先に発展した隣国として、中国を誘導せよ

丹羽宇一郎(前中国全権大使)×前田宏子(PHP総研主任研究員)

 「一衣帯水」の隣国であり、切っても切れない関係にある中国。だが、日中関係は21世紀に入ってから、短期間の小康状態を挟みつつ、悪化する一方であるように見える。ただし、これは政治関係に限った話であって、経済活動の場面では、政治に関係なく利益に基づいて行動する人々の姿があり、実際に互いの国で活動する人々は、淡々と交流や協力を続けている。
 
 最近では、日中関係といえば暗い論調ばかりが目につくが、実は、それほど悲観すべき状況ともいえない。ある外国の中東研究者は、「日中に深刻な問題があるとは思いません。何が問題なのですか」と発言したことがある。なるほど、日中では「嫌悪」感情は高まっているかもしれないが、それは「憎悪」と呼べるほどのものではない。日中双方の人々が、自国が平和な環境の下で発展を実現したことを知っているし、その状態を崩したいとも思っていない。
 
 とは言え、最近の中国外交が、他国に不安を与えるものとなっているのは事実である。そのようなとき、単に相手を嫌う人が相手を貶めるために言うことと、相手に思い入れを抱き、そのためを思って言うことでは、たとえ内容は同じでも、不思議と受け止められ方は異なる。丹羽氏との対談では、意見が異なる部分もあった。しかし、中国に長くビジネスマンとして関わり、駐中国日本大使も務めた丹羽宇一郎氏のメッセージは、中国の人々にもより真摯に受け止められるのではないだろうか。

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1、現在の中国は日本やアメリカのかつての姿
 
前田 ご著書中国の大問題の前文で、「かつての日本が80年代に『ジャパン・アズ・ナンバーワン』と言われた時と同じように、最近中国にも少し驕りというようなものが見える。しかし国内では数々の問題に直面している」ということを書かれていましたが、私もそのとおりだと思います。
 
 ざっくばらんな質問ですが、今後、10年、20年、30年というスパンで見ていった時に、中国はどういうふうに変化していく、どのような国になっていくと思われますか。
 
 
丹羽 分からないですね、それは。日本の20年、30年後の姿もわからないのに、まして、よその国の20年、30年後はね。でも、確実に今までと異なるのは、やはり、インターネット革命やグローバリゼーション、そういう環境の変化が、中国国内の政策や対外政策に影響を及ぼすだろうということです。
 
 だから、国際的な価値観にできるだけ近づくような方向へ、アメリカも日本も中国を誘導していく必要がある。それが、アメリカにとっても、日本にとっても、世界の平和と安定のために欠かせないことです。また実際に、そういう方向へ動いていくのではないかと思います。人権問題や経済的な問題についてもそうですが、政治体制や経済体制、社会の色々な規制のあり方、いろいろな面で、ひとりよがりなガラパゴスではなく――日本も他国のことは言えませんが――国際的な価値観にできるだけ沿うような方向へ進んでいくのではないでしょうか。
 
 
前田 例えば、安全保障や外交という観点からみると、一番危険なのは、今後10年間ではないかと思います。経済成長は、もちろん速度は落ちてきますが高成長率を維持し、世界的なプレゼンスも更に大きくなる。力をつけてきて、「中国はもっと尊重されるべきだ」という自信も強くなっていく。
 
 他方で、国内においては、『中国の大問題』でも指摘されているように、いろんな問題が存在しています。格差の問題とか、大学を卒業しても必ずしも良いところに就職できないとか。農民工の子供たちなどの戸籍の問題もありますし、何しろ問題が山積していて、世界的な大国になりつつあるという自信と、国内での不満というのがミックスされて、対外的に強硬な姿勢になる危険があります。
 
 ただ、15年、20年と経つと、さすがに国内の問題のほうが重要だと気づくのではないでしょうか。中国の敵は外ではなく――外部の敵の脅威は、実は現在だって大きいわけではありませんが、100年前の歴史、列強に侵略されたというトラウマみたいなものがあって、強くないとだめだという意識がすごく強いですよね――20年後は、中国の一番の脅威は国内に存在するということを多くの人々が認識するようになる。そして国内問題のほうが大事だということになって、その解決に集中するために、平和的な国際環境が必要だという認識に立つことになるのではないかという見方をしているんですが。
 
