ゼロからの学び直しを支援したい

NPO法人キズキ 理事長 安田祐輔

_DSC1440

不良高校生、ICUへ
 
 未来の見えない無気力な毎日を過ごしていた安田さんが変わるきっかけとなったのは、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロだった。
 
「堕落した高校生活を送りながらも、2年生の終わりころから、このままでいいのだろうかという疑問を抱くようになっていました。かと言って、目的もなく大学に行くことには抵抗があった。そんなときに、アメリカ同時多発テロ、そしてその報復のアフガンへの空爆が起こったんです」
 
 ある日、ニュース番組を見ていると、アフガンの空爆に関する特集が組まれていた。取り上げられていたのは、空爆で家族を殺され、住む家も破壊され、すべてを失った子ども。激しい感情の揺れが安田さんを襲った。
 
「あまりに悲惨な現実に、なにかがおかしい、と感じました。どうしてこんなことになってしまうのか知りたい。そしてこんな社会を変えるためになにかをしたい、と強く思うようになりました」
 
 「社会を変える方法」を自分なりに調べた結果、国連を目指すことにした安田さんは、大学受験に向けて猛勉強を開始する。志望校は国連への就職率の高い東大とICUだった。
 
「不良仲間との交流を一切断ち、半年ぐらい親に頼み続けてなんとか予備校に行かせてもらいました。だけど、予備校に見学に行っても、いちばん下のクラスでさえ、講師がなにを言っているのかまったく理解できなかったんです。これはほんとうにまずいと思い、中1の参考書を買ってきて勉強のやり直しを始めました」
 
 一念発起したものの、中学校からほとんど勉強してこなかった安田さんの成績は当然ながら悪く、少し難しい漢字になるとほとんど書けないほど。通っていた高校も大学進学者は非常に少なかった上に、その学校でも成績が底辺だった安田さんに向けられる眼差しは冷ややかなものだった。
 
「お前漢字も書けないのに大学行くつもりか、という目で見られて、とにかくこの人たちを見返してやりたい、という思いが強くありました。この時期を誰かに支えてもらって助かった、嬉しかったといったような経験が僕にはまったくなくて、だからこそ、そこにニーズがあることを確信しました」
 
 中学校1年生のテキストから学び直し、2年間の浪人を経て、無事ICUに合格。ほとんど自己流で「やり直し」に成功した安田さんだが、当時をこう振り返る。
 
「僕の場合はぎりぎりで運がよかったなと思っているんです。親と一緒に暮らしてはいなかったけれど、お金のない家庭ではなかったので、何度も頼んだら予備校に通う費用を出してもらうことができたし、幼い頃から離れて暮らしている弟が成績優秀だったので、自分もやればできるはずだと思うことができました。そうしたちょっとしたことが重なって、もしかしたらなんとかなるかもしれないと踏ん張ることができたんです。だけど、一度レールから外れてしまったら、ゼロから学び直せる環境がほとんどないということを痛感したし、手を差し伸べてくれる人がいてくれるほうが絶対にいいという気持ちはありました」
 
 それが、キズキ共育塾の原点となった。

関連記事