産後の女性を支える社会的インフラを

NPO法人マドレボニータ代表 吉岡マコ

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 「変える人」No.18では、出産後の女性の心身のヘルスケアに取り組むNPO法人マドレボニータの吉岡マコさんをご紹介します。
 
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ほったらかしの「産後」
 
 出産したばかりの女性――その言葉から、どんなイメージが浮かぶだろうか。愛しいわが子を腕に抱き、幸せに満ち足りた母親。日に日に大きく、重くなっていくお腹から解放され、身も心も軽やかさを取り戻した母親。ところが、NPO法人マドレボニータの吉岡マコさんは、自身が第一子を出産した直後を、こう振り返る。
 
「聞いてないぞ、って(笑)。出産して、目の前にいるわが子がかわいいと思う気持ちに嘘はない。だけど、120%幸せとは言い切れなかった。不安感や責任感の重さもあるんですけど、なによりも、体がものすごくしんどかったんです。出産というものがこんなにも人間の体にダメージを与えるものだと、なんで誰も教えてくれなかったんだろう、というのが、最初の感想です」
 
 妊娠期間というものは、特殊な期間だと吉岡さんは言う。体調の変化は大きいが、見た目の変化も大きく、マタニティーマークの存在などもあり、電車で席を譲られるなど、社会的に配慮を得やすい時期でもある。
 
「また、出産というのはすごく大きなイベントなので、みんな話題にしますよね。『どのくらい痛いの?』とか。だけど、生んだ後のことは誰も話題にしない。ですから、私自身そうだったんですが、出産経験がないと、妊娠は出産をゴールとする一つのイベントで、生んでしまえば妊娠前の普通の状態に戻っていくだけだと思ってしまうんです」
 
 誰も話題にしない、「産後」。慣れない新生児との生活に必死になっているうちに、いつの間にか過ぎてしまい、おぼろげな記憶しかない、という人も多いというが、この「産褥期」の辛さに、吉岡さんは驚いた。
 
「子宮や産道は傷だらけですし、出血も1か月くらい続くし、骨盤の関節もぐらぐらして、うまく歩けない。そんな状態でこのふにゃふにゃした子供を育てるのか、と。そのことを誰も心配してくれないし、予備知識もなかったんですよね。出産後がこんな状態だなんて、聞いてない。なんでみんな妊娠・出産のことばかり話題にして、こんなに大変な産後のケアをしないんだろう。そう思ったことがスタートでした」
 
 インターネットもいまほど普及していなかった当時、頼りになるのはテレビや雑誌、本のほか、産婦人科や役所で配っている冊子。
 
「『新しい命のために』という冊子をもらっていたので、隅から隅まで読んでみたんですけど、産後のことはほとんどなにも書かれていませんでした。離乳食などについては書いてあるんですが、それって赤ちゃんのことですよね。母親のことについては、本当に最低限しか書かれていなくて、すごく悶々としました。みんな、こんな状態で子育てしているのかな? 自分だけなのかな? と」
 
 産後1か月が経ち、外出できる程度に体力が回復してくると、「産後」の情報を求めて、本屋や図書館に足を運んだ。しかし、「妊娠・出産」「育児」のコーナーはあっても、「産後」のコーナーはない。
 
「『はじめての妊娠』とか『はじめての出産』といった本はあるんだけど、その次は育児コーナーになっちゃうんです。産後の母親について書かれたものはない。だけど、洋書コーナーに行ってみたら、1冊だけ見つけたんです。シーラ・キッツィンガー(Sheila Kitzinger)というアメリカの女性が書いた、『出産後の一年間(The Year After Childbirth)』という分厚い本でした。早速それを買って帰って、だよね、産後ってこうだよね、と共感しながら読みました」
 
 『出産後の一年間』には、出産後の女性の体や心のケアについて、夫婦関係について、仕事についてといった情報が網羅されていたが、アメリカでは産後ケアが充実しているのかと言えば、決してそんなことはない。
 
「自分自身が出産後のしんどい心と体を抱えている中で、『産後』のリアルとそれが放置されている現実を知り、『産後女性のケアをするような社会的インフラが必要なのではないか』という問題意識が芽生えたことが、マドレボニータの活動を始めるきっかけとなりました」

