市民はもっといろんなことができる

京都地域創造基金 理事長 深尾昌峰

市民社会構築のための4つのアクション
画像提供:きょうとNPOセンター

「市民活動」をもっとエンパワーメントしたい
 
 当時の日本では、NPOという存在自体、まだあまり知られていなかったが、被災地ボランティアの現場でNPOの人々と接し、彼らとの交流に居心地の良さを感じたり、ショックを受けた自分自身を見つめ直したりする中で、深尾さんは彼らの生き方に惹かれていった。
 
「ボランティアやNPOといったものが、社会的にまったく認知されていない時代からそうした活動を積み上げてこられた、ほんとうに市民性あふれる、濃い人たちだったんですよね。彼らとの出会いのきっかけは震災ボランティアでしたが、私自身の興味・関心は、震災からNPO全般の可能性に移っていきました」
 
 深尾さんの感じた可能性というのは、さまざまな団体がひとつになっていろいろな課題を考えていけることだった。当時のボランティアは福祉の領域にほぼ集中し、制度が追い付かない個別ニーズを埋めていくような活動が主流だった。
 
「もちろん、それは非常に大事なことです。だけど、NPOという団体を地域に入れてみると、福祉系の団体も環境系の団体も人権系の団体も、『市民性』をベースにつながって、みんなで一緒にいろんなことが考えられると思ったんです。そうした可能性を感じる一方、いまでも言われていることと同じですけど、やっぱりお金がない、なかなか広がらないという課題をNPOは抱えていました」
 
 そんな中、大学卒業の時期を迎えた深尾さんは、就職ではなく大学院進学を選び、より深く、積極的にNPO活動に取り組んでいくようになった。
 
「当時は大不況だったし、団塊ジュニア世代で競争が激しかったので、正直に言うとモラトリアム的に大学院に進学したっていう部分もあります。最初は大学院での勉強もそれなりにしていたんですが、震災を契機に出会った人たちと、『NPOをもっとエンパワーメントできるような仕掛けが必要だね』という話になって、『きょうとNPOセンター』という団体をつくることになりました。その事務局長をやったりしていたら、休学や留年を繰り返して、本来2年で終わるはずの大学院修士課程を卒業するのに結局6年間かかりましたけど(笑)」
 
 1998年、京都を拠点に活動していた80団体ほどのNPOが賛同し、「きょうとNPOセンター」が立ち上げられた。そのコンセプトは、「市民活動を支えるのは市民社会」。市民はもっといろんなことができる、との思いからだった。フォーラムの開催など、NPO同士のネットワーキングから活動は始まった。だが、その頃は現在のようなSNSなどは普及していない。どのようにして同じ志を持つ仲間たちを集めたのだろうか。
 
「やっぱり、『ムラ』ですよね。つながっている人からつながっている人への、口コミ型のコミュニティでした。だから、すごく濃い人たちが集まって運動体ができていく感じでした。いまの時代ならまた違う広がり方をしたんだろうと思います」

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