No.2を目指す人を増やしたい

NPO法人 e-Education 代表 三輪開人

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三輪さんのインタビュー、第1回、第2回、第3回はこちら:
バングラデシュの村へ最高の授業を届けたい
拡大フェーズの混乱と代表の交代を迎えて
大学合格者数のその先に、e-Educationが目指すもの
 
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――三輪さんはe-Educationの活動に一本化する前に、マザーハウスとJICAでお仕事をされていたということですが、それぞれを志したきっかけをお伺いできますか?
 
三輪:大学3年生の頃、このまま大学生活を送っていていいのだろうかと不安になった時期があって、世界を見てみようと海外に出てみたのがきっかけでした。バックパックで旅することにしたんですが、お金がないので物価が安い国を選んで回っていたら、結果的に途上国ばかりになったんです。
 
 中でもいちばん思い出深いのは、ラオスです。ラオスの村でお祭りに参加したんですが、恥ずかしいことに、なんと私は酔いつぶれて倒れてしまったんです。日本人なんて一人も住んでいない、英語を話せる人もほとんどいないような村だったんですが、そんなところで、パスポートも財布も入ったバッグをどこかに置きっぱなしにした状態で、意識を失ってしまった。気が付くと、旦那さんが英語の先生をしているという一家に助けられていました。私の荷物なんかも、全部回収してくれていて。二日酔いでがんがんする頭を抱えながらお礼を言ったら、「自分は過去にJICAの青年海外協力隊の支援を受けたことがある。それ以来本当に日本人が大好きで、君みたいな人が来てくれて本当にうれしい」と言ってくれるんですね。
 
 こんな日本人観光客はほとんど来ないようなところでも活躍していた人がたしかにいて、そのおかげで酔っぱらって倒れているバックパッカーを助けてくれる人がいる。そのことがすごく新鮮だったし、本当に価値のある、素晴らしい仕事があるんだと知りました。自分もそういう人たちのようになりたいと思ったし、なによりも、私を助けてくれた家族の人たちが、本当に楽しそうに、嬉しそうに接してくれるのを見て、本物の国際協力とはどういうものかを見せてもらったように感じたんです。一方的に上から与える、教えるということではなくて、現地の人たちと笑いながら協力し合って生活していった先に、こうした絆や信頼関係が生まれたんだろうなって。彼らを助けたいというよりも、こういう人たちと一緒になにかいいことをしてみたい、社会のために、誰かのために、おもしろいことを仕掛けていきたい。それはきっと誇れる仕事になるだろうな、と思ったことがJICAを志したきっかけでした。国際協力に特別思い入れがあったということではなくて、酔っぱらったことがきっかけなんです。なんだかすみません(笑)。
 
――いえいえ、逆に親近感がわくような感じがします(笑)。
 
三輪:それまで国際協力なんて机上の学問でもかじったこともなかったのですが、ラオスでの出会いをきっかけに、草の根的にいろんな団体の活動に参加したり、個人でボランティアをしたりしながら海外を見て回る中で、やっぱりもっと大きなものを変えていく必要があると思うようになって、いちばん草の根的な部分から、大きな政策の部分まで、広く携わることができるのはどこだろう、と考えたときに、はじめてJICAという選択肢が自分の中に浮かんできたんです。

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――まず国際協力やソーシャルの世界に入るきっかけそのものに出会わないという人が多いと思うんですが、いまそうした世界で活躍している人にお話をうかがうと、きっかけは意外とひょんなことが多いような気がしてきました。
 
三輪:私にいたってはとくにそうかもしれません。アツ(e-Education前代表の税所篤快さん)はもともと中学の頃からカンボジアで井戸を掘るとか、社会の課題がよく見えていた学生だったと思うんですが、私は高校まで野球漬けで、大学に入るまでは野球と勉強と恋愛とで頭の100%を占めていて、国際協力のコの字もありませんでしたね。
 
――ふつうの高校生はそうなんじゃないでしょうか(笑)。むしろ、税所さんが中学の頃からそうした問題に関心があった理由をご存じですか?
 
