子どもたちの成長を実感しながら

放課後NPOアフタースクール 代表理事 平岩国泰

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平岩さんのインタビュー第1回はこちら:「放課後の子どもたちを守りたい
 
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学校内でのアフタースクールプログラムの開始
 
 公民館で行ったはじめてのプログラムに大きな手応えを感じた平岩さん。そこからしばらくは、公民館での活動が続いた。
 
「やっていく中で、プログラムはどんどん増えていきました。『お菓子をつくるのが上手なお母さんがいますよ』『編み物が上手なおばあちゃんがいるよ』。そういった情報をもらっては、市民先生をお願いして。少しずつ評判になって、集客にもだんだん困らなくなり、毎回来てくれるリピーターの子もたくさんいました」
 
 そうしているうちに、ある保護者から声が掛かった。平岩さんが活動していた世田谷区では、区が学校を使って運営している放課後施設があり、そこで活動してはどうかという提案だった。
 
「トラウマというほどでもないんですけど、以前断られた苦い思い出がありますから、大丈夫なのかなって思ったんですけど。『私たちがいれば大丈夫』って言われて、保護者の方が間に入ってくださったことで、ほんとうに入れてもらえたんです」
 
 こうして、2005年の立ち上げから2年間の公民館での活動を経て、2007年からは学校内での活動が始まった。区内の公立小学校で週に1回、アフタースクールのプログラムを提供するようになると、評判は広がり、放課後プログラムのコーディネートを任される学校は5校以上に増えた。
 
「スポーツや音楽など、学校の施設を活かしたプログラムが継続的に提供できるようになり、やっとイメージしたアフタースクールのかたちに近くなってきました。さらに念願だった「建築」のプログラムでは本当の家を1年かけて建てました。家が完成した時の『本当に出来ちゃった』という子どもの声が忘れられません。その取り組みがきっかけで後にグッドデザイン賞を頂戴しました」
 
 しかし、この頃のアフタースクールの活動は、仕事の合間を縫ってのボランティア。プログラムの拡大に喜ぶ一方、それに伴って増える負担は平岩さんに重くのしかかり始めていた。

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個人ボランティアからNPO法人へ
 
 世田谷区の小学校にプログラムを提供するようになった頃のアフタースクールはまだ法人化しておらず、平岩さんは会社員として仕事を続けながら、アフタースクールの活動は週に1回、会社の公休日を利用して個人ボランティアとして行っていた。スタッフは、平岩さんと、現副代表の織畑さん、それに最初にアメリカのアフタースクールについて教えてくれた友人の3人。
 
「助成金をもらって、材料費やチラシ代といった活動資金に充てながら活動していました。アフタースクールというものを社会インフラとして日本の未来に残したいという思いを持ちつつも、自分にそれができるとは思えなかったし、それを生業にして生活していけるのかという不安もあったので、このまま会社員を続けながら、ボランティアとして週1回やっていくのが限界かなと思っていて。だけど、同時にもっとやりたいという思いもあったんですよね」
 
 公民館で活動を始めて以来、実績を認められて学校内の施設で活動できるようになるなど、着々と歩みを進めてはきたが、活動開始から4年が経つ頃になると、やり甲斐とともに疲れも感じ始めていた。
 
「僕は毎週休みの日をアフタースクールに費やしていたし、僕より先に会社を辞めた織畑はやっぱり生活が苦しかった。活動を続けるかどうかも悩んだんですが、それまでやってきた手応えを考えると、やっぱりもっとやりたい。3人で集まって話し合い、法人化を決断しました」
 
 活動開始から4年間を経ての法人化。それは、3人にとって、大きな決断だった。
 
「法人化は社会に対する責任を負うと思っていました。法人化したら、ちょっとのことでやめるわけにはいかない。当然自分も仕事を辞めてそちらに飛び込む日が来る。もう後戻りはしない、という意志として法人化をしました」
 
 このNPO法人化までの葛藤は、平岩さんがぜひ人々に知ってほしいものなのだと言う。
 
「こういう活動をしていると、決断力があって、思い切りのいいリーダーみたいな存在をイメージする人も多いと思うんです。僕も実際そういうNPOのリーダーをたくさん知っています。だけど、僕は全然そんなタイプではないんです。手堅いし、慎重派。収入に関しても、安定した生活を変更することに関しても、不安なイメージが湧くことだってあります。それでも、長く活動を続けて、手応えを感じていると、自然とそういう決断は生まれてくるんです」
 
