ビジネスを通じて一緒に夢を実現したい

株式会社ワクワーク・イングリッシュ 山田貴子

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写真提供:株式会社ワクワーク・イングリッシュ

「変える人」No.10では、フィリピンで貧困層の人々の自立と夢の実現を目指してさまざまなビジネスを展開する、株式会社ワクワーク・イングリッシュの山田貴子さんをご紹介します。
 
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貧困層の子どもたちに教えられたこと
 
 観光地として日本人にも人気の高いセブ市。マニラに継ぐフィリピン第二の都市だ。各国から続々とIT企業の集まるITパークができるなど、アジアでも経済成長の目覚ましい地域として注目を集めているが、市の中心部にはスラム街がいまだ存在しているなど、貧富の差の激しい地域でもある。
 そんなセブ市で、貧困層に生まれた人々の自立と夢の実現を目指して山田さんが立ち上げたのが、今年で5年目を迎える株式会社ワクワーク・イングリッシュ。インターネットのスカイプなどを利用し、フィリピン人講師がオンラインで英会話のレッスンを提供する会社だ。
 
「いまでは珍しくなくなりましたが、ワクワークを立ち上げた2009年には、オンライン英会話っていうことばも全然流行っていなかったし、フィリピン人から英語を学ぶという考え自体が珍しいものでした」
 
 ワクワークの立ち上げに向けて走り始めたとき、山田さんは23歳。大学院の1年生だった。フィリピンで活動することになったのは、単なる偶然だと山田さんは言う。
 
「はじめてフィリピンを訪れたのは、大学2年生のとき。大学1年生のときに、サイパンに何度も遊びに行っていたんですが、そこで出稼ぎに来ているフィリピン人とバングラデシュ人と仲良くなったんです。彼らに自分の国を見て来てほしいと言われたのがきっかけでした」
 
 まずフィリピンを訪れた山田さんは、路上でたくさんの貧しい子どもたちと出会う。
 
「路上で一緒にボール遊びをしたりしていたんですけど、その子たちから学ぶことがすごく多くて。私はそこまでの努力もせずに、親のお金で大学生になり、ここまで来れた。だけど、フィリピンの路上にいる子たちって、まだ小さいのに働いているんですよね。『なんで働いているの?』って聞いたら、みんな『お母さんのため』『家族のため』って言うんです」
 
 こんなに小さい子が、息子、娘としての責任を持って生きている。そのことに山田さんは大きな衝撃を受けた。自分の家族に対する態度や行動を見直すとともに、その子たちに惹きつけられ、強い興味を抱いた。
 
「こんなに元気で、思いやりもあって、しっかり働いているけれど、彼らはほんとうは学校で学びたいのに、貧しさゆえに学べない状況にあったりする。それをなんとかしたいという思いを最初に持ちました」
 
 現地には貧困層の人々を支援するNGOや孤児院がたくさん存在していたが、そのキャパシティをはるかに上回る子どもたちが路上にあふれていた。

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「援助」に対する違和感
 
 バングラデシュへは、外務省のODAモニターとして訪れた。
 
「その頃はバングラデシュへのツアーなんてなかったんですが、ダメ元でODAモニターに応募してみたら、運よく通って行かせていただけた。そこでは国がしている援助を見ることができたんです」
 
 何億円という巨額の費用を投じて橋を建造する裏で、その辺りにもともと住んでいた人々は、内陸へ押しやられて仕事を失っているといった現実も目の当たりにした。
 
「フィリピンでは下から、バングラデシュでは上からの取り組みを見ることができたんですが、自分の中で“援助”というものに対する疑問がものすごく湧いてきたんです。フィリピンに戻って子どもたちに会えば会うほど、この子たちのエネルギーや可能性をどうしてもっと生かさないんだろうって」
 
 フィリピンの小学校の入学率は9割。学費は無料だが、交通費が払えなかったり、ノートが買えなかったりして通えなくなる子どもも多く、小学校を卒業できるのは6割程度しかいない。さらに、大学は学費がかかるため、貧困層から大学に進める人となると、100人にひとりいるかいないか。そうした環境では、貧困の連鎖から抜け出すことは非常に難しい。だが、孤児院の大学生と話をすると、そのモチベーションの高さや優秀さに驚かされた。みな一般的な日本の大学生とは比べものにならないくらい、本気で勉強に取り組んでいた。
 
