日本の農業を大きく変えたい

株式会社グランパ 社長 阿部隆昭

米崎小からの景色
陸前高田に立つドーム(写真提供:株式会社グランパ)

 「変える人」No.8では、新しい農業のかたちを提案し、東日本大震災で被災した陸前高田市の復興にも携わっている株式会社グランパの阿部隆昭社長をご紹介します。
 
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被災地の雇用と食糧を同時につくる
 
 東日本大震災の大津波によって市域の大半が壊滅した陸前高田市。その国道45号線沿いの一角に白いドームが立ち並んでいる。株式会社グランパの運営する植物工場だ。
 
「東日本大震災が起きたときに、真っ先に頭に浮かんだんですね。津波でなにもかも流されて住むところも仕事も失った方々は、きっと明日からでも働きたいだろうと。漁場も農場も被災してしまったから、食べるものも手に入らないだろうと。このふたつの方程式をどう解くか。というところで、我々の開発したドーム型の植物工場がお役に立てるのではないかと考えたんです」
 
 衰退しつつある一次産業をどうやって雇用につなげ、次世代の若い人たちにつなげていけるか。被災地で地元の雇用と食糧を創出する取り組みは、その実証実験も兼ねた取り組みだった。
 
「被災地での立地を考えたとき、陸前高田市は日照時間が比較的長い地域なんです。それは農業をする上では非常に有利な条件です。また、行政が非常に理解を示してくれて、一緒に事業をやるためのしくみづくり、とりわけ土地の確保に尽力してくれました」
 
 神奈川県藤沢市や秦野市でドーム型植物工場を運営してきたグランパ。県有地と市有地の混在するところを、市がきっちり調整して土地を用意してくれたことで、すでに出来上がっていた技術を持ち込むだけでよかった。
 
「それだけではさすがに芸がないですから(笑)、陸前高田では地熱エネルギーを組み合わせた新しい技術に挑戦しています。日本の農業技術をもっと高いレベルまで持っていくために、ここでしっかりと確立させていきたい。陸前高田では、将来の方向性としても良いセットができたなと思っています」
 
 単なる復興支援や技術移転には終わらせない。グランパの取り組みには、被災地を思う心が透けて見える。

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株式会社グランパ 社長 阿部隆昭

地域の思いを企業に取り込んだしくみを
 
 当初8棟でスタートした復興支援事業も、いまでは12棟に。グランパが事業を拡大してきた背景には、高い技術力はもちろんのこと、被災地に寄り添う細やかな気配りがあった。
 
「地元の人たちの気持ちや人間関係といったものを無視して、よそで出来上がった技術やしくみをそのまま持ち込んでやろうとしても成功するわけがないと、私は思っています。やっぱり地元の人々の意思を汲んだしくみづくりが必要ですよね。人の気持ちがつながらないと、いい仕事はできませんから」
 
 初めて目にするような施設に、果たして人が集まってくれるだろうか。最初は不安もあったが、実際に募集をかけてみるとたくさんの人が来てくれた。
 
「正直言って安堵したんですけど、ほとんどの方に農業の経験はないし、被災して心も傷ついている。ですから、最初の一年は焦らずに、人間関係や職場の環境をじっくりつくりこむように配慮しました」
 
 通常の場合はコマーシャルベース(採算)で事業構築をはかるが、ここでも被災地の事情を考慮した。
 
「被災地ですぐに採算を念頭におくと、失敗するんじゃないかと思ったんですね。人の気持ちをつなぐものを企業の中にどういうかたちでつくりこんでいけばよいのか、とても勉強になりました。おかげさまで、2年目の定着率もよいですよ」
 
 一方で、地下水が塩分を多く含んでいるなど、被災地ならではの技術的な課題にも直面した。
 
「コマーシャルベースで見れば、そうした課題は一つひとつ順を追ってやっつけていくのが当たり前なんですよね。ただ、被災地の復興というある意味特殊な環境だったので、次々新しい技術を編み出してカバーしていかないといけなくて。苦労というほどではありませんが、相当に頭を使いました。おかげで、企業としてはすごく体力がつきましたね」
 