三輪:実は、どうやら目立ちたかったらしいんです(笑)。アツは別に運動神経がいいわけでもないし、勉強が得意というわけでもない。そんな彼が目立つ方法を考えてたどり着いたのが、人とは違うことをするということ。人とは違うこと、それも誰かの役に立つことをすることで目立ちたいと。きっと、人から認められたい、誰かの役に立ちたいという思いが、人の何倍も強い子どもだったんだと思います。
 
――三輪さんのお話に戻すと、マザーハウスでのインターンには、どんなきっかけがあったんですか?
 
三輪:原体験から途上国の役に立ちたいという思いがあったので、大学卒業後はJICAへ就職したんですが、実は商社や自動車メーカーからも内定をいただいていました。ビジネスで途上国に貢献していくか、JICAのように直球で国際協力をするか悩んだのですが、最終的にJICAを選んだ代わりに、4年生最後の一年間は、今後もしかするとかかわる機会のないビジネスの世界で途上国に貢献する経験をしようと、自分なりに決めたんです。それから途上国でビジネスをしている団体を探して、マザーハウスにたどり着きました。ちょうど創業者の山口絵理子さんが情熱大陸に出て、本も出版されたタイミングだったんです。
 
 私の実家は静岡のお茶農家で、ゴールデンウィークのお茶摘みを終えて実家から帰る新幹線の中で山口さんの本を読んでいたんですが、お茶づくりも鞄づくりも、究極は「ものづくり」だと思うんです。自分たちの手でつくったたしかな「もの」がお金に換わるということが、たしかな手触り感のあるビジネスとしてわかりやすいなと思ったので、新幹線を降りたその足でマザーハウスのお店へ行って、「インターンをさせてください!」とお願いしました。就活前にマザーハウスを知っていれば、そのままマザーハウスへの就職を希望していたかもしれないと思うくらい、当時衝撃は大きかったですね。
 
――マザーハウスでのインターンからはたくさんのことを学ばれたということでしたが、いまの活動にどんなふうに活かされていますか?
 
三輪:マザーハウスという会社には、私はいまでもすごく憧れを持っていると同時に、将来はこんな組織をつくりたいという思いを持っています。具体的に言えば、前へ前へと突き進んでいく山口絵理子さんという社長がいて、それを隣で支える山崎大祐さんという副社長がいる。私は山崎さんの下でずっとインターンをしていたということもあって、彼のように起業家を横から支えるタイプの経営者になりたいなと思ったんです。それでe-Educationは、アツに代表として前に出てもらって、私は横や後ろからそれをサポートするというかたちでスタートを切りました。

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――e-Educationは設立から5年目に代表が交代し、三輪さんが二代目代表を務められていますが、代表を交代して、これまででいちばん大変だったことはなんですか?
 
三輪:代表になってからいちばん辛かったことは、初代代表である税所篤快の壁でした。「税所篤快だったら」という比較を何度も何度もしてしまったことが、本当に苦しかった。自分自身に対してもそうですし、周りに対しても「税所篤快だったらこう言うと思うよ」という説明をしている自分に気が付いて、まずいなと思ったんです。
 
 それで、すごく尊敬している先輩に相談に行きました。いまNPO法人カタリバの常任理事と、ソーシャルベンチャー・パートナーズ(SVP)というNPO法人の二代目代表を務めていらっしゃる岡本拓也さんという方なんですが、岡本さんも私と少し似たような経緯でSVP二代目代表になられたということで、「私はどうしたらいいんでしょうか」と相談したら、「結局三輪くんは三輪くんにしかなれない」という答えが返ってきたんです。
 
 私は、e-Educationのストーリーを語るにしても、講演会をするにしても、いつも「税所篤快は」を主語にしてしまっていました。でも、「三輪開人にとってのe-Education」がたしかにあって、それは、先ほどお話したような高校時代の授業風景とたしかにつながっているものなんだということ、それが自分の力になるんだということがわかったときに、すごく楽になったんです。
 