 だから、細くてもいいから、自分のできる範囲で活動を「続ける」ことが大事――それが平岩さんが伝えたいメッセージだ。
 
「NPO法人化の決断をしたとは言え、すぐにそれで食べていけるわけではありません。結局、2009年に法人化してからも、2年間は会社勤めを続けていました。会社の勤務時間外にNPO法人の活動をやるということで。ありがたいことに会社も理解してくれました。会社での勤務もあるし、NPOの時間もほしい。両方で成果を出したいので、この時期は本当に無理もしていました」
 
 そうして二足のわらじでの活動を経て、ついに会社を退職し、放課後NPOアフタースクールに一本化したのは、2011年のことだった。

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アフタースクール第1号の誕生
 
 平岩さんの取材に伺った現場は、中野区の新渡戸文化学園内にある、新渡戸文化アフタースクール。学園の敷地内にある建物のひとつに、「新渡戸文化小学校・アフタースクール」と書かれた立派な表札がかかっている。
 
「ここは私立の学校ですが、『アフタースクールをやりたい』と考えているときに、たまたま僕たちが世田谷でやっていた活動の新聞記事を見て、声を掛けてくださったんです」
 
 理事長に「あなたの夢を語ってほしい」と促された平岩さんは、子どもたちの放課後をなんとかしたいと思ってアフタースクールの活動を始めたこと、将来的にはアフタースクールを日本のインフラに育てていきたいことなどを一生懸命に語った。
 
「そしたら、『まずここで第1号をやってみなさい』と言ってくださって。それから急いで準備を整えて、2011年に、新渡戸文化アフタースクールが開校しました」
 
 新渡戸文化アフタースクールで展開されているプログラムは、スポーツ、料理、アート、音楽、そろばんや英語と、多岐にわたる。もちろん、料理は家庭科室、理科実験は理科室、音楽は音楽室、スポーツは体育館と、児童が帰った後の学校中の空き教室がフル活用されている。
 
「学校が終わると、敷地内にあるアフタースクールの部屋に子どもたちが移動してきます。まずは必ずそこに集合して、名前と顔写真の入ったカードを送迎表に自分で貼りつけます。それから宿題をしておやつを食べて、そのままそこで友達とのんびり過ごす子もいますし、剣道などのプログラムがある子は、その場所に移動します」
 
 この日のおやつはふかしたさつま芋と牛乳。おやつは学園内でスタッフによって手作りされる。食物アレルギーへの対応もこまやかだ。壁には退所時間と近隣の駅やバス停がそれぞれいくつか書かれた送迎表があり、子どもたちはその日自分が帰る時間と場所に合わせてカードを貼りつける。
 
「子どもたちは決めた退室時間に合わせて帰ることになっているんですが、友達と遊ぶのが楽しくて帰りたがらない子が多いので、出欠確認を兼ねて表をチェックして、帰る時間になるとスタッフからも声を掛けます」
 
 帰るときにはカードを子どもたちが自分で外すことで、誰が学園内に残っているのか、一目で把握できるよう工夫されている。さらに子どもの入退室時に保護者にメールが配信されるなど、安心・安全が徹底して追求されている様子がうかがえた。

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アフタースクールプログラムで成長する子どもたち
 
 取材に伺った金曜日には、剣道や書道、ピアノ、そろばんといった「市民先生」によるプログラムが行われていた。
 
「アフタースクールでの剣道は週に1回なので、本格的にやりたいのであれば道場に通うほうがいいのかもしれませんが、習い事として本格的に始めるかどうか判断するための『お試し』としても好評です。道具をぜんぶそろえたのに、すぐ飽きてやめちゃったらどうしよう、とか考えてしまうと、やっぱり始めるのを躊躇しますよね。剣道など、道具の初期投資が必要なものはある程度こちらで準備しているので、とりあえずやってみようかな、と体験のハードルを下げられる。そうやって好きなこと、やりたいことを見つけていってくれたらいいなと思います。もちろんアフタースクールでも本格的に打ち込める環境も用意していきたいと思っています」
 
 もちろん週に1度でも、子どもたちの成長には目を見張るものがある。「アフタースクールで剣道を始めてから、子どもが礼儀正しくなった」「きちんと挨拶ができるようになった」という声も保護者から届き、平岩さんを喜ばせている。冒頭で紹介した「小蔵」も、アフタースクールの建築のプログラムで、子どもたちが1年間をかけて、「市民先生」である大工の棟梁と一緒につくりあげたものだ。
 
