住民の、住民による、住民のためのまちづくりをめざして

NPO桜ライン311 岡本翔馬

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一関の中学生と植樹に取り組む岡本さん(写真提供:桜ライン311)

岡本翔馬さんのインタビュー第1回、第2回はこちら:
誰もいないなら、自分がやるしかない
「『地元から出ていた人間』の強みを生かして
 
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桜ラインをまちの財産に
 
 現在次々に植樹されている桜の木。この木が大きく成長する、10年後、50年後のまちの姿を、岡本さんは思い描いている。
 
「やっぱり、陸前高田市の財産になっていてほしいし、市民のみなさんに愛されていてほしい。1万7,000本の桜並木ができたら、必ず観光名所のひとつになっていくと思うし、それに伴う経済効果も期待できるはずです」
 
 まちづくりに貢献する桜ラインに。そのためには住民や市役所などと連携をとっていかなければならない。そうした思いから、桜ライン311は、活動のもうひとつの柱に「政策提言」を掲げている。
 
「戸羽市長には団体設立の際からいろいろと相談させていただいています。まだようやく市役所の移転先が決まったばかりというような状況で、連携が具体的に動き出すのはこれからなんですけど」
 
 市の復興計画がまとまらなければ、津波の到達地点が将来どのようになるかわからない。それでは、所有者も「ここに桜を植えていいよ」とは言いにくい。だからこそ、このタイミングで市とチャンネルができたことに手ごたえを感じている。
 
「九州出身で、東大を出て、都市計画の会社に勤めていた人が、市の都市計画課にいるんです。『被災地の都市計画をしないで、都市計画なんてやっていられない。俺らがいま行かなくてどうするんだ』っていうモチベーションで、震災後に市の職員になってくれたんです」
 
 彼が手掛けている地域で「桜ラインの木を植えられないか」と連絡をもらい、その計画を詰めている最中だという。
 
「いちばん行政区の中では計画の進んでいる区域なんですけど、そこのまちづくりに桜ラインが関わることができれば、『ほかの地区でも』という話になるんじゃないかと。実際に桜を植えられることになったら、できれば市内の小・中学校の子どもたちに植樹に来てほしいですね」
 
 ただ記憶にとどめるのではなく、市民によって守りつながれていくものにしていきたいという思いが、桜の木1本1本に込められている。

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写真提供:桜ライン311

「市民の総意」をつくり出せ
 桜の植樹には、法律の壁も立ちふさがる。たとえば、現在の河川法では堤防に植樹することは原則として認められない。そこで、戸羽市長からかけられた言葉がある。
 
「『市民の総意として、桜ラインを市の財産にしていこうという意識が広がったときには、俺は認めてもらえるようにするよ。法律のために市があるんじゃなくて、住民のためのものだから』って、市長に言ってもらったんです」
 
 活動を展開する中で、時には高いハードルにも遭遇する。市長の言葉は、心強い援軍を得たようなものだった。
 
「だから、そういう雰囲気を君はつくれ、って。市をあげての要請となれば、県や国だって、無下にはしにくいでしょうから」
 
 どんなに的を射て素晴らしい政策でも、周りから望まれるものでなければ人もお金も集まりはしない。逆もまたしかりだ。微妙な問題をはらんでいたとしても、多くの人の賛同を集めた計画であれば、かたちになりやすい。
 
「外の人に支援していただくだけじゃなくて、住民の方々にいかにしてプロジェクトに参加してもらうか。いかに市民の総意として、桜ラインを実現させたいという雰囲気をつくり出せるか。それによって、県のコミットも国のコミットも、全然違ってくるだろうと思うんです」
 
 福島県でも、ハッピーロードネットというNPOが、浜通り163kmを桜並木とするための活動「ふくしま浜街道・桜プロジェクト」を展開している。こちらは平成14年から活動を展開する中で震災に遭ったかたちだが、震災をバネに、一層盛り上がっているという。
 
