「共感×解決策」の掛け算で社会を変える

日本ファンドレイジング協会 代表理事 鵜尾雅隆

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「変える人」No.22は、寄付や社会的投資などの「善意の資金」の流れを10兆円規模に育てることを目指して活動を展開するNPO法人日本ファンドレイジング協会の鵜尾雅隆氏をご紹介します。
 
――まずは鵜尾さんが代表理事を務める日本ファンドレイジング協会の活動についてお伺いします。Fundraisingを日本語に訳すと「資金調達」ですが、単に「お金を集める」だけではない取り組みなのですよね? その目指すところはどこにあるのでしょうか。
 
鵜尾:ファンドレイジングとは、NPOや社会起業家と呼ばれる人々が、自らの取り組みに関して共感を得て、社会からお金を集めていくことです。
 
 NPO活動やソーシャルビジネスの中には、対価を受け取りながらやっていける事業ももちろんあるんですが、たとえば、難民の子どもたちを支援する活動で、難民の子どもたちにパンを渡す代わりに5ドル受け取るなんてことはできないですよね。社会の課題は、ビジネスモデルで解決できるものばかりではないので、そうした活動に対するお金の支援は、社会の課題を解決する上で重要な役割を果たしているんです。そういう中で、共感に基づいたお金の流れをつくっていくということが、ファンドレイジングだと思っています。これは、単にお金が集まればいいということではなくて、お金を集めるプロセス自体に非常に意味があるんです。
 
 たとえば、子どもの貧困という問題に取り組む団体が、子どもたちの置かれている状況を社会に伝えて、寄付を募りますよね。だけど、ただ問題の存在を示すだけでは、お金は集まらない。「この問題にはこんな解決策があります」ということを社会に提案して、共感してもらわなければいけないんですね。
 
 この「共感×解決策」の掛け算で物事が動いていくわけですが、それを知った人たちが、仮にいますぐには支援できないとしても、この一連のコミュニケーションの中で気づくことがあると思うんです。そんな問題があるんだ、とか、そんな解決策があるんだ、とか。そういったことを知ることは、その後その人たちが人生のどこかで、貧しい子どもたちのためになにか行動するきっかけになるかもしれない。
 
 それは寄付や現場でのボランティアといったことかもしれないし、あるいは職場で話すとか、家族に話すといったことかもしれません。僕は、NPOやソーシャルビジネスの取り組みは、自分たちで事業をやるのが半分、社会の人たちの意識を変えるのが半分だと考えているんです。
 
 わかりやすい例を挙げれば、地域の美化のために、ごみ拾いに取り組む団体があるとします。ただごみを拾うだけだったら、自分たちが人を動員して拾えばいい。だけど、そもそもごみを捨てる人がいなくなれば、それに越したことはないわけですよね。ごみ拾い活動を知った人たちが、「ごみ拾いでまちをきれいにしてくれている人たちがいるんだったら、自分たちもごみを捨てちゃ悪いかな」という気がしてきて、自分たちも気をつけるようになる。そうやって社会は変わっていくんだと思います。取り組みに共感してもらって、問題を解決していく。それがファンドレイジングの本質だと思っています。
 
 そして、そうしたことを通じて私自身がやりたいと思っているのは、社会のお金の流れそのものを変えることです。これまで日本には、企業と行政がしっかりしていて、そのふたつで社会が成り立っているようなところがあったと思います。ビジネスとしていろいろなことに取り組むのが企業で、社会で困っている人を助けるのは行政の仕事、という役割分担のようなものがなんとなく存在していた。
 
 だけど、これだけ少子高齢化が進んで、貧困の問題も出て来て、財政赤字が続いて、国の借金総額は1,000兆円を超えて、という状況になってくると、すべて行政に任せていたのでは、日本はとんでもないことになってしまうかもしれない。そうした懸念の中でNPOやソーシャルビジネスが注目されてきていて、プレイヤーも増えて来ています。
 
 行政とは違う社会課題の解決策やお金の流れをつくることができたら、企業、行政、ソーシャルビジネスの三者間でちょうどいい緊張関係のようなものができて、社会がもっとよくなっていくのではないかと、私は考えているんです。
 
――なるほど。行政には富の再配分の役割もありますよね。行政が企業からお金を集めて、足りないところ、必要なところに再配分するという機能を、行政と企業だけで完結させずに、中間地点のようなものをつくりたいということでしょうか。
 