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画像提供:マドレボニータ

「現場」と「研究」の事業を併せ持つ強み
 
 現在、マドレボニータが手掛ける事業は、3つに大別される。
 
「メインの事業は出産後の女性の心と体のヘルスケアを行うための教室事業です。出産後の女性が体を動かすエクササイズとコミュニケーションワークに取り組む120分のプログラムを、13都道府県50か所で提供しています。もちろん、参加はすべて赤ちゃんと一緒です」
 
 2つめは教室事業を支えるインストラクターの養成・認定事業だ。
 
「インストラクターのプロフェッショナルとしての知識やスキルを身につけてもらうための養成コースの実施のほか、そうした知識やスキルのクオリティが保たれているか、適切に更新されているか、といったことを評価する認定機関としての役割も担っています」
 
 現在、認定インストラクターは20名。年内に9期、10期の養成プログラムも始まる。
 
「教室事業の昨年の受益者は6,000人でしたが、インストラクターを養成して教室事業を拡大し、受益者をもっと増やすことで、社会的インパクトを創り出すことを目的にしてやっています」
 
 この2つが、いわば現場の事業だ。赤ちゃんを連れてスタジオに足を運び、母親同士でやり取りをしたり、インストラクターとやり取りをしたりする中で、母親たちの生の声が聞ける場であり、赤ちゃんと母親がどういうふうに振る舞うか、どういう悩みを持っているかといったことを知れる場でもある。
 
「実はそういう場も今までなかったんです。赤ちゃんが集まる場というのはあっても、そこで母親が自分の体のケアをしたり、自分のニーズを言葉にしたりといったことをする場はありませんでした。だからこそ、出産後の母親の体と心のケアにまつわる新しい知見が生まれる現場となっています。今まで隠されていた問題がこういう場で浮彫になってくるので、どんな課題があって、それが社会問題のどんな部分につながっていくのかといったことをきちんとした形にまとめて世の中に伝えていくことを、調査・研究・開発事業として、3つめの事業の柱に据えています」
 
 教室事業を展開する中で見えてくる課題や、「産後」に対する問題意識そのものの希薄さ。そうした現実を肌で感じる機会のない人々にもわかりやすいかたちで説明するために、数値的な根拠も丁寧に集めていく。
 
「定性データ、定量データを両方とって、『産後白書』というかたちで発信したり、リーフレットをつくって配布したり。『産後』が身近でない人にもこの問題を理解してもらえるよう、コンテンツづくりを工夫しています。さらにそうした調査・研究の中から新しいプログラムを開発して教室事業に還元していくんです」
 
 マドレボニータの教室を訪れる母親たちの悩みを聞いていると、子育ての悩みは実はほとんどないのだと言う。
 
「じゃあ、なにに悩んでいるのかと言うと、パートナーとの関係か、職場復帰への不安。ほとんどの母親がその2つで悩んでいるので、夫婦関係の問題を解決するプログラムとして、カップル向け講座をつくったり、母となって働くということについて語り合う『ワーキングマザーサロン』というプログラムをつくったりしました。そうしたプログラム開発も、3つめの事業の一部です」
 
 ワーキングマザーサロンプログラムはすでに教室事業と同じくらいのインパクトを出せるようになっている。プログラム開発から6年を経て、27都道府県の102市町で実施され、5,000人を超える受益者が参加した。
 
「そうした現場からまた新たなニーズが出てくるので、それに対応して新しいプログラムをつくって普及させていく、というように、3つの事業を回しています」

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「受けるケア」と「取り組むケア」
 
 マドレボニータの活動のメインである教室事業のヒントとなったのは、出産で弱った体を元気にするために、産後1か月が過ぎた頃から吉岡さんが独自に開発して自宅で行っていたエクササイズだった。
 
「とにかく自分の体を元気にしたいという思いがあったんですが、ジョギングとかの運動は、赤ちゃんがいると難しいですよね。それで、バランスボールを使って、骨盤周りを鍛え直すにはどうしたらいいかとか、出産後に弱っている筋肉はここだから、こういうステップをやったらいいかなとか、自分で考えながら、家で一人寂しくやっていたんです」
 
