社会性と経済性を同時に目指す新しい投資のかたち

ARUN 代表 功能聡子

A91A3214

「変える人」No.21は、社会的投資を手掛けるARUNの功能聡子さんをご紹介します。
 
――2015年5月にG8社会的インパクト投資タスクフォース国内諮問委員会が「社会的インパクト投資の拡大に向けた提言書」を発表するなど、最近日本国内でも社会的投資をめぐる議論が活発化しています。ARUNはそうした動きに先駆けて、2009年から日本の投資家とカンボジアやインドといった途上国の起業家をつなぐ「社会的投資」に取り組まれていますが、そもそも「社会的投資」とはどのようなものなのでしょう?
 
功能:社会的投資を、私たちは「経済的リターンと社会的リターンの両方を追求していく投資」、そして「社会課題の解決を目的としたビジネスに対する投資」と捉えています。一般的な投資では、投資した以上のお金を回収し経済的リターンを得ることが投資の成果となりますが、社会的投資では、投資先の事業が世の中に与えたインパクト、たとえば「その事業によって貧しい人がどれだけ減ったか」も、投資の成果と考えるのです。
 
 こうした社会的投資の考え方を広め、ソーシャルなお金の流れをつくっていきたいという思いで2009年にARUN合同会社を設立しました。カンボジアやインドの社会起業家を発掘し、彼らの取り組みを投資というかたちで応援する事業を始めましたが、私たちが活動を始めたときには、日本ではまだ「社会的投資」というコンセプトはほとんど知られていませんでした。

A91A3350

――活動開始のきっかけはどのようなものだったのでしょうか。
 
功能:私が社会的投資というものを知り、自ら取り組むようになったそもそものきっかけは、カンボジアで働く機会を得たことです。10年ほどカンボジアに住んで仕事をしていたのですが、それが1995年から2005年という、カンボジア社会が非常に大きく変化した10年間でした。
 
 カンボジアは、20年以上にわたる内戦を経て、1993年に国連カンボジア暫定行政機構(UNTAC)の統治下のもとで国民議会選挙が行われ、民主政権が誕生しました。このとき、日本の自衛隊も参加したのですが、PKOに参加するのは初の試みということで、日本国内でもさまざまな議論が行われていました。いま、ちょうど安保法制の議論が盛んになっていますから、いつもこの時代と重ね合わせて振り返るのですが、1990年代のカンボジアは、日本にとっても平和構築の一つの重要な現場でした。ポルポト時代から始まる長い内戦の時代、東西冷戦体制の対立の中で西側から隔離された状況に追いやられていた時代を経て、カンボジアが民主的な社会や和平を実現しようとする動きに、日本が大きく貢献したのです。私がカンボジアに渡った1995年というのは、そうした出来事の最中でした。
 
 当時のカンボジアは、長く続いた内戦の傷跡がそこかしこに残っていて、人々は疲弊し、社会インフラも破壊された状態でした。首都のプノンペンでも道路が舗装されていなかったり、建物には銃弾の痕が残っていたりしました。NGOのリーダーを務めるような、教育も受けてしっかりした考え方を持っている方でさえ、いろいろな話をした最後に、「でも、やっぱりカンボジアだと難しいよね」と言う。内戦が長かったので、またなにか起こるかもしれない、この先どうなるかわからないという不安を常に持っていて、自分たちの国に自信を持てなくなっていたんですね。
 
 それが、10年の間に大きく変わりました。私がカンボジアを訪れた当初は、「貧しい国なので、先進国から援助してほしい」と訴えて、援助を獲得してくるのがリーダーの役割でしたが、国内の状況が改善されるとともに考え方も変化し、援助を受け取るだけではなく、持続可能な発展を目指して自ら変化を起こしていきたいと考えるリーダーが出てきました。外国からのさまざまな支援もあって社会インフラが整い、生活が豊かになったということもありますが、人々の心が前向きになったのだと思います。
 
 2000年頃から自立の動きが活発になり、中には起業する若者も現れましたが、彼らのベースには、社会的なマインドがありました。起業と言っても、利益追求型のビジネスで自分だけが儲かればよいというのではなく、同朋、とくに貧しい同朋たちのために自分でもできることをしたい、それをビジネスでやりたいという若者たちが増えてきました。
 
 そうした変化を肌で感じる中で、貧困削減や平和構築といった途上国の抱える課題に対して、私たちはどのように支援していけるか、協働していけるかという問いが生まれてきました。
 
