゃないか」という僕達が思う社会変革の仮説、つまりセオリーオブチェンジがそれぞれにあります。でもそれは、同じ地域の中でも、個別の事情や状況の中でどんどん変わっていくので、活動しながら深めていっているという感じです。
 たとえば、最初に学生で始めたときは、「基本的にほかに仕事がないから子どもが売られてしまうし、貧困とか教育の問題が大きいから、そういうところにアプローチしなきゃいけない」と思っていたんですけど、たとえばカンボジアの事業でいうと、貧困や教育の課題を解決するよりも、児童買春のなくなるペースのほうが早かった。
 だから、貧困や教育の課題を解決することは、子どもが売られない世界をつくるための十分条件ではあるけれど、必要条件かと言われると違うんじゃないかなと思うんですね。法律とか警察というアプローチがときにすごい早さで効くこともありますから。
 そう考えると、どういうふうにやったらこの問題がなくなるのかといったことは、ひとつに決まった答えがあるわけではなくて、常に調査し続けながら考えていかなければいけないんだなと思っています。
 もっと難しいのが、そもそもその問題がいま存在しているのかしていないのか、非常にわかりづらいということ。児童買春、性的な人身売買という問題の特徴として、アンダーグラウンドで起きているため信頼できる統計などほぼ無い状況でした。
 
――では、カンボジアでは児童買春の問題の改善状況は、どういう指標で判断されているんですか?
 
青木:正直苦労しながらですが、大きく分けてミクロ的なものとマクロ的なものをそれぞれ見て慎重に判断しています。ミクロ的なものとしては、いわゆる売春宿や被害者を受け入れるパートナーのシェルターの様子を調査する中で、たとえばシェルターで保護している人のうち、この問題の被害者が何%を占めているか、などを追ってきました。昔は本当に性的な人身売買の被害者が来ることが多かったあるシェルターも、いまではDV(家庭内暴力)やレイプの被害者が増えていて、2012年くらいからそちらの被害者の方が多くなっている。それはやっぱり、状況がだいぶ変わってきたということ。ほかにもパートナーの警察の人身売買特別対策局から最近の事件のトレンドなどを常に情報収集したり議論するように努めていました。
 とはいえ、やっぱりそれだけではわかりづらいところもあって、被害の形態が変わったりすることもあるんですよね。売られる形態といった犯罪の方式が変わるとか、起きている場所が変わるとか。ミクロだけだとそういうのを逃してしまうこともあるので、就学率の変化や、経済的な発展の様子もマクロ的に見ていきます。
 それに加えて大事だったのはやっぱりほかの団体とのやり取りですね。国際NGOの中でもこの問題の解決に取り組んでいる団体には、調査力も高く信頼できる団体もあり、そういう団体との議論や調査報告も参考にしてきました。そういった様々な情報をうけとりながら、自分たちの中で十分議論していくというスタンスです。
 それでも最終的には安心できない、というと変ですけど、いまはカンボジアでは一旦児童買春の問題は解決に向かっているように見えるけど、貧困とか教育の問題は残ってるから、いつ揺り返しがくるかわからないな、と思ったりするわけですよね。3年後蓋を開けてみたら元に戻っていた、なんてことは望んでいない。そういうリスクも考えて、すごく慎重に判断するということをやってきました。

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――そんな中かものはしプロジェクトとしては、2017年度末をもって、団体創設当初から続けてきたカンボジアでの活動終了を決断されたそうですね。さまざまな調査の結果、活動の成果もあり、カンボジアにおける児童買春の課題は解決しそうだと思われたからということですが、青木さんもコミュニティファクトリー事業ごとかものはしプロジェクトから卒業し、独立されると伺っています。かものはしプロジェクトに残って、違う地域で児童買春の課題の解決に取り組むという選択肢もあったと思いますが、卒業と独立という道を選ばれた思いを伺えますか?
 
