ひとりでは難しいなら、みんなで一緒にやればいい

NGOテラ・ルネッサンス 鬼丸昌也

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NGOテラ・ルネッサンス創設者 鬼丸昌也

鬼丸昌也さんのインタビュー第1回、2回はこちら:
重なり合い、ひとつになる思い
被災地の方々に守られ支えられる支援
 
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目的にさえこだわれば、目標と手段は変わっていい
 
 鬼丸さんがテラ・ルネッサンスを立ち上げ、地雷の問題に取り組み始めたのは大学4年生のときだった。きっかけは、さらに高校生の頃にさかのぼる。
 
「ある時、NGOのスタディツアーでスリランカを訪れたことがあります。そこで、サルボダヤ運動を創設された、アリヤラトネ博士のお話しを聞く機会があったんです。そこでバーンとやられたんですね、生き方とか価値観とか、すべてにおいて」
 
 サルボダヤとはサンスクリット語で「労働の分かち合いを通した人々の目覚め」を意味し、貧しい人々の生活の質を向上させるため、自立を促す地域開発と平和運動に取り組んでいる。社会運動に対する気づきを得て、鬼丸さんは阪神大震災からの復興に取り組んでいた神戸元気村の活動にも参加する。
 
「2001年の2月にカンボジアに行かせてもらう機会があって。そこで、地雷原を見たときにショックを受けたんです。あの現場って、地雷除去要員の息遣いとか、たまになる金属探知機の音しかないんですね。音がない、死んだ世界に感じたんです」
 
 当時は大学4年生。お金はなく、英語も現地語も話せず、地雷除去の技術もない。そんな自分に何ができるだろうか。と思ったときに、アリヤラトネ博士をはじめ、これまで出会った人たちの教えが心に浮かんできた。
 
「いろいろな方とのご縁があって、そのとき思ったんです。できないことじゃなくて、自分にできることにスポットライトをあてようと、自分にしかできないことが必ずあるはずだと。そうしたら、ふと『伝えることなら僕にもできる』と気づいたんです。だって、この目で現状を見て、たくさんのことを感じましたから」
 
 帰国するとすぐに、親しくしていたNPOの集まりで話をさせてもらい、それを皮切りに、その1年で90回の講演を行った。賛同者の輪が広がり、2001年10月にテラ・ルネッサンスが誕生する。さらに、子ども兵の深刻な問題を知り、ウガンダ北部やコンゴ東部、ブルンジなど、日本の支援団体が入っていない地域での活動を展開するようになった。
 
「僕たちがここまで活動を続けてこられたのは、目的にはこだわるけれど、目標と手段にはこだわらないからだと思います。どうしても私たちは、目的追求の過程で設定した目標や、その目標を達成するための手段を重視しすぎて、本来の目的を見失ってしまうということが往々にしてあります。けれども、相手の状況に応じて、関わる手段は変わるし、目標だってタイミングや外部要因によって変わることが大いにあり得る。その柔軟性をどう保つかということを、組織は考えておかなければならないと思っています」
 
 テラ・ルネッサンスの目的は、「すべての生命が安心して生活できる社会(世界平和)の実現」。地雷除去と震災支援は、一見するとまったく違うことのようだが、その根底には共通する思いが流れている。

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刺し子プロジェクト事務所の作業風景

若者と、ばか者と、少しのよそ者と
 
 テラ・ルネッサンスがここまでやってこられた秘訣がきっとあるはずと尋ねると、鬼丸さんは「だらしないリーダーシップですから」と言って憚らない。
 
「たとえば、僕が英語を話せていたら、活動はここまで大きくなっていない。英語を話せる人間に海外での事業を任せるしかないから、できる人間がうちの職員になってくれて、カンボジアやウガンダで困難な仕事をやりとげてくれるわけです。結果的に、僕ひとりでやるよりも、大きな仕事ができて、より多くの人を支援することができました」
 
 自分に足りないものがあるのはありがたいと言い切る中に、だらしなさとは裏腹の、人の力を信じて繋いでいくことのできるしなやかな強さが感じられる。
 
「逆説的なんですけど、『自分の限界、自分の微力さを認めたときに、無力を超えることができる』とよく言うんですね。一人ひとりは決定的に微力なんだから、みんなで一緒にやればいい」
 
 自分の殻に閉じこもるのではなく、衆知を集めることによって事態を動かし、変えていく。その考え方は、いまの自治体にも言えるのかもしれない。
 
「自治体職員向けに、研修をさせていただくと、下から燃え上がるように変えていこうとしている職員の皆さんが、とりわけ震災以降は増えていると感じます。そういう自治体を見てみると、足りないもの(こと)だらけなんですね」
 