 昨年受講した「NPOマネジメントスクール」の講師である山元圭太さんも、「自分ごとで語れ」とおっしゃっていたんですが、その人がNGOで働く意味、意義というものを考えるときに、代表の思いに共感したというだけではなくて、自分自身の生き方がどう組織のビジョン・ミッションと結び付いているのか腹に落とすようにすると、先代の壁、私の場合は税所篤快の壁のようなものが、まったく気にならなくなる瞬間が来るんじゃないかなあ、と思っています。私にとっては、自分自身も東進で学んできましたし、高校時代見た光景をなんとかしたいという思いもありましたし、なによりもやっぱりe-Educationをやってきて楽しかったなあと思った瞬間は絶対に自分のものだと思えたので、その瞬間に始めて、e-Educationの代表というか、経営者としての第一歩を切れたような気がしましたね。
 
――それは、代表になってからどのくらい経った頃でしたか?
 
三輪:長かったですね。正式に代表を交代したのは2014年7月だったんですが、その前年11月に私がJICAを退職してからはほぼ私ひとりで意思決定をしていたので、その時点が実質的な代表交代だとすると、そこから1年間くらいでしょうか。たぶん、税所篤快のことが、いちばん嫌いだった1年間でしたね。あんなに大好きだったパートナーなのに、お前なんかいなきゃいいのに、くらい憎らしく思えてしまった。これは精神的にもまずいと思って、病院にも行きました。とくにカリスマと言われる創業者からバトンを引き継ぐ人たちは、たぶんみんなこの壁にぶち当たるんじゃないでしょうか。先代リーダーがいろんなものを背負って、いろんなものを乗り越えてきているほど、次代は苦しい。でも、その壁を乗り越えるためには、彼らの模倣をしていてはたぶんだめで、「自分ってどんな人間なんだっけ?」という問いに立ち返るしかないんだと思います。
 
 私は岡本さんに大きなヒントをいただいたんです。「小学校や中学校で、三輪くんがどんな人だったかというところに、もしかしたらヒントがあるのかもね」って。それでいろいろ振り返ってみたら、中学校では生徒会長をやっていたんですね。でも、どういうわけか副会長がよくスピーチをする生徒会だったので、いちばん前に出ているのは会長の私ではなく、2年生の副会長だった。野球部でも、私は2番というポジションがいちばん好きだったんです。一番バッターがヒットを打ったら、その人を前に進めるためにどうするのか、そこに頭をひねるのが、いちばん好きだった。
 
 そう考えると、自分はみんなの前に出て、「よし、みんなついて来い!」というタイプのリーダーではないんだなと、素直に思うようになりました。仲間の力を引き出すということが、自分の最大の武器なんだと。人前に出て話すのが得意な人もいれば、横から支える人、細かく手を動かす人、人を動かすのが上手な人、いろんな人がいると思うんですけど、その人に合ったやり方で「代表」を背負わないと、潰れてしまうような気がします。私はぎりぎり仲間に助けてもらえましたけど。税所から教えてもらったことはたくさんありましたが、一旦それを取っ払って、自分はどういう経営者なのかということを考えないと、前に進むことができませんでした。
 
 営利企業であれば、売上をあげるためのこれまでのやり方を踏襲するかたちで、ある意味個を殺してリーダーになることは不可能ではないと思うんですが、NPOでそれをやってしまったら、本当に終わりだと思っているんです。個の思いがあって始まった活動から、個の思いが離れてしまった瞬間に、NPOのいちばんの醍醐味である「自分の思いを実現できる」というところから、はるかに離れてしまう。だから、これは私もまだ自信を持って言える段階ではないのですが、経営者自身がいちばん楽しめるような組織風土をつくっていかないといけないんじゃないかなと考えています。代表が苦しみながら経営をしていたら、それを見ている職員や社員の人たちもみんな苦しくなっていってしまうと思うんです。だったら、それが仮に昔と違っても、その団体らしくないと言われても、代表自らがいちばんわくわくできるかたちでやったほうがいいんじゃないかな、と思っています。

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――そんな苦しい思いもたくさんされてきた三輪さんが、e-Educationの活動を続ける中で、これまででいちばん嬉しかった瞬間はどんなものですか?
 