 阿部さんが大事にしてきたのは、東北の人々の忍耐強さや人のつながりを大切にする精神を、うまく企業イズムの中に取り込んだ環境づくり。それが被災地で成果を挙げてこられた秘訣なのかもしれない。

二期工事(遠景)
二期工事中の陸前高田のドーム(写真提供:株式会社グランパ)

価値を生み出す「生きた補助金」に
 
 陸前高田での開業にあたって、地元から20人を雇用した。全員が農業未経験者だ。1年間をかけて彼らを教育し、2年目から収益を上げられる体制をめざしている。
 
「いま、人件費は補助金でまかなっているんですが、3年目には完全黒字化して、いただいた補助金を税金でお返ししていけるようにしましょう、と。そういう計画で、いま全力でやっているところです」
 
 経産省の補助金を活用してドームを建設し、事業を始めたのが1年目。2年目は農林水産省の補助金を活用してドームを増設し雇用を拡大するとともに、新しい技術を導入して生産性を高めた。
 
「これまでの農業は、往々にして単年度で補助金を使い切ってしまって、あとにはなにも残らないものが少なくなかった。ですが私たちは、この2年間で、ひとつの農場としては完成形に近いかたちに仕上げられるところまできました。補助金はやっぱり価値を生み出して、次につなげるような、効果的な使い方をしなければならないと思うんです」
 
 補助金は、「もらったもの」ではなく、「国からの一時預かり」。それを十二分に活用することで新しい価値を生み出し、事業として利益を出し、税金のかたちで国にリターンしていく。それこそが生きた補助金の使い方だと、阿部さんは力説する。
 
「たとえば1年目、2年目が赤字でも、補助金を特別利益として計上することでバランスシートは健全化します。そうすると、銀行からも認められてお金を借りやすくなって、事業を継続的に展開しやすくなります」
 
 起業家としてだけではなく、銀行マンとして数多くの事業と向き合ってきた阿部さんだからこその思いがあふれる。
 
「意欲があれば、立ち上げにかかるお金を国がある程度応援してくれるっていうことですから、これほど贅沢なお金のしくみってないんですよね。だけど、それに甘えちゃいけない。補助金で始めた事業だからこそ、ちゃんと利益を出して、税金として返していくっていう考え方をしないと」
 
 グランパの取り組みは、被災地復興のためだけではない。その企業経営のあり方は、日本の農業全体を大きく変える提案にもつながっている。

収穫作業
ドーム内部での作業の様子(写真提供:グランパ)

目指すは農業のクラウド化
 
 被災地に導入されたグランパのドーム型植物工場は、いままでのマイナス面をプラスに変える、新しい技術の結晶である。
 
「従来のドームは鉄骨フレームだったので、どうしても影ができて17%ほど太陽光をロスしていました。このドームは風船のように内側から空気で膨らませているので、影ができず太陽光を目いっぱい利用できるんです」
 
 二重に張り巡らされたフィルムにも工夫が凝らされ、外側には太陽光の透過率97%のフィルム、内側には光を拡散させるフィルムを用いている。曇りの日でも90%以上、天気がよければ100%を超える利用率となるという。
 
「建物の中で外と同じくらいの太陽光を使える。これはまったく珍しいしくみなんですよ。これで生産性に大きな差をつけられます。さらに、エネルギーをうまく循環させて、植物が育つ部分にだけエネルギーを使うようにするしくみを導入しています」
 
 たとえば、東京ドームは競技の行われるグラウンドと観客席のみが空調コントロールされ、天井部分は放置されている。全体をあたためたり冷やしたりする必要がないので、その分省エネ型になる。その技術をグランパのドームにも用いているのだ。
 
「地下からくみ上げる水を使って水耕栽培を行っているんですが、その地下水がだいたい15度くらい。その熱をうまく使い切る工夫もしています。作業工程についても徹底的なシンプル化、効率化を図りました。そうやって一つひとつ技術を積み上げていったんです。そうすれば農業未経験者でも働けるようになりますから」
 