 東京から遠い。人口は減り、若者は町を離れて戻ってこない。この状況をなんとかしなければならないと奮闘する人たちの姿が目に浮かぶ。
 
「でも、足りないことって、実はすごく恵まれていると思います。足りないからこそ、人の力を呼び込むことができますから。絶望と違って、希望は自分からとりにいかないとつかめない。だからこそ、足りないことだらけなんだから、あるものを活用したり、縁をたどったりして必死になって頑張る。そうやって頑張る『ばか者』と『若者』に、少しの『よそ者』がそろうことで、実際に組織やコミュニティが変化した事例を、たくさん見てきました」
 
 心はともにしながら、外からの目線は保ち続ける。そこにこそ、外から来た人間として果たすべき役割がある。
 
「やっぱり、よそ者がばかになりきらなくては、と思っているんです。現地の人からばかにされるくらいで、かわいがられるくらいで十分だと。そうなってこそはじめて対等に話ができるし、同じ画(ビジョン)を見ることができる。大事なことは僕らが画を見せるのではなくて、こういう画を一緒に見ようって呼びかけられる存在に、一緒に汗をかいてもらえる存在に、その地域でなれるかどうかだと思います」

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刺し子プロジェクト事務所の製品棚

善意を実現するには知恵が必要
 
 地域の中に外からの目線を入れることで、地域に当たり前のようにあるものを再発見する。やってもムダだとあきらめず、成功への糸口を探る。それは、復興の現場にいま一番必要なことなのかもしれない。
 
「震災後にはじめてリアス式海岸を見たとき、すごくきれいで感動したんです。エメラルドグリーンの海、オットセイが上陸する浜、サーフィンのメッカもあって。地元では当たり前でも、はじめて見る人間は感動するような資源がたくさんある。刺し子とうまくリンクさせながら、そういうところをもっとアピールしていけたらいいなあとも考えています」
 
 生活の拠点を移した吉野さんもまた、刺し子プロジェクトを通して大槌町の未来を見据えている。
 
「大槌町って、本当に厳しい状況にありますけど、実はいま日本でいちばんおもしろい町なんじゃないかと思っています。東京で仕事をしていたら出会えなかったような人たちと、一緒に仕事ができる。優秀な人や企業を巻き込んで、地域の課題にチャレンジしていける。これは大きなチャンスだと思います。地域のこれからを担う子どもたちに、そうしたいろんな可能性を伝えていけたら」
 
 町づくりに関わるとなると、刺し子さん以外の人たちとも交わり、古くからのしがらみにも向き合わなくてはいけない。では、自らのあるべき立ち位置はどのあたりなのか。鬼丸さんは自然体を貫きながらも、模索している。
 
「外から新しく持ち込んだ刺し子をやっている限りは、敏感なところに触れなくて済むんです。あくまで、事業として成り立たせることを一番に考えていればいい。ですが、テラ・ルネッサンスの理念を踏まえて大槌の町づくりに貢献したいのであれば、もう一歩踏み込まないといけない」
 
 復興を支援する立場でやってきた自分たちも、ともに考え、ともに活動する中で、地域の一員となり始めている。
 
「善意を実現するには、知恵が必要です。被災地の方々の心の中に土足で踏み込むことを遠慮しつつも、その地域にかかわっている者として、どう適切な環境をつくっていくのか。町の将来を見据えたときに果たすべき役割はどんなものか、それをどうやって実現していくのかを真剣に考えなければいけない。すごく難しい舵取りを迫られていると、いま実感しています」
 
 ゼロからものごとを立ち上げる、困難な状況に立ち向かう、思い通りにならないことが立ちはだかる。そうした経験が、貴重な糧となっている。被災地は一方的に支援されるばかりではなく、支援に入った若者やNPOを育ててくれている。

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小川さんと焼鳥屋「七福」【写真提供:テラ・ルネッサンス】

テラ・ルネッサンスでやっている意味
 
 ところで、新たな事業を起こした元刺し子さんがいる。72歳の小川さんは、津波で亡くした妹さんの焼鳥屋を再建する夢を、刺し子プロジェクトで働いて得た賃金を開店資金の一部とすることでかなえることができた。町内の「復幸きらり商店街」と呼ばれる仮設商店街に、「七福食堂」をオープンしたのは2011年12月17日のことだった。
 
「最初はどうするか悩んでおられましたけれど、妹さんの思いを継いでいきたいって、とても頑張っていらっしゃいました。実際にお店を出されたのも驚きましたが、去年行ったときには新しいパートさんを雇っていて、またびっくりして。高齢者でも、被災者でも、やればできるんですよね」
 