 とは言え、この10年は、周辺国にとっては忍耐が必要な時代になるのではないかと予測しています。そういう見方についてはどのように思われますか。
 
 
丹羽 経済発展や国家の発展史を見ると、どの国も発展の過程に大きな違いはないと思うんです。中国の資本主義経済は始めてからまだ数十年ですから、実に初歩的な段階です。これからどうなるかというのも、日本やアメリカの経済の発展の歴史を振り返ってみれば、大体見当はつくのではないでしょうか。資本主義が発展する段階において、アメリカも日本もそうでしたけれども、汚職などが発生する。日本で言えば造船疑獄や会社の合同・合併などによる政治の介入、環境汚染。そういうことは日本も経験しています。今、中国はそういう時期に差し掛かっていると考えると、中国だけが取り立てて変な国ということではない。ただ、非常に大きな国だから、その分いろんなアンバランスな部分の振幅が大きいということでしょう。中国人だけが極めてすぐれた民族というわけでもないし、極めて劣った民族というわけでもない。
 
 我々は中国よりも資本主義社会としては歴史がある国なのだから、そういう目で温かく見守っていくということが、国際社会における先進国としての役割だと思います。アメリカのオバマ大統領の基本的な姿勢もそうでしょう。ですが、日本には、競争相手というか、敵対的というか、そういう気持ちが少し残っている。だから、中国の経済が悪くなったりすると、「ざま見ろ」とか、「やっぱりそうか」とかいう声が出ますが、世界の経済の安定にとっては何の意味もないことです。
 
 中国は、体は非常に大きくなったけれど、まだまだ日本やアメリカに比べれば資本主義社会としての歴史が短いだけに、精神的にはかなり遅れをとっていると思います。それに対し、大局的な立場に立って、「こうしようよ」と誘導していくのが日米の役割だと思います。
 
 今ちょうど中国が、日本の30年ぐらい前、1980年から90年の域に近づきつつある。そういうことから言うと、中国の大きな崩壊はまずないと思われますし、崩壊したら世界中が崩壊します。今や中国抜きには語れない状況になっていますから。ギリシャやスペインの経済危機とは比較にならない。中国が崩れたら、日本もですが、世界が激動の時期になってしまうので、それは避けなければなりません。
 
 もう少し日本が自信を持って、大人の対応をしなければいけない。いつまでも中国を子供と思ったり、日本よりも劣ると思ったり、そういう気持ちで、韓国や他のアジアの国々も含めて、おつき合いしてはいけないと思います。同じ人間として、同じような能力を持っている国民として、日本は中国だけではなく世界全体を考えなければいけない立場にあります。
 
 中国が失敗すると「ざま見ろ」と言ったり、日本の利益にならないことをやると罵ってみたり、どの国もそういう気持ちはあるけれども、私が思うに、日本人は非常に狭量です。日本人だけではないけれども、その度合いが、世界に比べると、中国に対しては非常に厳しい。今の質問も、そういう前提が感じられる気がしますね。
 

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丹羽宇一郎氏(前中国全権大使)

2、覇権的な大国か、未成熟な大国か
 
前田 PHP総研から2007年に「日本の対中総合戦略」という提言を出した時に、中国が2020年にどうなっているかというシナリオを五つ作りました。
 
 一つは、成熟した大国。二つ目は、覇権的な大国。三つ目が、未成熟な大国。民主主義はそんなに進んでないけれども、経済発展もして、民主化まで行かなくても、民意がもう少し反映されるシステムになっている。四つ目が、不安定な大国。五つ目が、非常に混乱している秩序崩壊のシナリオ。その時の予想では、2020年の中国は未成熟な大国になっている可能性が一番高いだろうと。経済成長率は落ちるにしても、経済成長は続く。民主化はまだしておらず、国内に問題を抱えているだろうけれど、それなりに発展していくのではないかと考えましたが、最近、特に2008年、09年ごろからの中国は、どちらかというと覇権国シナリオに近づいている気がします。その趨勢が永遠に決定づけられたものだとは申しませんが、中国のそれまでの外交とは変わってきた。
 
