子どもたちが主体的に学べる居場所を

NPO法人東京シューレ 理事長 奥地圭子

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シューレを支えてきたふたつの「つ」
 
 まもなく30年周年を迎えようとしている東京シューレ。さまざまな苦労を乗り越え、ここまで活動を続けてこられた原動力はなんだったのだろうか。
 
「25周年を迎えたときに、なにが活動の軸なのかなって自分でも考えたんですけど、ふたつの『つ』なんですよね。ひとつめは『つくりだす』の『つ』」
 
 東京シューレは常に新しいものを創り出している。フリースクール、ホームシューレ、不登校新聞、フリースクール全国ネットワーク。さまざまなものを「つくりだす」楽しさが原動力のひとつ。
 
「もうひとつは『つながる』の『つ』。子どもとつながる。親とつながる。親の会や全国のフリースクールとネットワークをつくったりして活動していけば、どんどん新しい人とつながっていきますから。それを大人だけじゃなくて子どもと一緒にやるのがね、ますますおもしろいんですよ」
 
 この「つくる」「つながる」楽しさの中で、子どもたちが大きく変わるのを、奥地さんは見守ってきた。
 
「不登校は困るとか甘えとか、世間ではマイナスに見る人が多いんですけど、それは学校というひとつの環境の中でそうだっただけ。ほんとうに自分が認められる空間で安心できてくると、子どもが変わっていくのが目に見えてわかるんですよ」
 
 社会の常識とは違うことを言ったりやったりすることになったが、理解を広げていくプロセスは、手ごたえがあっておもしろいのだと、奥地さんは言う。
 
「一日も同じ日はなかったし、困ることもいっぱいあったけど、それをどうしたらいいのかみんなで一緒に考えたり、やってみたりすることで、次の展開が見えてくる。そうやってここまで来ました」
 
 そのときそのときで必要なことを考え、やってきた結果、いま取り組んでいるのは、子どもたちに多様な学びの機会を保障するための法律の実現に向けた活動だ。(第二回「受けたい教育を選べるしくみに」へ続く)
 
奥地圭子(おくちけいこ)*1941年東京生まれ、広島育ち。横浜国立大学卒業後、22年にわたり公立小学校の教師を務める。1984年に「登校拒否を考える会」通称「親の会」を立ち上げ、翌1985年に教師を退職、東京シューレを立ち上げる。
 
【取材・構成:亀田徹(PHP総研)】
【写真:shu tokonami】

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