建前だけの復興加速化ならいらない

政策シンクタンクPHP総研 主席研究員 熊谷哲

 東日本大震災から3年。被災地では公共事業の槌音が響き渡っている。だが、それは復興が進んでいる証と言えるのだろうか。政府は「復興の加速化」を言うが、被災者の生活再建にどれだけ結びついているのだろうか。そもそも復興の取り組みは、繰り返し津波被害に遭ってきた地域の歴史にかなうものとなっているのだろうか。
 
 筆者は被災地となった三陸で生まれ育ち、内閣府職員だった当時は現地に2か月間派遣された。だからこそ、あまり語られない現実にこそ目を向けて欲しいと思う。3年経った今だからこそ問い直したい復興のあり方が、そこから見えてくるはずだから。
 
◆ここが論点◆
1.進むインフラ整備、進まぬ生活再建
2.身の丈にあわない、多すぎる公共事業
3.小手先の復興特例では意味がない
4.「高すぎる防潮堤」の背後に隠される問題の本質
5.心の復興と生活再建を支える社会起業家の活躍

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進むインフラ整備、進まぬ生活再建
 
 東日本大震災が発生してから丸3年が経過した。政府が定めた5年間の集中復興期間も、すでに後半に突入していることになる。当初19兆円を見込んだ事業規模は、第二次安倍政権の「復興をさらに加速させる」方針を受けて25兆円へと拡大した。これは、2011年7月に政府が定めた『復興の基本方針』において、「一定期間経過後に事業の進捗等を踏まえて復旧・復興事業の規模の見込みと財源について見直しを行い、集中復興期間後の施策の在り方も定めることとする」とされたことに適うものと見なされている。
 
 たしかに、集中的な取り組みが進められてきたことで、復興事業は順調に進捗しているように見受けられる。例えば、大津波の被害に伴うがれきなどの災害廃棄物の処理については、昨年5月に「災害廃棄物の処理工程表」が改定されたこともあり、撤去は98%、処理・処分は95%が終わった(本年1月末現在)。津波堆積物の処理については撤去は97%、処理・処分は89%進んでいる。広域処理が必要とされた廃棄物約62万トンについては、受け入れ先はすべて確保され、これまで計61万トンが処理されてきた。岩手県と宮城県では、今月末までに処理を終える見込みだ。
 
 また、国が直轄管理する河川堤防は、99%が本復旧工事を完了した。本格復旧が完了した水道施設は89%、被災前と同程度の水質まで処理が可能となった下水処理場は97%、入院の受入制限等から回復した病院は93%、復旧が完了した公立学校施設は94%に上るなど、進捗率は極めて高い。これは、とりもなおさず、巨額の復興予算を確保し、インフラ復旧を中心に集中的に資源を投入してきた成果にほかならない。
 
 一方で、被災地における生活再建の状況は依然として厳しく、復興はまだまだ緒についたばかりで今後の見通しも十分に立てられてはいないと、被災者を中心に不安や不満が募っていることは否めない。
 
 例えば、発災3日目に約47万人だった避難者数は直近でも約27万人を数え(昨年末現在)、彼らは依然として日常生活を取り戻すことができずに不便な生活を余儀なくされている。公営住宅や民間住宅も含めた仮設住宅約10万9千戸には未だに約25万人が暮らしており、岩手・宮城・福島3県のプレハブ型仮設住宅の入居率は80%を超える。被災地域が広大で、なおかつ現地再建が困難で高台移転やかさ上げなどの必要性があることを差し引いても、遅れが際立っていると言わざるを得ない。同時期・同型の仮設住宅への入居率が約5割だった阪神大震災と比べると、なおさらである。それを裏打ちするかのように、災害公営住宅の完成戸数は計画戸数の1割にも満たない(今年度末見込み)。現状のままでは、震災後4年を迎える来年3月になっても、完成が見込まれるのは計画の半数にも届かない。政府が復興の加速を言うならば、こうした被災者の生活再建に直結するところこそ急がなくてはならない。