「昔からあるっていう安定感と信頼度もあって、もう2,000本くらい植樹されています。先日理事長にお会いしたときには、東京オリンピックで5月くらいに福島県を走る予定の聖火ランナーに、桜の並木道を通ってもらいたいと仰ってました。そういう明確なビジョンがあると、素直にいいなと思えるし、賛同を集めやすいですよね」
 
 「オリンピックがあるから、福島も東北も大丈夫。全国の人はそう思っているようだけど、現実は全然そうじゃない」。そんな思いを福島の人はとても強く持っているとも言っていたという。だが、期待と諦めを織り交ぜながらも、福島の人がいいな、うれしいなと思えるビジョンを描くことで人々の心をつかみ、新しいまちづくりに向けて前進しているのだ。

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NPO桜ライン311 代表 岡本翔馬(写真提供:桜ライン311)

若者を生かせるまちづくりを
 
 岡本さんは、震災前と現在とで、陸前高田市に明るい変化も感じているという。
 
「僕たちみたいな若い人や組織が活躍できそうな場が、前より明らかに多いんです」
 
 震災前の陸前高田は過疎化が進んでいた。若者は町を出て行き、20代の人口は5%を切るほど。残っている若者も、気仙沼や大船渡で働く割合が多かった。
 
「でも、震災があって、この街をゼロから作り直すことになったときに、いまだったらこの街を変えられるかもしれないっていう期待感を持って、まちづくりに前向きな意欲を持ちはじめた若者が増えて来ているんです」
 
 震災後、街の機能がある程度残った地域は、どう復旧していくかに焦点を当てて復興を進めていくことが多い。その場合は、「もとの姿に戻す」意識が強まり、合意形成は早く進む一方で、よくも悪くも旧来の性格が残った町に戻っていくことになる。
 
「だけど、陸前高田は街の機能が全滅してしまった分、新しい芽が出やすいような気がするんです。世代によって望む町のイメージは全然違うし、市としても全部を役所だけで決めることはできないっていう状況の中で、僕たち若者の意見にきちんと耳を傾けてもらえる環境ができているように思います」
 
 戸羽市長や市役所とのかかわりは、その好例だ。市長とざっくばらんに町づくりを語り合える雰囲気の中ならば、若者の思いも育っていきやすいだろう。
 
「やるべきことはもちろん多いんですけど、若者しか持っていないよさを生かせる町になるんだったら、この町はすごく大きく変わるはず。僕はそうした町づくりをしていきたいし、一緒にやりたいっていう若い人が増えてきていることが、すごく嬉しいんです」
 
 同世代が同じ目標に向かってともに頑張っていることは、岡本さん自身の支えにもなっている。
 
「似たような境遇でがんばっている同世代が傍にいると、めちゃくちゃ励みになるし、仲間意識がすごく芽生えるんです。僕もひとりで頑張っていたら潰れていたと思いますが、地元の若い人たちがUターンやIターンで高田に入ってきてくれたことは、すごく大きなモチベーションになっています」
 
 負けてはいられないと気持ちが奮わせられる。良き仲間であり、良きライバルでもある。そんな関係性が陸前高田の復興を支え、後押ししている。

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写真提供:桜ライン311

市内外で見える景色を共有する
 
 桜の植樹に参加するボランティアは、いまは関東圏の人が圧倒的に多い。
 
「植樹会をやるときはフェイスブック、ツイッター、ホームページなどで告知するんですが、300人の定員が2日間でいっぱいになったりします。市外から来てくれる方って、だいたいが震災直後に陸前高田でボランティアされた方なんですよね」
 
 岡本さんら地元の人たちにとって、桜ライン311は現時点やはり慰霊の思いが強い。だが、外から来た人の目には、違ったかたちに映っているようだ。
 
「被災地が悲しみから立ち上がって、前を向いて進もうという想いを桜の植樹で表しているんだと、そういうふうに見えているようなんです。緊急支援から一歩進んだ、未来に向かった活動にコミットできると受け止めてもらえている。だから、参加者にとって満足度の高い活動になっているんじゃないかと、僕は分析しています」
 