「なのに、彼らがごはんを食べさせてもらう、寄付で学校に行かせてもらう、といった“援助”の対象として見られてしまうことに、苛立ちのようなものを感じたんです。彼らには、自分で自分の人生を切り拓く力もあるし、生まれた環境に関係なく自分がほんとうにやりたい未来を選択していく力があるということを証明したいという思いが強くなっていきました」

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写真提供:株式会社ワクワーク・イングリッシュ

支援ではなくビジネスとして
 
 そんな山田さんも、最初からオンライン英会話のシステムにたどり着いたわけではなかった。
 
「最初はスポーツを通じてなにかできないかと考えていました。国際協力や教育の現場でスポーツが果たせる役割を研究テーマに論文を書こうと思っていて。それでフィリピンを訪れては路上の子どもたちと一緒に遊んだりしていました」
 
 転機は大学4年生のときに訪れる。半年間滞在していた現地で、一緒に遊んでいた子どもの母親に怒られたのだ。
 
「『タカが子どもと遊んでいたせいで、今日食べるものがない。子どもと遊ぶなら、お金か食べ物をちょうだい』って言われたんです。それがショックで。自分がやってきたことは自己満足だったのかと。中途半端になるくらいなら、フィリピンにかかわるのはやめようと思って、一度は日本に帰ってきました」
 
 だが、どうしてもそれでは終われなかった山田さんは、現地で仲良くしていた人々とスカイプで連絡を取り合い、フィリピンの貧困問題へのアプローチを話し合った。
 
「援助とかボランティアっていうかたちじゃなくて、彼らの持っている力を使ってなにかできないか考えたかった。じゃあどうするのか、というところで、私がフィリピンの語学学校に通っていたときのディベートクラスの先生から、フィリピン人の資源は英語だって言われたんです」
 
 英語が公用語とされているフィリピンでは、テレビでも英語が流れ、小学校から授業も英語で行われるため、子どもの頃から英語を話せる人が多い。
 
「だったらスカイプを使った英会話レッスンのビジネスを始めたらどうかって。まずは試してみようということで、当時流行っていたmixiのフィリピンコミュニティに『スカイプ英会話をやりたい人はいますか?』って投げてみたんです。そうしたらすぐに反応があって、試しに簡易ウェブを立ち上げたら、ほんとうにお客さんが来てしまった」
 
 スカイプを通じた話し合いで、オンライン英会話をやってみようということが決まったのが2009年4月21日。簡易ウェブを立ち上げたのは5月の上旬だったという。思いつきのような試みだったが、1回700円という廉価な価格設定もあり、試してみたいという人は多く、山田さんは手ごたえを感じた。
 
「フィリピン人に英語を習うっていうことに難色を示す人もいたり、反対意見もあったんですけど、ビジネスモデルをブラッシュアップしたり、オンライン英会話でほんとうに子どもたちの夢を実現できるのかどうか、現地のニーズを丁寧に確認していく作業をして、9月には会社を設立しました」
 
 NPOやNGOではなく最初から株式会社として、援助や支援ではなくビジネスパートナーとして、現地とかかわっていく。その姿勢は、立ち上がりからいままで一貫している。
 
「ビジネスとして成立していれば、貧困という課題を解決した後も、事業が途絶えないですよね。だから援助ではなく、ビジネスを通じて一緒に夢を実現していくんだっていうスタンスで始めたかった。きちんとお客様に価値を提供して認めていただきながら、当たり前の社会の中のひとつのしくみとして動いていくことを目指したかったんです」
 
 NGOや孤児院は、課題を解決し、最終的には必要とされなくなることが究極の目標ともいえる。そうではなく、山田さんが目指すのは、あくまで持続可能なビジネスのかたちだ。

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写真提供:株式会社ワクワーク・イングリッシュ

自立と成長の循環を生み出すワクワークのしくみ
 
 こうして立ち上がったのが、株式会社ワクワーク・イングリッシュ。孤児院の大学生が英語講師として働いて自立することで、孤児院が新しく路上から子どもたちを引き取れるようにするというビジネスモデルが組まれている。
 
