社会課題の解決が加速する社会を目指して

一般社団法人 防災ガール 代表 田中美咲 (聞き手:PHP総研 山田花菜)

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田中さんのインタビュー第1回、第2回はこちら:
防災が当たり前の世の中をつくりたい
被災地支援の現場から防災へ
 
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1、時代や環境、世代で異なる防災への意識と伝え方
 
――「防災ガール」は、20代、30代の若者をメインターゲットにされていますよね。そのくらいの世代と、親やおじいちゃん、おばあちゃんの世代では、やはり防災意識にギャップがあるものですか?
 
田中:あると思います。いま、消防団員の平均年齢は44歳と言われていますが、実際は登録しているだけの20代、30代も多いので、現場で活躍されているプレイヤーは60代70代も多いです。50代でも若手と言われるくらいの業界なんです。中核となっているのは阪神淡路大震災の経験者だったりして、「なんで防災しないんだ!」「やるのが当たり前だろ!」というくらいの強い気持ちを持っている方も多い。
 でも、私たちの世代って、頭ごなしに強く言われると反発を感じるし、面倒くさいと感じたことはやらなかったりする。「ゆとり世代」という言い方でくくるのも変ですが、自分の生き方は自分で決めたいし、大企業だってつぶれるんだから、と「昔からこうしてきた」とか「これはこういうものだ」というだけでは通用しない世代ですよね。その世代に対して、「防災とはこういうものだ、こうしなさい」と言っても、やっぱり伝わらない。
 なので、私たちの世代に有効な防災の伝え方は、出来上がったルールを教えることではなくて、どう生活を豊かにするか、どう生き抜くか、どうアトラクションとして楽しむかという中に織り交ぜていくことだと思っています。
 
――いわゆるジェネレーション・ギャップなんでしょうね。
 
田中:そうですね。時代や環境の違い、あとは選択肢の多さが全然違うということもあるんだと思います。また、育ってきた環境がけっこう影響すると思っていて、都会と田舎でも全然違う。都会では、隣人とのコミュニケーションが減って、コミュニティが希薄になっています。阪神淡路大震災では、近隣の人が助け合う「共助」がよく機能したと言われていますが、いま都会で暮らす上では、むしろ近隣の住民にも部屋番号を知られないようにするのが防犯の基本だったり。そう考えると、違う時代、違う地域のルールを、そのまま持って来ることはできないんですよね。
 
――なるほど、地域や世代によっても、防災のあり方、伝え方は変わってきそうですね。子どもたちや高齢者など、20代、30代とは同じようには動けない世代の防災などにも、いずれは取り組まれるんですか?
 
田中:そうですね。根本的に解決しようと思ったら、どんな社会課題も最後は教育ということになっていくんだと思うので、いずれ子どもたちにもと思ってはいますが、いますぐ動ける力を持っている世代が何もできていないのが嫌だなと思っているので、いまは20代、30代に的を絞っています。あまり対象を広げてあれもこれもやってしまうと、結局誰に何を伝えたいのか、見えにくくなるだろうなということもありますし。
 でも、高齢者や障害者などの、災害弱者になりやすい方々の防災も必須なので、防災ガールが取り組むかどうかは別として、防災業界として仲間を集めて解決しなければならない課題だと思います。
 
――現在ターゲットにしている20代、30代は、10年後には30代、40代になっていくわけですが、防災ガールでは、常にそのときの20代、30代をターゲットに啓発に取り組むことで、 防災意識を継承させる狙いですか?
 
田中:そうですね。なので、いつか私も卒業すると思います。
 
――なにか次にやりたいこと、見据えていることがあるのですか?
 