 例えば、オバマ大統領は中国に関して、最初から、米中関係は非常に大事であるという政策を打ち出していたにもかかわらず、中国のほうは強硬な態度を示したり、あるいは、尖閣もですが、南シナ海でも強硬な主張や行動を取るようになっている。現状としては、警戒心を持たれるのは仕方がないのではないでしょうか。
 
 あるいは、中国は、自国が大国になったと、ある部分では自信を持っているんですけれども、周りがどう自分たちを見ているのかということに対しては無頓着な部分があるように思います。
 
 
丹羽 日本の昭和の歴史を考えれば、同じことを日本はしてきました。だから戦争になった。同じことが、中国もやはり、放っておけばあり得る。覇権国というのは、覇権国に挑戦する国が新興国から出てくるわけだから、当然中国がそういうふうに見られる。世界の歴史はその繰り返しです。強い国から見ると、今まで無視してもよかったような国が力をつけてきて、自分に挑戦してくるわけだから、「覇権的な振る舞いをするようになった。生意気に」という気持ちがある。
 
 同じようなことが、第一次大戦の終わりごろの日本にもありました。アジアの中で、言ってみれば中国以上に拡張主義を取って、覇権的な動きをしていた。そういう意味ではアメリカもやはり、欧州の覇権に対して挑戦をしたわけですし、あるいは、ドイツもイギリスに対して挑戦した。まさに「ツキジデスの罠」というか、今の時代においてもそういうような動きが出てきているということだと思います。
 
 歴史的に見れば、今の中国の拡張発展主義というのは、いや応なくそうなってきたもの。それをいかにうまくなだめていくかが課題であって、それをそのまま放っておくと戦争です。
 
 だけど、たとえば南シナ海の問題を考えるとき、アメリカは国連海洋法を批准していない。早くアメリカも参加して、国際的な海洋法に基づいて、EEZなども議論してもらわないと困る。中国に法の遵守を要求しようとしても、「米国がサインしてないではないか」ということになりますから。アメリカがまずサインしなさい。その上で中国にプレッシャーをかけていくことを考えないと。国際情勢というものをもう少し見て、我々はアメリカに対してもそういう要求をしていく必要があるし、それに基づいて中国にもそういう行動を取らせていかないといけない。
 
 海洋で中国と係争を抱えるベトナムやフィリピンなども、二国間では問題が片づけられない。押し込められてしまう。だから、お互いが国際的なルールに参加して、協調していかなければいけません。
 
 中国には、覇権主義というほどの力はない。偉そうなことを言って、体は大きくなっても、政策や行動のほとんどがまだまだ新興国の状況です。体は大きい。大きいが、実際のソフトパワーが全然ついていってない。
 
 軍事力も騒がれているほど大したものではない。だから、アメリカなどは、「おまえたち、自分の力を自覚しろ」といって、軍事演習に参加させている。それに中国は、海洋においてほとんど戦争なんかしたことがない。だから、覇権だとか、「中国が出てきている」と言いますが、全然話にならないのではないでしょうか。軍事費もアメリカに比べれば圧倒的な差がある。そんな状況で中国に軍事費を減らせと言っても減らすわけはありません。
 
 
前田 確かに、中国の軍事費については、国防予算が財政支出に占める割合を見ても、取り立てて大きいわけではないですし、単に減らせというのは無理な話だと思います。しかし、よく言われるのが、透明性、意思決定がもう少しわかるようにとか、あるいは、お互いの意思疎通の問題です。
 
 やはり戦闘機が急に近づいてきたり、レーダー照射をされたりすると「何をするつもりなんだ」となる。こちらもそれに応えた結果、お互い意図しないような衝突が発生するかもしれない。そういう点、まだ中国の人民解放軍は国際基準に達していない部分があって、そこは非常に危険だなというふうに思います。
 
 
丹羽 兵隊の訓練ができてない。だから、できるだけ、そういう問題が起きた時の、危機管理のルールを決めておくべきです。首脳同士がいざという時は電話で話ができるようにしておくことは必須です。
 