「建築ってやっぱりいいんですよね。こうやって目に見えるかたちになりますから。一生の想い出になってくれるといいなと思います」
 
 「学校が終わった後の時間、大人の目の届くところに置いておかないと不安だから」という理由で子どもを塾や習い事に行かせる保護者もいるそうだが、大人の目が行き届き、友達と一緒にさまざまなことを体験して楽しみながら学び、成長できるアフタースクールは、そうした保護者にとっても魅力的なプログラムであることは間違いない。

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学校の中でやれるのがいちばんいい
 
 現在、日本全国には小学校の数とほぼ等しいおよそ2万2,000の学童保育が存在し、90万人を超える子どもたちが利用している。学校内の施設で運営されているものは、そのうち半分程度だ。
 
「そうでない場合は、僕がやっていたように公民館や児童館で、あるいはアパートを借りてやっています。だけど、ほんとうは学校の中でやれるのがいちばんいいんですよね。移動の手間も危険もないし、耐震が危ういところでやっているようなケースもけっこうあるので」
 
 平岩さんがアフタースクールの活動を始めるきっかけとなった連れ去り事件などは、子どもが学校を出た後、ひとりになった瞬間を狙われたものであることを考えると、安全な学校の中でやれるに越したことはない。そうなっていない学童保育が半分も存在するのは、学校は文部科学省、学童保育は厚生労働省の管轄という、いわゆる縦割り行政の結果でもある。
 
「『学童は厚労省がやっているものだから、学校には入ってきてほしくない』と考える方もいらっしゃるのが、残念ながら現実です。もともと学童は、ほんとうに必要な方々が必死に頑張ってつくりあげてきたもの。もともと学校とは別のところで立ちあがってきた歴史が意識を分けてしまっているのかもしれません」
 
 少子化に伴い、多くの学校が余った教室を抱えているにも関わらず、そうした教室を学童保育に活用させてほしいと言うと、「空き教室なんてない」「資料置き場にしているから、使わせられない」などと理由をつけて断られることも珍しくない。だが、学校外では、学童保育に使える施設を見つけること自体がまず大変だ。子どもたちが集まる施設である以上どうしても騒がしくなるため、アパートなどを借りようとしても断られることもある。
 
「部屋を借りられても、やっぱり家賃のこともあるから、そんなに広いスペースを確保するのは難しい。子どもがすし詰め状態になっていて、廊下まではみ出して宿題をやっているなんていうケースもあります。狭い部屋の中で置いてある本も読みつくして、ほかにやることもなくて、もう学童に行きたくないって言い出す子もいます。そうすると、保護者も困ってしまいますよね。仕事が続けられなくなってしまいますから」
 
 学校施設の中で学童保育やアフタースクールを行うメリットのひとつは、家賃がかからないことだ。家賃に充てていた費用を活動費に回せるばかりでなく、音楽室や実験室、体育館など設備の整った教室を活用することで、さまざまなプログラムが展開できる。
 
「もともとの成り立ちを考えると学校と学童は分けて考えてしまうところもあります。また学校は教育の場であり、第二の家庭である学童の場としては馴染まないというご意見や不登校の子が行けなくなるというデメリットもあります。それでも、子どもの安全や耐震やまた良い場所を必死に探す学童スタッフの皆様のことを考えると、学校で行うメリットの方をとるべきだと思っています。学校施設を活用した放課後のモデルを、国も推進する姿勢ですから、制度的な縛りはありません。学校内の施設を活用する学童は少しずつ増えてきていますが、さらに積極的に展開していくためには、保護者が必要の声を高め、関係者のご理解を深めていくことが必要だと思います。何より、子どもたちのためということで意識を揃える必要があります」
 
(第三回「アフタースクールを日本の子育てインフラに!」へ続く)
 
平岩 国泰(ひらいわ くにやす)*1974年、東京都生まれ。2004年、第一子誕生を機に放課後NPOアフタースクールの活動を開始。子どもの放課後を安全で豊かにするため、学童保育とプログラムが両立した「アフタースクール」を展開。プログラムは地域の大人を「市民先生」とし、子どもたちに提供している。衣食住からスポーツ、音楽、文化、学び、遊び、表現まで多彩な活動を展開し、現在までに参加した子どもは50,000人を超える。2008・9年度グッドデザイン賞受賞。2013年より文部科学省中央教育審議会専門委員。
 
【撮影:遠藤宏】

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