「伝統に回帰する」か「さらに国を開く」か -憲法改正論の新潮流―

政策シンクタンクPHP総研 研究主幹 永久寿夫

会場の様子1

5.私たちが憲法に求めるべき役割はなにか
 
永久 質問はありますでしょうか。
 
質問 人の心の問題や社会情勢の悪さを、憲法の中に義務などの条文を盛り込むことで解決できるのでしょうか。
 
曽我部 ゲンロン草案は国民の義務を取り去っています。ただ、基本的人権は濫用してはいけないなどの責務は、完全に排除し切れていません。やはり、みんながプライベートに閉じこもっていては、政治共同体は運営できません。公民、市民としての責務をまったく入れないという考え方を採る必要はないでしょう。
 
 JC草案は、日本という共同体の構成員である日本国民の責務や義務などが書かれてあり、ある種の色がついています。そこに違和感があるかもしれません。
 
永久 国民としてなすべきことをいかに担保するかが重要で、教育などの政策で対応すべきと思います。憲法で義務と書かれると、むしろ抵抗感が出るかもしれません。
 
質問 国、県、基礎自治体による法体系と憲法をいかに整理していったらよいのか。
 
曽我部 地方自治制度一般の存在意義として、事務をナショナルと地方に分割して処理するのが効率的であるということ、他方で、国と地方を分け、民主主義をよりよく機能させるという二つの側面があります。ですが、実際には、事務の重複や、民主主義が十分機能しないことがある。そういう場合は、本来のポテンシャルを発揮できるように改革するのがスジでしょう。
 
 法治国家、法制など、つまり憲法についてあまり議論がなされてこなかったことは不幸な歴史です。イデオロギー対立の一つのターゲットになり、学校で憲法が教えられませんでした。普通の公民教育もできなかった。55年体制も終わった今こそ、そうした議論や教育をやったほうがいいと思います。
 
西田 そういえば、憲法を学校で読んだ記憶がないですね。どのように社会が運営されているのか。何を変えればどう変わるのかといった関係を捉える思考のトレーニングをやってこなかった。憲法の機能の、いわば「生態系」を理解する訓練が必要ではないでしょうか。
 
松原 JC草案には国民に課す義務が多いかもしれません。ですが、祖先から今日まで積み重ねてきた歴史的共同体を未来に継承していくためには、国民の自由や権利だけでなく、対となる責務や義務も明記する必要があると考えたわけです。
 
西田 やはり今のお話は、価値の側面が強い。価値を入り口にすると、共通体験や革命の記憶が乏しい社会においては、いつまでも合意に至らず、国民感情を分断してしまうのではないでしょうか。だからこそ、機能的な側面から捉え直していくべきだと思います。
 
永久 前文を見ると、JC草案では、天皇がいきなり出てくる。ゲンロン草案では一切出てこなくて、「開かれた国」という特徴的な価値があらわれる。これでは全然合意に至らない。
 
 PHPの改正案は、それを意識して、前文は極めて短くしました。価値を含めた長い前文だと合意できないだろうから、機能を中心に見ていくことにしたんです。
 
質問 憲法は国民が権力を縛るものという立憲主義の考え方が一般的ですが、「機能」として考えるべきという議論もずいぶん前からありました。そのころは異端扱いをされていましたが、現在はどうなのでしょうか。
 
松原 この国がどのような歴史的、地理的背景で成り立ち、作られてきた国と民族なのかを原点に考えた結果、JC草案はこうなりました。立憲主義を基本としておりますが、その概念は一方的に国民を国家権力から守るためという考えでは、日本という国の歴史的な成り立ちには合わないと考えております。現行憲法がつくられた状況を踏まえ議論すべきではないだろうかというのが、私たちの考えです。
 
西田 ゲンロン草案は、明確に統治機構である国家を縛るものです。現代憲法とはそういうもののはずです。ちなみに、教育の義務がないというご指摘もありましたが、権利を保障するという形で書いてあります。書き方を変えても、現在の憲法の義務を実質的に導入できます。立憲主義は歴史的な知恵であり、基本的に変えなくてよいと考えます。
 
質問 グローバル人材が求められるなか、外国人参政権や二重国籍についてどのようにお考えでしょうか。
 
西田 外国人に対する生活保護は違憲であるという判断がありましたが、ゲンロン草案の価値観からは受け入れられないと考えます。前文に、私たちの国が平和と安全のうちに繁栄することこそ国民及び住民の幸福の位置づけであることを確認する、と書いています。外国人も住民に含まれますから、生活保護の対象になります。在日外国人の参政権を認めない姿勢も、受け入れません。在日外国人に対しても、広く様々な便益と福祉を提供すべきと考えます。
 
松原 在日外国人の地方参政権は認めるべきという向きがありますが、JC草案は、外国人は帰化して日本国籍を取得することで選挙権が得られるとしています。在日外国人の納税については、福祉政策などの行政サービスを受け、利益が還元されていると考えます。
 
曽我部 日本は二重国籍を憲法で禁止しているわけではなく、法律を改正すれば認められます。最高裁は、これは国会で決めることと言っています。
 
質問 不文憲法や、理念を盛り込むだけの五箇条の御誓文のような簡単な憲法にすることについて、どう思いますか。
 
松原 一番大切なのは、国民一人ひとりに憲法に対する意識を持ってもらい、一人ひとりがどうすべきなのかを考えた中で憲法を制定していくことだと考えます。五箇条の御誓文については、当草案の前文にも掲載しております。
 
西田 不文憲法には、ある種のコモンセンスが必要です。日本を見ると、僕たちはすでにいろいろなものを共有しない社会になっているのではないか。そのような観点に立つと、概ね100条あると、様々な問題を網羅できます。また、改正にかかる時間をいとわないことも重要ではないでしょうか。国民の議論を醸成するには時間が必要だし、様々な政治問題の解決に時間をかけることについては、必ずしも否定的に捉えるべきではないと考えます。
 
曽我部 皮肉な見方をすれば、現憲法は不文憲法に近いのです。例えば、第9条では、ご承知のような文言ですが、自衛隊も集団的自衛権も合憲ということになっています。憲法の条文はありますが、その規律力はかなり緩やかです。その意味で、「不文憲法」ですね。もう一点、価値の問題ですが、個人がどういう価値観を持とうが自由だが、それを押し付けたり、義務づけたりしてはいけないというのが、日本国憲法の立場で、あらゆる価値を平等に認めるためのプラットホームになっています。JC草案は、一定の価値観を国民みんなに推し及ぼそうとするから、逆の立場の考え方が出てきて争いになり、最終的には宗教戦争のようになる恐れがありますね。
 
永久 元に戻ってしまいますが、今、社会の様々な側面がグローバル化で変わりつつあり、この変化にどう対応するかが、二つの草案を比較するポイントでした。一方は、伝統に戻っていこう、もう一方は、もっと国を開いていこう。どちらも大事なことだと思います。開かなければ国としての発展が滞る恐れがある。だが、開けば開くほど我われにとってアイデンティティーが重要になってくる。この連立方程式を解くことが、これからの憲法の論点ではないでしょうか。
 
 また、私たち、実は、憲法のことを勉強してこなかった、議論してこなかった。イデオロギー対立を超えて憲法を議論し始めたのは、つい最近です。シチズンシップ教育という言葉がありますが、いかに良き市民になっていくかという教育もしてこなかった。今後は、そうしたところもきっちりと進めていく必要があると思いました。
 
【写真:遠藤宏】

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