 日本の新聞は、日本だけが立派で、相手がけしからんという報道をする。中国のほうでは全く違う報道をする。衝突が起こったとき、どっちが正しいなんて、分からない。だから、何か問題が起きた時には、お互いにすぐボタンを押して、「ちょっとあなたのところおかしいのではないの?」と言えるようにしておかないと。危機的な問題が起きた時に、絶えず話し合いのツールというか、ルートを持っているということが、一番大事なことです。
 

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前田宏子(PHP総研主任研究員)

3、企業のもつ現地情報を活用せよ
 
前田 民主党政権の時に、中国と日本の意思疎通がうまくいかなかったというようなことが問題点の一つとして指摘されていますし、それはその通りだろうと思います。
 
 ただ、よく中国の方から「今、日本の政治のキーパーソンは誰だ?」と聞かれるのですが、日本人にだってよくわからない。逆に中国は、もちろん習近平さんや李克強さんはキーパーソンといえばキーパーソンなのでしょうが、すぐにつながる人ではない。では、中国で誰を押さえておけばいいのかという時に、中国のほうもちょっと分かりづらくなってきている。
 
 戦後60年が経ち、日本も中国も政治や社会が変わりつつある時に、お互い相手を見て、「これまでと違う変な動きをしている」と感じてしまう、お互いへの不信感が生じているのだと思います。「では、どうすればいいんですか」といった時に、大使の本を読んで、これは非常にいいアイデアだなと思ったのが、大使館で各地方の担当の責任者を決めて関係強化を図ったという点です。
 
 
 地方の役人なども将来出世する可能性がありますから、かなり大事にしておかないといけない。すごく偉くなってから捕まえようと思っても、友情や信頼を、育めるかもしれないですけれども、やはり年月をかけて培ったほうがいい。丹羽さんが大使をしておられるときに、地方をいろいろ回られたというのもいいことだなと思いました。
 
 それ以外にも日中の交流を増やすために、あるいは政治家間の信頼を増やすために、こういうことをやればいいのではないかというようなご提案はありますか。
 
 
丹羽 できるだけ日本人と中国人が接触する機会を多く持つことです。それから、中国の人にできるだけ日本へ来てほしい。日本びいきになってくれとは言いません。別に日本びいきでなくてもいいから、日本を理解する、あるいは、日本のことをよく分かっている人を増やさないといけない。日本に来たこともない、日本人も知らない。「日本人はあなた方が考えているよりずっと立派で、ずっと穏やかで、軍国主義でも何でもないよ」ということを、中国から日本へ留学し帰国した後、言えるようになってほしい。
 
 日本人も「中国はけしからん国だ、共産党でどうしようもない」と思っている人がいるかもしれませんが、実際に話してみたら共産党のことなど、大部分の中国国民は考えてない。明日の生活が豊かになればいいのであって、共産党でも、社会党でも、資本主義党でも、何でもいい、そういうことをお互いが理解し合う必要がある。お互いが理解できるように、行き来を増やすべきです。双方向の行き来を、あらゆる面で増やしていくということが大事です。それ以外に方法はない。
 
 たとえば日本では、予算をカットするとなると、全部一律にカットしてしまう。外務省は大変です。交流も何もできなくなってしまいます。だから、特に重要な国については、予算を少し増やして、外務省の職員が中国の国中を回って、一次情報をできるだけ取るようにしないといけません。人民日報や新華社の情報なんて、二次情報で、色がついている。それを見て「中国はこういう国だ」と言うのはおかしい。外務省の若手が絶えず中国じゅうを回りながら、「新聞に書いてあるのと違うな。実際はこうではないか」とか、「あんなことを言ってるけど、かなり反日感情が強いぞ」とか、いろんな一次情報を自分たちが取るようにしないといけない。出張旅費なんてわずかなものだと思いますが、そういう予算は、外交の政策として打ち出していかないと。どんな事態になっても、「とにかく予算は1割カットだ」なんて、愚策ですね。戦略というものがない。そういうことを政府が、政治家がよく考えなければいけない。
 
 
前田 企業の方の情報はどうでしょうか。私もときどき中国に行って人と会ったりしますが、中国で活動している企業の方とお話をすると、持っている情報の量が全然違うという気がします。
 
