社会性と経済性を同時に目指す新しい投資のかたち

ARUN 代表 功能聡子

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―カンボジアへはお仕事で行かれたということでしたが、転勤かなにかで?
 
功能:転勤ではないのですが、その前にアジア学院という途上国のリーダーを育成する機関で働いていました。アジアやアフリカのリーダーが日本に来て、有機農業や農村開発を学ぶ学校だったのですが、彼らと知り合う中で、私も現地の状況をもっと深く知りたいと思うようになったのです。それで、カンボジアで仕事があるから行きませんかということでご縁をいただき、シェア=国際保健協力市民の会という、途上国の農村で保健医療活動を展開しているNGOの職員として、カンボジアに行かせていただきました。そのNGOで5年間、さらにJICAの専門家として5年間働き、計10年間現地に滞在していました。
 
――NGO職員としてカンボジアに行かれる前はアジア学院でお仕事をされていたということですが、もともとアジアの途上国に関心が高かったのですか?
 
功能:そうですね、中学生の頃にネパールで医療活動をされている医師のお話を聞く機会があり、非常に感銘を受けました。その方の生き方に惹かれ、自分も将来アジアの地で現地の人々と共に生きる、という生き方をしたいという思いを抱くようになったので、その延長とも言えるかもしれません。
 
――「現地の人と一緒に生きたい」という思いが、社会的投資というかたちで実現したのですね。社会的投資という仕組みとは、どちらで出会われたのですか?
 
功能:社会的投資という仕組み自体は、2005年にカンボジアを一旦離れてロンドンに留学する直前、たまたま読んだ雑誌の記事で知りました。
 
 当時のカンボジアは、いまほど日本のものが簡単に手に入らなかったので、ときどき日本から来る人に本や雑誌を持って来てもらっていたのですが、そのうちの一冊でした。女性向けのファッション誌だったと思いますが、その中に世界の素敵な女性を紹介するコラムがあったのです。そこで取り上げられていたのが、アキュメン・ファンドというアメリカの社会的投資団体の代表のジャクリーン・ノヴォグラッツさんでした。
 
 彼女はチェース・マンハッタン銀行(現在のJPモルガン・チェース)に勤めていたのですが、ルワンダでマイクロ・ファイナンス事業に携わったことをきっかけに、単なる寄付や援助ではだめだと感じて、社会的投資を始めたそうです。その記事を読んで、これはすごいと思ったのが、社会的投資というコンセプトとの最初の出会いでした。
 
 ロンドンでは社会政策について学びました。そこで出会った友人に社会的投資に関心のある人がいて、日本に帰国後、一緒に社会的投資事業を立ち上げることになりました。2007年頃にプロポーザルを書き始めて、国内外の社会的投資機関にヒヤリングに行くなどの調査を経て、ARUNを立ち上げたのが、2009年です。
 
――2009年というと、いまから6年前になりますね。社会的投資という、これまでとは違う投資を持ちかけられた方々の反応はいかがでしたか?
 
功能:理解を得られそうな方からどんどん声をかけていったんですが、それでもネガティブというか、「そんなの無理」という反応が多かったです。「欧米ではやっていると言っても、日本では無理」とか「社会性と経済性の両立なんて無理」とか。「途上国の人からお金が返ってくるわけがない」という人もいましたね。
 
 社会的投資について研究されていた方に、インタビューに行ったりもしたのですが、「寄付と投資は違うものだから、これを成功させるのは難しい」と。「悪い」という反応はありませんでしたが、「無理だ」「難しい」という反応がとても多かった。それでも、任意組合として 取り組んだ1年間のパイロット事業では、30人以上の方が出資者になってくださいました。
 
 実は、日本国内でソーシャルなお金の流れをつくろうという動きは以前からあったのです。たとえば、NPOバンクは、市民から集めたお金をNPOやコミュニティビジネスなどに融資することで、市民の間でお金を循環させていこうという取組みで、20年前から活動している団体もあります。金融機関に勤めている方で、「既存の金融の枠組みはお金を本当に必要としている人に届けられているのだろうか」との問題意識から、自分たちの持っている金融のノウハウやツールを、もっと社会的な目的に使いたいと思っている方もいました。
 
 こうした国内で生まれていた流れの中にいた方々と、私のように国際協力の経験から援助というあり方に限界を感じ始めていた方々と2つの流れがありました。最初の理解者になってくださったのは、そうした流れの中でなんらかの問題意識を持って、新しい仕組みを日本国内につくりたいという思いを持った方々でした。
 
 社会的投資というコンセプトはまだ認知されていなかったけれど、いままでにないものをつくって、社会課題を解決したいと思っている方が参加してくださったんですね。そして、このパイロット事業が比較的うまくいって、途上国側でもニーズがあるし、お金の循環がつくれそうだ、インパクトが出せそうだという可能性が見えたので、合同会社を立ち上げて取り組んでいくことにしました。

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