被災地の方々に守られ支えられる支援

NGOテラ・ルネッサンス 鬼丸昌也

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NGOテラ・ルネッサンス創設者 鬼丸昌也

鬼丸昌也さんのインタビュー第1回はこちら:「重なり合い、ひとつになる思い」
 
経験者も指導者もいない素人集団
 
 みんなの知恵を寄せ合い、動き始めた刺し子プロジェクト。ただ、いかんせん素人の集まりだった。
 
「何が難しかったかって、ぜんぶなんですよね。製造業の経験もないし、値決めなんてしたことないし、生地や糸を仕入れる場所すら知らない。最初は生地をネットで仕入れていましたけど、いつの間にか取扱が終わってしまったりして。『マニュアル作り直し、生地を探すところからもう一回!』とか、万事がそんな状態でした」(吉野)
 
 ほんとうに無茶なことをしていたと、鬼丸さんも苦笑いしながら当時を振り返った。
 
「吉野のほかにも学生のインターンを現地に送ったりして、若い子たちが現場でがんばってくれていたんです。だけど、吉野も僕も、生産管理の技術もないし、検品もミスするし、大変でした。在庫とか卸値のあり方もわからないんですから」
 
 だが、目先のテクニックうんぬんよりも、もっと大事なことがある。それは、これまでの海外支援の経験で培ってきたことにほかならない。
 
「受益者や被災者、地域の文化に真摯に向き合うこと。これを忘れたら支援はできません。それを、現地でがんばってくれていたメンバーが体現してくれた。だから、地域のみなさんも、少しずつ『若い子たちががんばっているんだから、自分たちもやらなきゃいかんね』と、思ってくださったんだと思います。というか、僕たちの場合はむしろ、支援される側のおばちゃんたちのほうから、『守ってあげなきゃいけない』って思われたのかもしれないですね」
 
 いろんな場面でつまずきながらも、多くの人たちの力を借りて何とか乗り越える日々。刺し子プロジェクトがやってこられたのは、こうした鬼丸さんや吉野さんのひた向きさを受け止め、支えてくれる人たちがいたからなのだろう。

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刺し子の中村明美さん

被災者に頼るという支援のかたち
 
 そんなひとりが中村明美さん。洋裁の仕事をしていることを知っていた友人から誘われ、避難所となっていた城山体育館を覗いてみたのが始まりだった。
 
「あの頃は、まだ頭がぼんやりしている感じだったんだけど、行ってみようかなって。でも、『嫌な人だったらどうしよう』っていう気持ちもあったんですよ。だって知らない人たちでしょう?」
 
 そこで出迎えた吉野さんの笑顔を見て、やってみようかという気持ちになったという中村さん。ところが、刺し子はおろか裁縫の経験もないスタッフを目の当たりにして、言葉を失ったという。
 
「素人って怖いね、って言ったの。仕事柄、飛騨刺し子が頭に浮かんでね。決められた人だけが門を叩いて修行する伝統芸能の、手の届かない世界のものだと思っていたから、刺し子っていうと。たしかに手と針と布と糸があればできるけど、プロがいて教えてくれるんだとばっかり思っていたら、誰もいないんだもの(笑)」
 
 ないない尽くしの様子にほんとうに驚いたという中村さん。なにを教えてくれるわけでもない。それでも、彼女は刺し子プロジェクトに通い続けた。
 
「『僕はここにいますよ』って言うんですよ、彼らは。なにもない大槌に来て、そこまで頑張ってくれるのなら、じゃあ私もなにか一緒にできることがあれば、って。それはすごく単純なことで。いまだによくわからないんだけどね、吉野さんや鬼丸さんやテラ・ルネッサンスの人たちの、いったいどこが好きなのか」
 
 ほかの刺し子さんが縫った商品にミシンでタグ付けする作業を担当し、デザイン画からサンプルをつくる技術も持っている彼女は、いまや刺し子プロジェクトには欠かせない存在だ。支援とは、一方的に施すものではない。鬼丸さんの思いは、下は20代から上は80代までの女性たちに支えられ、大槌でもしっかりと体現されている。