 政府の方は、北京や上海、あるいは、重点都市には行くことが多いでしょうけど、地方まで行くことは余りない。それに中国の人は、外交の話になると金太郎飴みたいな建前の話ばかりするのですが、実際にはすごく利益にさとい人たちですから、「経済活動などは別でやりたい」という本音があるんだけれども、外交問題の話をしていると、余りそういう話にならない。
 
 日本の企業は、それこそ戦後の中国への進出は一番早い時期に行っていて、政府間の正式な外交関係ができる前からの民間交流の歴史があり、非常に多くの情報、重要な情報をつかんでいらっしゃると思います。丹羽さんの目から見て、そういう民間の方が持っている情報と、政府との情報の共有や意見交換は、うまく機能していると思いますか。
 
 
丹羽 あまりできているとは思いません。官は自分たちのほうが偉いと思っているから。一次情報、政治家との接触ができるから、自分たちの方が情報はあると思っている。ただ、中国国民がどう思っているかとか、中国の国内情勢、ニーズはどうだとかいう情報は、これはやはり、官は非常に劣ります。民間は地面を歩いてますからね。官のほうは、東京からのいろんな反応や、メディア関係の情報を見て考える。かなり落差があります。そういう情報の交換というのは、北京で我々の時はやっていました。でも、やはり経済界のほうが、実際の国民感情というか、それはよく知っているのではないかな。
 
 
前田 欧米などは、中国共産党エリートの高官の子弟とかを一生懸命留学に招いたり、また、国有企業の幹部など、そういう人は親が党エリートだったりすることが多いので、そういう人を捕まえようとしています。日本の政治家を見ると、共青団関係のつながりは割と厚いとは思うのですが、それ以外はどうなのだろうと思うことがあります。民間の方が、本当は関係を持っていらっしゃるのだと思いますけれども。
 
 
丹羽 まあ、確かに、政府とかそういう人の意見というのは、あなたが言ったように金太郎飴だな(笑)。同じようなことしか言わない。余り大した情報ではない。
 

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4、強硬姿勢の裏を読め
 
前田 中国は非常に巨大な市場で、中国の市場を放棄するなんてことはあり得ないと中国の大問題で書かれています。私もそう思いますが、現実問題として、日中間に何か政治問題が発生すると、経済にも波及するリスクがある。中国では、お上を見て文化交流ですらストップしたりします。レアアースの問題もありました。レアアースの問題は中国には中国の事情もあって、別に反日ということだけではないというふうに書籍ではご説明されていましたけれども。三井商船の差し押さえなども、中国の法律にのっとって行われたことですが、なぜあのタイミングで、とは思います。あるいは、強制労働訴訟の問題なども、政治関係の趨勢によって影響を受けるかもしれないというリスクがあると思いますが、そういうのは、企業としてはどのように対応しているのでしょうか。
 
 
丹羽 そういうのは政治的な判断です。中国の裁判は、政治判断、政治裁判です。司法権が独立してないのですよ、中国では。憲法上では独立してることになっているんだけれど、実際は、中国共産党の政治判断です。だから、関係がちょっとよくなったらまた変わるでしょう。
 
 でも、そういうことがよくないということを、国際的な価値観やルールというものを尊重するように、そういう方向に中国を誘導していかなければいけない。そういう裁判や法律の不整備は、中国だけではなくて、アジアの他の国にもある問題です。
 
 それが日本に追いつくまでには、まだ時間がかかるでしょう。そう簡単に人間の心や考え方は変わらないし、その間に経済もいろいろ変わってくる。だから、余り急いで「自分たちと同じように考えてもらわないと困る」なんて言っても無理です。やはり時間をかけて、少しずつ動かしていかないと。今は戦争もできないし、「けしからん」と言ってもどうしようもないから、「まあまあ、君」って言いながら納得させるしかありません。「こうやると痛みがあるでしょう。だから、やめましょう」と言いながらやっていかなければならないのですが、最近、痛みを感じない不感症というか、政治的に不感症になっている人がたくさんいますね。
 
