建前だけの復興加速化ならいらない

政策シンクタンクPHP総研 主席研究員 熊谷哲

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「高すぎる防潮堤」の背後に隠される問題の本質
 
 さて、復興が進むにつれて住民がまちづくりの方針を見つめ直し、再考を求めるケースが散見されるようになった。「高すぎる防潮堤」問題は、その最たる例と言えるだろう。気仙沼市唐桑町鮪立地区では、県の海抜9.9mの防潮堤を整備する計画に対し、地元は高すぎると反発している。岩手県大槌町の有志による「住民まちづくり運営委員会」は、同町内で予定されている14.5mの防潮堤について専門家を交えた勉強会を重ね、住民投票請求なども視野に活動している。
 
 こうした防潮堤は、数十年から百数十年に1度のような発生頻度の津波(いわゆるレベル1の津波)の被害を最小限にすることを意図している。海岸保全施設(すなわち防波堤や防潮堤など)を整備することによって、人命を保護し、住民の財産を守り、地域の経済活動の安定化と効率的な生産拠点の確保を図るとした、復興の基本方針があるからだ。これに対し、防潮堤の総延長が約370kmとなり8500億円以上の巨費を投じることになること、浜辺や港が巨大なコンクリートによって囲まれることになる景観上あるいはまちづくり上の問題、さらには環境や防災意識に与える影響などから、反発が強まった経緯がある。
 
 ハード頼み、防潮堤頼みの津波対策からの転換は、考え方の上では始まっている。政府や県は地元の反発を受けて、住民合意を前提に防潮堤の高さの見直しを弾力的に行う方針を相次いで表明している。また、すでに昨年6月には、中央防災会議に設置された「東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する調査委員会」の「中間とりまとめ」において、「海岸保全施設等の整備の対象とする津波高を大幅に高くすることは、施設整備に必要な費用、海岸の環境や利用に及ぼす影響などを考慮すると現実的ではない。このため、住民の避難を軸に、土地利用、避難施設、防災施設の整備などのハード・ソフトのとりうる手段をつくした総合的な津波対策の確立が急務である」という提言が盛り込まれている。
 
 にもかかわらず、現実には巨大な防潮堤建設が各地で進められ、高さの問題が繰り返し取りざたされてしまうのはなぜか。理由のひとつは、既存集落や市街地を元の場所に戻すのが復興の大前提であり、行政にとっても住民にとっても暗黙の了解となっているからだ。結果として、震災前から顕在化していた人口減少や高齢化、担い手不足という深刻な地域課題を正面から捉えることをせず、あるいは努力すれば克服できる程度のことと過小評価して、津波対策に偏った「復旧ありき、土木工事ありき」の復興が進められているのである。防潮堤以上に景観や環境への影響が大きいはずの漁港の復旧・機能強化に概算で6,000億円以上が使われ、コンクリートで固められた海岸となるというのに、ほとんど誰も異を唱えていないことがひとつの証左だ。公共土木に依存した復興が暗黙の了解である限り、決してまちづくりの本質ではないはずの防潮堤問題を避けては通れないというのが現状だ。
 
 もうひとつの理由は地域の歴史にある。振り返ると、1896年(明治29年)の明治三陸大津波を受けて、村営事業や組合事業によって、あるいは自発的に、集団移転を行った集落が多数存在した。同様に1933年(昭和8年)の昭和三陸大津波の際には、高台の地主が土地を提供し、平均50坪ずつの土地を割り当てて高台移転を行った例があった。しかし、後に防潮堤などが整備されたり、漁業を営む上で不便であったり、次男三男が新しく居を構えたりといった理由から、津波の浸水被害のあった低地に宅地形成が進み、今回の大津波で被害を受けた事例が多数存在する。この歴史の教訓から、行政は時間の経過とともに浸水被害の恐れのある土地で宅地形成が進むことを避けられないだろうと判断し、後に不作為を批判されないためにも取り得る最大の対策を講じようとしていることに問題の核心がある。これに、復旧関連事業なら予算がつきやすく、新たなまちづくりの構想に基づく包括的な予算を獲得するには手間暇がかかるという予算執行の制約が拍車をかけている。
 
 防潮堤の問題については、行政の欺瞞や責任ばかりを問うのではなく、防潮堤を低くするにあたっては行政の不作為を将来にわたって追求しないことを明確にし、後背地に居を構えることは自己責任であるという原則に立つことが不可欠だ。また、巨額の復興資金を使い切る観点ではなく、文字通り地元自治体の主体性と創意工夫を支えるような復興交付金となるようにあり方を見直すことや、基金化して未来志向のまちづくりに使うインセンティブをもたせるなどの工夫をすべきだ。とりわけ東北沿岸の被災自治体の将来を俯瞰すると、集落や都市機能、産業施設などの集約を図るコンパクトシティーの取り組みを進めなければ、地域の再生などなし得ないと思われる。こうした現実を直視し、この機会を捉えて持続可能なまちづくりに着手し本格化させるべきだ。決して、震災前から抱える構造的な問題や地域の歴史から目をそむけ、高すぎる防潮堤という象徴に問題を矮小化すべきではない。

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