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刺し子プロジェクト事務所の作業風景

心の復興は進んでいる
 
 純粋になにか役に立ちたいと思って被災地にやって来た団体は数多い。だが、なかなか地元になじめず、あるいは人々に受け入れてもらえず、引き上げた団体も少なくない。
 
「怒られたとか、嫌な思いをしたとか、それで被災地から帰って行くっていう話を聞くことが結構ありました。だけど、自分がやりたいと思ってやっているんだから、求められて来ているわけじゃないんだから、いろいろな反応があって当たり前。だから、そういうのを承知で来ていればいいだけだと思っていました」(吉野)
 
 「腹の立つこともあるだろうに」と中村さんは言う。「どうしてそんなに穏やかでいられるのか」と疑問に思うこともある。でも、そんな彼らだからこそつくることのできた空間が、ここにはある。
 
「鬼丸さんも吉野さんも、みんなに優しいんです。言葉も、態度も。だから、みんなも優しくする。この場所を離れて家に帰れば、きっとそれぞれに、なにかしら抱えているんですよ。だけど、ここにいる間は、みんなが優しくいられるんです」
 
 中村さんの娘さんがある日、「テラ・ルネッサンスに入って、鬼丸さんや吉野さんたちと一緒に働くには、どうしたらいいの?」と聞いてきたという。
 
「その瞬間、すごく嬉しかったんです。私の大好きなものを、子どもたちにもわかってもらえた、認めてもらえた、って気がして」
 
 どこか幸せそうな母の姿が、どうやら娘の目には頼もしげに映ったらしい。震災前には考えられなかったような人生の選択肢が、大槌には生まれはじめているのかもしれない。
 
「復興が遅いってよく言われるけど、それって建物が戻っていないってことでしょう。でも、ここでテラ・ルネッサンスに少しでもかかわった人たちは、少なくとも気持ちの面では豊かになっている部分が確実にあります。あったかいものをもらったというか。うまく言えないけど、心の復興は進んでいると思います」
 
 刺し子プロジェクトに込めた支援の気持ちは、大槌の人たちの心に響きはじめている。

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大槌町の様子(2013.10.23撮影)。写真の奥に見えるのは水門。

「続ける」という戦略
 
 といっても、ただやってみたらうまくいったわけでも、思いの強さだけで乗り越えてきただけでもなさそうだ。支援する側が一方的にするのではないという思いの奥に、さらに強い哲学が鬼丸さんにはある。
 
「僕たちが大事にしている支援の考え方に『レジリエンス』があります。問題を抱えた当事者だからこそ立ち向かう力が生まれるし、当事者とそれを支える家族や地域の間でこそ回復力が生まれるという考え方です。地雷の被害者、ウガンダの元子ども兵士たち、被災者のみなさん、彼らにこそ問題を解決する力があるから、私たちはそれをお手伝いするだけでいい。もうひとつ『オーダーメイド』という考え方。一人ひとり、地域ごとに事情は違うから、それぞれに合った支援をしなければいけません」
 
 そこには、段階に応じた支援のかたちがあると言う。
 
「緊急支援は時限的でいいと思うんです。一気に大量の人と資金とモノを投下する必要がありますから。でも、それは半年から長くても1年まで。そこから先は開発支援に変えていかなければならないと考えています。そこが私たちの出番です」
 
 開発支援となると、加えてレジリエンスとオーダーメイドの考え方を両立させて成果を挙げていくとなると、当然ながら息の長い取り組みが不可欠となる。
 
「その地域や人に合わせて適切なヒントを提供しながら、自主的に意思決定できるようになるまで、どれだけ待てるか、寄り添えるか。時間がかかることを覚悟した上でかかわっていく。被災地の復興においては、そうした支援のあり方こそ大事だと思います」
 
 テラ・ルネッサンスは、10年は復興支援に携わることを明言して資金調達を行った。活動資金全体の7割が寄付や会費、講演料収入といった自己資金で、使い道の自由度が高いことも強みのひとつだ。
 