三輪:これはですね、そうは言いながらもまた税所篤快絡みになってしまうんですけど(笑)。彼の最初の本が出た瞬間は、私は世界でいちばん幸せ者だと思ったくらい、嬉しかったですね。がんばっている人がすごく輝く瞬間があると思うんですけど、そのいちばん近くにいて、彼を応援することができたということ。アツが嬉しそうにゲラを持って来て、「開人さんのおかげです」と言ってくれたあの瞬間、たまらなかったですね(笑)。
 
 二番目は、e-Educationの映像授業を受けていた子が大学に合格して、その子の家にインタビューに行ったら、その子のご両親から、「ありがとう」と泣きながら手を握ってもらえたことです。生まれてこの方、あんなに感情のこもった「ありがとう」をもらったことはなくて。この仕事をやっていて本当によかった、と思いました。それでもうこれ以上の感動はないと思っていたところに、アツの本が出た(笑)。e-Educationの活動を通して途上国の子どもたちが笑顔になる瞬間が嬉しいのは間違いないんですが、アツの最初の本が出た瞬間の喜びは、いままでで最高のものでしたね。
 
――三輪さん、税所さん好き過ぎですよ(笑)。それでは最後に、そんな三輪さんが、e-Educationではなく、個人として実現したいと考えている社会の姿を教えてください。
 
三輪:私は「がんばる人が前に進める社会」ができたらいいなあと思っています。世の中を変えたいと思ってがんばっている人って、たくさんいると思うんですけど、彼らを応援したり、サポートしたりする人の数がまだまだ足りないなと思っていて。
 
 税所篤快が起業したいと言ったときも、お互いラッキーだったのは、私がそういう人を支えるのが大好きだったこと。アツに伴走するかたちで、e-Educationの活動をここまで一緒にやってこられたということをすごく誇りに思っているので、私自身はがんばる人を応援する人でありたいし、社会としても、がんばる人を支える人がもっと増えてほしいと思っています。
 
 個人的には、「No.1になりたい?No.2になりたい?」って訊かれたら、「No.1を支えるNo.2になりたい」って答える人が、半分くらいいてもいいんじゃないかと思っているんです。この楽しさって、一度味わうとけっこう病みつきになると思うんですよ。誰かが一番になったときに、間接的にでも自分がかかわっていて、そこに対して「ありがとう」と言われる喜び。
 
 でもたぶんそういうポジションって、これまであまり光を浴びてこなかったんだと思うんです。だから、いま表舞台に立ってがんばっているリーダーの方々を隣で支えている人たちがもっと評価されて、そういう人たちにもっと憧れが持てるような社会になっていくといいなと思っています。
 
 テレビなどで紹介していただくときもそうですが、こういう社会を変えるための取り組みは、代表という一人の人間のストーリーを通して伝えるのがいちばんわかりやすいと思うんです。ただ、そうするとその隣にいる人がどれだけの苦労をしてきたのかということには、なかなかスポットライトが当たらない。だからこそ私は、そこに可能性を感じています。その人たちの苦労ではなくて、輝きをどう引き出して伸ばしていくのかということにこだわっていくと、「自分はNo.2になりたい」と思う人が増えていくんじゃないかなと、そう考えています。
 
 いま、e-Educationとは別に個人的にやっていることなんですが、企業のNo.2と呼ばれている方であったり、マネジメントを行っている方と仲良くさせていただいていて、そういう人たちの魅力をどうやったら引き出せるのかという、副代表インタビューを続けています。そういうところから小さく小さく仕掛けていきたい。ライフワークとして、二代目や二番目といった人たちがもっともっと光を浴びるような、そんな社会を目指していきたいと思っています。
 
――本日はありがとうございました。
 
三輪 開人(みわ かいと)*e-Education代表理事
1986年生まれ。早稲田大学在学中にバングラデシュにて税所篤快氏と共にNPO法人e-Educationの前身となる活動を開始。予備校に通うことのできない高校生に映像教育を提供し、大学受験を支援した。大学卒業後はJICA(国際協力機構)に勤務しながら、NGOの海外事業総括を担当。2013年10月にJICAを退職し、e-Educationの活動に専念。14年7月同団体の代表理事就任。
 
【写真:遠藤宏】

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