ゼロからの学び直しを支援したい

NPO法人キズキ 理事長 安田祐輔

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キズキ共育塾の入り口

「変える人」No.16では、不登校、引きこもり、中退など、社会でつまずいた方の支援を行うNPO法人キズキの安田祐輔さんをご紹介します。
 
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「つまずいた」若者のための学習塾
 
 代々木駅から徒歩5分。大通りを逸れて小さな路地に入ると、「キズキ共育塾」と書かれた看板が見えてくる。ここに通うのは、10代後半を中心に、小学生から20代まで100名ほどの若者たち。彼らに共通するのは、不登校や高校中退など、「つまずいた」経験を持つことだ。
 
「キズキ共育塾では、大学受験をメインに、高卒認定試験や高校受験など、それぞれの目標に合わせた学び直しの機会を提供しています」
 
 そう話すのは、キズキ共育塾を運営するNPO法人「キズキ」の安田理事長。生徒一人ひとりに合わせてレベルを設定していく個別指導スタイル自体は珍しいものではないが、キズキ共育塾はその細やかさが桁外れだ。ライフスタイルに合わせて朝10時から夜9時まで通塾できるシステム。難関大を目指す人のための指導にも、小学校レベルの漢字・計算から学び直したい人のための指導にも対応できる指導レベルの幅。柔軟できめ細かいケアを生み出す源は豊富な現場経験だが、そのさらに根底には安田さん自身の体験があった。
 
「僕は10代の頃はいわゆる不良で、中高にあまり行っていないんです。18で大学に行こうと決めて20歳で大学に合格しましたが、そのときにいまの日本の社会の中でゼロから学び直すことがいかに難しいかということを痛感しました」
 
 ICU卒、NPO起業という経歴と、穏やかに話す現在の姿からは想像しにくいが、中学、高校時代の安田さんは、いわゆる不良だったという。両親の離婚、父親の再婚など複雑な家庭環境で育ち、12歳で親元を離れて寮つきの中学校へ進学せざるを得なかった。しかし、その管理的な体制に馴染めず、3年生になる前に退学。以降は祖父母と暮らしたり、継母と暮らしたりしたものの、家にも帰らなくなっていた。公立の中学校・高校に在籍したが、学校からも足が遠ざかっていった。
 
「中学からはまったく勉強しなくなって、地元の学区で下から三番目の高校に進学しました。高校時代はろくに学校にも行かず、不良仲間とつるんで昼夜逆転の生活を送っていたんです」
 
 荒んだ生活を送りながらも、このままでいいのかという漠然とした疑問が何度も頭をよぎる。不良といっても下っ端で、暴走族からお金集めを要求されたり、気に食わないことがあると殴られたり、決して楽しい生活ではなかった。大学進学を機に生まれ変わりたい。そんな思いを心のどこかに抱えながらも、その頃の安田さんにはまだ、自分はなにがしたいのか、そのために大学でなにを学びたいのか、具体的なヴィジョンが見えていなかった。

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不良高校生、ICUへ
 
 未来の見えない無気力な毎日を過ごしていた安田さんが変わるきっかけとなったのは、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロだった。
 
「堕落した高校生活を送りながらも、2年生の終わりころから、このままでいいのだろうかという疑問を抱くようになっていました。かと言って、目的もなく大学に行くことには抵抗があった。そんなときに、アメリカ同時多発テロ、そしてその報復のアフガンへの空爆が起こったんです」
 
 ある日、ニュース番組を見ていると、アフガンの空爆に関する特集が組まれていた。取り上げられていたのは、空爆で家族を殺され、住む家も破壊され、すべてを失った子ども。激しい感情の揺れが安田さんを襲った。
 
「あまりに悲惨な現実に、なにかがおかしい、と感じました。どうしてこんなことになってしまうのか知りたい。そしてこんな社会を変えるためになにかをしたい、と強く思うようになりました」
 