「大槌には少なくともあと7年います、と断言できます。この間に、いろんな方に教えていただき助けていただきながら、続けたものは残るし、残ったものは本物になっていく。だから、『続ける』『残す』ということを基本に、大切にしてやっていきます」
 
 被災地からも支援者からも信頼される姿勢がここに表れている。刺し子さんたちの優しさを生んでいるのも、彼らのこうしたしなやかな強さを感じ取っているからに違いない。

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刺し子さんの縫った商品を検品する刺し子プロジェクトのスタッフ

地域経営の新しいモデルを
 
 最初は刺し子をつくればつくるほど赤字。だが、試行錯誤する刺し子プロジェクトには、テラ・ルネッサンスに共鳴するさまざまな企業が手を差し伸べてくれた。
 
「フェリシモさんとコラボ商品を一緒につくったり、らでぃっしゅぼーやさんが商品を販売してくださったりしました。なかでも良品計画さんは、長期のかかわりを約束してくださっています」
 
 良品計画との取引も、いったんは頓挫しかけた。原価計算をすると、店頭で通常数百円の商品を2,000円で売らなければならなかったからだ。それは、質のいいものを低価格で提供する同社の方針には、本来適わぬものだった。
 
「東京でイベントを行ったときに、10年以内にテラ・ルネッサンスの手から離しますと宣言したんです。現地採用とIターンの職員、パートさん、そして刺し子さんだけで事業として回せる組織体にします、大槌刺し子というブランドでひとり立ちさせたいんです、と」
 
 その場に良品計画の執行役員が訪れていたことで状況が変わる。コミュニティ・ビジネスとして現地に根づかせたいという目標を聞き、良品計画のスイッチが再び入ったのだ。
 
「世界中のネットワークを駆使して、商品化の方法を考えてくれました。たとえばベッドカバーの端切れに刺し子をして、コースターとランチョンマットにして販売しようと。良品計画さんは特殊な事情を除いて商品に刺繍はしないそうなのですが、刺し子プロジェクトの理念や方向性に共感してくださって、本業を通じた社会貢献として位置づけていただけたんです」
 
 2013年10月の時点で、刺し子プロジェクト全体で販売した商品は46,000点。売上は5,500万円を超え、作り手は140人を数える。そのうち8,800点は、良品計画とのコラボレーションで作製・販売したものだ。
 
「ぜひ持続可能な事業にしていきたいとおっしゃっていただいています。もともとの伝統工芸ではなかったところに、僕たちのような人間が来てビジネスとして始めて、それがうまくいくようであれば、それはほとんど例がないそうです。成功したら、それは世界で初めてのモデルになるとも言われて、みんな張り切っています。」(吉野)
 
 3年目にさしかかった「大槌復興刺し子プロジェクト」の現在の目標は、『復興』の二文字をとること。そのために、伝統柄や一点もののさらなる創作にもチャレンジして、「大槌刺し子」のファンを増やし、ブランドとして認めてもらえるようにしたい。大槌から、すでに視線は海外へも向けられている。(第三回「ひとりでは難しいなら、みんなで一緒にやればいい」へ続く)
 
【鬼丸 昌也】*1979年、福岡県生まれ。立命館大学法学部卒。高校在学中にアリヤラトネ博士(スリランカの農村開発指導者)と出逢い、「すべての人に未来をつくりだす能力(ちから)がある」と教えられる。様々なNGOの活動に参加する中で、異なる文化、価値観の対話こそが平和をつくりだす鍵だと気づく。2001年、初めてカンボジアを訪れ、地雷被害の現状を知り、講演活動を始める。同年10月、大学在学中にNGO「テラ・ルネッサンス」設立。カンボジアでの地雷除去支援・義肢装具士の育成、日本国内での平和理解教育、小型武器の不法取引規制に関するキャンペーン、ウガンダやコンゴでの元・子ども兵の社会復帰支援事業を実施している。
 
【取材・構成:熊谷 哲(PHP総研)】
【写真:shu tokonami】

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