田中:まだ考え中ですが、いまの「防災ガール」をそのまま続けていくイメージは全く持っていないので、やりたいと言ってくれる後輩がいれば、すぐにでも引き継ぎたいと思っています。
 もちろん活動が嫌になったのではなくて、活動開始から3年間、私がやれることをやってきましたが、このままでは「私が」できる範囲を越えないので、違う人に引き継ぐことで、新しい風が入って、新しいことができるようになると思うんです。まだ若い団体なので、引き継ぐといっても理事などのかたちでかかわり続けると思いますが、代表は新しい人と交代したほうがいいなと。
 個人としても防災は続けていきたいのですが、日本の災害確率が高まっているので、もう少し緊急時用の仕組みをつくるほうにいこうか、迷っているような感じです。

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2、判断基準は「お金がなくても続けたいと思えるか」
 
――組織運営についても少しお伺いしたいと思います。組織として活動していくためには、人材、資金、モノ、情報、スペース等いろいろなものが必要だと思いますが、どうやって集められていますか? また、もっとも集めるのが大変なものはなんですか?
 
田中:人については基本的にはインターネットで集めています。初めは復興支援仲間から始まって、その友達に広がっていって、それがムーブメントになって、ツイッターやフェイスブックを見て「入りたいです」と言ってくれる人が出て来て、という感じです。メディアを見て集まってくれた人たちで、いまは全国から集まり100人くらいでの活動になっています。
 コアメンバーとして運営の中核に入ってもらうときには、会ってみて、一緒に仕事をしやすいかどうか、同じビジョンを共有できているかどうかを確認させてもらっています。
 お金については、ビジョン達成のための事業でのみ稼ぐと決めています。はじめからお金を求めると、お金を稼ぐための団体になってしまうので、私はそれは絶対したくないんです。「お金がなくても続けたいと思えるか」を基本にして、考えて、防災を若者に広めたいという私たちの思いに合致するお仕事ならやらせていただくし、そうでないのであれば、どんなにお金がよくても絶対にやらない。そうやって、相性のいいところとだけお仕事をして、お金をいただくようにしています。
 
――おお、素晴らしい。ミッションがぶれることがなさそうですね。
 
田中:新しい事業に手を広げすぎて、「結局なにがやりたいの?」と思ってしまう団体も多いですよね。そうなると、結局なんの社会課題も解決できない、自分たちの生活を維持するための活動になってしまう。そうなってしまうと、私たちがその活動をする意味ってないですよね。
 防災ガールもそうなってしまいそうな危うい瞬間は何度かあったのですが、私、「ああ、やりたくないな」と思うと旅に出てしまうんですよ(笑)。そうすると、事務局のメンバーも気づいてくれて「代表がやりたくないことなら、やめましょう」と判断してくれる。違うと思ったら、本当にさっと引きます。
 
――そんな田中さんがこれから新しく取り組もうと思われていることがあれば、お伺いできますか?
 
田中:先にお話しした地図情報を使ったグッズ開発がひとつ。
 もうひとつ、「#beORANGE(ハッシュビーオレンジ)」というプロジェクトを始めようとしています。津波防災をもっと大きなムーブメントにしようというもので、3つの行政と連携が決まっています。
 津波についても、地震と同様「防災しましょう」というだけでは変わらない。なので、津波発生時に避難所が視覚的・直感的にわかるように、避難所となるタワーやビルにオレンジ色の旗を掲げよう、というプロジェクトです。アートでもありムーブメントとしてのようなおしゃれなかたちで津波防災に取り組もうということで、沿岸部の3市町村と協力してアクションを起こそうとしています。
 
――なぜオレンジなんですか?
 