 未来に向かった目標があること。自分が手をかけた活動の成長や答えが目に見えるかたちで表れること。そういう意味で、震災直後にボランティアとして訪れた経験のある参加者ほど、とても前向きな気持ちになれるのだろう。
 
「自分が残した足跡がこの街の財産になっていくんだって考えると、すごく晴れやかな気持ちになれるはずです。ただ、地元の人たちにとっては追悼や慰霊の気持ちが強い活動なので、外の人たちの思う未来に対する希望とは、ギャップがとても大きいんです」
 
 まだ将来の町づくりを考えるような状況には至っていないという思いが、地元の人たちには未だにある。
 
「だから、『まだ終わっていない』っていう感覚を持つことももちろん大切なんだけど、まちづくりを一緒にやろうと来てくれたNPOなどの人たちに対して、彼らをちゃんと受け入れて、お互いの望むかたちを提案していかないといけないと思うんです」
 
 地元を一度離れた人間だからこそできることがあるのではないか。この場面でも、その思いが生かされる。
 
「ひとつの事実って、いろんな側面がありますよね。市内と人たちが見ている事実と、市外の人たちが見ている事実は、同じように思えても見ている側面が違う。だからうまく回転させて、お互いに見える景色を共有してみたりする。そうやって、一緒にがんばろうっていう雰囲気をつくっていければ、復興はすごく早く進むと思うんです」
 
 SAVE TAKATAで支援者と避難所をつないだように、人と人をつなぐコーディネートの仕事は、かたちを変えながらもまだまだ必要とされている。

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写真提供:桜ライン311

Uターン、Iターンに続く地元の若者
 
 いま、桜ラインの事務局にいるスタッフは、Uターン組が3人。Iターン組が3人。2月まで在籍していたスタッフは、地元を離れたことがなかった。やってくる若者たちのバックグラウンドは、みなばらばらだ。
 
「入ってきたのはUターンの子が最初。それからIターン。Iターンの彼は、自分自身の目標があるので、期限付きで来てくれているんです」
 
 そして彼らは陸前高田には少ない若い世代だ。岡本さんも31歳になったばかり。2月まで勤めていた「地元組」のスタッフがいちばん若く、平成元年生まれの25歳だった。
 
「彼女は、震災の時には一本松のそばで働いていたんです。ほかにやりたいことがあっていまは桜ラインを離れましたが、彼女のような若い、そして地元で育って地元で働いていた人が、僕たちのような団体に目を向けて一緒にやりたいと思ってくれるようになったこと自体が、ひとつの成果だと思っています。もともと陸前高田にはNPOはなかったので、NPOが陸前高田に根付くためにもっと多くの地元の若者にも関わって欲しいですね。」
 
 いままで外の人間しかいなかった場所に、純粋に地元でやってきた人が入ってきてくれたということに、岡本さんはうれしさと力強さを感じている。
 
「正直なところ、どんどん責任が重くなってきて、いつまで立っていられるか不安でしょうがない部分はあります。最初は僕ひとりが食っていければと思ってたけど、いろんな人と一緒にやってきて、事業も大きくなってきました。それに応え続けなきゃいけないっていうことは、もちろんプレッシャーもすごくあるんですけど、ほんとうに幸せなことだと思っています」
 
 そう話す岡本さんの顔は明るい。春の訪れとともに伸びていく桜色のライン。1万7,000本の桜並木がつながるころ、陸前高田はきっと力強くたくましいまちに生まれ変わっているに違いない。
 
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岡本翔馬(おかもと しょうま)*1983年、岩手県陸前高田市高田町生まれ。仙台の大学を卒業後、東京で就職。震災を機に陸前高田へUターンすると同時に一般社団法人SAVE TAKATAを立ち上げる。その後NPO法人桜ライン311を立ち上げ、現在は代表を務める。
 
【取材・構成:熊谷哲(PHP総研)】
【写真:shu tokonami】

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