 以前はODAのような国同士の援助や、NPOとして現地に支援の手を差し伸べるというやり方が一般的でしたが、それだけでは解決できないという思いを強く持つようになったのです。援助する国とされる国、豊かな国と貧しい国、進んでいる国と遅れている国のような関係は、一時的なものでしかなく変化していくし、いまがそうだという認識もずれてきているということを、強く感じていました。
 
 ではどんな解決策があるかというと、「エンパワーメント」がひとつのキーワードになると考えました。課題の解決のためにもっとも重要なものは、外から与えるものではなくて、当事者が本来持っている力を引き出したり、その力を発揮できるような社会をつくっていくこと。自分たちの力で、自分たちができることをやっていく。自分で考え、変化をつくり出していく。そういう力を持った人を応援する仕組みが必要だと感じていたときに、社会的投資に出会いました。

A91A3180

―カンボジアへはお仕事で行かれたということでしたが、転勤かなにかで?
 
功能:転勤ではないのですが、その前にアジア学院という途上国のリーダーを育成する機関で働いていました。アジアやアフリカのリーダーが日本に来て、有機農業や農村開発を学ぶ学校だったのですが、彼らと知り合う中で、私も現地の状況をもっと深く知りたいと思うようになったのです。それで、カンボジアで仕事があるから行きませんかということでご縁をいただき、シェア=国際保健協力市民の会という、途上国の農村で保健医療活動を展開しているNGOの職員として、カンボジアに行かせていただきました。そのNGOで5年間、さらにJICAの専門家として5年間働き、計10年間現地に滞在していました。
 
――NGO職員としてカンボジアに行かれる前はアジア学院でお仕事をされていたということですが、もともとアジアの途上国に関心が高かったのですか?
 
功能:そうですね、中学生の頃にネパールで医療活動をされている医師のお話を聞く機会があり、非常に感銘を受けました。その方の生き方に惹かれ、自分も将来アジアの地で現地の人々と共に生きる、という生き方をしたいという思いを抱くようになったので、その延長とも言えるかもしれません。
 
――「現地の人と一緒に生きたい」という思いが、社会的投資というかたちで実現したのですね。社会的投資という仕組みとは、どちらで出会われたのですか?
 
功能:社会的投資という仕組み自体は、2005年にカンボジアを一旦離れてロンドンに留学する直前、たまたま読んだ雑誌の記事で知りました。
 
 当時のカンボジアは、いまほど日本のものが簡単に手に入らなかったので、ときどき日本から来る人に本や雑誌を持って来てもらっていたのですが、そのうちの一冊でした。女性向けのファッション誌だったと思いますが、その中に世界の素敵な女性を紹介するコラムがあったのです。そこで取り上げられていたのが、アキュメン・ファンドというアメリカの社会的投資団体の代表のジャクリーン・ノヴォグラッツさんでした。
 
 彼女はチェース・マンハッタン銀行(現在のJPモルガン・チェース)に勤めていたのですが、ルワンダでマイクロ・ファイナンス事業に携わったことをきっかけに、単なる寄付や援助ではだめだと感じて、社会的投資を始めたそうです。その記事を読んで、これはすごいと思ったのが、社会的投資というコンセプトとの最初の出会いでした。
 
 ロンドンでは社会政策について学びました。そこで出会った友人に社会的投資に関心のある人がいて、日本に帰国後、一緒に社会的投資事業を立ち上げることになりました。2007年頃にプロポーザルを書き始めて、国内外の社会的投資機関にヒヤリングに行くなどの調査を経て、ARUNを立ち上げたのが、2009年です。
 
――2009年というと、いまから6年前になりますね。社会的投資という、これまでとは違う投資を持ちかけられた方々の反応はいかがでしたか?
 
功能:理解を得られそうな方からどんどん声をかけていったんですが、それでもネガティブというか、「そんなの無理」という反応が多かったです。「欧米ではやっていると言っても、日本では無理」とか「社会性と経済性の両立なんて無理」とか。「途上国の人からお金が返ってくるわけがない」という人もいましたね。
 
 社会的投資について研究されていた方に、インタビューに行ったりもしたのですが、「寄付と投資は違うものだから、これを成功させるのは難しい」と。「悪い」という反応はありませんでしたが、「無理だ」「難しい」という反応がとても多かった。それでも、任意組合として 取り組んだ1年間のパイロット事業では、30人以上の方が出資者になってくださいました。
 
 実は、日本国内でソーシャルなお金の流れをつくろうという動きは以前からあったのです。たとえば、NPOバンクは、市民から集めたお金をNPOやコミュニティビジネスなどに融資することで、市民の間でお金を循環させていこうという取組みで、20年前から活動している団体もあります。金融機関に勤めている方で、「既存の金融の枠組みはお金を本当に必要としている人に届けられているのだろうか」との問題意識から、自分たちの持っている金融のノウハウやツールを、もっと社会的な目的に使いたいと思っている方もいました。
 