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身の丈に合わない、多すぎる公共事業
 
 何をおいても政府が真っ先に対策を打つべきなのは、復興の足かせとなっている公共工事の入札不調についてだ。会計検査院によれば、岩手・宮城・福島の3県で2011年10月からの1年間に実施された復興関連事業のうち、最低落札価格が予定価格を上回る、あるいは応札がないなど、自治体が発注する工事で施工業者が決まらない入札不調が21%に達した。この傾向はその後も変わらず、2013年度上半期(4月~9月)に入札不調となった公共工事の割合は25%を超えている(同3県)。不成立の多い価格帯も、当初は3000万円未満だったものが7000万円未満にまで上がるなど、一定の利幅が見込めるはずの規模の大きな事業にまで広がってきている。
 
 原因は、すでに明らかだ。人手不足・資材不足が深刻化し、それに対し十分な対策が取られていないからだ。2000年代からの公共事業費削減に伴い、大手・中小下請けを問わず建設会社やその従業員は大幅に減り、事業量に見合った再編が進んできた。東日本大震災の復興需要については、復興計画が策定された当初は、そうした業界の変化があっても十分調整可能と見込まれていた。だが、第二次安倍政権の掲げる国土強靱化やアベノミクスの第二の矢である大規模な財政出動が公共事業の大幅な増加要因となり、そこに東京オリンピックに向けた官民双方の旺盛な建設需要が加わり、さらに円安による輸入資機材などの高騰が追い打ちをかけている状況にある。より条件の良い事業に事業者の目が向き資源が振り向けられた結果が、被災3県の入札不調となって現れているのだ。
 
 こうした事態を解消するために、国土交通省は2月になって、被災3県のすべての公共土木工事について発注額を一律に6~8%増額する「復興係数」を導入すると発表した。「受注したとしても、十分な利益が確保できない」とする事業者に対し、増額発注を行うことで入札増を図り、入札不調を改善していこうというのだ。
 
 この国交省の対策は付け焼き刃でしかない。被災3県では最低落札価活を見直して再入札を行っても、再度不調となっているケースが後を絶たない。引き上げ幅で言えば、例えば築地の中央卸売市場の豊洲新市場への移設は4棟の工事のうち3棟で入札不調となり、再入札の予定価格は6割以上引き上げられた。総事業費も当初予定の4割増となる5500億円まで膨らんでいる。こうした中で、さまざまなハンデを抱える被災地において6~8%増額することが、どれだけの効果をもたらすだろうか。
 
 また、お金を積んだからといって人材の確保にメドが立つわけでもない。全国の建設業の有効求人倍率は、技能労働者で約4倍。国土交通省の需給調査でも、熟練が必要な技能工の不足率が高止まりしている。被災地の有効求人倍率に目を向けると、岩手県では建設業全体で2.81倍、宮城県では3.43倍と、こちらも依然として高い水準で推移している。一方で、水産加工業や福祉関係でも人材を思うように確保できないなど、事業再建の足かせとなっている状況が顕在化している。
 
 宣言通りに復興を加速させるつもりがあるならば、政府の責任においてこうした現状を改善しなくてはならない。まず何よりも、2020年の東京オリンピック開催までの国全体の公共事業総量を投入可能な資源量に見合ったものとする中期計画を策定し、各年の事業量を平準化することだ。人材や資機材の供給力に目を瞑ったまま事業量を拡大させている現状は建設的ではなく、およそ現実的でもない。復興に必要な資源が被災地に重点的に充てられ、またオリンピック開催に必要な整備も滞りなく進められるよう、資源配分の観点から優先順位を明確にし、事業量を適切にコントロールすべきである。
 
 また、復興事業についても、事業の進捗や住民生活の状況に即して復興計画を弾力的かつ機動的に見直し、実効性あるものとしていくことが肝要である。持続可能な地域づくりに適う復興とするためには、将来的な経営見通しや人材マッチングの観点が欠かせず、こちらも事業・雇用の一時的集中を緩和し、平準化する努力が求められる。

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小手先の復興特例では意味がない
 
 復興の足かせとなっているもうひとつの問題は、高台移転先の用地取得手続きや、かさ上げをするための土地区画整理の手続きにある。共通するのは、震災によって所有者が亡くなったため相続手続きが必要となるなどの震災に起因する問題に加えて、そもそも所有者が不明であったり、明治時代から相続手続きが行われていなかったり、あるいは境界が不明で所有者同士の確認が必要となるなど、震災によって顕わになった問題が少なくないことだ。こうした土地を公的に収用しようとすると、ただでさえ測量や埋蔵文化財調査などで人手不足となっているところに、さらにマンパワーが必要となる。また、1件ずつ確実に処理する前提に立てば、途方もない時間が必要となる。
 