 大槌町から車で1時間の宮古市の高校生からは、「高校に通いながらですが私も刺し子をできますか」という問い合わせがあったという。少しでも家計を助けたいというのだ。
 
「作業効率を考えると、大槌町の刺し子事務所に通ってもらえる人でないと、基本的には無理なんです。でも、これで断ったら、テラ・ルネッサンスでやっている意味があるまいと思って、やることにしました」
 
 できるだけ配送などのコストを下げているなか、大槌から宮古まで、スタッフが通う交通費で、貴重な事業収入が消えてなくなるようなことにはしたくない。だが、知恵を絞り、協力を仰ぎながら、ひとりの希望をかなえる。その先に、さらに大きな希望が広がる。
 
「いまは比較的余裕のある中高年の方が、余暇を使ってやっているようなところがあります。そこからもう一歩進んで、子どもを抱えている若いお母さんが、手内職として月に数万円稼げるような産業にしていきたいと思っています。そのためには収益を上げて事業として回っていくようにしなければいけないので、僕らが営業をもっとがんばらないと」
 
 生産年齢人口の減少を押しとどめるためにも、少しでも刺し子さんの収入増につなげていきたい。7年後のひとり立ちをめざし、新たな卸先や代理店の確保に奔走している姿は、すでに立派な地域の一員だ。

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かもめの刺し子が施されたパーカー

伝え続けるという使命
 
 国を挙げての震災復興。だが、時間の経過とともに、意識も変わりつつある。また、復興関連イベントの会場では、東京では夕方になる前に完売する商品が、大阪では売れ行きが伸びないなど、東日本と西日本で趣が異なるところがあるようにも思われる。
 
「刺し子製品の売り上げは、やっぱり東高西低です。加えて、これまではやっぱり復興でゲタをはいていた部分があると思います。震災から3年が経とうとしているいまは、もうそれを脱いで、デザインとか、ストーリーとか、商品そのものの魅力で勝負しなければならないと感じています」
 
 先に取り上げた小川さんのお店のような存在を伝えていくことも、自分たちの役割のひとつであると鬼丸さんは言う。
 
「震災2年目までは、みんな悲しい出来事に疲れてしまって、ネガティブなものから目を背けるために、良い話ばかりを取り上げるようなところがありました。でも最近はそれすらあまり話題にならない。だけど、伝え続けないと被災地がますます忘れられてしまうので。課題ばかりではなく、前進している姿を伝え続けることも、私たちの重要な役割だと思っています」
 
 実際に商品を手にとっていただいて、その温もりを通じて大槌のいまを伝えていきたい。大槌刺し子は、いまや定番となったコースターやふきんに加えて、Tシャツやパーカーなども販売されている。
 
「ぜひ刺し子商品をお買い求めください。刺し子プロジェクトのオンラインショップでもご購入いただけます。また、販売業の方には代理店になったり、イベントで販売していただけたら。何より、フェイスブックやツイッター、ブログや口コミで話題にしていただいて、こういうプロジェクトがあると多くの方に認知していただきたいです。知ってもらえることが、みんなの元気になりますから」
 
 知ることによって人の心に何かが生まれる。そして自分に手の届く、できることから始める。やはり、刺し子プロジェクトにはテラ・ルネッサンスの魂が貫かれている。
 
「おかげさまでなんとか岩手の被災地支援も、もう2年以上続けることができました。ほんとうに皆様のおかげだと思っています」
 
 鬼丸さんとテラ・ルネッサンスが紡いできた「ご縁」は、大槌刺し子というかたちに結ばれ、モチーフのかもめのように大きく羽ばたこうとしている。その翼に、刺し子さんたちの、そして地域の夢と希望をのせて。
 
【鬼丸 昌也】*1979年、福岡県生まれ。立命館大学法学部卒。高校在学中にアリヤラトネ博士(スリランカの農村開発指導者)と出逢い、「すべての人に未来をつくりだす能力(ちから)がある」と教えられる。様々なNGOの活動に参加する中で、異なる文化、価値観の対話こそが平和をつくりだす鍵だと気づく。2001年、初めてカンボジアを訪れ、地雷被害の現状を知り、講演活動を始める。同年10月、大学在学中にNGO「テラ・ルネッサンス」設立。カンボジアでの地雷除去支援・義肢装具士の育成、日本国内での平和理解教育、小型武器の不法取引規制に関するキャンペーン、ウガンダやコンゴでの元・子ども兵の社会復帰支援事業を実施している。
 
【取材・構成:熊谷 哲(PHP総研)】
【写真:shu tokonami】

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