困難を抱えた人々が自己肯定感をもって生きていける社会に

NPO法人キズキ 理事長 安田祐輔

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がんばれたのは、運がよかったから
 
 お話を伺っていて不思議だったのは、一度はレールを外れながらも自力で立ち直った安田さんが、なぜ、他人に自己責任を求めることなく、優しい眼差しを向けることができているのか、ということだった。
 
「僕自身も努力して這い上がってきたという自負はありますが、その経験を振りかざしてものを言うのは卑怯だと思っているんです。僕もたしかに苦労はしてきたけれども、小学校のときはちゃんと勉強していたので、基礎学力はそれなりにあったり、予備校に通うお金を出してもらえたりしましたから。もしそうした条件がなければ僕はいまここにこうしていなかった。だから、自分ができたから他人もできるだろう、ということだけは言ってはいけないと思っているんです」
 
 どのような親のもとに生まれて、どのような価値観の中で、どのように育つのか。中学、高校を卒業するくらいまでは、そうした生まれた環境に左右されるところが大きい。もはや運次第と言えるほどだ。
 
「努力できるかどうかでさえ、その人の生まれ育った環境と特性によるところがあります。また僕自身も経験していることですが、うつ状態になり自分の将来が見えなくなると、努力さえできなくなります。だから、努力していないことを批判しても意味がありません。それよりも、そうした課題を抱えた方々に対して、やり直しのきっかけとなるものを提供していくことの方が、よっぽど意味があります」
 
 自分が這い上がってきたからこそ、同じような境遇にいる人に対する「なぜ、がんばらないのか」という言葉は暴力的なものになる。言われた側に、逃げ場がなくなるからだ。つい自分と同じものを他人に期待してしまったりすることは、安田さんにはないのだろうか。
 
「自分で事業を始めてからは、増えてしまったかもしれません。とはいえ、与えられた状況の中でその人なりにがんばっているのかもしれないし、僕が関心を払っていないところでがんばっているのかもしれない。なぜがんばらないのか、という言葉を発する前に考えなくてはいけないことがあると思っています」
 
 もしもなかなか仕事を覚えない人がいるとしたら、上司の指示の出し方が悪いのかもしれない、と考えて改善策を練るのが安田さん流だ。その視点の多様性はどこで培われたのだろうか。
 
「大学時代にNGO活動でイスラエルにいたとき、彼らの社会には様々な問題があるものの、日本にはない自由さを感じました。たとえば彼らは兵役の義務があるものの、兵役さえ終われば、世界一周旅行をしたり、しばらく働いたりしてから、好きなときに大学に入って勉強する。年齢で行動を規定されることなく、個が自立して生きている。人の価値観も生き方もそれぞれで、人の幸せの形もそれぞれだということを改めて考えるきっかけになりました」

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