 政府はこうした状況に対応するために、土地の所有者が不明な場合に、家庭裁判所が選任する財産管理人に土地の保存や売却などを任せる「財産管理制度」の手続きを短縮したり、公共事業に必要な土地の取得手続きを定めた「土地収用制度」の手続きについても外部委託や簡素化を進めるなどして、作業期間を短縮させる特例措置を昨年10月に導入した。安倍総理は「半年かかっていたものを最短で3週間にできる」と、この特例措置の導入にあたって強調していた。
 
 だが実際には、その手続きに入るまでの相手方を特定し意向確認をするといった準備段階に相当の手間を取られ、期待された効果はおよそ発現していない。そもそも人手の不足する自治体では特例措置の活用にすら至らず、復興事業の加速化につながっていないという指摘も相次いでいる。現行制度を前提とした手続きの「ある部分」の見直しでは、到底現実に見合っていない現状が浮かび上がっている。
 
 国土交通省はさらに今年1月になって、地権者の承諾が得られない土地でもかさ上げ工事などに早期に着手できる特例的なガイドラインを、課長通知という形で設けた。これまでは、以前の土地における所有者の使用・収益権を暫定的に制限する「仮換地」の指定前に、地権者に「起工承諾(工事への同意)」を得ることを前提としてきた。ところが、前述のような土地所有の状況などにより難航していることから、所有者の同意を得なくとも工事が可能となるよう、「現位置に(あくまで今の土地の上で)、工事の実施のみを目的に(区画整理の手続きには入らず)、減歩なし(現状の所有状況のまま)」という枠内で仮換地指定を可能とするようにしたのである。
 
 だが、かさ上げ後の土地の位置、形状、面積を特定し、図面に落とし込む換地設計が整った段階で改めて仮換地指定を行う必要があり、手続きを先送りするだけでしかないという見方もできる。加えて、地権者が特定できている場合には、引き続き一件ごとに起工承諾を行うという前提を変えられてはいない。見た目には加速化に寄与しそうなものだが、その効果の及ぶ範囲は限定的で、なおかつ職員の負担の大きさはあまり変わらないのではないかと推測される。
 
 なぜ、こうした手続き短縮化といった小手先の見直しにとどまるのか。それは、憲法に定める個人の財産権の不可侵があり、復興という大義名分があっても、公共目的による土地利用の制限と調和させるには現行法令の範囲を越えられないと政策担当者が判断しているからに他ならない。いきおい、これまでの法令解釈の積み重ねを尊重し、できる範囲での改善に留まってしまっているのである。
 
 被災自治体のなかには、「自治体が一定の手続きの元で、一定の期間、一定の地域において借地権を設定し、あるいは管轄権を自治体に移管し、事業完了後に所有者に返還する制度」の創設を求めているところがある。さかのぼれば、小笠原諸島の日本復帰に際して制定された暫定法や特別措置法には、「法定賃借権」「法定使用権」「特別賃借権」などの規定が同様の趣旨で設けられた実績がある。多くの時間と手続きを必要とする土地利用について、小笠原の例に倣った、既存の枠組みにとらわれない本当の意味での特例措置が必要ではないだろうか。この点については、なかんずく立法機関たる国会の責任も重いものがある。現状をしっかりと捉えて、抜本的な対策を講じるべきである。

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「高すぎる防潮堤」の背後に隠される問題の本質
 
 さて、復興が進むにつれて住民がまちづくりの方針を見つめ直し、再考を求めるケースが散見されるようになった。「高すぎる防潮堤」問題は、その最たる例と言えるだろう。気仙沼市唐桑町鮪立地区では、県の海抜9.9mの防潮堤を整備する計画に対し、地元は高すぎると反発している。岩手県大槌町の有志による「住民まちづくり運営委員会」は、同町内で予定されている14.5mの防潮堤について専門家を交えた勉強会を重ね、住民投票請求なども視野に活動している。
 