青木:僕はカンボジアに行って8年になるんですけど、自分のライフミッションが見えて来た、やってみたいことができてきたということがいちばん大きなポイントです。
 カンボジアそのものが好きだということはもちろんあるんですけど、女性たちがライフスキルを身につけて、エンパワーメントされていく。いきいきと自分の未来を語り始める。そうやって人が変わっていくシーンを見ることが好きなので、そういうことに自分の人生を使っていきたいと決めたんです。
 コミュニティファクトリー事業は、僕のやりたいこととかものはしプロジェクトのやりたいことが一致していた事業だったんです。児童売買春の予防にもなっていたし、人々のエンパワーメントの場にもなっていたと。
 「かものはしとしてはコミュニティファクトリー事業を閉じ、カンボジア支援を終了します」ということになったとき、僕の選択肢は、インド事業の駐在員や日本本部での資金調達担当をはじめいろいろなものがあったんですが、自分のライフミッションを追求するかたちで、カンボジアに残る問題を解決していきたいと思ったんです。けっこう悩みましたけどね。1年くらいかけて考えて、決断しました。

――青木さんのライフミッションとは、どのようなものですか?
 
青木:僕がすごく大事にしているのは、自分の人生や意思決定を、本当に素直に自然に、いきいきとできるかということ。毎日ワクワクしているかということ。
 コミュニティファクトリーの女性たちや社会的弱者だった人たちが、安心・安全をまず手に入れて、その中でものを考えたり決めたりする力、ライフスキルを身につけて、自分で人生を切り拓いていくということに前向きになっている、ワクワクしているという姿を、死ぬまでに一人でも多く見るということが夢です。
 
――現在のコミュニティファクトリー事業についてもいろいろやってみたいことがあってしばらくはフルコミットされるということだと思いますが、今後たとえば、カンボジアの中で違うお仕事をされるであるとか、カンボジアとは違う地域で、同じような活動をされるということもあるのでしょうか。
 
青木:おっしゃる通りで、新規事業の開発も進めていたりとか、ほかの国に行くということも、ビジョンとしては持っています。
 
――基本的には貧困国を対象に?
 
青木:僕の中ではその辺りをターゲットにしています。安心・安全の確保やライフスキルが課題になるのは、やっぱり貧困国が多いので。
 でもやればやるほど、かかわればかかわるほど、実はユニバーサルな問題で、たとえば僕がやっているライフスキルトレーニングは、育て上げネットの工藤さんが取り組んでいる問題と、オーバーラップする部分が多分にあるんですね。シチュエーションとかターゲットが置かれている状況は多少違いますけど、起こしたい変化はかなり似通っているところがあって、そういう意味ではそうした日本国内の活動から学ぶ部分も本当に多いです。
 「途上国でしかやりません」とか「アジアでしかやりません」なんて言うつもりはないんですけど、いまは東南アジアにご縁があるので、その辺りからやりたいなあとは思っています。

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――これまで活動をされていて、いちばん苦労したことと、またいちばん嬉しかったことはなんですか?
 
青木:僕、よく言うんですけど、あんまり昔のこと覚えてないんですよね。だいたいよかった、思い出はすべてよかった、みたいな(笑)。
 物理的に大変だったということはあります。たとえばお金がなくなりそうになったとか。学生の頃、IT事業で仕事が遅れて、発注元との関係が悪くなって多額の損害賠償を被りそうになるという失敗があったんですね。きちんと納品するために3週間泊まり込みで作業したりして大変だったんですけど、最終的にはその仕事をちゃんと最後まで終わらせることができました。当時の関係者に迷惑をかけたことはありますが、それもいまとなってはいい思い出の一つですね。年を経るごとに、あの大変な中でこそよく成長したなあ、と思い出が美化されていっているので、正直苦労したことはあんまり覚えていない(笑)。
 あとは、ここ3年間くらいのリーダーとしての旅は、辛かったような気がしますね。リーダーとしての自分のクセと問題点と、それに対する諦めみたいなものをもてるように割り切ったりしながら進んで行く過程が大変でした。
 
――それでも、辛かった「ような気がする」(笑)。
 
青木:いやいや、大変でしたよ(笑)。
 スタッフが辞めてしまうこともありましたし。やっぱり創業者として組織の真ん中にいると、よくも悪くも自分のクセが組織の限界をつくる部分があるということを痛感しました。もちろん一方で自分のいいところが組織を伸ばしているところもあると思うんですけど。
 リーダーたるもの、本当はこういうことを身につけなければいけない、こういう存在でいなくてはいけない、けれど自分にはそれができない、とか。部下にも自分はこういうリーダーであるということを認識してもらった上で、役割分担してやっていくという方向にモードを変えていけるまでの関係づくりはけっこう大変でしたね。「もう辞めます!」とか言われたり。「あなたは私の求める理想のリーダーではない!」と(笑)。そういうことはありましたね。
 
――青木さんのおっしゃるご自身のクセというのは?
 