 妊娠当時、大学院で身体運動科学について研究していた吉岡さんには、基本的な運動生理学や解剖学といった基礎的な知識があったことも幸いした。
 
「学外でも東洋医学や臨床心理学の研修に参加したりして勉強していたので、そうした知識を総動員してプログラムを開発しました。バランスボールは友達にもらったものだったんですが、実は子どもと一緒でも、すごくやりやすいんですよ」
 
 赤ちゃんがいると、目も手も離せない、エクササイズなんてしている暇はない、と考える人もいるかもしれない。しかし吉岡さんは、バランスボールを使ったエクササイズならば、赤ちゃんを抱っこしながらでも可能なことに気が付いた。
 
「赤ちゃんを抱っこしてバランスボールに座って、足を横に出したり、開いたり、閉じたり。やっているうちに息も上がるし、心拍数も上がってきて、これはなかなかの運動になるなって思ったんです。そうやって自分自身のリハビリをしていたんですけど、やっていくうちに、これはほかの人にも効くんじゃないか、ほかの人にも提供したら喜んでもらえるんじゃないか、と考えるようになりました」
 
こうして開発されたマドレボニータのエクササイズの効果が最も得られやすいのは、産後3、4か月頃。教室の利用者のボリュームゾーンもその辺りだという。
 
「産後1か月は寝たきりで過ごして、体を休めないといけないんですよ。産後は赤ちゃんに夢中で自分が疲れていることに気づかないで動き回る人も多くて、『なんだ、動けるじゃん』というようなことを言われることもあるんですが(笑)、ここで無理をすると、本来体が回復してくるはずの2か月目以降に寝込んでしまったり、鬱になってしまったりする。だから最初の1か月はとにかく安静にして、リハビリを始めるのはそれ以降、産後3、4か月経ったくらいが、お母さんにも赤ちゃんにもちょうどいい」
 
 吉岡さんは、産後ケアを産後1か月までの「受けるケア」とそれ以降の「取り組むケア」とに分けて呼んでいる。
 
「いま、『産後ケア』というと、産後1か月はヘルパーを手配するなどして体を休めましょう、という『受けるケア』のことばかり取り上げられていますが、養生の期間が過ぎたら、自分で体を動かしてリハビリを始める必要があります。私たちはこれを『取り組むケア』と呼んでいますが、こちらはまだまだ認識されていない。産後には『受けるケア』と『取り組むケア』の両方が必要なんだということを啓発していかなければならないなと思っています」
 
 教室を始めた当初は参加条件の明確な区切りはなかったが、いまでは産後210日までという区切りが設けられている。養生の1か月が過ぎたら、リハビリを始めるのは早いほうがいい。
 
「ハイハイを始めた赤ちゃんは大人に構ってもらいたいという欲求が強く出てくるので、赤ちゃんを傍らに置いてなにかに集中するということが難しくなってきます。3、4か月くらいの赤ちゃんなら、ハイハイもしないので、床に寝かせておける。退屈してきて泣いてしまったら、抱っこしてバランスボールで弾みながら一緒にエクササイズをする。ご機嫌になったらまた床に寝かせて、の繰り返しです。もちろん体調の回復に時間がかかったりして、産後半年以降、単身で参加される方もいらっしゃいます」
 
 集客は、ほぼ参加者による口コミ。先日吉岡さんが担当した教室では、10人中8人が、参加者の紹介だったという。とは言え、「産後ケア」という概念さえおぼろげな中、教室事業も最初から順風満帆というわけにはいかなかった。
 
(第二回「産後ケアの普及による社会問題の予防と解決を目指して」へ続く)
 
吉岡マコ(よしおか まこ)*1972年、埼玉県生まれ。東京大学文学部美学芸術学卒業後、同大学院生命環境科学科(身体運動科学)で運動生理学を学ぶ。1998年3月に出産し、産後の心身の辛さを体験。産後の女性にケアが必要だという概念さえないことに気づく。同年9月に「産後のボディケア&フィットネス教室」を立ち上げて以来、日本に「産後ケア」の文化をつくるための活動を続けている。
 
【写真:遠藤宏】

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