 こうした国内で生まれていた流れの中にいた方々と、私のように国際協力の経験から援助というあり方に限界を感じ始めていた方々と2つの流れがありました。最初の理解者になってくださったのは、そうした流れの中でなんらかの問題意識を持って、新しい仕組みを日本国内につくりたいという思いを持った方々でした。
 
 社会的投資というコンセプトはまだ認知されていなかったけれど、いままでにないものをつくって、社会課題を解決したいと思っている方が参加してくださったんですね。そして、このパイロット事業が比較的うまくいって、途上国側でもニーズがあるし、お金の循環がつくれそうだ、インパクトが出せそうだという可能性が見えたので、合同会社を立ち上げて取り組んでいくことにしました。

A91A3405

――これまでの考え方としては、寄付は無償提供であるのに対し、投資は出資額プラスアルファの回収を前提にしていて、お金を出すモチベーションとしては対極の概念ですよね。最初に社会的投資に賛同して出資してくださった方々のモチベーションは、どこにあったのでしょうか。
 
功能:投資家の方々へのアンケートを行ったのですが、「社会的投資について知りたい、実践したい」、「寄付ではない国際協力の新しい形に挑戦したい」、「金融の可能性をひろげたい」、「面白い人に出会いたい」など、様々な動機の方がいました。「ビジネスを通して途上国の発展に貢献したい」という声も多かったです。参加後には、投資先の成長に喜びを感じるといった回答をいただきました。
 
 「途上国ビジネスに関わりたい」という動機もありました。現地の人が実際になにをどんなふうに考えて、なにを望んでいるのか、ステレオタイプの情報ではなく、もっと深く知りたいという期待もあると思います。現地のビジネスについて、投資しているからこそ得られる情報もありますから。
 
 投資とは、リスクをとるものです。預貯金や個人向け国債のような元本保証はありません。ではなぜリスクをとれるのかというと、その先に大きなリターンがあると思うからですよね。投資ではリスクとリターンのバランスが重要ですが、一般的な投資では「どのくらい金銭的に儲かるか」がリターンになります。社会的投資の場合は「どのくらい幸せになるか」「どのくらい貧しい人が減るか」「どのくらい世の中におもしろい取り組みが生み出せるか」「どのくらい新しい価値を生み出せるか」といったことがリターンになります。
 
 日本人は元本保証に慣れているので、リスクのある投資というもの自体に馴染みがないと言われてきましたが、リスクを取ることを恐れないことも重要だと思います。リスクを取っているのは投資家だけではありません。投資先である社会起業家もリスクを取っています。世の中にないサービスを生み出すとか、新しい方法で課題解決に取り組むとか。これまでなかったものをつくるのですから、道がない。自分で新しい道を切り拓いていくのが社会起業家です。彼らと一緒にリスクを取りながら、その取り組みが生み出す社会的リターンを追い求めていく。ビジネスの力で課題を解決し、社会を変えようとしている起業家たちをリスクを分け合いながら応援し、新しい未来を一緒につくっていく。それが社会的投資であり、新しい文化と言ってもいいものだと考えています。
 
 社会的投資の新しい文化を日本にもつくっていきたいんです。そうしたら、日本ももっとチャレンジする人を応援しやすい、自らもチャレンジしやすい社会になると思います。世界にはたくさんの課題がありますよね。それらを解決しようと国境を越えてチャレンジしている人がいて、その中にはとても考え付かなかったような面白いアイデアや取り組みもたくさんある。そういうことを知ると、すごくワクワクしませんか? 世界中の社会起業家と投資というかたちでつながる、新しい文化をつくっていくことが、日本をもっと豊かにするし、もっと開かれた社会にしていくのではないかと思います。それが、社会的投資を通して私がやりたいことですね。

(第二回「投資だから築ける長期的な関係」へ続く)
 
功能 聡子(こうの さとこ)* 国際基督教大学(ICU)卒業後、民間企業、アジア学院勤務の後、1995年よりNGO(シェア=国際保健協力市民の会)、JICA、世界銀行の業務を通して、カンボジアの復興・開発支援に携わる。カンボジア人の社会起業家との出会いからソーシャル・ファイナンスに目を開かれ、その必要性と可能性を確信し 2009年ARUNを設立。2014年にNPO法人ARUN Seedを設立、代表理事を務める。

関連記事