 こうした防潮堤は、数十年から百数十年に1度のような発生頻度の津波(いわゆるレベル1の津波)の被害を最小限にすることを意図している。海岸保全施設(すなわち防波堤や防潮堤など)を整備することによって、人命を保護し、住民の財産を守り、地域の経済活動の安定化と効率的な生産拠点の確保を図るとした、復興の基本方針があるからだ。これに対し、防潮堤の総延長が約370kmとなり8500億円以上の巨費を投じることになること、浜辺や港が巨大なコンクリートによって囲まれることになる景観上あるいはまちづくり上の問題、さらには環境や防災意識に与える影響などから、反発が強まった経緯がある。
 
 ハード頼み、防潮堤頼みの津波対策からの転換は、考え方の上では始まっている。政府や県は地元の反発を受けて、住民合意を前提に防潮堤の高さの見直しを弾力的に行う方針を相次いで表明している。また、すでに昨年6月には、中央防災会議に設置された「東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する調査委員会」の「中間とりまとめ」において、「海岸保全施設等の整備の対象とする津波高を大幅に高くすることは、施設整備に必要な費用、海岸の環境や利用に及ぼす影響などを考慮すると現実的ではない。このため、住民の避難を軸に、土地利用、避難施設、防災施設の整備などのハード・ソフトのとりうる手段をつくした総合的な津波対策の確立が急務である」という提言が盛り込まれている。
 
 にもかかわらず、現実には巨大な防潮堤建設が各地で進められ、高さの問題が繰り返し取りざたされてしまうのはなぜか。理由のひとつは、既存集落や市街地を元の場所に戻すのが復興の大前提であり、行政にとっても住民にとっても暗黙の了解となっているからだ。結果として、震災前から顕在化していた人口減少や高齢化、担い手不足という深刻な地域課題を正面から捉えることをせず、あるいは努力すれば克服できる程度のことと過小評価して、津波対策に偏った「復旧ありき、土木工事ありき」の復興が進められているのである。防潮堤以上に景観や環境への影響が大きいはずの漁港の復旧・機能強化に概算で6,000億円以上が使われ、コンクリートで固められた海岸となるというのに、ほとんど誰も異を唱えていないことがひとつの証左だ。公共土木に依存した復興が暗黙の了解である限り、決してまちづくりの本質ではないはずの防潮堤問題を避けては通れないというのが現状だ。
 
 もうひとつの理由は地域の歴史にある。振り返ると、1896年(明治29年)の明治三陸大津波を受けて、村営事業や組合事業によって、あるいは自発的に、集団移転を行った集落が多数存在した。同様に1933年(昭和8年)の昭和三陸大津波の際には、高台の地主が土地を提供し、平均50坪ずつの土地を割り当てて高台移転を行った例があった。しかし、後に防潮堤などが整備されたり、漁業を営む上で不便であったり、次男三男が新しく居を構えたりといった理由から、津波の浸水被害のあった低地に宅地形成が進み、今回の大津波で被害を受けた事例が多数存在する。この歴史の教訓から、行政は時間の経過とともに浸水被害の恐れのある土地で宅地形成が進むことを避けられないだろうと判断し、後に不作為を批判されないためにも取り得る最大の対策を講じようとしていることに問題の核心がある。これに、復旧関連事業なら予算がつきやすく、新たなまちづくりの構想に基づく包括的な予算を獲得するには手間暇がかかるという予算執行の制約が拍車をかけている。
 
 防潮堤の問題については、行政の欺瞞や責任ばかりを問うのではなく、防潮堤を低くするにあたっては行政の不作為を将来にわたって追求しないことを明確にし、後背地に居を構えることは自己責任であるという原則に立つことが不可欠だ。また、巨額の復興資金を使い切る観点ではなく、文字通り地元自治体の主体性と創意工夫を支えるような復興交付金となるようにあり方を見直すことや、基金化して未来志向のまちづくりに使うインセンティブをもたせるなどの工夫をすべきだ。とりわけ東北沿岸の被災自治体の将来を俯瞰すると、集落や都市機能、産業施設などの集約を図るコンパクトシティーの取り組みを進めなければ、地域の再生などなし得ないと思われる。こうした現実を直視し、この機会を捉えて持続可能なまちづくりに着手し本格化させるべきだ。決して、震災前から抱える構造的な問題や地域の歴史から目をそむけ、高すぎる防潮堤という象徴に問題を矮小化すべきではない。