 「社会を変える方法」を自分なりに調べた結果、国連を目指すことにした安田さんは、大学受験に向けて猛勉強を開始する。志望校は国連への就職率の高い東大とICUだった。
 
「不良仲間との交流を一切断ち、半年ぐらい親に頼み続けてなんとか予備校に行かせてもらいました。だけど、予備校に見学に行っても、いちばん下のクラスでさえ、講師がなにを言っているのかまったく理解できなかったんです。これはほんとうにまずいと思い、中1の参考書を買ってきて勉強のやり直しを始めました」
 
 一念発起したものの、中学校からほとんど勉強してこなかった安田さんの成績は当然ながら悪く、少し難しい漢字になるとほとんど書けないほど。通っていた高校も大学進学者は非常に少なかった上に、その学校でも成績が底辺だった安田さんに向けられる眼差しは冷ややかなものだった。
 
「お前漢字も書けないのに大学行くつもりか、という目で見られて、とにかくこの人たちを見返してやりたい、という思いが強くありました。この時期を誰かに支えてもらって助かった、嬉しかったといったような経験が僕にはまったくなくて、だからこそ、そこにニーズがあることを確信しました」
 
 中学校1年生のテキストから学び直し、2年間の浪人を経て、無事ICUに合格。ほとんど自己流で「やり直し」に成功した安田さんだが、当時をこう振り返る。
 
「僕の場合はぎりぎりで運がよかったなと思っているんです。親と一緒に暮らしてはいなかったけれど、お金のない家庭ではなかったので、何度も頼んだら予備校に通う費用を出してもらうことができたし、幼い頃から離れて暮らしている弟が成績優秀だったので、自分もやればできるはずだと思うことができました。そうしたちょっとしたことが重なって、もしかしたらなんとかなるかもしれないと踏ん張ることができたんです。だけど、一度レールから外れてしまったら、ゼロから学び直せる環境がほとんどないということを痛感したし、手を差し伸べてくれる人がいてくれるほうが絶対にいいという気持ちはありました」
 
 それが、キズキ共育塾の原点となった。

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「レールを外れる」苦しみ
 
 奨学金を借りながらであったが、晴れてICUに通う大学生となった安田さんは、争いの続くイスラエル・パレスチナでの平和構築活動に携わるNGOの代表を務めたほか、大学を一時休学してルーマニアの研究機関で勤務するなど、海外向けの支援活動に熱心に取り組んだ。大学時代の後半には、バングラデシュでドキュメンタリー映画の製作を手掛けた。
 
「バングラデシュは貧しい国ではありますが、よほどの天災や戦争が起きない限り、餓死するほどではありません。家に電気が通っていないとか、電化製品がないといった状況ではあるんですけど、隣の家もそうであれば、別に自分が不幸だとは感じない。多くの場合、不幸というのは比較の中で成り立つものなんじゃないかな、と考えるようになりました」
 
 そうした中で安田さんの関心を惹いたのは、娼婦街で働かされている女性たちの存在だった。
 
「娼婦街で、村から売られてきた女の子たちの映画を撮っていました。彼女たちは、首都にいい仕事があるよと騙されて売られてきたり、そこで生まれ育っていたりするんですが、みなすごく自己肯定感が低いんです。多くの女の子が、メンタル面に課題を抱えていました」
 
 保守的なイスラム教社会におけるセックスワーカーへの差別は激しく、安田さん自身もバングラデシュ人に「なぜ彼女たちなんかに会いに行くのか」と幾度となく言われた。貧しい農村の暮らしよりもよほど所得も自由もあるものの、誰からも認められないことに苦しみ、リストカットを繰り返す女性もいた。
 
「そうした情況を見ているうちに、自分は電気のない村に電気を通す活動よりも、社会的に困難を抱えた人を支える仕事がしたいと思うようになりました」
 
 レールから外れた存在――自分自身の経験とバングラデシュの社会問題が重なった。国は違えど、社会から承認されない孤独と苦しみは、安田さん自身がよく知っているものだった。社会的に困難を抱えた人の復帰を支援したい。とは言え、そのときの安田さんにはまだ、自分がなにをすべきか、明確な具体像は見えていなかった。
 