田中:海から見てもわかりやすい、視認性のもっとも高い色がオレンジだったんです。
 防災ガールのテーマカラーは安心・安全や落着きを表す緑なんですが、海って、真っ青ではなくて、グレーだったり緑だったりするので、緑の旗では景色に紛れてしまうんですよね。赤や黄も意外と目立たない。なので、発色のいいオレンジを掲げることで、「緊急時にはここに逃げろ」というゴール地点を示したいと思っています。
 日本財団さんから助成金をいただいて、3つの自治体と、現地のメディアと、現地の大学生も巻き込んだプロジェクトで、私たちは全体の仕掛けや仕組みはつくりますが、実際に回していくのは地元の人でないと意味がないので、一緒にやりながら、現地の人たちで回せるように引き継いでいきたいなと思っています。

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3、やわらかい頭で社会課題の解決を
 
――最後に、私たちPHP総研は政策シンクタンクとして政策提言を行っています。防災ガールの活動に限らず、社会課題の解決に取り組むにあたって、行政などに働きかけたいことがあれば、教えてください。
 
田中:ソーシャルスタートアップと呼ばれる、社会課題解決のために立ち上がった私たちのような若者がチャレンジできる場がすごく少ないということに、課題を感じています。防災面ではチャレンジの場もたくさんいただいていますが、たとえばドローンでAEDを運ぶということにチャレンジしようとしても、ドローンを飛ばせる場所が少ないので、なかなか前に進めないとか。行政の規制によって社会課題の解決に時間がかかるというケースは少なくないと思うんです。
 
 国はよく「若者のリーダー育成」とか「生き抜く力」を掲げていますが、現場ではなかなかそれを実行できていないというのはよくあるパターンですよね。そのやり方やノウハウを持っているスタートアップは実はけっこういるので、外からプロを呼ぶというか、スキルのある若者をもっと積極的に活用する考え方を持ってほしいなとも思います。
 
 「防災ガール」の活動でいえば、防災教育の仕組みや若者をリーダーにする仕組みはある程度できましたが、「予算がなくて、うちではできません」という自治体も多い。年度初めに立てた年間予算ですべてやらなければならない、ソフト面の防災の予算のつけ方がわからない、国に予算請求を通すためには成果物が目に見えるかたちで出てくるハードでないと難しいといった現実があって、防災ではソフト面がとても大事なのに、予算がとれないから対策が遅れてしまう。そういう現場に何度も遭遇しているので、もっと頭をやわらかくして、リスクはあるかもしれないけれど一緒に挑戦してほしいなと思っています。
 
――防災って、「これがなくていま困っている」というものではなく、来たるべき危機に備えるものだから、予算の根拠がつけにくいですよね。危機が起きてはじめて「ほら、やっていてよかったでしょう」と言えるんでしょうけど。
 
田中:そうなんです。まさにその理由で、防災ガールを立ち上げるときも、「防災で食っていくなんて無理だ」と多くの方から言われました。なので、団体としても「そこをきっちりクリアしよう。業界を変えよう」と決めて活動を始めました。いま、防災ガールの活動で3人のスタッフがなんとか食べていけているので、防災でも食っていけるぞ、というところを示せているかなと思っています。
 
 お金を稼ぐための活動にはならないようにしていますが、防災業界に限らずこうして意味のあるかたちで社会課題を解決しつつ、ちゃんとお金も稼いでいる組織をつくることができたということは、ひとつの解決モデルになれるのではないかと思っています。がんばらないと。
 
 国が社会的インパクト指数をきちんととって、営利・非営利、売上規模や人員規模といったものにしばられず、「この団体の取り組みがどれだけ社会を変えているか」ということをきちんと可視化できるようになれば、みんなその団体を伸ばそうと応援すると思うし、小銭稼ぎのNPOは淘汰されて、社会課題解決のスピードも上がっていくと思います。そんな社会になっていくといいですよね。
 
――本日はありがとうございました。
 
田中 美咲(たなか みさき)*1988年奈良県生まれ、横浜育ち。2011年、立命館大学卒業後、株式会社サイバーエージェント入社。ソーシャルゲームの制作を手掛ける傍ら、東日本大震災の被災地支援に携わる。2012年に同社を退社し、公益社団法人助けあいジャパン入社。福島県で支援事業に従事。2013年に防災に関する普及啓発を行う任意団体「防災ガール」設立。2015年に法人化し、代表に就任。現在に至る。
 
【写真:長谷川博一】

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