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心の復興と生活再建を支える社会起業家の活躍
 
 課題が山積している被災地の復興だが、足踏みしていることばかりではない。地域産業の創造的な復興を成し遂げようと新たな方法論で挑もうとしている事例や、被災地に腰を落ち着けて継続的かつ精力的に支援活動を行ってきた団体などとのコラボレーションで新たな価値を生み出そうとしている事例は、枚挙に暇がない。
 
 宮城県は「水産業復興特区」という制度をつくり、被災地の最重要基幹産業のひとつである水産業にイノベーションを起こそうとしている。特区の柱のひとつは、これまで漁協に対して優先的に与えられてきた漁業権を、民間企業と連携した地元漁業者主体の法人に与えるところにある。これにより、民間企業との連携を具体化させて投資や経営能力を漁業の現場に呼び込み、漁場の生産段階から流通・販売までを一気通貫させることで競争力を高め、地域の復興とともに新たな漁業のあり方を築くことが狙いだ。特区第一号となった石巻市桃浦の漁師15名と仙台水産による「桃浦かき生産者合同会社」は立ち上がりも順調で、すでに桃浦ブランドの牡蠣が地元百貨店や首都圏の大手外食チェーンなどで提供されている。
 
 また、この特区の制度によらないところでも、漁協依存から脱して新たな漁業経営をめざそうという漁師のグループが法人化するなどして、生産から販売までを直接手がける試みが各地で起こっている。復興支援をあてにするではなく、震災を契機に新たな取り組みによって活力を生み出していこうという姿勢は、生産性の高い漁業に生まれ変わる第一歩となるに違いない。
 
 地域資源のブランド化については、「大槌復興刺し子プロジェクト」と「気仙沼ニッティング」を置いては語れない。大槌刺し子は特定非営利活動法人テラ・ルネッサンスが、気仙沼ニッティングは「ほぼ日刊イトイ新聞」の糸井重里事務所が、地元の人々と一丸となって立ち上げたものだ。どちらも、もともと地域に存在していたものではないが、生きがいや居場所をつくり出すために手仕事に着目し、活動を続ける中で事業化が図られてきた。復興支援はもとより、経済開発支援の事例として希有な成功例である。
 
 地域に新たな価値をもたらしたと言えば、宮城県女川町に女川向学館、岩手県大槌町に大槌臨学舎というコラボスクール(放課後学校)を開設したNPOカタリバの奮闘ぶりは群を抜いている。勉強したくても学べる場所がない、居場所がないという子どもたちのために、放課後の学習指導の場をつくろうとしたのが、その始まりだ。必ずしも進学意欲が高かったわけではない地域の中で、日常的な存在ではなかった大学や大学生というものが身近なものとなり、地域のあり方や子どもたちの将来をあらためて考える貴重な機会をつくり出している。また、震災によって、これまでとはまったく違う立ち位置から社会を見つめ、地域のためになることを考え始めた子どもたちの受け皿となり、企業などとのコラボ事業や全国的なイベントへの参加などによって、単なる学習指導の範囲を超えた取り組みが広がっている。
 
 震災後、多くの支援団体が被災地へと向かったが、現地で信頼を得ることができず撤退していったところも少なくない。そんな中で、それまで縁遠かったものとの出会いによって新たな気づきを得て、元気を取り戻し、生活を再建していこうという挑戦があちこちで続けられている。こうしたソフト面での復興の取り組みを改めて評価し、新たな地域づくりの中核として資源を集中的に投入すべきではないだろうか。
 
 ひるがえって日本全体を見渡せば、被災はしていなくても、被災地と同じように厳しい環境に置かれている地域は少なくない。被災地において、NPOなどが中心的な役割を果たした新たな事業創造の取り組みや、あるいは行政と民間事業者との連携による産業構造転換の取り組みは、そうした地域でもきっと参考となるだろう。こうした被災地の取り組みから「復興支援」という看板が名実ともに外されたときこそ、また地域再生の成功事例として各地の範となったときこそ、本当の意味で復興が成し遂げられたと言えるのかもしれない。その日が一日も早く訪れることを、心から願ってやまない。
以上

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