 
前田 そういう国際的な基準みたいなもの、法の支配みたいなものを一つ一つ説得して受け入れてもらうしかないというのは、まさしくおっしゃるとおりだと思います。
 
 ただ、今の習近平政権は、一時的な兆候なのかもしれませんが、明らかに自分の権限を強化する方向に動いていて、中国の法治にとって、それがプラスに働くか、マイナスに働くか、よくわからない部分があります。確かに、国内のいろいろな既得権益の反対を押し切って改革を進めるためには、ある程度権限を強化しないとできないのかもしれません。でも、権限を強化したところで判断を誤ったら、ものすごく損害が大きくなる危険もあります。
 
 ほかにも気になるのは、胡錦涛政権の時には多少、普遍的価値みたいなものも受け入れる動きがあり、例えば日中共同声明に「普遍的価値」という言葉を入れることに中国側も合意しました。党内民主ということも盛んに言っていたのですが、習近平政権になってから、民主という言葉はほとんど出なくなりました。党内民主ももちろん言わなくなりましたし、普遍的価値をものすごく否定するようになっています。
 
 また、最近は中国国内で、例えば、改革とか、開放とか、市場化とか、そういうことを主張する人を批判するときに「西欧に毒された人たちである」という、天安門事件前後によく使われた言い方が見られるようになってきていて、ちょっと今の中国を見ていると、余り好ましくない兆候が出ているのではないかという気がします。
 
 
丹羽 習近平の政治基盤が弱いということですよ。だから彼は、国民に対して自分の力を誇示しなければならない。「おれはこんなに強いんだ。みんなおれについて来い」、こういうことのためには、アメリカとか日本とか、そういう国に対して強い態度を取る。そうすると国民が、「この人は強いんだ、やっぱり従わなければいけないんだ」となる。
 
 共産党は無謬の党なのですよ、国民に対して。だから、強く出るということは、それだけ基盤が弱いということです。習近平が本当に強ければ、「まあまあ、日本側もそう言ってるんだから」と言っても、支持基盤があれば問題ないんだけれども、支持基盤が揺らいでるから、そんなことを言ってると、「何だあいつは」と反感を買いかねない。
 
 だから、「習近平は非常に強硬な男だ」と言う見方もあるのでしょうが、「なぜ強硬な意見を急に述べ始めているのか」について、我々は考えなければいけません。それが外交というものです。「これはやはりかなり焦ってるな」とか、「かなり国内で問題があるな」と。それに油を注ぐように、「もっと燃えろ」とやると、関係はますます悪化するわけです。
 
 だから、「習近平は困っているな」ということなら、少し助けるような、習近平を少しサポートするような、余りそこにくぎを刺さないような方向に持っていかないといけない。そうでなければ、結局、すべての国にとってマイナスの状況になってしまいます。だからオバマ大統領は、耐えがたきを耐えて、何とか習近平をなだめすかせて、少し穏やかにさせたいという気持ちだと思います。そういうふうに習近平体制を見ていく必要があります。
 
 もちろん、いつまでもそういうわけにはいきません。だけど、「今の時期にこういう態度を取ればこうなるだろう」、「こういう態度を取ればこうだろう」ということを考えながら、囲碁の石を打つように、ここへ打ったらこう反応する、ここを打つのではなくて、こっちへ石を打とうではないかとか、日本に強いところに打っていく、相手の弱いところに打っていくということを考えないといけない時なのです。
 
 今の中国は、習近平は非常に悩んでいるだろうと思います。だから、権力を誇示して、「おれについて来い」と言いたいわけです。共産党の権力者たちに対しても、彼は、「私はこういうふうにやる方針だ」と恐らく言っているでしょう。そういうことで皆の評価を得たい。
 
 ところが、人事紛争ですからね、ほとんど。国内の人事紛争も背景にあるし、習近平の政治基盤もまだ弱い。だって、国家主席になってからまだ2年ぐらいしか経ってない。だから、2017年までは相当、自分の基盤をつくるために強気の政策をやっていくのではないでしょうか。でも、今年の四中全会(党中央委員会第四回全体会議)で彼の言うようなことが了解されていけば、彼はもう少し自信を持って、少し緩めてくるかもしれません。その緩めてくる兆候が出ているというふうに私は見ています。
 
【写真:永井浩】

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