「帰国して、生活のためにもとりあえず就職しよう、と思って。バングラデシュではグローバリゼーションによって劣悪な工場環境で働く人たちがたくさんいたので、ビジネスの側から途上国を見てみたいと思い、商社に入社しました」

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自己肯定感を育むための「学び直し」支援
 
 新卒として総合商社に入社した安田さんだったが、どうしても会社に馴染めず、入社から4か月ほどで鬱になり、退職を余儀なくされる。正しい仕事をしているのか、疑問を感じたためだった。しばらくは貯金を食いつぶしながら引きこもり生活を送っていたが、知人の紹介で社会起業塾に通い始めたことが、キズキ共育塾立ち上げの実質的な第一歩となった。
 
「もともと起業を目指していたわけではなかったんですが、社会人経験4か月で鬱になった人間を雇ってくれる会社はなかなかありません。だったら自分で事業をするしかないな、と思ったんです。バングラデシュの問題もずっと頭の中にありましたが、日本でも苦しんでいる人はいる。だから、両方の問題をやることにして、まずは日本での事業を始めることにしました」
 
 世の中で困難を抱えた人々がやり直せる社会をつくることをミッションに掲げ、その手段として、「学び直し」を支援する塾をつくった。それがキズキ共育塾だ。
 
「10代の若者の場合、やり直すために必要なのは、人によっては職業訓練よりも勉強だと思っているんです。大学に行くかどうかは個人の志向の問題だから、どちらでもいいと思いますが、大学を出たほうが可能性や選択肢が広がるのが、いまの日本社会の現実ですよね」
 
 高校を中退して最終学歴が中卒ということになると、いまの日本社会で就ける仕事は非常に限られたものとなる。高校に通い直すことが難しい場合は、高卒認定試験をとったほうがいい。一方で、高卒認定試験だけでは、学歴としては中卒のままになるため、大学に上がらなければ意味がない。
 
「人生は人それぞれですから、絶対こうしなければならないというかたちはないと僕は思っていますが、中卒では選択肢が限られるということは、明らかな事実です。だったら、いまの日本の中で生きやすくなるためにどうしたらいいかということを現実的に考えると、勉強をやり直して、高校や大学を卒業したほうがいい。もちろん、スポーツの才能があるとか、家業を継ぐといった場合はそうではないですが」
 
 日本の社会には、たとえば多くの若者が22~23歳で就職するように、「○歳で××をするのが当たり前」といったある種の「基準」が存在している。そのため、そこから外れると、「自分はだめな人間なんだ」と思い、苦しさを抱えてしまうようになりやすい。
 
「こうするのが当たり前、という決まり事はない社会のほうが、僕のように社会のレールから一度外れた人間は生きやすい。大学に行かなきゃいけないなんて僕は思っていないし、言いたくもない。それぞれいろんな生き方があっていいと思います。だけど、ある程度はレールに乗っていないと生きづらいというデータがあるのであれば、そうしたところはちゃんと手当していったほうがいいと考えています」
 
(第二回「困難を抱えた人々が自己肯定感をもって生きていける社会に」へ続く)
 
安田 祐輔(やすだ ゆうすけ)*1983年神奈川県生まれ。ICU(国際基督教大学)教養学部国際関係学科卒。在学中にイスラエル・パレスチナで平和構築関連のNGO活動に取り組み、一時大学を休学しルーマニアの研究機関に勤務。主に紛争解決に向けたワークショップのコーディネートなどに携わる。大学卒業後、総合商社勤務を経てNPO法人キズキを立ち上げ、現在同理事長を務める。不登校・高校中退経験者を対象とした「キズキ共育塾」を運営するほか、大手専門学校グループと提携した中退予防事業などを行なっている。
 
【写真:永井浩】

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