 さらに、これらはコンピュータで遠隔操作され、各地に点在するドームの様子を一括管理できるようになっている。
 
「将来的には、栽培のクラウド化を進めたいと思っています。植物工場のハードの不具合や生産物の成長具合を管理しつつ、需要のあるところに効率的に供給していく出口戦略のしくみも合わせてつくっていく。生産の作業工程に合わせて、流通もシンプル化・効率化していくことをめざしています」
 
 この植物工場のシステムを、ひとつの大きな産業構造として確立させ、農業による所得で生活が成り立つようにする。これだけでも大きな目標と思われるが、阿部さんはさらにその先も見据えている。

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若者には収入を、年配者には仕事を
 
 作物の出来不出来が天候に左右される農業は、収入源としては極めて不安定な業種だと思われる。
 
「これまでの農業所得って、そもそもが低いんですよ。だから兼業農家が多かったり、補助金でカバーしたり、農協の下で守られてきたりした。自立した農業経営ができてきたとは言えないし、発展性も感じられない仕事だったんですよね。若い人の農業離れには、そういったところにも原因があるだろうと考えています」
 
 効率よく生産し、きちんと出口戦略まで持ち込む。これまでの一次産業は、そうした産業化のしくみを作り込んでこなかったのではないかと、阿部さんは振り返る。その結果が、競争力の低下や後継者不足に表れてきているのではないだろうか。
 
「天候の影響を受けにくい植物工場で生産して、流通のしくみもきっちりつくって、二次・三次産業と同じくらいの安定収入が得られるようになれば、若い人たちも入ってくるようになるはずです。そういうところまで、農業の仕事の中身を変えていく必要があるだろうと思っています」
 
 グランパが手掛けて来ているのは、若い人たちが農業に手を挙げてもいいと思うようなしくみづくり。いま、大きな曲がり角に差し掛かっている農業に、新しい産業を興す気概で取り組んでいる。
 
「若い人にどんどん活躍してもらって、次の世代にどうつないでもらうかと考えていかないといけない。一方で、いま日本全体が高齢化しているわけですけど、高齢になると働くところがないんですよね。その点、グランパの農業は大半が腰高でできる軽作業なんです。だから、60歳を過ぎても働ける」
 
 グランパファームで働く人々は、若い人が3割程度。7割が40代後半から50代だが、中には60歳を超えた人もいるという。
 
「定年制もなくしてね、体力の続く限り働けばいい。1日8時間は無理でも3時間くらいなら働けるっていうなら、3時間のローテーションを組めばいいわけじゃないですか。そういうしくみも、グランパならできるんです」
 
 さらに阿部さんの発想がユニークなのは、従来とは逆転した職場構造だ。
 
「経営は若い人にやってもらって、現場で働くのは年をとった人たち。若い人たちには儲かるしくみを作り込んでしっかり生計を立ててもらって、年配の人たちが現場を支えていく、というしくみを考えています。年金だけでは食べていけないだろうし、体を動かすことは健康にもいいから、若い人と一緒に働いて生活の足しにしてもらえたらいい」
 
 ビジネスモデルを確立しつつ、若者も年配者も共存共栄する社会を職場からつくり出す。農業ならそれができると、阿部さんは胸を張る。
 
「私は日本の農業を大きく変えたいと思っているんです。いまやっている技術を世界一のレベルまで高めて、日本の農業を輸出産業に変える。生産物だけじゃなくて、技術の輸出もできるというところをめざしていきたいですね。まだ道半ばですが、ぜったいあきらめないで、答えが出るまでやり続けます」
 
 高い志と、高い技術力に裏打ちされた新しい農業のかたち。さらに、被災地での取り組みによって新しい気づきを得て、世界に羽ばたいていく日が来るのではないだろうか。いや、阿部さんの目には、その時がくっきりと見えているに違いない。
 
 
 
阿部隆昭(あべ たかあき)*1943年、青森市生まれ。大学卒業後、青森銀行に入行。50歳で退職。2004年に株式会社グランパを設立し、代表取締役に就任。
 
【写真:shu tokonami】

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