青木:ビジョンを示して先頭に立ってみんなを力強く引っ張っていくとか、メンバーをケアしてモチベーションを上げていくといったリーダー像を求められても、僕はそういう感じではないんですよ。
 最近よく言っているのは、僕のリーダーシップは「港」スタイルだということです。「船長は君たちです。僕は港だから、ときどき帰って来てね」と。僕も船に乗ったりしますが、どちらかというと、メンテナンスしたり、お互いの情報を共有・交換したりして、みんなが行きたいほうに行けるように一緒に船をつくって送り出すイメージです。
 みんなが船長としていきいきとやっているかどうかが僕にとっていちばん大事なことであって、カンボジアの女性たちに対して僕が思っているのと同じ思いや願いを、かものはしのマネージャーのみんなにも持っている。自分はそういうリーダーなんだなと思っているので、僕自身は引っ張らない。むしろ港なので止まっているくらい(笑)。
 そういう自分自身のリーダー像が僕の中でも明確になってきて、僕の思いや考えているもの、おぼろげながらも存在するビジョンといったものをみんなに共有しながら、関係性を丁寧につくっていく中で、経営チームとしてワークするようになってきました。
 大変だったこととして質問頂いて話し始めたはずなのに、実はこれがいちばんうまくいったことでもあるんですね。この1年半くらいの間にカンボジアの経営チームが激変して、すごく機能するようになったんです。いままでは「青木さん、次はどうしたらいいですか?」「今日は青木さんが出社しないんだけど、どうしよう」という感じで、みんなが僕を頼るし、僕もそれを抱え込んでしまうし、それが辛くてなかなかパフォーマンスが出せないしみたいな悪循環があったんですが、今はチームの一人ひとりが自分で考えて、「チームとして一緒に経営をやっていく」という感覚を持てるようになってきた。
 現在コミュニティファクトリーの経営チームには日本人3人とカンボジア人2人がいるんですが、それがこの1年半で最もうまくいったことですね。
 
――かものはしやコミュニティファクトリーのメンバーに限らず、楽しくいきいきと働ける環境をつくるということを、一貫して大事にされているんですね。
 
青木:そうですね。組織の中でも外でも、それをいちばん大事にしています。
 もうひとつ、自分にとって大事な価値観のひとつに、いつでも丸腰でいられるかどうかというものがあります。生きていく上では、武器を持ったり鎧を着たりすることも多いじゃないですか。例えばリーダーとしてのあるべき姿ってどんなものだろうとか、外的な役割として求められるものも生きていく中で身につけていきますよね。そういう武器があるから物事を早く判断できたり、素早く処理することができたりしてうまく日々を生き延びている。そういう意味で武器や鎧を持つこと、それを磨いていくことは大事なことだと思うんです。
 でも、その武器や鎧に振り回されてしまったり、自分のありのままの姿とは実はかけ離れてしまってきていてエネルギーをだんだん消耗していくときもあります。とくに、人と対峙して寄り添って関係を作ったり、痛みも含めてアドバイスをきちんと受け止めなければいけなかったりというときにはその鎧が邪魔になるかもしれません。相手はその人がどこから喋っているのか、自分の言っていることを心で受け止めてくれているのか、ということにとても敏感ですから。
 だから、自分の武器を否定する必要はないのですが、その武器や鎧にできるかぎり自覚的であって、人と向き合うときにはそれらを外したりもできるということも大事だと思うんです。自分自身の心とつながって、身ひとつで人と向き合える強さや成熟みたいなものを持てるかどうか。成熟と言うより未熟な自分を割り切ってその場に出せるしなやかさ、ということかもしれません。そういうしなやかさをもって生きていけるかどうかということを、自分自身にも問うているし、みんなにももっとそうなってもらえればと思います。
(第三回「商品を通じて、エネルギーと応援を届けたい」へ続く)
 
青木 健太(あおき けんた)*2002年、東京大学在学中に、「子どもが売られない世界をつくる」ことを目指し、村田早耶香氏、本木恵介氏とともに「かものはしプロジェクト」を立ち上げる。IT事業部にて資金調達を担当した後、2008年よりカンボジアに駐在し、コミュニティファクトリー事業を担当。
 
【写真:長谷川博一】

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