「フィリピンでは小中高までは教育は無償なんですが、大学は学費がかかります。大学生ひとり分の学費は、子ども3人分の養育費くらい。つまり、孤児院から学費をもらっている大学生が働いて自立することができれば、3人の路上の子どもたちを孤児院に引き取ることができるんです」
 
 もともとは貧困層の子どもたちをなんとかしたいと考えていた山田さんだが、2009年当時、セブ島にはすでにNGOや孤児院が400以上も存在していた。
 
「だったら、また私が一から同じように子どもたちにアプローチをするのではなくて、若者の自立を促すことで、子どもたちが教育支援を受けられるように循環するしくみをつくろうと思いました」
 
 現地のNGOや孤児院とシンポジウムを開き、困っていることを話し合うと、学費がかかるのでなかなか大学に行けない、また、人口の8割が30歳以下という非常に若い国であるフィリピンでは、知的レベルの高い労働力のニーズが低く、せっかく大学を出ても就職先がないといった課題が出てきた。
 
「そこで、みなさんが大学生までの教育支援をするのであれば、私たちは出口の部分をつくりますよっていうかたちで、協働することになりました。就業につながるスキルを身につけて大学生が自立することで、次の子どもたちにバトンを渡していくというしくみをつくることにしたんです」
 
 ワクワークの講師には2つの層がある。ひとつはNGO・孤児院から採用している大学生。彼らは基本的には日本の小中学生向けのレッスンを担当する。そして彼ら大学生講師をトレーニングする、プロの育成講師陣。日本の企業や大学向けのサービスを提供するのはこちらの層だ。
 
「ワクワークに上司と部下のような上下関係は基本的にないんですが、先輩がどうしているかを、新しく入ってきた人は自然に学びますよね。だから、孤児院出身の子たちのロールモデルになれるような人しか、プロフェッショナルの層には採用しません。どんなに英語教師の経験があっても、自分の人生に対する信念とか、情熱とか、哲学をもっていないと」
 
 歩合制でなく固定給という給料制度も、フィリピンでは珍しい。チームで最大の価値を発揮できるように互いを高め合っていけるのも、ワクワークの魅力のひとつだ。
 
「新人だとなかなか仕事がうまくいかないこともあるんですけど、それはその人の可能性を開かせてあげられない、環境を用意できていない我々の責任だから、どうするのかをみんなで考える。決してその人個人のせいにはしません。一緒に仕事をするファミリーの一員として受け入れたからには、その人の可能性を最大に開く場を一緒につくっていく責任をもつことを徹底しています」
 
 「体育会系ですよね」と、山田さんは笑う。実際、山田さん自身がライフセービングというスポーツを通して、体育会系の人間関係の中で先輩の背中を見て育ってきた経験にヒントを得た体制だという。
 
「ライフセービングは日本ではマイナーな競技ですが、『あなたは愛する人を助けることができますか?』っていうキャッチフレーズが引っ掛かって。いまの自分では大事な人がおぼれていても助けられないという思いと、私の大好きな海で悲しい思いをする人がいてほしくないという思いでライフセービングを始めました」
 
 ハードな練習をこなすかたわら、ジュニアの育成にも力を注いできた山田さんは、ライフセービングというスポーツを通じて、海面上昇などの環境問題や地球の話なども子どもたちに伝えてきた。「どう生きるか」を常に大切にし、自ら考えて動くことで人生を選び取りつつ、あとに続く者を思いやる姿勢は、姿かたちを変えながら、山田さんの生き方を一貫しているようだ。 
(第二回「チャレンジで自分と地域の未来を変える」へ続く)
 
山田 貴子(やまだ たかこ)*1985年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学非常勤講師。2009年、大学院在学中に株式会社ワクワーク・イングリッシュを設立、代表を務め現在にいたる。2012年、世界経済フォーラム・ダボス会議の20代30代のリーダーGlobal Shapersに選出され、活躍の場を広げている。
 
【写真:shu tokonami】

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