市民はもっといろんなことができる

京都地域創造基金 理事長 深尾昌峰

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SNSがない時代の情報発信
 
 NPOが自ら情報を発信するためのメディアがない。それは、SNS等の盛んな現在とは、大きく違う条件だった。
 
「広報活動としてチラシをつくったりしていましたが、いま見るとクオリティはひどいんですよね(笑)。こてこてなんです。なにが言いたいのかわからないし、誰に来てほしいのかわからないし、そもそも書かれていることばが難しい。NPOという『ムラ』の中だけで流通していることばだったわけです」
 
 その結果、環境系のイベントでも、福祉系のイベントでも、顔を合わせるメンバーはいつも同じ。それでは活動は一般の人々には広がらないのも当然だった。
 
「『このままではいけない』と、どうやって市民の持っているコンテンツをたくさんの人たちに届けて広げるかということを考えたときに、僕らが行きついたのがラジオという媒体でした。いまの学生とか若い世代はラジオを聴くことなんてほとんどないと思うんですが、僕らの頃はラジオを聴きながら勉強していたり、オールナイトニッポンをみんな聴いていたりという共通体験があったので、発信するといえばラジオだろう、というイメージを持っていたんです」
 
 こうしてきょうとNPOセンターの設立から間もなく、今度は日本初の市民立ラジオ放送局京都コミュニティ放送」の設立に向けて、深尾さんたちは動き出した。だが、放送事業の免許の取得は容易ではなかった。
 
「最初免許を申請したときには、そんなものNPOなんかでやれるわけがないからだめだと言われましたね。要は、当時は自治体が直営でやっている、もしくは自治体が出資した事業体(3セク)でやっていることが電波の公共性や公益性の判断基準で、だからNPOに免許はやれないという理屈でした。だけど、そういう壁を乗り越えて、市民性が果たす公益性や公共性を認めさせて、いろんな場面で行政の壁に風穴を開けていきたいっていう思いが、その頃は強くありました」
 
 資本金の基準や継続性の保証など、当局の提示する条件を一つひとつクリアし、ようやく免許を交付が認められたときには、最初の交渉から3年が経っていた。
 
「当時は意地悪な無理難題ばかり突きつけてくると思ったりもしましたが、継続して事業がやれるのかどうかとか、機材の購入などで初期投資に必要な3,000万円以上のお金をどうするのかといった課題を当局側が示してくれたことは、非常に僕らを鍛えてくれました。簡単に免許をもらっていたら、潰れていたかもしれません(笑)」

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