鵜尾:そうですね。行政のもつ再配分機能は、間違いなくこれからも必要なんですが、ポイントは再配分が追いつかない状況になってきているということです。社会で再配分が必要な人たちが増えている一方で、経済成長はかなり抑制されていて、税収はなかなか増えない。もっとイノベイティブな解決策が必要なんです。単に必要な人に配るというだけでは、お金がいくらあっても足りません。
 
 だけど、いろんな企業と連携しながら、たとえばいま生活保護を受けている人が職業を得て自立するお手伝いする仕組みをつくるNPOがいれば、将来、社会保障費増を抑制できるかもしれないですよね。そういったイノベーションを起こすこと、行政だけではできないことをやること。それが、本来のNPOやソーシャルビジネスの役割だと思っています。

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――鵜尾さんがそうしたNPOの活動を拡大する必要性や、ファンドレイジングの重要性に気がつかれたきっかけはなんですか?
 
鵜尾:私が最初にこの話に関心を持ち始めたのは、20代前半の頃でした。1994年当時、私は外務省に出向していて、タンザニアに出張していました。外務省で調査団を組織してタンザニアに行き、日本の成長や発展の歴史を振り返りながら、日本がODAでタンザニアを支援した成果などを報告するシンポジウムを開いたんですが、そのコーディネーターを務めていたんです。
 
 日本からは名だたる学者さんや経済界の重鎮をお連れして、タンザニアからも政府の高官が出席していたんですが、一通りプレゼンテーションが終わって質疑応答の段で、こんな質問が出たんです。「非西欧社会で初めて先進国になって経済発展を実現した日本社会は、次になにを目指すんですか?」と。この質問に、日本側の誰も答えられなかったんです。そのときから、日本はこれからなにで世界に貢献するのかな、ということを考えるようになりました。
 
 私は、もともと国際協力を行うJICAで働いていたんですが、94年頃のJICAの年間予算は1,800億円くらいでした。一方、当時日本でいちばん規模が大きいNGOの年間予算は2億円。1,800対2。ものすごい規模の開きがあるんですけど、当時の私はNGOというのはそんなものだと思っていたんです。
 
 ところが、JICAのコーディネーターとして途上国の現場へ行くと、たとえばアメリカからケア・インターナショナルやワールド・ビジョンといったNGOが来ているんですが、彼らは「年間予算は800億円なんですけど」とか言うわけです。800億円!?みたいな。
 
 アメリカでも、国際協力や援助を政府のお金を使ってやるUSAID(米国国際開発庁)という組織があるんですが、彼らにはものすごい緊張感があるんですよ。彼らの年間予算は1,500億円くらいだったんですが、すぐ傍らには800億円とか600億円とかの予算をもったNGOが控えている。「うかうかしてるとやられるぞ」と。組織内で誰かが「こんなイノベイティブなことをやりましょうよ」と提案しても、そんなのうちでやる必要ない、なんて言っていたら、NGOがさっさとやってしまうかもしれない。政府のほうも、USAIDがもたもたしていたら、「それじゃあ予算の20%をこちらのNGOに回します」みたいなことができる。だから、いい意味で緊張感があるんです。
 
 アメリカのそうした社会を見て、社会サービスには競合があるんだということを知った。そのことにすごく衝撃を受けたんですが、日本に視線を戻すと、NPOやNGOの予算規模は当時は大きくても2億円とか。あとは5,000万円とか3,000万円とか。それでも国内では相当大きい団体なんです。「あれ?」と思って国内を見渡してみると、国際協力の分野だけではなくて、環境や福祉といった分野でも、みんな行政がやっている。NPOもないわけじゃないんだけど、小さくて、ボランタリーな感じで、もちろん意義ある活動をしてはいるんですが、緊張感のある協働関係みたいなところまではいっていない。
 
 90年くらいまでは、それでうまくいっていたんですよね。だけど、もうそれでは回らなくなってきたので、どうすればいい緊張感が生まれて、いい社会システムになって、現場の課題がイノベイティブに解決していって、行政もそれを追いかけていくような社会になるかと考えたときに、必要なものはマネジメントだと思ったんです。NPOは経営力があまりにもないと。
 
 それで、99年に中小企業診断士という資格を取りました。当時はNPOマネジメントを勉強するところがなかったし、MBAもなかったので、コンサルティングの資格である中小企業診断士の勉強をして、NPOの経営改善をやろうと思って。
 
 29歳の頃に資格を取って、NPOのお手伝いをしていたんですが、やっていて気づいたんですよ。いくら経営改善をやっても、お金が続かなかったら、優秀なスタッフから辞めていくんです。すごくいい事務局長がいて、しっかりした人事制度をつくって、マネジメントの仕組みをつくっても、「結婚するので辞めます」と。「家族のこともあるから、これからの人生を考えてサラリーマンになります」と。
 
 それを目の前で見て、やっぱりお金に向き合わないといけないと思ったんです。お金のことは気にしないほうが格好いいような気がしていたんだけど、やっぱり誰かがお金に向き合わないとだめだな、と思うようになったのが、30代になった頃。それでアメリカに行って、ファンドレイジングについていろんなことを学んで、やっぱりこれだなと確信して帰ってきて、いまに至るという感じです。

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――日本でNPO法が成立したのが1998年ですから、鵜尾さんがタンザニアに行かれた頃というのは、日本ではNPO法人格というものさえ存在していなかったわけですよね。その頃と比べると、状況は変わっていますか?
 
鵜尾:当時はNGOなんてよくわからん、というようなところもあったし、企業との連携なんて今のような感じではとても考えられなかった。そう考えると隔世の感がありますよね。この10年間くらいを見てきて、やっぱりNPOやソーシャルビジネスが、形だけじゃなくて、しっかり実質、中身を伴って出来てきていると思うんですよ。そしていよいよ、お金と向き合わなくてはいけなくなってきたんだなという感じがしています。
 
 
 社会のお金の流れを変えるには順番があると思っていて、まずNPO側がしっかりしないと、ソーシャルに流れるお金の総量だけ増やしても、かえっておぼれてしまいます。日本ファンドレイジング協会を立ち上げたのは7年前なんですが、最初の5年間は必死にファンドレイザー育成のモデル化をしていました。全国津々浦々にファンドレイジングに理解のある人が増えて来て、ある程度かたちになってきたので、いよいよお金の流れそのものを動かすタイミングだなと。いま、休眠預金とか、社会的投資市場の形成とか、社会のお金の流れの総量を増やす取り組みを一気に推し進めています。今年の12月には寄付月間のキャンペーンもやるので、いろんな仕掛けをしているところです。
 
――1995年の阪神・淡路大震災でNPOという存在が一躍脚光を浴びて日本でもNPO法ができて、そこからまた時が経ち、2011年の東日本大震災で寄付額が一気に増え、被災地支援に携わるNPOにも多額の資金が流れました。あのとき、支援活動に尽力するNPO団体が評価と存在感を高めた一方で、一部の団体では不適切会計が大きな問題になり、「NPOってやっぱりすごいね」「NPOにはやっぱり任せられないね」と、相反する2つの評価が生まれてしまったようにも感じられました。
 
鵜尾:やはりクオリティーが問われますよね。NPO法人という法人格を持っている団体は大量に存在していますが、その中で信頼に足る団体がどれなのか、外から見てもなかなかわからない。ですが、一定基準をクリアしたNPO団体を認証する仕組みって、海外にはたくさんあるんです。法律遵守は当然のこととして、NPOがきちんと運営されているかを審査・認証するんですね。
 
 日本でも社会的認証開発推進機構が京都で第三者による社会的認証システムを運営していますが、その全国版を立ち上げようという話がいま進んでいます。手間もお金もかかるチャレンジですが、やってみようかという流れになっています。
 
 日本でソーシャルなお金の流れが十分ではないという背景には、プレイヤーとなるNPOがまだまだしっかりしていなかったという面があったと思うんですが、プレイヤー側はいまや玉石混交です。玉と石が相変わらず混在してはいますが、玉も出てきている。
 
 しっかりとしたいい活動をやっている団体が出てきているので、「ちゃんとしている」ことを可視化して区別することが、次のステップだと考えています。同時に、株式会社PubliCoの山元くんのように、NPOの組織マネジメント力を上げるサポートに取り組む存在も今後増えてくることが必要ですよね。
 
 
 行政の制度に関しては、寄付税制も整ってきているので、あとは社会システムとしてNPOやソーシャルビジネスにお金が流れる市場メカニズムをつくることが必要だと思うんです。それが社会的認証の仕組みだったり、呼び水効果を狙っての休眠預金の活用だったりすると考えています。
 
(第二回「社会的投資の日本型モデルづくりを目指して」へ続く)

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